死者と竜の交わる時

逸れの二時

文字の大きさ
2 / 84
第一章

冒険の始まり

しおりを挟む
この森は安全とは言えない。そのことは親から聞かされてはいたが、村娘の彼女にはもはや幻想にさえ思えた。

顔を上げれば広葉樹の葉がさやさやと風に揺れて心地よい音を奏でているし、足元の地面を眺めてみれば、沢山の植物がどこまでも続くように広がっている。人間に牙を向くような危うさを、この穏やかな森が孕んでいるなんて彼女には到底信じられるはずもなかったのだ。

だから今、彼女は鼻歌交じりに森を散策しては、群生している薬草を丁寧に摘み取っている。たとえ遠くの草場がガサリと音を立てても、リスやハリネズミのような小動物の可愛いイタズラだろうと思い込んで。

だがそれが全くの間違いだったと気付いたのは、彼女にとっては人生最大の幸運だったのかも知れない。何しろそうでなければどうなっていたか。彼女は想像すらしたくないだろうから――。

不用意な彼女が踏み入ったこのゲルナードの森からは、滅多に魔物がやってこない。なぜなら森の中ですべてが完結するような弱肉強食の世界が出来上がっているからだ。

彼女が想像したリスだってキツネに見つかればその腹に収まることだろうし、そのキツネですら、人型のニンジンのような魔物に餌食にされるのはよく見る光景であろう。自然は穏やかな顔をしているからこそ、残酷な一面を軽視してはならないのだ。

その大事な鉄則を知っているこの魔術師の青年は、森から外れた安全な草原の広大さを余すことなく堪能していた。

暗い青色をしたローブを纏う彼は、春の生暖かい風を受けて大きくたなびく黒の外套が気に入っている。食べ物や衣服、さらには交友関係にまで頓着しない彼には大変珍しいことだ。それほどまでにこの外套には上品な趣が感じられるのである。

しかし頓着しない性格とは言え、彼にも顔をしかめるものの一つくらいはある。その一つが眩しい朝日だ。いや、朝日だけではない。太陽の光そのものが彼には興ざめそのものだった。と言うのも、彼の体は日光を受け付けない体質なのだ。

あの神々しい日の光を、一切の気兼ねなく真正面に浴びたのはいつだったか。彼はそれをすぐには思い出せないが、もはや思い出す必要もないかもしれないと思い始めていた。

そんな彼が緑色の魔法帽を深く被り直していると、ブーツが草を踏みしめる音にまぎれ、悲鳴のような甲高い声が聞こえてきた。咄嗟に適切な魔法を選択した彼は、すぐさまその詠唱を始める。

真新しい木の杖の先が緑色に発光しているのは知覚魔法を唱えていることの表れだ。悲鳴の聞こえる方向に何が見えるのか。それを明らかにする魔法を、彼は今まさに扱っていた。

ざわめくような風のささやきと共に、一言ずつ言の葉が紡がれていく。それが大きな流れを成して意図する意味を形作ると、彼の暗い色の瞳は鋭い光を帯びた。そのまま声のする方に目を向けると、その瞳はある少女の危機を捉えた。

鬱蒼と広がる森林から抜けるようにして、彼女が何かから逃げようと必死に駆けている。少女の後を追うのは……六匹ほどの緑色の魔物だ。

その状況を理解した刹那――彼は走り出した。


青銅の重鎧を身に着けた竜族の若者は、所々に傷が刻まれたブロードソードを帯び、その大柄な体を半分ほども隠す大きな盾を、特に苦労する様子もなく平然と背負っていた。二本の流れるような角と灰色の体が印象的な彼は、太陽の光を遮る森に沿って歩いている。

彼自身はその立派な角と灰色の体は竜族として誇りに思っていたが、そう思わない者に囲まれたおかげで人間種に憧れたりするはめにもなった。

だが生まれ持った体はどうにもならない。苦悩する中でそれを悟った竜族の彼は、毎朝剣の訓練をして自分の強みを生かすことに決めたのだ。

来る日も来る日も魔物を倒しながら訓練し、それからというもの、朝日を見るたび気分が晴れるようになった。それは紛れもなく彼の努力の証であった。

そんな彼に訪れた今日という日も朝日の降り注ぐ美しい日だった。

ああ、なんて気分のいい日だろう。こんな日は澄み渡った青空の下、生活を脅かす醜い魔物どもを駆逐してやりたい。

彼がそんな血生臭い願望を抱えていると、突如として悲鳴のような甲高い声がうっすらと聞こえた。彼が声のした方を見てみると、何とか目視できる程の遠くで、少女が六匹の魔物の群れから逃げようと必死に走り続けている。

それを見た彼の顔は――邪悪に歪んだ。


「いや、やめて……!」

ついに追い詰められた少女は魔物たちに懇願する。森から抜けたむき出しの地面にもかかわらず、小さな石に躓いて転倒した少女の元に魔物たちが迫った。彼らの耳は鋭く尖っており、その吊り上った目には、強烈な殺意の色が見て取れる。

鈍そうな剣を引き抜いた魔物たちが少女に一歩ずつ近づくにつれて、彼女の瞳に映る魔物たちは絶望となってその大きさを少しずつ増していく。

残酷にも死を覚悟した少女。

そこへ颯爽と二人の若者が駆けつけた。重戦士といった竜族の若者と、魔術師の風貌をした青年である。

二人は少女を守るようにして前方に立ち、武器を構えてゴブリンたちに向けた。

「右の奴らは任せろ」

「では私は左の魔物を片付けます!」

彼らはそう言い合って魔物を選ぶと、戦士は盾を背負ったまま両手持ちで剣を構え、魔術師は杖を握り絞めて静かに詠唱を始めた。

予期せぬ乱入者にまごついているその隙に、竜族の戦士が走りだしてゴブリンたちと接敵。彼の顔に不気味な笑いが浮かんだぞの刹那――

二匹のゴブリンの首が宙を舞った。

ゴトリと落ちたゴブリンの頭部が目を見開くその傍らで、大ぶりの剣が魔物の血で赤黒く染まる。振り下ろした剣の切っ先から、赤い珠が一滴、また一滴と滴り落ちた。

突然の出来事にまるで凍りついたように固まったゴブリンたち。竜族の戦士がフウッと息をするのと同時に彼らの時間は動き出した。近くの一体が奇声をあげて竜族の戦士に切りかかってくる。

だが戦士に隙はなかった。地面を這うように振り上げられた彼の剣はその魔物を両断し、さらなる血の抱擁を受けてひっそりと佇んでいた。

そのとき、戦士の横を抜けたゴブリンたちが魔術師の青年に迫り来る。

しかし一歩も動かない青年。彼は未だ静かな様子で集中し、詠唱を続けている。天に掲げている杖の先は、彼の囁きと共に強く確かに青く輝き、みるみるうちに周囲が冷たい空気に包まれていく。

粛然とした目がゴブリンたちの姿を今一度ハッキリと捉え直したとき、冷たく尖った詠唱が――終わった。

“アイスソーン”

魔法の名が叫ばれると、周囲の空気が一気に研ぎ澄まされた。空中に幾つもの氷の棘が創り出され、青銀の軌跡をたどってゴブリンたちに向かっていく。

その放たれた氷の棘は三体ものゴブリンの頭部を正確に貫いていき、生命の要とも言える体温を無情にも奪い去っていった――。




ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございます。

序盤は戦闘描写、中盤以降は登場人物の個性や背景にも力を入れておりますので、そちらに注目していただけるとより楽しめるかもしれません。

お気に入り登録や感想などをいただけましたら幸いでございます。

面白いと思っていただけましたら、ぜひ今後ともお付き合いくださいませ。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~

桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。 交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。 そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。 その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。 だが、それが不幸の始まりだった。 世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。 彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。 さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。 金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。 面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。 本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。 ※小説家になろう・カクヨムでも更新中 ※表紙:あニキさん ※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ ※月、水、金、更新予定!

軽トラの荷台にダンジョンができました★車ごと【非破壊オブジェクト化】して移動要塞になったので快適探索者生活を始めたいと思います

こげ丸
ファンタジー
===運べるプライベートダンジョンで自由気ままな快適最強探索者生活!=== ダンジョンが出来て三〇年。平凡なエンジニアとして過ごしていた主人公だが、ある日突然軽トラの荷台にダンジョンゲートが発生したことをきっかけに、遅咲きながら探索者デビューすることを決意する。 でも別に最強なんて目指さない。 それなりに強くなって、それなりに稼げるようになれれば十分と思っていたのだが……。 フィールドボス化した愛犬(パグ)に非破壊オブジェクト化して移動要塞と化した軽トラ。ユニークスキル「ダンジョンアドミニストレーター」を得てダンジョンの管理者となった主人公が「それなり」ですむわけがなかった。 これは、プライベートダンジョンを利用した快適生活を送りつつ、最強探索者へと駆け上がっていく一人と一匹……とその他大勢の配下たちの物語。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...