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3.帝国編
第25章 華麗なる一族
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気候が変われば建築も服装も変わる。マール王国より温暖湿潤な気候のアッシャー帝国は、全体的に開放的な造りの意匠が多かった。宮殿は、仕切りが少なく風通しがいい設計になっており、庭には小さな川が流れどこにいても絶えず水の音がする。壁や天井に描かれる植物や鳥もマール王国には生息しておらず、クラウディアが初めて見るものばかりだった。人々の服装もゆったりしたデザインが多く、軽い生地でできていて空気を含むとふわっと膨らむのが目を引いた。
(マール王国から着てきた服だと暑い……! こちらで新しい服を調達しなくてはならないかも!)
クラウディアは詰襟のワンピースを着てきたためじっとり汗をかいていた。話に聞くのと実物を見るのでは全く違う。異国にやって来たのだという思いが実感を伴ってきた。ミズール宮殿の別館がクラウディアたちの居住区である。庭で区切られた先に本館が見えており、そこがロジャーの弟ティムの居城なのだろう。別館といっても、クラウディアと臣下だけなので十分な広さと豪華さだった。
「簡単な荷ほどきを終えたらティム殿下のところに挨拶に行かなくちゃ」
一通り別館の中を回ったクラウディアは、屋敷の使用人たちに挨拶し、アンと共に身の回りの品の荷ほどきを始めた。他の大きな荷物は後からやって来ることになっていた。そうしているうちに、にわかに階下が騒がしくなった。
「殿下、クラウディア様はまだご準備中です。今しばらくのお待ちを」
「マール王国からのお姫様もう来たんでしょう? 早く会いたーい」
クラウディアがびっくりして1階に降りると、5,6歳くらいのかわいらしい王子が使用人たちと話していた。漆黒の髪の毛はマクシミリアンやロジャーと同じだが、癖っ毛があちこちの方向に飛んでいるのが愛らしい。クラウディアは礼をしながら自己紹介した。
「もしかしてティム殿下ですか? マール王国から来たクラウディア・ブルックハーストと申します。わたくしの方から挨拶に伺うつもりだったのに殿下から来て頂き申し訳ありません」
「やっぱりあなたがクラウディアなんだね!? 僕ティム・シェパード。ロジャー兄さんが連れてきたお姫様でしょう? よろしく!」
「お姫様なんて……そんなものじゃありません!」
6歳の子供と言えど、お姫様と言われて顔が赤くなってしまった。確かにロジャーの言う通り利発でかわいい。あのロジャーの弟というのがにわかに信じられなかった。
「僕のお庭案内してあげる。来て!」
「殿下、クラウディア様は今着いたばかりですから」
「いいのよ。殿下と少し庭を歩いてくるわ」
使用人が気を使ってくれたが、クラウディアはティムの申し出を受けて一緒に庭に出た。ここにも人工的な川が作られており、鳥の鳴き声と水のせせらぎが同時に聞こえる。濃い緑色の低木の他にこれもマール王国では見たことのない花が咲いており、クラウディアの目を楽しませた。ティムはクラウディアの手を引きながら、これはこういう花で、あれはこういう名前の木で、ここにカエルの繁殖場があるんだなどと懸命に説明した。クラウディアは故郷に残してきた誰かを思い出してふふっと笑った。
「この木の上に鳥が巣を作っているんだ。クラウディアと僕だけの秘密ね」
「このお庭は様々な植物が植えてあって、たくさんの動物がいて、退屈しませんわね」
「今度お庭でお茶会を開こうよ!母様も一緒に」
そう言えばティムは母親と一緒に住んでいるのだった。ロジャーとは異母兄弟と聞いたから、ロジャーの母親とは違うのだろう。
「まだ母君にご挨拶に伺っておりませんわ。一緒に来て下さる?」
小さな恋人のように二人は手を繋いだまま、本館に入って行った。そこには小柄な夫人がいた。これがティムの母親らしい。皇帝の妻にしては質素だが、可愛らしくて28歳だというが年より若く見える。見るからに穏やかで優しそうな女性だった。
「あなたがマール王国から来た留学生のお嬢様ですね。ティムが邪魔をして申し訳ありません。私は第3夫人のオリガです」
「いいえ、ティム殿下にお庭を案内してもらっていたのです。とても明るくて聡明な方で楽しかったですわ」
お隣さんとなる母子は付き合いやすそうな人たちでよかった。クラウディアは内心ほっとした。
「クラウディアは兄さまのお嫁さんになるって聞いたけど本当なの?」
「ちょっ! 殿下! そのような事実はありません! 根拠のない噂ですわ!」
ティムの思わぬ方向からの変化球に、クラウディアは思わず真っ赤になって否定した。
「そうよ、ティム。滅多なことを言うものではありません。ごめんなさいね。この子耳さといものだから、いつの間にか大人の会話を聞いているんです。今のも使用人が噂していたのを小耳にはさんだのだと思いますわ。私の方からも注意するので許してください」
オリガ夫人は小首をかしげて言った。困った顔まで愛くるしい。クラウディアは同性ながらオリガ夫人の虜になりそうだった。
「あっ、そうだ! クラウディアにプレゼント用意してたんだ! 待ってて、部屋から取って来るから」
ティムはそう言うと自分の部屋に飛んで行って小さな小箱を持ってきた。
「はいこれ。ディロンガの葉で作ったお人形。ばあやがこういうの得意で教えてもらったんだ」
見ると、笹のような丈夫で大きい葉が幾重にも折りたたまれて人形の形になっていた。子供らしい素朴なプレゼントにクラウディアの心は鷲掴みにされた。
(か……かわいい……かわいすぎる……天使かよ! ジュリアンと違って内も外も天使そのもの……! ロジャーの親戚とは思えない……! はっ、まさかロジャーも小さい頃はこんな感じだったのかしら。そうだとするとこの天使も大人になったら……いや! ティム殿下に限ってそれはないはず! 多分!)
クラウディアはすっかりほっこりした気持ちになって屋敷を辞した。別館に戻ると、アンがおろおろしながらクラウディアを待っていた。
「お嬢様、先ほどフォーリー宮から使いが参りまして、何でもリリー様がお嬢様のご挨拶をお待ちしていると」
「え? だってわたくし今来たばかりでしてよ? 催促されるほど待たせてもいないと思うのだけど」
ティムの場合はあちらからやって来たのでなし崩しになったが、まだクラウディアは荷解きも終わっていなかった。せっかくいい気持になったのが台無しだ。随分せっかちな人たちだなと思いフォーリー宮に急いで向かった。
「あなたがマール王国から来たクラウディアなの?」
ロジャーのもう一人の兄弟である妹のリリーは開口一番そう言った。こちらは濃褐色の髪を下ろし、琥珀色の瞳をしていた。顔立ちは整っていたが、表情が乏しかった。
クラウディアは挨拶が遅れた非礼を詫びた。と言っても、別に遅れたつもりはなかったのだが。
「第3夫人に先に挨拶しに行ったと聞いてますが、まずこちらへ来るのが筋じゃありませんか」
リリーの傍らにいた侍女長らしき女が問い詰めるように言った。
「しかし、同じ敷地にいらっしゃる方に声をかけるのが自然かと……」
まさかクラウディアが反論するとは思わなかったのだろう。侍女長は目を剥いた。
「格としてはこちらが上です。辺境の地から嫁いだ田舎娘と一緒にしないで頂きたい。あなたがここにいる間穏やかに暮らしたいならば序列というものをわきまえなさい。いいわね」
なんだこの女は。クラウディアだって侯爵令嬢なのだからこんな風に言われる筋合いはないはずだ。これがマール王国なら言い返していたが、初めての場所でさっき来たばかりということもあり、黙って聞くことにした。その間も当のリリーは興味がないと言ったように無表情だったのが気になった。
(一瞬ぬか喜びしたけど、王宮の魑魅魍魎ぶりはどこの国でも一緒ね。所詮わたくしはアウェーなのだから用心に越したことはない。それにしても王宮のマナーがマール王国と違うのは致命的ね。ある程度本で学んだけど、現地で体験するカルチャーギャップは如何ともしがたいわ。アッシャー帝国人に教わることができればいいけど適当な人がいない……オリガ夫人はいい方だけど、第3夫人に頼めることではない……)
クラウディアは、早くも課題にぶち当たった。王宮で暮らすにはその辺の事情に明るい人に着いてきてもらうのがよかった。ふとある人物が頭に浮かんだが、頼みにくい相手なのがネックだった。
(とにかく長旅で疲れてるから今日は休みましょう。明日は学校に行かなくてはならないのよ。そこが主戦場ね)
未知の世界への期待というよりは戦場へ赴く心持で、クラウディアは明日へと備えたのであった。
(マール王国から着てきた服だと暑い……! こちらで新しい服を調達しなくてはならないかも!)
クラウディアは詰襟のワンピースを着てきたためじっとり汗をかいていた。話に聞くのと実物を見るのでは全く違う。異国にやって来たのだという思いが実感を伴ってきた。ミズール宮殿の別館がクラウディアたちの居住区である。庭で区切られた先に本館が見えており、そこがロジャーの弟ティムの居城なのだろう。別館といっても、クラウディアと臣下だけなので十分な広さと豪華さだった。
「簡単な荷ほどきを終えたらティム殿下のところに挨拶に行かなくちゃ」
一通り別館の中を回ったクラウディアは、屋敷の使用人たちに挨拶し、アンと共に身の回りの品の荷ほどきを始めた。他の大きな荷物は後からやって来ることになっていた。そうしているうちに、にわかに階下が騒がしくなった。
「殿下、クラウディア様はまだご準備中です。今しばらくのお待ちを」
「マール王国からのお姫様もう来たんでしょう? 早く会いたーい」
クラウディアがびっくりして1階に降りると、5,6歳くらいのかわいらしい王子が使用人たちと話していた。漆黒の髪の毛はマクシミリアンやロジャーと同じだが、癖っ毛があちこちの方向に飛んでいるのが愛らしい。クラウディアは礼をしながら自己紹介した。
「もしかしてティム殿下ですか? マール王国から来たクラウディア・ブルックハーストと申します。わたくしの方から挨拶に伺うつもりだったのに殿下から来て頂き申し訳ありません」
「やっぱりあなたがクラウディアなんだね!? 僕ティム・シェパード。ロジャー兄さんが連れてきたお姫様でしょう? よろしく!」
「お姫様なんて……そんなものじゃありません!」
6歳の子供と言えど、お姫様と言われて顔が赤くなってしまった。確かにロジャーの言う通り利発でかわいい。あのロジャーの弟というのがにわかに信じられなかった。
「僕のお庭案内してあげる。来て!」
「殿下、クラウディア様は今着いたばかりですから」
「いいのよ。殿下と少し庭を歩いてくるわ」
使用人が気を使ってくれたが、クラウディアはティムの申し出を受けて一緒に庭に出た。ここにも人工的な川が作られており、鳥の鳴き声と水のせせらぎが同時に聞こえる。濃い緑色の低木の他にこれもマール王国では見たことのない花が咲いており、クラウディアの目を楽しませた。ティムはクラウディアの手を引きながら、これはこういう花で、あれはこういう名前の木で、ここにカエルの繁殖場があるんだなどと懸命に説明した。クラウディアは故郷に残してきた誰かを思い出してふふっと笑った。
「この木の上に鳥が巣を作っているんだ。クラウディアと僕だけの秘密ね」
「このお庭は様々な植物が植えてあって、たくさんの動物がいて、退屈しませんわね」
「今度お庭でお茶会を開こうよ!母様も一緒に」
そう言えばティムは母親と一緒に住んでいるのだった。ロジャーとは異母兄弟と聞いたから、ロジャーの母親とは違うのだろう。
「まだ母君にご挨拶に伺っておりませんわ。一緒に来て下さる?」
小さな恋人のように二人は手を繋いだまま、本館に入って行った。そこには小柄な夫人がいた。これがティムの母親らしい。皇帝の妻にしては質素だが、可愛らしくて28歳だというが年より若く見える。見るからに穏やかで優しそうな女性だった。
「あなたがマール王国から来た留学生のお嬢様ですね。ティムが邪魔をして申し訳ありません。私は第3夫人のオリガです」
「いいえ、ティム殿下にお庭を案内してもらっていたのです。とても明るくて聡明な方で楽しかったですわ」
お隣さんとなる母子は付き合いやすそうな人たちでよかった。クラウディアは内心ほっとした。
「クラウディアは兄さまのお嫁さんになるって聞いたけど本当なの?」
「ちょっ! 殿下! そのような事実はありません! 根拠のない噂ですわ!」
ティムの思わぬ方向からの変化球に、クラウディアは思わず真っ赤になって否定した。
「そうよ、ティム。滅多なことを言うものではありません。ごめんなさいね。この子耳さといものだから、いつの間にか大人の会話を聞いているんです。今のも使用人が噂していたのを小耳にはさんだのだと思いますわ。私の方からも注意するので許してください」
オリガ夫人は小首をかしげて言った。困った顔まで愛くるしい。クラウディアは同性ながらオリガ夫人の虜になりそうだった。
「あっ、そうだ! クラウディアにプレゼント用意してたんだ! 待ってて、部屋から取って来るから」
ティムはそう言うと自分の部屋に飛んで行って小さな小箱を持ってきた。
「はいこれ。ディロンガの葉で作ったお人形。ばあやがこういうの得意で教えてもらったんだ」
見ると、笹のような丈夫で大きい葉が幾重にも折りたたまれて人形の形になっていた。子供らしい素朴なプレゼントにクラウディアの心は鷲掴みにされた。
(か……かわいい……かわいすぎる……天使かよ! ジュリアンと違って内も外も天使そのもの……! ロジャーの親戚とは思えない……! はっ、まさかロジャーも小さい頃はこんな感じだったのかしら。そうだとするとこの天使も大人になったら……いや! ティム殿下に限ってそれはないはず! 多分!)
クラウディアはすっかりほっこりした気持ちになって屋敷を辞した。別館に戻ると、アンがおろおろしながらクラウディアを待っていた。
「お嬢様、先ほどフォーリー宮から使いが参りまして、何でもリリー様がお嬢様のご挨拶をお待ちしていると」
「え? だってわたくし今来たばかりでしてよ? 催促されるほど待たせてもいないと思うのだけど」
ティムの場合はあちらからやって来たのでなし崩しになったが、まだクラウディアは荷解きも終わっていなかった。せっかくいい気持になったのが台無しだ。随分せっかちな人たちだなと思いフォーリー宮に急いで向かった。
「あなたがマール王国から来たクラウディアなの?」
ロジャーのもう一人の兄弟である妹のリリーは開口一番そう言った。こちらは濃褐色の髪を下ろし、琥珀色の瞳をしていた。顔立ちは整っていたが、表情が乏しかった。
クラウディアは挨拶が遅れた非礼を詫びた。と言っても、別に遅れたつもりはなかったのだが。
「第3夫人に先に挨拶しに行ったと聞いてますが、まずこちらへ来るのが筋じゃありませんか」
リリーの傍らにいた侍女長らしき女が問い詰めるように言った。
「しかし、同じ敷地にいらっしゃる方に声をかけるのが自然かと……」
まさかクラウディアが反論するとは思わなかったのだろう。侍女長は目を剥いた。
「格としてはこちらが上です。辺境の地から嫁いだ田舎娘と一緒にしないで頂きたい。あなたがここにいる間穏やかに暮らしたいならば序列というものをわきまえなさい。いいわね」
なんだこの女は。クラウディアだって侯爵令嬢なのだからこんな風に言われる筋合いはないはずだ。これがマール王国なら言い返していたが、初めての場所でさっき来たばかりということもあり、黙って聞くことにした。その間も当のリリーは興味がないと言ったように無表情だったのが気になった。
(一瞬ぬか喜びしたけど、王宮の魑魅魍魎ぶりはどこの国でも一緒ね。所詮わたくしはアウェーなのだから用心に越したことはない。それにしても王宮のマナーがマール王国と違うのは致命的ね。ある程度本で学んだけど、現地で体験するカルチャーギャップは如何ともしがたいわ。アッシャー帝国人に教わることができればいいけど適当な人がいない……オリガ夫人はいい方だけど、第3夫人に頼めることではない……)
クラウディアは、早くも課題にぶち当たった。王宮で暮らすにはその辺の事情に明るい人に着いてきてもらうのがよかった。ふとある人物が頭に浮かんだが、頼みにくい相手なのがネックだった。
(とにかく長旅で疲れてるから今日は休みましょう。明日は学校に行かなくてはならないのよ。そこが主戦場ね)
未知の世界への期待というよりは戦場へ赴く心持で、クラウディアは明日へと備えたのであった。
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