背中の翼

霜月

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背中の翼

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 幼い頃は空を飛びたいと思っていた。いや、思っていたと言うのは語弊があるかもしれない。
 あの頃は飛べると信じていた。大人になったら、飛行機やヘリコプターなんかじゃなくて、背中に生えた翼で自由に飛び回るつもりだった。
 だけどそんなのはファンタジーだ。人間に翼なんて生えやしない。重力という硬い鎖に縛り付けられ、地べたを這って生きるしかない。
 そうして生きて二十余年。今、男はビルの屋上に立っていた。
 柵を乗り越え、風に身を晒している。
 足下では色とりどりの明かりが煌めき、暗闇の中に光のプールを作っている。吹き上げる風が賑やかな声を運んでくる。
 息を吸うたび、冷たい空気に熱が奪われていく。白い息となり外へと逃げていく。同時に恐怖という名の炎は鎮火していく。
 体を震わせるのは恐怖ではない。冬の寒さだ。
 一歩踏み出せば全てが終わる。なのにその一歩が踏み出せない。
 怯えはない。恐怖もない。必要なのは覚悟だけ。
 男はなぜだか幼き日のことを思い出していた。
 本気で空を飛べると信じていた無知な過去。
 だがそれが背中を押した。
 過去の自分に証明するため、男は空へと歩いた。
 残念なことに背中に翼は生えなかった。だけど自分の意志で、確かに空を飛んでいる。
 冷え切った空気が、刃のように肌に打ち付ける。風を切る音が耳に響く。
 重力の鎖から逃れる術はなかったが、それは肉体だけ。心は自由に空を飛んでいた。
 自由とは何者にも縛られないこと。自らの意思で歩み続けること。
 男は暗闇の中へと姿を消していった。
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