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1.旅立ち編

第8章 はじめてのおつかい

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クラウディアはすーっと気が遠くなった。婚約破棄との時と同等、いやある意味それ以上の衝撃だ。住んでいる場所から一歩も出たことがないはずのマクシミリアンが今目の前にいる。どうしてここに? そもそもどうやって来たの? 頭が疑問符だらけになったクラウディアの動揺などお構いなしに、マクシミリアンは一気にまくし立てた。



「これは僕の問題なのに、クラウディアが責められるのはおかしいと思ったんだ。結局僕が動かなくちゃ何も変わらないだろ? 父上はお忙しいから会いたいと言ってもすぐに来てはくれない。だったら僕の方から会えばいいやって、あれ? 顔色が悪いよ?」



「わたくし一瞬気を失いかけましてよ! 殿下は一人で外出されたことないでしょう! どうやってここまで来ましたの?」



「ジュリアンとグランに相談したんだ。ジュリアンが、辻馬車を乗り継いでいく方法もあるけど、列車の方が早いから捕まりにくいだろうって。夜中に家を抜け出して、グランと一緒に駅まで歩いた。切符を買うのはグランがやってくれて、始発の列車に乗り込んだんだ。僕みたいな子供が一人で乗っていると怪しまれるから、大人と一緒の振りをしろと言われて、紳士の隣の席に座ってた。一度乗り換える必要があってすごく緊張したけど、何とか間違えずに済んだ。王都に着いたらすぐにクラウディアのところに行けって。あとはクラウディアが何とかしてくれるからって」



 グランがいれば大丈夫だと思った自分が甘かった。前言撤回だ。



「何とかしてくれるじゃないわよ! グランもジュリアンも何やってるのよ! 殿下を引き留めるのが仕事でしょ! 反対に背中を押してどうするの! もし殿下の身に何かあったら——」



「2人を責めないで。僕がどうしてもと頼み込んだせいだ。何が起きても全て僕の責任だ。学園のことだって僕が動かなきゃ何も変わらない。僕自身が一番そうしたいと願ってる。それには、自ら父上と話を付けなければならない。父上ははぐらかして話を逸らすだろうから自分から来たんだ」



「でも陛下も殿下を愛しているからこそかくまっておくのでしょう? 殿下の安全が確保されなければ、陛下がお許しになるとは思えませんわ……」



「母上のこと知っているんだね? それなら大丈夫、心配しなくていいと言える資料を持ってきた。でも確証を得るため、まだ2,3調べたいことがある。だから王宮に行く前に図書館に寄って欲しいんだけど……王都の大図書館の利用許可証、クラウディアは持ってるよね?」



「持ってますけど! 図書館に寄るなんて悠長なことはできません! きっと足取りは割れてるだろうし、殿下ならまずわたくしを頼りにするだろうと誰でも思いつきます!」



 何とか思い留まらせようとしたが、マクシミリアンの決意は変わらなかった。



「頼むよ。父上を説得するのに、パズルのピースがいくつか足りないんだ。それで父上が納得すれば、きっと学園に行けると思う。植物学のこともあるけど、僕は学生というものをやってみたい。クラウディアやグランと同じ景色が見たい。それまで僕の人生は無だったけど、君に出会って初めて生きていると思えたんだ。君が教えてくれたんだよ」



 熱っぽい瞳でじっと見つめられ、クラウディアは頬が紅潮するのを意識しない訳にはいかなかった。無理難題を言われて困っているはずなのに、どうして胸がキュッと締め付けられるのだろう。こうなったら、追手が来る前に図書館に行って、それから王宮へ。とても無理な気がするがやるしかない。



 王立図書館は、人民に広く門戸が開かれているが、許可証が貰えるのは王都に在住する貴族と、特別な許可を貰った平民だけだった。1人までなら許可証を持っている者が付きそう形で入館することができる。無法地帯になっても困るが、なるべく多くの人に機会を与えたいための折衷案だった。それを利用して、クラウディアの許可証でマクシミリアンも入れるというわけだ。いつ追手が迫ってくるか分からない。そうと決めたら即行動だ。クラウディアはすぐに用意をすると、友人のところへ外出すると使用人に告げて家の門を出た。そして辻馬車を拾い、マクシミリアンと共に乗り込んだ。王立図書館は王都の中でも官公庁街と商店が並ぶ通りの中間点にある。馬車を降りて素早く図書館に入り込んだ。



 マクシミリアンは王宮を除いて王都に来るのも初めてなら、国内で最も大きい王立図書館に入るのももちろん初めてである。大理石でできた重厚な建物、入り口にある巨大な石像、大きな吹き抜けがある円形のロビー、どれもこれも圧倒されたように見入っていたが、今はそれどころではない。クラウディアに手を引かれ、急ぎ足で調べものに入った。



「僕が知りたいのは母が亡くなった時の葬儀の新聞記事、なるべく詳しく記載しているのものがいい。あと、王弟のサイモン殿下の奥さん、ミランダ夫人が亡くなった時の記事」



「それってアレックス殿下の母君のこと? でもなぜ? アレックス殿下が7歳の時に確か持病が悪化してお亡くなりになったと聞いてるけど……」



「そのことについてもっと詳しく知りたい。できれば詳しい病名とか。医学書があったらそれも探したい」



 聞きたいことは山ほどあるが質問は後だ。図書館に何度か通ったことがあるクラウディアの方が探し物をするには適任だった。マクシミリアンの指示を受けて、当時の古新聞の記録を数社分用意し、新聞記事から得られた情報を元に調べたい事柄が載ってそうな医学書も探した。



「すごい。クラウディアは僕が知りたいことを先回りして察してくれてピンポイントで見つけてくれる。本当に頭がいいんだね」



「お言葉は嬉しいですけど今はそれどころじゃありませんわ。それよりアレックス殿下の母君にお会いしたことがおありで?」



「うん。6歳の時に王都に呼ばれて王族が会したことがあったんだ。僕は王宮に来たのは初めてで、もう母もいなかったしすごく心細かった。それに気の利いた挨拶一つできないし、ぐずぐず泣いてばかりで怯えていたから、不出来な王子だとみんな呆れていたと思う。そんな空気を察してますます隅っこに隠れていたら、声をかけてくれたのが王弟未亡人だった。体はすごく痩せていて不健康そうだったけどすごく優しい眼差しで僕をぎゅっと抱きしめてくれた。話もしたけど全部は覚えていない。でも、実の母の記憶はおぼろげにしかなかったから、僕にとっての母親のイメージがそれになった。なんであの時僕を励ますように抱きしめてくれたんだろう。いつか理由を聞きたいと思っていたら、それから間もなくして亡くなってしまった。身体だけでなく、精神面も不安定で満身創痍だったという話を風の便りで聞いたのが最後だった」



 クラウディアは何と返答したらいいのか分からなかった。マクシミリアンの話はいつも孤独だったという内容だし、あの自信に満ち溢れたアレックスの母親の人物像も想像していたのとは正反対だった。それまで自分が見ていた王族のイメージと余りにも違う。もしかして、アレックスも自分に見せない顔があったのだろうか? それともわたくしが見ようとしなかっただけ?



 クラウディアはしばし考え込んでいたが、気配がわずかに変わったことを敏感に察知した。誰かに監視されている。それも複数の目から。ついに見つかったのだ。途端に緊張で身をこわばらせるが、マクシミリアンは全く気付いている様子がない。もう! 肉食獣に狙われているのに全く気付かない草食動物みたいだわ!! さながらサバンナに突然放り込まれた1匹のウサギのようなものである。



「王子! どうやら見つかったようです。早く逃げないと」



 クラウディアはこっそり耳打ちした。



「ちょうど終わったところだよ。別に静かなままだけど何かあったの?」



 やはり何も気づいていない。クラウディアは天を仰ぐ気持ちだったがぐっと抑えた。



「私たちを遠巻きに監視する者がいます。トイレに行く振りをして裏口に回りましょう」



 裏口にも既に追手が回っているかもしれない。だが表玄関から堂々と出るより少しでも可能性があるほうを選んだ。



「でも本を戻さなきゃ……」



「そんなの誰かがやってくれます! さあ、こっち!」



 クラウディアはマクシミリアンの手を引いて歩き出した。追手がさっと態勢を変えたのが分かる。5番ゲートと8番ゲートにそれぞれ2人ずついる。4番ゲートなら通れるか。クラウディアは元いた場所の方へさりげなく視線を動かし、彼らから死角に入ったのを確認した。



「殿下! 裏口まで走りますよ!」



 クラウディアは幼いころ父に連れられて図書館に通ったことがあった。父が用事を済ませる間に退屈になり、あちこち探検しては、立ち入り禁止エリアに入り込みよく怒られた。あの時の経験がまさか役に立つとは思わなかった。



 今も同じなら、裏口には鍵がかかっているだろう。そこは、頻繁に用事がある者が特別に申請して鍵を借りて閉館後も出入りできるようになっているのだ。父が以前通っていた時も鍵を借りて裏口を使っていた。鍵はないが、確か傍らに守衛室があったはず。守衛に開けてもらうことはできないか。



「あの、すいません。鍵を研究室に忘れてしまって。ちょっと外に出たいだけなので開けて貰えますか?」



 素知らぬ振りでお願いしたら、守衛は何の疑いもなく応じてくれた。ほっとしたのも束の間、外で待ち伏せされているかもしれない。もうこうなったら行き着くところまで行くしかない。



 恐る恐る外に出ると、幸い誰もいなかった。後は辻馬車を捕まえて王宮まで行ければ。しかし裏通りなので辻馬車は走っていない。大通りまで出なければならないが、図書館の裏手から回るとなるとどこに向かえばいいか?



 そんなことを考えていると、背後から「いたぞ!」という声が聞こえた。とうとう見つかった! 急いで走り出したが、クラウディアとマクシミリアンの脚力では簡単に追いつかれてしまい、羽交い絞めにされた。相手は軍服ではなく一般と変わらない服装で、所属が分からないようになっている。王が私有している密偵の類だろうか。



「離せ! 私がマール王国第一王子、マクシミリアン・ホークと知っての狼藉か!」



 押さえつける手がぴたっと止まった。クラウディアも思わず動きを止めてしまった。あらやだ。王子らしいセリフも言えるじゃないの。それとも教育の賜物かしら? どちらにしても、とっさに口から出たのはすごい。こんな状況でなければキュンとしていたかもしれない。



「殿下。我々は、リチャード国王陛下から直々に殿下を保護するよう仰せつかった者です」



「ならば証拠を出せ。その女性の拘束も外しなさい。彼女はブルックハースト侯爵令嬢である。父の命令で来たと言うならちょうどよかった。私も父に会いに来た。『私たち』を王宮まで送って欲しい」
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