死者と竜の交わる時

逸れの二時

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第一章

子の苦悶

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「大量のハチミツに熊の肉が高値で売れたのは良かったんだがな……」

見渡す限り一面の草原。そんな中にある街道を、三人は歩いている。

存在感のある夕日を浴びて金色に変わっているザルムの眉間には、深いシワが寄っていた。フィオナの村の隣街で戦利品と薬草を売った後、アロイスの提案で彼女を村まで送ることになったのだが……。

「熊の一撃で吹き飛ばされるなんてまだまだ精進しないとだ」

そのザルムの言葉を受けて、アロイスは含み笑いを見せる。

「一口に熊と言っても巨大な変異種だった訳ですし、その一撃を受けてほぼ無傷だったのは流石でしたよ。並みの戦士であれば今ごろお墓の中でしょうね」

フィオナもアロイスに加勢する。

「私も勇敢に思いましたわ。あんな大きな熊に恐れもせず向かっていくんですもの」

「そう言ってもらえると助かるな。前衛として嬉しい言葉だぜ。そんなことよりも俺はアロイスの魔法に驚かされたな。俺は魔法には詳しくないが、あれだけの威力の魔法は見たことがないな」

それにアロイスはサラリと答える。

「私なんて大したことはありません。やっとのことで戦闘に参加できる程度まで習得したくらいですからね」

「本当か? そんな風には見えなかったんだがな……」

その言葉に答えることもなく、アロイスは先を急ぐように歩いていた。


三人が村の入り口にあるアーチをくぐると、不思議な安心感があった。少し高めの柵で囲まれた村は小規模だが静かで、自然豊かな印象を受ける。農具を持った村人もちらほら散見され、彼らがそれぞれ茅葺き屋根の家へと入っていく様子が見えた。

「そうだわ。ご迷惑でなければですが家に泊まっていかれませんか? 久々のお客様ですもの。母も弟もきっと喜ぶわ」

フィオナは嬉しそうに提案する。

「それはありがたい申し出だな。これから近くの宿を探すのは難儀だと思ってたところだったんだ。そろそろ日が暮れるしな」

「私もお邪魔させていただけますか。宿の心配が無くなるのはありがたいですし、何よりフィオナさんのお母様が気になっていたんです。ご病気とのことですが、どんなご病気かはわかっているのですか?」

フィオナは少し戸惑うような様子を見せてから答える。

「それがこの村には薬師の方も治癒師の方もいらっしゃらないのでわからないのです。遠出ができないことと金銭的にも余裕が無いこともあって診断を受けたことはまだありません」

「そうですか。ではご挨拶だけでもさせていただきましょう」


フィオナの家は大きくはないものの、品のあるしっかりとした作りの家だ。様々な花や植物で綺麗に彩られた庭は近隣の住民からも美しいと評判になっている。

「こいつは凄いな。親父さんが大工なだけあって、かなり立派な家だ」

「ええ、父が旅立った今でもこの家は誇りなんです」

「家も素晴らしいですが整えられたお庭も見事なものですね。手入れにはかなりの手間がかかるのではありませんか?」

「あまり手のかからない花を選んで植えたんです。生計を立てるのに必死であまり手はかけられませんから」

フィオナの家の美しさに、ザルムに続けてアロイスも納得したように頷いた。それを誇らしそうにするフィオナが玄関でただいまと声をあげると、すぐさま幼気な男の子がやってくる。

「お姉ちゃんおかえり! あ、お客さん?」

男の子はフィオナに向けた笑顔のままアロイスとザルムを見上げた。アロイスはこの男の子にも礼儀正しく接する。

「フィオナさんの薬草探しをお手伝いしたアロイスと申します」

「俺はザルムってもんだ。フィオナさんの弟くんだろ? よろしくな」

男の子は二人のあいさつに会釈をしながらも、こっそりとフィオナに目配せをして探りを入れている。

父親が生きていた頃は常日頃から女性を守れる逞しい男になれと教えられていたのだ。本人が亡き今でも、いや、今だからこそ彼は姉と母のため、そして自分自身のために子供らしさを犠牲に一刻も早く大人になろうとしているのだ。

「ユリアン、今日はこのお二人には本当にお世話になったのよ。だから家に泊まって頂きたいの。いいかしら?」

「もちろんだよ。アロイスさんにザルムさん、姉がお世話になりました。どうぞくつろいでいってください」

フィオナの様子からようやく警戒を解いたユリアンは、突然の来客にも表面上全く失礼無く対応する。その態度は二人の若者には別々の印象を与えたようだ。男の子が奥に行ってから二人は彼の印象を述べる。

「まだ幼いのにしっかりした弟くんだな。将来フィオナさんをしっかり守ってくれそうじゃねえか」

「頼もしいと言われればそうですね。ですがしっかりしすぎて逆に心配になってしまいます」

アロイスはそう言ってから顎に手を添えて考え込んでしまった。アロイス自身にもそんな苦労に覚えがあったのだ。

彼からすれば大昔のこと。幼い頃には四人の人間と暮らしていた。父と母。それから弟と祖母である。だがその父は、とにかく自分のこと以外には無関心を貫いていた。

領主であるにも関わらず、自分の領民が飢えて苦しんでいることなど眼中になかったし、妻と結婚した後は彼女のことをもはや体裁を守るお飾りとしか見ていないかのような態度だった。

そういう夫を持ってしまった妻も、もちろんまともと言える訳がない。

彼女はときおりヒステリックになっては他人を見下し、子供にまで気を使わせるようなご婦人へと変貌した。

酷く荒れた振る舞いが寂しさと劣等感の表れであると感じ取っていた人々も、次第に彼女から離れていくことは対人関係の節理だ。そうして一切の来客もなく喚きと不満がこだまする家で、実質家の平穏を守っていたのはアロイスだった。

祖母も優しくしてくれていたが、将来があるのはアロイスだけだ。弟を守ることができるのは彼だけだったのだが。

そこまで考えて苦しくなったアロイスが思考を放棄していると、フィオナが悲しげに呟いた。

「実際、私も心配しているんです。父の死から何か変わったような気がして」

客を迎えているということを一瞬失念した彼女は、ハッとした様子で繕った。

「と、とにかく上がってください。すぐに夕食の支度をしますから」

彼女は二人をテーブルにつかせると、飲み物を用意してから夕食を作り始めた。アロイスは夕食までご馳走になることにお礼を言ってから、ザルムに呼びかけた。

「ザルムさん、フィオナさんのお母様にも挨拶をしてきましょう」

「そうだな。フィオナさん、あそこの部屋だよな?」

フィオナはそうですと答えてほほ笑んだ。

部屋に入るとベットに横たわる女性が目に入る。彼女はやや蒼白な顔色だがフィオナ同様に美しい女性だった。彼女の傍にいたユリアンは二人に気が付いて母親に紹介する。

「お母さん、こちらがアロイスさんとザルムさんだよ」

すると女性がゆっくりとした口調で話し始めた。

「横になったままでのご挨拶をお許しください。どうやら娘がお世話になったようで、どうもありがとうございました。私はカテジナと申します。質素な家ではありますがどうぞごゆっくりなさってください」

「カテジナさん、突然お邪魔して申し訳ありません。滞在の許可をいただきまして感謝いたします」

「俺からも感謝します。質素な家だなんてそんなことは全くないと俺は思いますよ」

アロイスに続いて、ザルムも慣れない敬語で礼を言う。

「ありがとうございます。夫が遺してくれた大事な宝物ですから」

カテジナはふんわりと笑うが、どこか空しいような、そんな印象を彼らに与えた。
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