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第5話 友好条約
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【マーダー・パレード】が始まってどれくらい経ったのでしょうか。
どこか遠くで火事が起こり、爆発まで起こっています。
みなさん、ずいぶんと殺生がお好きなようですわ。
もちろん、わたくし――腐破雫も参加しないわけにはいきません。ですがどうしようもなく体が震えるのです。ガタガタと、極寒の湖に突き落とされたときのように。
怯えているのです。お母さまから愛を授かったわたくしが。情けなくショッピングモールに逃げ込んで、パウダールームに籠っているのです。
「ねぇシェリフ。わたくし、お母さまの期待に添えなくて死んでしまったわよね」
鏡に映る顔のなんて醜いこと。これではまたお母さまに怒られてしまいますわ。
「そうだね。でもそれは君のせいじゃないよ」
「いいえ、シェリフ。全てわたくしが未熟だからいけなかったの」
お母さまは失望しているわ。こんな不出来な娘を持ってしまって。
わたくしが優秀ならば願いも叶ったというのに。
戸籍上のお父さまにあたる男の顔は知っていますわ。でも会ったことはありません。なぜなら、その男は庶民なんて近付けない大企業のトップに名を連ねる方ですから。
お母さまとその男の出会いは、幼い頃より毎夜聞かされてきたのでよく覚えています。
深々と雪の積もる夜、当時16歳でしたお母さまは両親と絶縁して、路頭に迷っていました。そんなときに手を差し伸べてくれたのがその男。お母さまは一目惚れして、その男と付き合うことになりました。ただ、当時の男は起業したばかりで猫の手も借りたいほどに忙しく、お母さまは部下のような立ち位置だったと。
目まぐるしく日々が過ぎていっていたある日のことです。わたくしを身籠ったと判明したのです。軌道にも乗り始めていて力の入れどころだったのですが、身を案じて、男はお母さまに仕事から距離をおくよう伝えたそうです。そのときのことをお母さまは、毎回とても嬉しそうに話してくれましたわ。
ですが、わたくしを出産してしばらく経つと、男は変わってしまいました。わたくしが5歳の頃です。小学校受験に落ちてしまったのです。男の家は名家だったそうですから、その血を受け継ぐわたくしも当然優秀であると、そう信じて疑いませんでした。ですが結果は期待外れ。わたくしという出来損ないを生み出したお母さまとわたくしは、その男に捨てられてしまいました。あのときのお母さまのおぞましい表情は今でも脳裏に刻み込まれていますわ。
それからというもの、お母さまは変わってしまいました。勉学を始め、口調から立ち振る舞い。少しでもお母さまの意に添わなければ、叱責が飛んできました。食事の取り上げや暴力もありました。ですがそれは全てわたくしの責任。どんな罰も甘んじて受けましたわ。
わたくしが優秀ならば、あの男ももう一度お母さまを隣に置いてくれる。期待に答える為に努力を続けました。三畳一間のアパートで。
お稽古も片手では数えられないくらい取り組み、勉学にも励みました。ですが現実とは残酷なもの。
今回の模試の結果が悪く、お母さまも堪忍袋の緒が切れたのでしょう。わたくしの首をロープで絞めて殺してしまった。
「お母さまはきっと泣いているわ。早く涙を止めてさしあげないと」
「もういいよ。雫はよくやった。休むべきだ」
「駄目よシェリフ。お母さまを放ってはおけないわ。お母さまの悲しむ顔は見たくないもの」
「でも震えてる」
「そうよ。わたくし、怖いの。本音を言うと逃げ出したいわ」
「けど逃げる気はないんだよね?」
「ええ。もう一度生きて、今度こそお母さまに相応しい娘になるのよ」
「それは君の本当の願いなのかい?」
「そうよ」
「そうか。【マーダー・パレード】に参加する意思は固いんだね。だったら無理だけはしないで。雫が傷つくところを僕は見たくない」
「ええ、そうね。善処するわ」
わたくしはシェリフを抱擁しました。
すると勇気が湧いてきます。震えも消失していきます。
シェリフと共にいれば、どんな困難にも立ち向かえますわ。
「行きましょう、シェリフ。あなたとわたくしで【マーダー・パレード】を生き残り、お母さまのもとへと帰還するの」
「ああ、そうだね。頑張ろう」
モール内は閑散としています。
電気も点いていて、店員や来客がいらっしゃりそうな雰囲気はあるのに気配はなく、わたくしの足音だけが存在感を示しています。
「ねぇ、シェリフ。わたくし、やっぱり怖いわ」
「怖くて当たり前だよ。雫がやろうとしているのは人殺しなんだ。フィロって人や他の人みたいに割り切れるほうがおかしいんだ」
「ふふ、シェリフは優しいのね」
「当たり前のことを言ってるだけさ」
「そもそも【マーダー・パレード】を優勝したら生き返ることは出来るのかしら」
モニターの声の主は『生き返らせる』とは言ったけれど、それはただの口約束にすぎません。踊らされているにすぎない可能性も捨てきれませんわ。
「不明だね。あの鳥の言葉を信じるに足る根拠がない。けど、だからって全部を嘘と言うにも根拠が足りない」
「そうね。妄言と切り捨てるわけにはいかないわ。死亡したはずのわたくしがこうしてここに立っている。それだけじゃないわ。未知の力も授けられている。こんなことは神でもない限りありえないもの」
だから言葉だけでも信じるに値すると考え、参加者は戦いに従事している。
「思ったのだけれど、このお遊戯は漁夫の利を狙ったほうが賢明かしら?」
「そうだね。潰し合っているところを狙えば、他の参加者には疲労が溜まってるから一網打尽だ」
接敵するなら後半戦になってから。
それなら隠れ続けてたほうがいいかしら。
けどそんな逃げ腰な姿を晒せば、お母さまは嘆くでしょうね。
「シェリフ。やっぱり隠れるのは駄目よ。お母さまの娘であるわたくしが臆病な姿を晒すなんて許されるはずないもの」
「でも大丈夫なの? 失敗すれば死ぬんだよ。本当に二度とお母さんと会えなくなるかもしれない」
「たとえそうだとしても、お母さまのお顔に泥を塗る行為なんて出来ないわ。腐破家として誇れる行いを」
その為に必要な力は授けられています。
胸の谷間にしまい込んだダガーナイフ【気高き令嬢】を取り出し、展示されている観葉植物を斬ると、斬り口が変色し、たちどころに腐り果てていきます。
「【気高き令嬢】があれば、わたくしは向かうところ敵なしですわ」
【腐敗】。それがわたくしが授かった魔法少女としての能力。
【気高き令嬢】の前ではどんな相手も無力と化す。
わたくしの為のわたくしだけの力。
この力を持って向かうべきは、爆発の起こった地点でしょうか。
「シェリフ。どうするべきだと思う? 爆発の起きた地点に向かうべきかしら?」
「さすがに危険だよ。あれだけ派手にやったんだ。他の参加者がどれだけいるか分かったもんじゃない。そうなると雫の能力では不利だ。なにも正面切って戦う必要はないよ」
「そうね。絡めてこそ物事を成す為の基本よね」
そうは言っても、戦闘経験なんてわたくしにはないわ。
上手な立ち回りなんて……。
カツン
不意にモール内に軽やかな足音が鳴りました。
襲撃。そう考えたわたくしは、急ぎ息を潜め、物陰に隠れます。
足音が近付いてきますわ。人数は一人。
奇襲をかければ勝てますわ。
【気高き令嬢】を握り締め、覚悟を決めます。
殺害が容認されるこの世界で、躊躇は足枷になります。
影が伸びてきましたわ。あと少し、あと少し歩んでくれば、斬りつける。
今――!
わたくしは飛び出しました。
ですが――
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいなのだ! 戦う気はないのだ!」
涙声で、怯えたように身を守るその方の姿に、思わず手が止まってしまいました。
倒すべき敵であると分かっているのに、その身を屈める姿が、かつての自分と重なってしまったのです。
なんて愚かなことでしょう。躊躇してしまいましたわ。ここにいらっしゃる方々は全員が敵。
殺害すべき相手だというのに。
戦闘を放棄し、隙を曝している今が好機。
お母さまの為にも……。
わたくしは幻影をかき消し、再び【気高き令嬢】を強く握ります。
「駄目だ!」
しかしそこで正気に戻りました。
わたくしはなんてことをしようと……。
私欲の為に無抵抗な方相手に殺人を正当化しようだなんて。
当たり前のように人を踏みにじる行為が選択肢に上がってしまっていましたわ。
「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
「え……?」
自分自身の行為に戦慄し、気付くと腕をおろしていました。
確かこの方の名前は――
「貴方は……青空翼さんでしたわよね。大丈夫ですわ。わたくしは腐破雫。戦いの意思はありません」
「ひっ!」
手を差し伸べると、翼さんは危害を加えられると思ったのでしょうか。過剰なまでに怖がってしまいます。
当たり前ですわ。先ほどまでのわたくしは翼さんを殺害しようとしていたのですから。
あの感覚は明らかに異常。普段の生活で誰かを殺害したいだなんて考えることなんてありません。この極限状態がそうさせるのか。それとも……。
「どうか信じてもらえないでしょうか。先ほどはどなたがいらっしゃったのか判別出来ない状況下でしたので、あのような行動に出てしまいましたが、わたくしも戦う意志はありません」
わたくしはその証明として、【気高き令嬢】を胸元にしまいます。
敵前で武器を片付けるなんて、自殺行為にも等しい。ですが、翼さんはこの状況でも攻撃を仕掛けてきていない。つまりは敵対意思はないということ。
「ほ……本当なのだ……?」
「はい」
翼さんは迷いの末にわたくしの手を取ってくださいます。
とても小さくて細い手ですわ。生まれつきの細さ……というよりは、明らかに栄養の足りていない細さ。
立ち上がると身長の小ささも相まって、その幼さが際立ちます。
「翼さんはこちらでなにをしていらしたのですか?」
「分……な……のだ」
「なんて言いましたの?」
「えっ……」
お声が小さくて聞き取れませんでしたわ。
だから聞き返しただけでしたが、翼さんの顔は途端に引きつったような笑いに変わって固まってしまいます。
「え……へへ。なんにもないのだ。ごめんなさいなのだ」
なぜ笑っているのでしょうか。
「なにかわたくしおかしなことをしましたか?」
「え?」
こんな状況です。気になることはしっかりと聞いておかないと、後々不都合が出てしまうかもしれませんわ。
ただそれだけ。他意はなかったのですが……。
「ごめんなさいなのだ! そんなつもりじゃないのだ!」
翼さんは猛烈な勢いで謝罪をしてきます。
どうにも調子が狂いますわ。
状況が状況だけに怯えてしまう理由も分かりますが、これはあまりにも過剰。
「あの、翼さん。わたくし、貴方に危害を加えるつもりはありませんのよ? そんなに怯えなくても……」
見ているだけで心が締め付けられます。
おそらくは人の機微に敏感なのでしょう。
わたくしもお母さまの前では、このような感じだったのでしょうか。
「大丈夫ですわ。わたくしは貴方に危害を加えてきた方々とは違います」
抱擁して伝えました。
これが今わたくしが表現出来る最大限の友好姿勢です。
翼さんが動揺して固まっている様子が感じ取れます。
「わたくしは翼さんの味方ですわ。ですからそんなに怯えないでください。見ているわたくしも辛くなってしまいますわ」
翼さんの手が、体に回ってきました。
きっと想いが伝わったのでしょう。
どこか遠くで火事が起こり、爆発まで起こっています。
みなさん、ずいぶんと殺生がお好きなようですわ。
もちろん、わたくし――腐破雫も参加しないわけにはいきません。ですがどうしようもなく体が震えるのです。ガタガタと、極寒の湖に突き落とされたときのように。
怯えているのです。お母さまから愛を授かったわたくしが。情けなくショッピングモールに逃げ込んで、パウダールームに籠っているのです。
「ねぇシェリフ。わたくし、お母さまの期待に添えなくて死んでしまったわよね」
鏡に映る顔のなんて醜いこと。これではまたお母さまに怒られてしまいますわ。
「そうだね。でもそれは君のせいじゃないよ」
「いいえ、シェリフ。全てわたくしが未熟だからいけなかったの」
お母さまは失望しているわ。こんな不出来な娘を持ってしまって。
わたくしが優秀ならば願いも叶ったというのに。
戸籍上のお父さまにあたる男の顔は知っていますわ。でも会ったことはありません。なぜなら、その男は庶民なんて近付けない大企業のトップに名を連ねる方ですから。
お母さまとその男の出会いは、幼い頃より毎夜聞かされてきたのでよく覚えています。
深々と雪の積もる夜、当時16歳でしたお母さまは両親と絶縁して、路頭に迷っていました。そんなときに手を差し伸べてくれたのがその男。お母さまは一目惚れして、その男と付き合うことになりました。ただ、当時の男は起業したばかりで猫の手も借りたいほどに忙しく、お母さまは部下のような立ち位置だったと。
目まぐるしく日々が過ぎていっていたある日のことです。わたくしを身籠ったと判明したのです。軌道にも乗り始めていて力の入れどころだったのですが、身を案じて、男はお母さまに仕事から距離をおくよう伝えたそうです。そのときのことをお母さまは、毎回とても嬉しそうに話してくれましたわ。
ですが、わたくしを出産してしばらく経つと、男は変わってしまいました。わたくしが5歳の頃です。小学校受験に落ちてしまったのです。男の家は名家だったそうですから、その血を受け継ぐわたくしも当然優秀であると、そう信じて疑いませんでした。ですが結果は期待外れ。わたくしという出来損ないを生み出したお母さまとわたくしは、その男に捨てられてしまいました。あのときのお母さまのおぞましい表情は今でも脳裏に刻み込まれていますわ。
それからというもの、お母さまは変わってしまいました。勉学を始め、口調から立ち振る舞い。少しでもお母さまの意に添わなければ、叱責が飛んできました。食事の取り上げや暴力もありました。ですがそれは全てわたくしの責任。どんな罰も甘んじて受けましたわ。
わたくしが優秀ならば、あの男ももう一度お母さまを隣に置いてくれる。期待に答える為に努力を続けました。三畳一間のアパートで。
お稽古も片手では数えられないくらい取り組み、勉学にも励みました。ですが現実とは残酷なもの。
今回の模試の結果が悪く、お母さまも堪忍袋の緒が切れたのでしょう。わたくしの首をロープで絞めて殺してしまった。
「お母さまはきっと泣いているわ。早く涙を止めてさしあげないと」
「もういいよ。雫はよくやった。休むべきだ」
「駄目よシェリフ。お母さまを放ってはおけないわ。お母さまの悲しむ顔は見たくないもの」
「でも震えてる」
「そうよ。わたくし、怖いの。本音を言うと逃げ出したいわ」
「けど逃げる気はないんだよね?」
「ええ。もう一度生きて、今度こそお母さまに相応しい娘になるのよ」
「それは君の本当の願いなのかい?」
「そうよ」
「そうか。【マーダー・パレード】に参加する意思は固いんだね。だったら無理だけはしないで。雫が傷つくところを僕は見たくない」
「ええ、そうね。善処するわ」
わたくしはシェリフを抱擁しました。
すると勇気が湧いてきます。震えも消失していきます。
シェリフと共にいれば、どんな困難にも立ち向かえますわ。
「行きましょう、シェリフ。あなたとわたくしで【マーダー・パレード】を生き残り、お母さまのもとへと帰還するの」
「ああ、そうだね。頑張ろう」
モール内は閑散としています。
電気も点いていて、店員や来客がいらっしゃりそうな雰囲気はあるのに気配はなく、わたくしの足音だけが存在感を示しています。
「ねぇ、シェリフ。わたくし、やっぱり怖いわ」
「怖くて当たり前だよ。雫がやろうとしているのは人殺しなんだ。フィロって人や他の人みたいに割り切れるほうがおかしいんだ」
「ふふ、シェリフは優しいのね」
「当たり前のことを言ってるだけさ」
「そもそも【マーダー・パレード】を優勝したら生き返ることは出来るのかしら」
モニターの声の主は『生き返らせる』とは言ったけれど、それはただの口約束にすぎません。踊らされているにすぎない可能性も捨てきれませんわ。
「不明だね。あの鳥の言葉を信じるに足る根拠がない。けど、だからって全部を嘘と言うにも根拠が足りない」
「そうね。妄言と切り捨てるわけにはいかないわ。死亡したはずのわたくしがこうしてここに立っている。それだけじゃないわ。未知の力も授けられている。こんなことは神でもない限りありえないもの」
だから言葉だけでも信じるに値すると考え、参加者は戦いに従事している。
「思ったのだけれど、このお遊戯は漁夫の利を狙ったほうが賢明かしら?」
「そうだね。潰し合っているところを狙えば、他の参加者には疲労が溜まってるから一網打尽だ」
接敵するなら後半戦になってから。
それなら隠れ続けてたほうがいいかしら。
けどそんな逃げ腰な姿を晒せば、お母さまは嘆くでしょうね。
「シェリフ。やっぱり隠れるのは駄目よ。お母さまの娘であるわたくしが臆病な姿を晒すなんて許されるはずないもの」
「でも大丈夫なの? 失敗すれば死ぬんだよ。本当に二度とお母さんと会えなくなるかもしれない」
「たとえそうだとしても、お母さまのお顔に泥を塗る行為なんて出来ないわ。腐破家として誇れる行いを」
その為に必要な力は授けられています。
胸の谷間にしまい込んだダガーナイフ【気高き令嬢】を取り出し、展示されている観葉植物を斬ると、斬り口が変色し、たちどころに腐り果てていきます。
「【気高き令嬢】があれば、わたくしは向かうところ敵なしですわ」
【腐敗】。それがわたくしが授かった魔法少女としての能力。
【気高き令嬢】の前ではどんな相手も無力と化す。
わたくしの為のわたくしだけの力。
この力を持って向かうべきは、爆発の起こった地点でしょうか。
「シェリフ。どうするべきだと思う? 爆発の起きた地点に向かうべきかしら?」
「さすがに危険だよ。あれだけ派手にやったんだ。他の参加者がどれだけいるか分かったもんじゃない。そうなると雫の能力では不利だ。なにも正面切って戦う必要はないよ」
「そうね。絡めてこそ物事を成す為の基本よね」
そうは言っても、戦闘経験なんてわたくしにはないわ。
上手な立ち回りなんて……。
カツン
不意にモール内に軽やかな足音が鳴りました。
襲撃。そう考えたわたくしは、急ぎ息を潜め、物陰に隠れます。
足音が近付いてきますわ。人数は一人。
奇襲をかければ勝てますわ。
【気高き令嬢】を握り締め、覚悟を決めます。
殺害が容認されるこの世界で、躊躇は足枷になります。
影が伸びてきましたわ。あと少し、あと少し歩んでくれば、斬りつける。
今――!
わたくしは飛び出しました。
ですが――
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいなのだ! 戦う気はないのだ!」
涙声で、怯えたように身を守るその方の姿に、思わず手が止まってしまいました。
倒すべき敵であると分かっているのに、その身を屈める姿が、かつての自分と重なってしまったのです。
なんて愚かなことでしょう。躊躇してしまいましたわ。ここにいらっしゃる方々は全員が敵。
殺害すべき相手だというのに。
戦闘を放棄し、隙を曝している今が好機。
お母さまの為にも……。
わたくしは幻影をかき消し、再び【気高き令嬢】を強く握ります。
「駄目だ!」
しかしそこで正気に戻りました。
わたくしはなんてことをしようと……。
私欲の為に無抵抗な方相手に殺人を正当化しようだなんて。
当たり前のように人を踏みにじる行為が選択肢に上がってしまっていましたわ。
「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
「え……?」
自分自身の行為に戦慄し、気付くと腕をおろしていました。
確かこの方の名前は――
「貴方は……青空翼さんでしたわよね。大丈夫ですわ。わたくしは腐破雫。戦いの意思はありません」
「ひっ!」
手を差し伸べると、翼さんは危害を加えられると思ったのでしょうか。過剰なまでに怖がってしまいます。
当たり前ですわ。先ほどまでのわたくしは翼さんを殺害しようとしていたのですから。
あの感覚は明らかに異常。普段の生活で誰かを殺害したいだなんて考えることなんてありません。この極限状態がそうさせるのか。それとも……。
「どうか信じてもらえないでしょうか。先ほどはどなたがいらっしゃったのか判別出来ない状況下でしたので、あのような行動に出てしまいましたが、わたくしも戦う意志はありません」
わたくしはその証明として、【気高き令嬢】を胸元にしまいます。
敵前で武器を片付けるなんて、自殺行為にも等しい。ですが、翼さんはこの状況でも攻撃を仕掛けてきていない。つまりは敵対意思はないということ。
「ほ……本当なのだ……?」
「はい」
翼さんは迷いの末にわたくしの手を取ってくださいます。
とても小さくて細い手ですわ。生まれつきの細さ……というよりは、明らかに栄養の足りていない細さ。
立ち上がると身長の小ささも相まって、その幼さが際立ちます。
「翼さんはこちらでなにをしていらしたのですか?」
「分……な……のだ」
「なんて言いましたの?」
「えっ……」
お声が小さくて聞き取れませんでしたわ。
だから聞き返しただけでしたが、翼さんの顔は途端に引きつったような笑いに変わって固まってしまいます。
「え……へへ。なんにもないのだ。ごめんなさいなのだ」
なぜ笑っているのでしょうか。
「なにかわたくしおかしなことをしましたか?」
「え?」
こんな状況です。気になることはしっかりと聞いておかないと、後々不都合が出てしまうかもしれませんわ。
ただそれだけ。他意はなかったのですが……。
「ごめんなさいなのだ! そんなつもりじゃないのだ!」
翼さんは猛烈な勢いで謝罪をしてきます。
どうにも調子が狂いますわ。
状況が状況だけに怯えてしまう理由も分かりますが、これはあまりにも過剰。
「あの、翼さん。わたくし、貴方に危害を加えるつもりはありませんのよ? そんなに怯えなくても……」
見ているだけで心が締め付けられます。
おそらくは人の機微に敏感なのでしょう。
わたくしもお母さまの前では、このような感じだったのでしょうか。
「大丈夫ですわ。わたくしは貴方に危害を加えてきた方々とは違います」
抱擁して伝えました。
これが今わたくしが表現出来る最大限の友好姿勢です。
翼さんが動揺して固まっている様子が感じ取れます。
「わたくしは翼さんの味方ですわ。ですからそんなに怯えないでください。見ているわたくしも辛くなってしまいますわ」
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