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第14話 鬼のいぬ間に侵入者

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佐藤さんは、外回りの仕事でこちらに来ているので時間の都合がつきやすく、営業時間が終わったタイミングで来てくれるようになった。報酬はカキフライだけなのに随分律儀なことだ。その割には、ちっとも嬉しそうではなく、むしろ仏頂面のままでむしゃむしゃ食べている。最初は、「ましろに悪い虫がついたら大変だ」と言っていたカゲロウも「ま、あやつなら大丈夫じゃろう」と意見を変えるようになったほどだ。

「ましろさん。わざわざカキフライを作ってくれたのはありがたいのですが、こないだも言ったように、こういう庶民的な店は細かい配慮は不要なのですよ。別にお洒落なカフェじゃないんだから。このカキフライだってタルタルソースなんてしゃらくさい、ソースで十分です。しかも手作り。手間がかかる割にはコストが見合いません。おばさんの時から普通にソースでしたよ」

せめてもの感謝の気持ちとして、タルタルソースを手作りした手間と配慮に対し、この三白眼はこう言ってのけたのだ。何て失礼な奴! 私は思わず目を剥いた。

「しかも何ですかこれ? 細いヒゲみたいのが入ってますけど?」

「ヒゲなんかじゃありません、ディルです! 前にカフェで見たやつを真似てみたんです」

「ディルなんてしゃらくさい! 定食屋なんだからサラダにタンポポの葉っぱが入ってもバレませんよ!」

「いくら何でもタンポポの葉は言い過ぎじゃろう!」

たまらず脇にいたポン太が突っ込みを入れる。

「すいません、オサレさが鼻につきすぎてつい調子に乗りました。それはともかく、他のメニューについてはどうお考えですか?」

「ハンバーグについては『肉汁がじゅわっとあふれる』というやつをやってみたいんです。100%そうさせるのは案外難しいので、『ゼラチンで作った肉汁の煮こごりを生地に入れる』というのを考えています。小籠包の作り方を応用したもので、実はネットで拾った情報なんですけどね」

「それも必要ないですね。ここのお客さんは1グラムでも肉の量が多い方が喜びます! 質より量とは言いたくないけれど、盛り付けがいいと質も底上げされた気分になるんです。客層を見てごらんなさい。仕事途中の会社員と食べ盛りの学生ばかりでしょう。腹が減って仕方がないんです。栄養バランスも二の次でいいです。彼らに必要なのはまずカロリーです!」

「ええ……そんなにはっきり言われてしまうと……実は私、ここのメニューの栄養バランスが気になっていたんですよね。これでも管理栄養士の免許持っていて、前職はOLだけどちょっと資格を生かせる業務だったもので……」

「言いにくいですが、ここではあまり必要とされません。カルシウムとかビタミンよりも店主がコロッケ一個おまけしてくれる方が、よっぽど元気が出ます! 彼らはよく汗をかきますから、塩分も足りてません。だからお上品に減塩なんてせず、普通通りに作ればいいです!」

苦労して取った管理栄養士の資格が……これでは余りに救いがない。佐藤さんの慈悲のないアドバイスに、私はなす術もなかった。

佐藤さんはやけに自信満々に主張するが、その自信はどこからくるのだろう。アイデアがことごとく潰された私はすっかりしょげ返っていた。そこにポン太が追い打ちをかける。

「ましろはOL時代、キッチンカーのガパオライスが好物だったからのう。本当はシャレオツなカフェをやりたいんじゃろう?」

「ぎくっ! ポン太は鋭いわね。確かに私自身は、定食屋よりカフェでお洒落なランチの方が好みなんですけどね。そういうお年頃なの。でも仕事は仕事。割り切ってやるわよ」

佐藤さんは、おまけのカキフライを平らげたら、午後の仕事に行きますと去って行った。ふう。親切なんだか失礼なんだか分からない人ね。あやかしだけでなく、人間まで一癖あるのはいかがなものだろうか。

「おう、人間は帰ったか? こんな姿見られたら困るから、カゲロウと一緒に奥の座敷に引っ込んでいたよ。話は聞いてたけど、よくもまあぺらぺらと喋ってたな」

人型を解いたバクさんがこちらに戻って来た。狐のポン太と違って、バクさんは化けるのは専門外なので、営業時間内しか人型に慣れないのだ。

「コン猿だっけ? 狐と猿のあいのこみたいな名前だけあって、口だけは達者じゃな。正しいかどうかは分からんが、なかなか面白いことを言っとる。どんな仕事でもそうだが、愚直に頑張っていれば、芽が出るというものでもないんかのう」

カゲロウも訳知り顔で会話に参加する。確かに、おいしいものを作っていれば自然と客はやって来るという単純な問題ではないのだ。足りないのは宣伝? それともおばあちゃんから私に代替わりしたから? 考えれば考えるほど正解が分からなくなる。

「まあでも、ちゃんと代金は払っていくし、コン猿料も取らずにお喋りしていくだけだから害もない。仏頂面だけど、オラあのあんちゃん嫌いじゃないぞ」

「はいはい、お喋りはここまで。夜もあるから忙しくなるわよ。片付けをしたらいったん休憩をしましょう」

そう、この日から夜営業を始めることにしたのだ。最初は昼だけの営業にしていたのだが、そろそろ慣れてきたので、夕方の6時から9時まで開けることにした。おばあちゃんの頃もそうしていたので、元に戻したとも言える。これで認知が広がり、客足が戻ってくれればいいのだが。

しかし、一つ困ったことが起きた。正確に言うと、私は困ってないのだが、どうもカゲロウがしきりに困った困ったと言っているのだ。

「最近夜に用事ができてのう。店が開いている時間に用心棒ができないんじゃ。わしの手が空いてから夜間営業を始めるというのはできんのか?」

「用心棒て言ったって、あなたカウンターでお酒飲んでるだけじゃないの。一体何を守っているのよ? 別にあなたがいなくたって普通に店は開けるわよ」

こう答えたら、カゲロウは、矢鱈悔しがって「わしがどんなに貢献してるか分からんのか、これだから若いもんは」などと文句を言っていたが、事実を言っただけでどうしてここまで言われなきゃいけないんだろう。全くもって納得できない。

とにかく夜営業を始めて、ぽつぽつとお客さんがやって来た。メニューは昼と同じである。本当は変化をつけたいのだが、少し様子を見てから考えていくことにする。開始して間もなく、佐藤さんも顔を出してくれた。

「あ、佐藤さんありがとうございます。気になって見に来てくれたんですか?」

「いえ、まあ、これでも寿寿亭のコンサルですからね。ちょっと様子を見に来ました」

「さすがコン猿じゃ! ありがたいのう!」

眼鏡をキラーンとさせながら言う辺り、佐藤さんは、コンサルなる響きに誇りを持っているようだが、あやかしたちは新種の猿だと未だに思っているのは秘密だ。それにしてもポン太は、佐藤さんの前だと油断して口調が元に戻ってしまっている。昭和かぶれのサブカル少女という設定なのにその口調はまずいだろう。後で注意しなきゃ。

コンサル佐藤さんは、常連らしくいつもカゲロウが座るカウンター席に腰を下ろして、店の入り具合を眺めていた。と、その時一人のお客が入店した。黄色い髪を逆立てスカジャンを着た若い男性だ。いかにもヤンキーって感じがする。

「いらっしゃいませ! お一人様ですか? こちらへどうぞ!」

ポン太が席に誘導する。その男性はきょろきょろしながら席に着いた。何か気になることでもあるのだろうか?

「いつもカウンターで酒飲んでる着物姿の男いただろう? あいついないの?」

「はい? 影郎のことですか? お知り合いで?」

ポン太が怪訝な顔をして答える。カゲロウの知り合いなんているのだろうか? どこで人間と関わったのだろう? しかも相手はヤンキーの兄ちゃんだ。

「へえ、いないの? 道理で簡単に入れたはずだ。こりゃ都合がいい」

そう言うと、人間の姿形がぐんにゃりと崩れ、禍々しい妖気と共におたまの形をした化け物の姿になった。おたま? 一体この形は何と形容すればいいのだろう。おたまから手足が出ている姿はグロテスクと同時にどこか間抜けてもいる。しかし、何となく禍々しいオーラを放っているのは事実だ。これはまずいことになったと本能で察知する。

「いかん! ましろ! これは付喪神じゃ!」

ポン太が叫ぶ。バクさんも思わず人型を解いて獏の姿になった。

店内には他のお客さんも何人かいた。しかし、お客さんたちはそ知らぬ振りをしている。どうして反応しないの? こんなにおかしなことが起きているのに? しかし、一人だけ例外がいた。佐藤さんだ。彼はおたまの形をした付喪神に気付いていた。気付いているがけろっとしている。どうしたの? こんな非常事態なのにどうして平然としていられるの?

「なんだこいつ? 妖怪か? どうしてこんな変な形をしてるんだ?」

「それどころじゃありませんよ! 敵対するあやかしが店の中に入ってしまったんです!」

「あやかし!? なんでそんなものが?」

「それは後で説明します! 今はそれどころじゃないので!」

おたま妖怪こと付喪神は、子供くらいの背丈ではあるが、にじみ出る妖気は触れるだけで具合が悪くなりそうになる。

「影郎の奴も案外間抜けなとこがあるんだな? 辛抱強く待っててよかったわ。やーっとこの店に入れた」

「何しに来たか知らないけど、食事をしに来たのでなければ帰ってよ! 営業の邪魔なんですけど!」

「そんな偉そうなこと言っていいのか? 俺が暴れればこんなボロ店すぐに壊れるぞ!」

付喪神はそう言うと、ぐわんと体をくねらせこちらに突進して来た。私たちは思わずうずくまって身を庇ったが——

「駄目じゃないか。今日から夜間営業を始めたばかりだというのに邪魔したら。いいから帰れ」

何と、佐藤さんがつかつかと付喪神に近づいて、よいしょと両手で担いでしまった。そして、入り口の引き戸を開けて、ゴミでも捨てるかのようにぽいと外に投げてしまったのだ。私たちは、口をぽかんと開けたまま呆気に取られるしかなかった。一体この人何者?
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