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第三章 足掻き、突き進む者

思惑

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 カイルはどこかの街にあるどこかの宿のベッドでずっと横になっていた。いくら君主たる魔導書マスターグリモワールの導きがあるとはいえ、人間の体はそう頑丈ではない。

 ここ数日は休みもなく、膨大な魔力を利用した魔術の力であちこちへと動き回っていたが、そろそろ限界が来たようだった。街に出てしまった以上、最初こそ憑代はいくらでもあると思っていたが、このカイルの体は予想以上に都合が良かった。

 元々魔術の才があり、魔術を禁止した国への恨みも、誰かにぶつけたい怒りの衝動も何もかも目的に利用できる要素だ。

 だからこの優秀な体を長持ちさせるため、カイルはこうして休息を取っている。宿をとるのは面倒であったが、気兼ねなく休める空間は必要だ。

 魔術で脅して宿をとりでもすれば官憲に追われてしまうため、今回は通常通り金銭を払って穏便に解決している。最もその金は殺した者から奪い取ったものではあるが。

 カイルは瞑っていた目を空けて天井を見る。これでようやく5界の魔導書は2つめ。現界の魔導書は強力だが、激しい音や光を放つ魔法も多く、その規模も絶大なため暗殺にはあまり向かない。

 その点、2冊目の冥界の魔導書は人知れず命を奪うことも容易く、時間稼ぎに眷属を呼ぶこともできた。それぞれの魔導書はそれぞれの素晴らしい力を持っており向き不向きがある。

 残りはあと3冊。それがすべて手に入ったらあらゆる力を駆使して世界を支配することも簡単だろう。

 それも当然のことだ。魔術と言うのは本来魔法陣や詠唱、儀式などによって術者の魔力に形を与え、意義を与えて様々な効果を発現させるもの。だがこの魔導書たちを使えばそれを全く必要としない。

 ただ強力な魔力を込めれば魔導書に書かれた魔術を発動させることができる。この魔導書たちはその世界の理自体を記したもの。そしてそこに魔力を込めれば、理自体となんら変わりはなく、それを操作することも安易なのだ。

 そんな強力な力を持つ物はきっとこの世界にはこれらの魔導書しか存在しないだろう。

 元は神によって人間に与えられた力だったが、大きすぎる力は不和を生み、権力争いや戦争を引き起こした。人間とはそういう愚かさを内包する生き物なのだ。

 神はそういったことを避けるため、次元の構造と同じように魔導書の力を5界に分けて互いに拮抗させることで、平穏をもたらそうとしたのだろう。万が一それが崩れるような変革が起こったときのため、5界の魔導書を統合し統治者となることができる漆黒の魔導書を残して――。

 だからカイルは決して神の意志に背く訳にはいかなかった。たとえ犠牲がいくら積み重なろうと、人間に豊かさをと神が授けてくださった魔術の灯を消してはならない。

 そして何より、魔女狩りによって死んでいった魔術師の無念は晴らさなくてはならない。世界を支配し、魔術を普及させて愚かな施策を敷く国王どもを駆逐する。今なお怯えて暮らす哀れな魔術師たちは、来たるその時を待っていることだろう。

 カイルはずっと思案してきたこれらの考えを巡らせて、そっとベッドから上体を起こす。

 ゆっくりなどしていられない。カイルはすぐにでも残りの魔導書を回収しなければならないのだ。

 深呼吸して集中すれば魔導書の大まかな場所は掴めた。強力な力はお互いを引き合っている。特徴的な魔導書の魔力は非常に濃密で、離れていてもそれがわかるのだ。

 反応からして、3冊のうち最も近い魔導書はカイルが今いる大陸にあるようだった。

 それがわかった途端、カイルは宿の窓を開け放ち、身を投げるように外に出た。魔術で空を飛び、雲に潜む太陽の日を浴びながら、彼は高速で移動するのだった。
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