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第七章
天賦の試練
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アロイスはすぐに腰カバンから空き瓶を取り出し、祭壇に近づこうとするが、眼前に何かが現れた。
深紫のドレスに合わせるようにして長い黒髪を上に留めた、気品のある女性の姿。それが何もない空間からいきなり出てきたのだ。
流石のアロイも驚いて後ずさりする。無論、アロイスには女性の正体はわからない。今までに彼女を目撃した者はいないのだ。仕方のないことである。
「汝、ここに何の用で参ったのか」
女性が冷たい声で問いかけてくる。どうしたものかと迷ったが、ここは正直に天賦の恵水を取りに来たと伝えた。すると……。
「……この水を持ち帰ろうと言うか……。いや、そうはさせん。この水は誰にも渡さぬ!」
女性の冷たい声が怒りに震えたとき、どこからともなく四匹の大きなワニが姿を現し、冒険者たちの背後を取っている。
さらには前方から、水をはねのけてやってくる巨大な牛のような魔物が目に入る。
まさに怪物と言うべき牛の巨体は、警戒して祭壇から離れていた冒険者たちの前に立ちはだかった。
この魔物の正体なら、アロイスはよく知っている。名前はアウズフムラ。ほとんど巨大な牛ではあるが、力はそれに似つかわしくないほど強力で、蹄に押しつぶされれば、魔物の体重をいっぺんに受けて到底無事では済まないだろう。
正面にはこのアウズフムラと謎の女性、背後には四匹のクロコダイルと完全に取り囲まれて絶体絶命の布陣が出来上がっている。
戸惑う彼らにまずは相手の先制攻撃だ。
牛の怪物が巨大な足を振り上げて押しつぶし攻撃を仕掛けてくる。
しかし軽装のザルムはそれを難なく避けて、落ちてきた前足を両手持ちのブロードソードで右上に切り上げた。ザシュッという音に合わせるようにして、さらに左下へと切り下げる。
怯んで頭を下げるアウズフムラ。ザルムにはそう見えたが、次の瞬間には彼に向かって強烈な頭突き攻撃が放たれた。怯んだのではなく勢いをつけていただけだったのだ。
ザルムはそれを正面に受けて見事に空中に放り出される。だが遠くの木にぶつかるスレスレのところでなんとか着水。
飛ばされながらも何とか体勢を変えていたザルムは、倒れることなく向き直って真っ直ぐに相手に向かって走っていった。
その間に空中に飛び上がっていたゲルセルは、怪物の横にいた女性に矢を射かけ続けている。
ところが相手もそれなりにやるようで、身を翻して予想外の方向に矢を避けていた。
避けられても相手の邪魔にはなっているとそのまま攻撃し続けるゲルセルだったが、彼女は何も言葉を発していないのに彼の真下の地面に大きな竜巻が巻き起こる。
弓で狙いをつけられるほど、ゲルセルの飛行は安定していたのだが、竜巻の風には為す術もなく、吹き付ける風に飛ばされた。
影響がないところまで飛ばされると竜巻の発生地点からは離されて、真下にはマデリエネとアロイスが見えた。
女性が現れた後、おとなしく後衛に引き下がっていたアロイスは、マデリエネと共に迫り来るクロコダイルに対処している。
こちらを睨みながら近づいてくる魔物に怯むことなく、アロイスは詠唱を続けている。
マデリエネは自分からトコトコと歩いて行って、アロイスとは正反対だ。
ところがそのまま喰われるなんて失態を彼女が冒すはずもなかった。
マデリエネの無防備さに戸惑っていたクロコダイルも、彼女が噛み付きの射程圏内に入るや否や、とてつもない速さで向かってきた。
しかしながら、そんな状態でも彼女は冷静沈着。ふわりとドレスアーマーのスカートをはためかせると、既にクロコダイルの背後に立っている。
そうして魔物が彼女に向き直る間もないままに、鋼のダガーが硬い皮膚の魔物の頭部を易々と貫いた。
しゃがみ込む形になっても彼女の可憐さは変わらない。飛びかかってきたもう一匹には、同じ体制のまま即座に投げナイフがお見舞いされる。
そうして開けた口から喉を貫かれた魔物は、彼女が立ち上がるのと同時に裏側からさらに喉を裂かれて息絶えた。
マデリエネが二匹を片付けるわずかな時間。それまでに発動されるアロイスの魔法は、すぐに残りの二匹の命を奪い去ることになる。
地面から突き出す氷の棘は、天高くクロコダイルの体もろとも突き上げて魔物の体を持ち上げる。解けるように氷が消え、見上げる程の空から降ってくる魔物の死体にはくっきりと棘の跡が残されていた。
比較的小型の魔物を倒し切って彼らが後ろを振り向くと、ザルムが未だ巨大な牛と殴り合い、切り合いをしていた。
相手は相当しぶといようで、剣によって傷つけられた跡がいくつも見えるが、致命傷には至らずになかなか倒れる気配がない。
一方のザルムは頭から血を流していたが、傷跡は既にない。カイネの強力な魔法によって、即座に回復したのだ。
ところがそれに気付いたドレスの女性は黙ってなどいなかった。
女性が彼女に注意を向けたと思った瞬間には、周辺の水が渦を巻き、空中に水の球体を形作っていく。
それは想像を絶する早さで大きくなり、その水が一気にカイネに放射された。
圧縮された水の勢いは絶大。咄嗟に左に避けても水の圧縮砲は彼女を捕らえて吹き飛ばした、かに見えたが彼女は水を弾いている。
というよりも、彼女の前に作られた力場の盾が水を弾き飛ばしていた。
操原魔法の発動は、すべての魔法系統の中で一番早いとはいえ、彼女の魔法の発動速度は見事なものだった。反応さへできれば鉄壁とさえ言えるのだ。
蓄えた水を放射し終えてもまだ彼女が経っていると見ると、女性は次なる魔法を発動しようとしている。無言だが彼女が集中状態に入ったのがわかる。
ところがそれは上手くいかなかった。アロイスの“ディストラクション”の魔法に集中を乱されたからだ。
苛立つ彼女には災難だが、さらなる不幸が降りかかる。
ゲルセルから再び放たれた天からの矢が次々と彼女に突き刺さったのだ。
これにはひとたまりもなかったようで、魔法が使えなかった女性の姿は現れたときと同じように、ぼんやりと、しかし悲鳴をあげて消えていった。
残すは巨大な牛の魔物。手を焼いていた存在だが、手の空いた冒険者たちがそれぞれザルムの援護にまわっていった。
まずは召喚されたサラマンダーが牛の背中を焼いていく。火炎のブレスと赤い閃光によって燃え盛る背中。アウズフムラは苦痛の表情で暴れ回り地を揺らした。
マデリエネはそれをかい潜って背後を取ると、後ろ脚を切りつける。
痛みに機敏に反応し、後ろの方に倒れ込むようにして魔物がマデリエネを追い払ったとき、今度は矢が首もとに突き刺さる。正確なゲルセルの射撃だ。
それによって立ち上がれなくなった牛にカイネの不可視のハンマーが下あごに炸裂してアウズフムラの頭部は上を向いた。
そうして弱点が晒された魔物に最後のとどめ。ザルムの剣がアロイスの魔法“バイブレイトウェポンン”で高速振動する。
その援護を受け取って、ザルムはアウズフムラの喉を深く切り裂いた。
冒険者たちの連携攻撃で抵抗する術もなく倒れた魔物の下に流れる湿地の水。牛から流れ出す赤い血は、この水にみるみるうちに混じっていくのだった――。
深紫のドレスに合わせるようにして長い黒髪を上に留めた、気品のある女性の姿。それが何もない空間からいきなり出てきたのだ。
流石のアロイも驚いて後ずさりする。無論、アロイスには女性の正体はわからない。今までに彼女を目撃した者はいないのだ。仕方のないことである。
「汝、ここに何の用で参ったのか」
女性が冷たい声で問いかけてくる。どうしたものかと迷ったが、ここは正直に天賦の恵水を取りに来たと伝えた。すると……。
「……この水を持ち帰ろうと言うか……。いや、そうはさせん。この水は誰にも渡さぬ!」
女性の冷たい声が怒りに震えたとき、どこからともなく四匹の大きなワニが姿を現し、冒険者たちの背後を取っている。
さらには前方から、水をはねのけてやってくる巨大な牛のような魔物が目に入る。
まさに怪物と言うべき牛の巨体は、警戒して祭壇から離れていた冒険者たちの前に立ちはだかった。
この魔物の正体なら、アロイスはよく知っている。名前はアウズフムラ。ほとんど巨大な牛ではあるが、力はそれに似つかわしくないほど強力で、蹄に押しつぶされれば、魔物の体重をいっぺんに受けて到底無事では済まないだろう。
正面にはこのアウズフムラと謎の女性、背後には四匹のクロコダイルと完全に取り囲まれて絶体絶命の布陣が出来上がっている。
戸惑う彼らにまずは相手の先制攻撃だ。
牛の怪物が巨大な足を振り上げて押しつぶし攻撃を仕掛けてくる。
しかし軽装のザルムはそれを難なく避けて、落ちてきた前足を両手持ちのブロードソードで右上に切り上げた。ザシュッという音に合わせるようにして、さらに左下へと切り下げる。
怯んで頭を下げるアウズフムラ。ザルムにはそう見えたが、次の瞬間には彼に向かって強烈な頭突き攻撃が放たれた。怯んだのではなく勢いをつけていただけだったのだ。
ザルムはそれを正面に受けて見事に空中に放り出される。だが遠くの木にぶつかるスレスレのところでなんとか着水。
飛ばされながらも何とか体勢を変えていたザルムは、倒れることなく向き直って真っ直ぐに相手に向かって走っていった。
その間に空中に飛び上がっていたゲルセルは、怪物の横にいた女性に矢を射かけ続けている。
ところが相手もそれなりにやるようで、身を翻して予想外の方向に矢を避けていた。
避けられても相手の邪魔にはなっているとそのまま攻撃し続けるゲルセルだったが、彼女は何も言葉を発していないのに彼の真下の地面に大きな竜巻が巻き起こる。
弓で狙いをつけられるほど、ゲルセルの飛行は安定していたのだが、竜巻の風には為す術もなく、吹き付ける風に飛ばされた。
影響がないところまで飛ばされると竜巻の発生地点からは離されて、真下にはマデリエネとアロイスが見えた。
女性が現れた後、おとなしく後衛に引き下がっていたアロイスは、マデリエネと共に迫り来るクロコダイルに対処している。
こちらを睨みながら近づいてくる魔物に怯むことなく、アロイスは詠唱を続けている。
マデリエネは自分からトコトコと歩いて行って、アロイスとは正反対だ。
ところがそのまま喰われるなんて失態を彼女が冒すはずもなかった。
マデリエネの無防備さに戸惑っていたクロコダイルも、彼女が噛み付きの射程圏内に入るや否や、とてつもない速さで向かってきた。
しかしながら、そんな状態でも彼女は冷静沈着。ふわりとドレスアーマーのスカートをはためかせると、既にクロコダイルの背後に立っている。
そうして魔物が彼女に向き直る間もないままに、鋼のダガーが硬い皮膚の魔物の頭部を易々と貫いた。
しゃがみ込む形になっても彼女の可憐さは変わらない。飛びかかってきたもう一匹には、同じ体制のまま即座に投げナイフがお見舞いされる。
そうして開けた口から喉を貫かれた魔物は、彼女が立ち上がるのと同時に裏側からさらに喉を裂かれて息絶えた。
マデリエネが二匹を片付けるわずかな時間。それまでに発動されるアロイスの魔法は、すぐに残りの二匹の命を奪い去ることになる。
地面から突き出す氷の棘は、天高くクロコダイルの体もろとも突き上げて魔物の体を持ち上げる。解けるように氷が消え、見上げる程の空から降ってくる魔物の死体にはくっきりと棘の跡が残されていた。
比較的小型の魔物を倒し切って彼らが後ろを振り向くと、ザルムが未だ巨大な牛と殴り合い、切り合いをしていた。
相手は相当しぶといようで、剣によって傷つけられた跡がいくつも見えるが、致命傷には至らずになかなか倒れる気配がない。
一方のザルムは頭から血を流していたが、傷跡は既にない。カイネの強力な魔法によって、即座に回復したのだ。
ところがそれに気付いたドレスの女性は黙ってなどいなかった。
女性が彼女に注意を向けたと思った瞬間には、周辺の水が渦を巻き、空中に水の球体を形作っていく。
それは想像を絶する早さで大きくなり、その水が一気にカイネに放射された。
圧縮された水の勢いは絶大。咄嗟に左に避けても水の圧縮砲は彼女を捕らえて吹き飛ばした、かに見えたが彼女は水を弾いている。
というよりも、彼女の前に作られた力場の盾が水を弾き飛ばしていた。
操原魔法の発動は、すべての魔法系統の中で一番早いとはいえ、彼女の魔法の発動速度は見事なものだった。反応さへできれば鉄壁とさえ言えるのだ。
蓄えた水を放射し終えてもまだ彼女が経っていると見ると、女性は次なる魔法を発動しようとしている。無言だが彼女が集中状態に入ったのがわかる。
ところがそれは上手くいかなかった。アロイスの“ディストラクション”の魔法に集中を乱されたからだ。
苛立つ彼女には災難だが、さらなる不幸が降りかかる。
ゲルセルから再び放たれた天からの矢が次々と彼女に突き刺さったのだ。
これにはひとたまりもなかったようで、魔法が使えなかった女性の姿は現れたときと同じように、ぼんやりと、しかし悲鳴をあげて消えていった。
残すは巨大な牛の魔物。手を焼いていた存在だが、手の空いた冒険者たちがそれぞれザルムの援護にまわっていった。
まずは召喚されたサラマンダーが牛の背中を焼いていく。火炎のブレスと赤い閃光によって燃え盛る背中。アウズフムラは苦痛の表情で暴れ回り地を揺らした。
マデリエネはそれをかい潜って背後を取ると、後ろ脚を切りつける。
痛みに機敏に反応し、後ろの方に倒れ込むようにして魔物がマデリエネを追い払ったとき、今度は矢が首もとに突き刺さる。正確なゲルセルの射撃だ。
それによって立ち上がれなくなった牛にカイネの不可視のハンマーが下あごに炸裂してアウズフムラの頭部は上を向いた。
そうして弱点が晒された魔物に最後のとどめ。ザルムの剣がアロイスの魔法“バイブレイトウェポンン”で高速振動する。
その援護を受け取って、ザルムはアウズフムラの喉を深く切り裂いた。
冒険者たちの連携攻撃で抵抗する術もなく倒れた魔物の下に流れる湿地の水。牛から流れ出す赤い血は、この水にみるみるうちに混じっていくのだった――。
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