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証言のほころび

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「はあ、はあ」
 俺は息を切らしながら立ち尽くしていた。胸の鼓動がとても早く波打っている。ひどく興奮しているのだ。
 その手にはパイプ椅子を握っていた。
 そして、目の前には、一人の男が倒れていた。……男の、薄くなった髪の毛の合間から、血が流れている。
 そう、俺はこの男を、さっきパイプ椅子で殴ったばかりだ。この男は、俺が金を借りていた相手だった。

 俺は山田。中卒で工事場で働いている。けれど、生活費は毎日カツカツだ。だから、仕方なく金を借りた。
 しかし、相手が悪かった。この男は別の友達から紹介された。友達の紹介通り、気前よく金を貸してくれてとても安心した。けれど、徐々に本性を現した。男は実は裏の闇金と繋がっていて、初めは気前よく金を貸してくれるが、そのうち無理な利子をつけて、払えないような時は裏のヤクザたちをちらつかせて、金をむしりとる。
 それがこの男だった。俺に紹介した友達は「自分のことを他の金に困っている人間に紹介してくれたら、借金をなかったことにしてやる」と言われたらしい。それがこの男の手段だったのだ。
 俺はまんまとそれにハマった。ここ数日、毎日のように、男から催促と罵声の電話が来て、時々目つきの悪い男たちを連れて俺を訪ねてくるようにもなった。
 そして、ついに先日、次は家に乗り込むと言われてしまった。
 俺は実家だけには手をつけてほしくなかった。俺は、安いアパートでばあちゃんと二人で暮らしていた。俺の親父は俺が生まれた時に逃げて、お袋も俺を懸命に育ててくれたが、小さいうちに死んだ。
 そんな時、俺を見捨てずに育ててくれたのが、母方の祖母のばあちゃんだった。中学校の時、学校に行くふりをしてサボるようになった。高校生の悪そうな奴らとつるんだりするようにもなった。何回か、警察から補導を受けることだってあったし、万引きとかもしていた。
 けれど、それでもばあちゃんは俺に向き合ってくれた。俺とつるんでいた奴らに直接話して、縁切りまでしてくれた。義務教育までの学校のあれこれも全てちゃんとしてくれ、腰が痛い時でも家事・洗濯・飯の用意は欠かさずにしてくれた。
 俺はそんなばあちゃんと二人きりで暮らしていた。もう足腰もほとんど動かなくなってしまって、最低限のことしかできなくなってしまった。それに最近は、ボケも少し進んでしまい、ちょっと注意力や記憶力が心配になってきた。
 外へ出る時は大抵車椅子を使っていた。家事もほとんでできなくなってしまって、今は俺が工事場で働きながら、日中はばあちゃんに留守番してもらい、何かあったら連絡できるようにはした。そして、なんとかばあちゃんの介護も家事もしていた。
 それでも、俺はばあちゃんのことを見放すことはできなかった。施設に入れてあげられるような金がないのもあるが、そもそも、ばあちゃんに恩返しをしてやりたかったのだ。
 だから、借金の催促で日中はばあちゃんしかいないアパートに来られると困るのだ。あの目つきの悪い男たちがばあちゃんに何をするかわからない。かといって、俺とばあちゃんがなんとか食うだけの生活費しかないから、金だって返せない。
 どうしたものか、と悩んでいたときに、あの男の身元がわかったのだ。
 あの男は、俺たちが住んでいる、馬靴毛市(ばくつけ)の公民館に勤めていることがわかった。
 馬靴毛市の公民館は、たくさんの部屋があるため、ちょっとデパートのような大きな建物だとして、有名だった。中には、市民が申請すればすぐに使える部屋や会議室がたくさんあるのはもちろん、馬靴毛市を一望できる展望スペースや、市にまつわる映画やちょっとした古い映画を見ることができる小さなムービーシアターもあった。
 堅苦しい理由でなくとも、部屋が空いていれば、その日にそのまますぐ入れるので、中学生高校生たちが何人かで勉強しながら遊ぶのにも使うような場所だった。子供づれのママさんたちも然り。
 とにかく、老若男女が使える公民館だった。
 そんなところで働く男が、あんな卑劣な真似をしているを知った時、俺は猛烈に腹が立った。とにかく、会って話そうと思った。そして、願わくば、借金の返済を少しでも軽くしてもらおうと思った。公民館で働いているならば、それなりに信用も必要だろうから、あんたがやっていることを同僚に話す、と脅そうかとも思っていた。

 来たる計画日、五月二十日。
 俺は、もし大変なことになって俺が家に帰ってこられなくなったたら、アパートでばあちゃんを一人にして行くのは心配だと判断して、ばあちゃんも馬靴毛市公民館に連れて行くことにした。公民館には職員の人も知り合いの人もいるだろうし、昔から俺とばあちゃんのことをよく知る職員の一人、古崎さんもいる。
 古崎さんは、この馬靴毛公民館が今のように改装される前の、小さな公民館の頃から働いていて、俺が小さい頃からよくしてくれていた人だった。
 五月二十日、ちょうど公民館のムービーシアターで、一昔前の映画「ぽっぽや」を上映する予定だった。ばあちゃんは名優・高倉健が好きなようで、もともと行きたいとせがまれていたので、ちょうど良かったと思った。
 映画は10時から。住んでいるアパートから公民館までは徒歩で10分ほど。俺は、ばあちゃんの身支度を終え、9時半に家を出た。
 9時40分ごろに公民館に着いた。

 公民館は上から見ると、アルファベットのI(アイ)の形になっていた。そして、三階建てだった。
 一階には、Iの半ばあたりに東向きの正面玄関があって、目の前に受付、右手に待合スペース、左手に職員や警備員の人たちの部屋があった。待合スペースには飲み物や軽食の自販機や、雑誌・本類も備わっていて、待つのに十分な場所だった。
 受付の右手の少し奥に、上へと続く階段とエレベーターがあった。二階には、大小様々な部屋が十数部屋と、二階の西の端にムービーシアターがある。ムービーシアターといっても、一度に二十人くらいしか入れない小規模なものだ。だけど、照明には力を入れているようで、本物の映画館のように映画が始まると真っ暗になる。
 三階には、馬靴毛市で人気なカフェやファストフード店の屋台が3つばかり軒を連ねている。そして、東へと進むと、展望スペースになっているのだ。東の端の窓が全面ガラス張りになっていて、馬靴毛市を上から一望できる。
 付け足しで言っておくが、馬靴毛市には、他に自慢できるような、一風変わった建物や観光地が点在する。商店街と名がついて店が五つしか並んでいない商店街もどき、前方後円墳の形をした図書館、そして謎の職業の人が住み着いていると噂の廃ビル。
 これが意外にも、上から眺めると面白いのだ。だから、時々、老人ホームの入居者たちや幼稚園の園児たちがそれを眺めに来る。また、その風景がエモいと今ドキ高校生の間で、静かでささやかなブームを、馬靴毛市の中で巻き起こしている……らしい。
 
 俺は、玄関から公民館に入った。
「あれ、山田くんとおばあちゃん。こんにちは」
 ちょうど古崎さんが玄関で受付をしているところだった。俺が小学生くらいの時からよく仲良くしていたので、俺のばあちゃんのことを、おばあちゃんと呼んでいるのだ。
 その古崎さんの隣には見慣れない男の職員が立っていた。ネームプレートには新川と書かれていて、初心者マークのシールも入っていた。
「こちらは新川くん。昨日から勤めてくれてるんですよ」
 ばあちゃんに古崎さんが新川のことを紹介している。ばあちゃんはうなずいているが、どうせ忘れてしまうのだ。
 他の客が来たので、新川はそっちの対応にいってしまった。
 その客はなんと外国人だった。リュックサックを背負っているから観光だろうか、地図片手に何かを聞こうとしている。
 新川がちょっと焦って「おお、ユーアーイギリス人」とカタコト混じりで言っていた。
 俺は古崎さんとばあちゃんの方に向き直った。
「今日はぽっぽ屋を見に来たの」
「えぇ、そうですよ」
 古崎さんはちょっと認知症が入ってきた今でも、ばあちゃんの扱いは手慣れている。
 古崎さんに、もう少しばあちゃんを任せることにして、俺は公民館の一階、職員部屋の方を眺めて、見つけた。
 あの男だ。
 古崎さんや新川さんたちと同じ制服とネームプレートをつけ、笑顔で、楽しそうに動き回っている。
 許せない。裏であんなことをしているのに、表ではあんなに人の良さそうな顔して働いているなんて。
 男を睨んでいると、男と他の同僚の会話が聞こえた。
「大変だな、お前も。この後、一人で三階の物置部屋の片付けだろ」
「大変と思うなら手伝ってくれよ。今日、三人でやるはずだったのに、二人とも休みやがって」
 そう言って男は部屋を出ていった。
 三階の物置。三階の展望スペースの脇の方に、小さな部屋が三部屋ある。その三部屋には使っていないパイプ椅子などが置かれている。
 そしてそこは、他の場所に比べて、人目は圧倒的に少ない……。
 男との接触はそこだな、と決めた。

 古崎さんとばあちゃんが話しているうちに、9時50分近くになっていた。
「今日は、展望スペースに、すぐそこの馬靴毛老人ホームの皆さんがいらっしゃっているんですよ。もしよければ、一緒にお話ししてみてはいかがですか」
「いえいえ、私は今日は高倉健を見にきたので」
「そうだね、ごめんごめん。おっと、映画が始まっちゃう。じゃまた後で話そう」
「そうね」
「じゃあね、おばあちゃん」
 古崎さんはそういって去っていった。
 俺はばあちゃんの車椅子を押した。
「じゃ、二階行こうか」

 ムービーシアターはすでに真っ暗になっていた。中には数人の人が席についていたが、その全員がご老人だった。
 今思えば、今日は水曜日。子供たちは学校があるから、きっと今日公民館を利用するのはご老人ばかりだろう。
 ムービーシアターに入る間際、後ろを振り返った。100メートルほど先に上階下階へ続く階段がある。ここを登れば、三階へとはすぐなのだが、階段から上がっても、あの男がいるであろう物置部屋までは100メートルの道がある。
 それに普通の公民館の職員も歩き回っているから、あまり急ぎすぎると、不審に思われてしまうかもしれない。だから、急ぎつつもバレない程度に歩く必要がある。5分くらいはかかってしまうだろう。
 いつ、あの男がいる、物置部屋に行こうか。ばあちゃんはトイレも済ませているから、映画中に俺の手が必要になるとは思わない、きっと往復と話す時間を考えて20分ほど抜け出しても、大丈夫だろう。
 だとしたら、映画の中盤、十時開始の映画だから十一時くらいに行こう。
 俺はそう決めて、ばあちゃんの車椅子を動かした。

 映画が始まり、40分がたった。10時40分だ。
 高倉健はじめ志村けんや広末涼子など、名優たちの演技に俺も思わず見入ってしまった。
 だが、俺のやるべきことは映画鑑賞ではない。
 ばあちゃんの肩を軽く叩いたり、小さな声で呼びかけたりしてみた。が、一向に気付く様子はない。すでに映画の世界にどっぷり浸かっているようだ。関心関心。
 俺は、ばあちゃんが映画に夢中なのを確認して、こっそりとムービーシアターを抜け出た。

 階段を登り終えて、俺はつい時間を確認した。
 10時42分。上出来だ。 
 そして、展望スペースの方へ歩き……。
 10時45分、俺は展望スペースにいた。展望スペースにさえつければ、物置部屋はすぐそこなのだが。
 計画外なことに、今日、展望スペースには老人ホームの入居者たちがきていたようだ。そして何より、その入居者の婆さんに声をかけられてしまった。
「〇〇さん、この後のお昼ってどうなるの」
 と聞かれた。どうやら今は老人ホームの担当者がちょっと席を外しているようだ。その担当者(〇〇さんというのか?)を俺を間違えたらしい。全く、担当なのに、席を外すんじゃねえよ。
 しかし、ばあちゃんの日々の介護でこういった応対は慣れているから、仕方なく応対することにした。
「ごめんね、俺は〇〇さんじゃないの。だから、お昼のこととかわからないのよ。きっと、もう少ししたら帰ってくるだろうから、その人に聞いてね」
「おぉおぉ、そうかいそうかい。
 ところでお昼はまだかい?、〇〇さん」
「あのね、おばあちゃん……」
 こんな感じで、1分ほど費やしてしまった。
 なんとかして抜け出し、俺は物置部屋の前に立った。時間は10時47分。うまくいっている。
 俺は物置部屋に入った。

 男は、いきなり入ってきた俺に、間抜けな顔で驚いていた。だけど、すぐさまいつもの憎たらしい顔に戻った。
「なんだ、貴様か。金でも返す気になったか」
 俺は部屋のドアを閉めた。
「いや、まだだ。だけど、ちょっと利子が多すぎじゃないか。今日は、借金額の返済の相談に来ただけだ」
 男は鼻で笑った。
「バカにするな。お前も分かっているだろう、俺のバックについている怖い存在のことを」
「分かっている。
 だけど、あんたこそ、裏の世界でこんなことをしている奴が、表では公民館で笑顔で働いているなんて知られたら、困るんじゃないか」
 男の顔に一瞬曇りが見えた。
「脅すのか、この俺を」
「脅しているんじゃない。借金をもっと減らして欲しいんだ」
 男は顔を伏せてしばらく黙っていた。俺は勝ったと思った。
 だけど、男はいきなり大声で笑い始めた。
「ところでそんなことより、お前がやけになってまで家に乗り込むのを止めようとする理由が分かったぜ」
 男の言葉に俺はハッとした。
「お前、年寄りの婆さんを介護してるんだってな、それも甲斐甲斐しく。大切なんだろうな、その婆さんのことが」
 な、と男はせせら笑った。
「こっちは金貸してやってんのに、脅して、その上その借金を無かったことにしようとするとはねえ。
 もっと厳しい取り立てにしてやろうか」
 男は憎たらしい顔つきになって、
「それなら、ばあちゃんに取り立てしてやろうかねえ」
 俺は何も考えないまま、咄嗟に近くにあったパイプ椅子を持ち上げて、あっけに取られている男の頭めがけて。
 振り下ろした。

 パイプ椅子を洋服の裾で拭いて、指紋は消した。そして、部屋を出た。部屋を出た時間は10時49分だ。
 男の頭からはたくさん血が出ていたから、もしかしたら死んだかもしれない。けれど、そんなの気にしてる余裕がないほど、焦っていた。
 雑で、粗が多い犯罪になってしまった。バレるかもしれない。もしそうなったら、ばあちゃんの生活はちゃんと保障されるのだろうか。
 俺は焦りながらも、片道5分を怪しまれないように歩いて、ムービーシアターまで向かっていた。
 そして、全てを終え、10時54分、ムービーシアターについた。恐る恐る中に入って、ばあちゃんの隣に座る。
 俺が離れていたことには、気づいていないようだ。
 そこからの映画の内容は頭に入らなかった。もしかしたら、俺の姿を見たという証人が現れるのかもしれない。もしそうなったら、その人たちの証言で俺の犯行はバレてしまう……。

 しかし、その証言たちが、まさか、俺のアリバイを立証してくれることになるとは、思っていなかったのだ。


 12時5分。馬靴毛警察の塚江刑事と名井刑事は男の死体を目の前にしていた。塚江は初老の刑事、いつもタバコを持ち歩いている。名井刑事は若い刑事、熱量だけはある。どちらも、勤務態度や時間に、その功績が比例していない。良い意味で。
 塚江は毎日休憩しているだけだし、名井も熱量はあっても二次元のアイドルに没頭していた。二人はある意味似ていて、勤務態度はどちらも良いものとは決して言えない。今日だって、現場にくるのは、招集された30分後だった。なのに、この二人のコンビの事件の解決件数は、馬靴毛警察内でも一、二番を争っている。
 なぜなのか。その理由は、また後で説明しよう。
 今に戻って。二人の目前には、頭から血を流した死体。報告を受けるまでもなく、撲殺だと判断した。
「男は、この馬靴毛市公民館の職員です。
 死因は見ての通り、撲殺。鈍器で頭を殴られて、頭部挫傷および失血多量です。
 死亡推定時刻ですが、被害者は腕時計を装着していて、殴られて転倒した際に、どうやら床にぶつけて壊れたらしいのです。そして、止まっていた時計の針は、10時48分を指していました。なので、それを犯行時刻と断定しています。
 凶器ですが、血が付着していた、パイプ椅子だと思われます。証拠として科捜研に渡してあります」
 鑑識の一人が報告する。
「そうか」
「ご苦労」
 鑑識たちの方が仕事をしているのに、上から目線で声かけするのが、この二人である。
「容疑者はもう上がってるのだろうか」
「どうでしょう」
「凶器はパイプ椅子だったな」
「えぇ、そうでしたね」
「腕時計が壊れていたのか」
「えぇ、10時48分でしたね」
 なんの進展もない、無意味な会話をする二人。そこへ、他の刑事がやってきた。
「さっき、他の課の刑事から連絡があったんですけど、どうやら、この被害者、裏の世界にも顔を持っていたようで」
「ほう、それは」
「はじめは善人ヅラで金を貸す、そして高い利子をつけて、ヤクザたちと共に脅して、金をむしり取る。相手の懐が尽きそうだと感じたら、他に金に困っている人を紹介させて同じことを続ける。もはや、ビジネスのように回っていたようで、その刑事も調査中だったそうです」
「そいつは、あくどいな」
「容疑者が多そうですね」
「ったく、今日は早く帰りたいのに」
「また〝あの人〟の力を借りることになりますかね」
「あぁ、また〝あいつ〟の力をな」
 塚江と名井がそう話しているのを、やってきた刑事が不思議そうに眺めていたが、二人はシッシッと追い払った。刑事は不服そうに、そして疑問を抱きながら去っていった。
 あの人、あいつって誰だ…?
 その刑事と入れ替わりに、鑑識がやってきた。
「怪しい人物が現れました。パイプ椅子には指紋も掌紋も残っていなかったのですが、ドアに指紋が残っていて、さらに、その指紋の持ち主が判明しました」
「指紋って、ここは物置部屋だろう。人がいっぱい入っているんじゃないのか」
「それがこの部屋は、本当に滅多に使わない部屋なようで、月に一回、職員数名が掃除に入るだけだったそうです。しかも、今日は被害者一人だけで掃除をしていたので、指紋の持ち主を容疑者と判断しました」
「それで、その男は」
「はい、過去に補導歴などが残っていた男で、指紋もその時に提出していたようです。
 しかも、どうやら、今日来ているようです。その時の顔写真もあったので、刑事課の方が聞き回ったら、今日、この公民館で見たという人がいて」
「じゃあ、俺らが事情聴取をしようか」
「そうですね」
 人の努力の上に堂々とあぐらをかいて、美味しいところだけ掻っ攫う。それが塚江と名井だ。

 二人はその刑事に連れられて、ムービーシアターにやってきた。
 歩いて5分くらい。デカくて歩くのに面倒だ、と塚江は言った。
 そして、そのムービーシアターには、老女の乗った車椅子を押している、若い男がいた。年は二十代くらいだろうか、まさに血気盛んというような顔・体をしている。
「彼が指紋の持ち主です」
 鑑識は塚江・名井に耳打ちして去っていった。
 男は山田と名乗った。
「えっと、あなたが犯人ですね」
 塚江がそう男に聞く。
 男は一瞬、動揺する素振りを見せたが、強気な表情で返した。その一瞬の動揺ぶりを見て、塚江は山田が犯人だと確信した。
「そんなわけないじゃないか。俺は今日、このムービーシアターにかの名優・高倉健が出る『ぽっぽ屋』を見にきたんだぜ。
 俺のばあちゃんと一緒に」
 な、と山田が車椅子の老女に聞くと、老女はうんと頷いた。どうやら、老女は山田の祖母のようだ。
 しかし、どうやらその祖母の方には、多少の認知症が入っているらしい。
ー誤魔化すのは簡単というわけか。
 塚江はそう思いながら質問を続けた。
「しかし、これほどに暗いムービーシアターです」
 塚江はムービーシアターの薄暗い照明を指さした。
「きっと、映画中ともなると、さらに暗くなるはず。だとしたら、隣に誰がいるかもわからなくなるでしょうし。
 この状態では、ここにいた、という証明は難しいですね」
 山田が、一見不真面目な見た目の塚江の鋭い指摘に、また顔を曇らせた時だった。
「なんだい、刑事さん」
 職員の一人がやってきた。古崎と名札がついている。
「話はさっき、別の刑事さんから聞いたよ。山田くんとおばあちゃんが一緒にいたこと証明すればいいのかい」
 古崎という職員は、山田の祖母に「おばあちゃん、また会いましたね」と声をかけると、手を振った。そして、山田の祖母が笑顔になったのを見て、古崎は笑い返すと、今度は厳しい目つきで、塚江・名井両刑事を見た。
「それだったら、10時35分ごろに二人がムービーシアターにいたのは証言できるよ。ちょっと荷物運びでこの部屋の前を通ったんだけど、その時、山田くんとおばあちゃんは二人で並んで座っていたよ」
 名井はそれをメモした後、塚江に耳打ちした。
「さっき、私たちも歩きましたけど、現場からこのムービーシアターまでは5分ほどです。35分にいたというなら、そのあとすぐに移動すれば、48分にあの現場での犯行も可能です」
「うむ」
 塚江は頷くと、古崎に向き直って上から目線の口調で、
「わかりました。でもそれでは、ならんのですよ。35分にここにいたって、無実の証明には」
 古崎はちょっとムッとしたように続けた。
「それにしても刑事さん、いくら怪しいからとはいえ、初めから疑うとは少々ひどくありませんかね。他の証言も集めた方が良いのでは」
 ど正論である。
 塚江・名井は仕方なしに他の人の話も聞くとして、「また後でお話を伺います」と言って、その場を後にした。

「10時35分にムービーシアター、っと」
 名井は歩きながら手帳にメモを取っていた。塚江が覗き込む。
「お前、字ィ下手だな。ミミズみてえだ」
「うるさいですよ」
 そんなことを言いながら歩いていると、二階の一つの部屋の前に、刑事と男が立っていた。外人のようで、一緒にいる刑事と比べても、身長さが大きい。
「おい。どうした」
 名井が走って、二人の方へ向かう…が途中でこけた。
 名井は起き上がって、何事もなかったかのように、刑事に話しかけた。
「あ、名井刑事。実は、こちらの外人の方に話を聞いていたところ、ちょうどあの容疑者のことを見たと言っていまして」
 あの容疑者とは山田のことだ。そして、その刑事は山田の顔写真を持っている。警察のリストに載っていた写真だが、さっき会ったばかりの本人と全くと言って良いほど、変わらないので、聞き回るのに使っているそうだ。
「ペラペラペラペラ」
 外人は相変わらず、何か話している。何があったのか、と聞いているのだろうか。
 塚江は生まれてこの方、外国語をまともに話したことがない。だから、今も何もできずにいるだけだった。一方、名井は「任せてください」と言って、前に一歩進んだ。
「私はこれでも、英検三級保持者です」
 それはすごいのか。塚江は一抹の不安を感じつつ、ここで外人の話を聞き取れるのは名井だけかもしれないと思って、任せることにした。
「ペラペラペラ」
「えっ…、えっと、えっと…」
 外人にまくし立てられて、名井の顔色が悪くなる。だけど、なんとか聞き取れる単語を見つけたようで、
「お、おーおー、ゆーあーイギリス人」
「イエスイエス、ペラペラペーラ」
 外人はイギリスからやってきたという。そして、その後、名井の奮闘のおかげ(実は外人に話を聞いていた刑事が英検二級保持者で、その力も借りながら)で、外人の情報をある程度聞き出せた。
 イギリスからやってきた彼は、ジョンという名前で、観光目的の旅行だった。まず手始めに、ここ馬靴毛市に来たのだが、どんなところなのか分からず、この公民館で話を聞くことにしたという。ただ、思いの外、彼と話をできる人がおらず、仕方なく、公民館内を歩いて時間潰ししていたという。
「ペラペラペラ、yes, I saw the man in this photo. 」
 ジョンは、紛れもなく、写真の中の山田を指して話している。
「なんと言っているんだ…?」
「えっと…山田のことを見たと言っています」
 名井ーではなく英検二級の刑事が塚江の問に答えた。名井は隅でスマホを必死に動かしながら、ジョンの言葉を訳そうとしている。
 そんなこと気にせず、塚江は英検二級の刑事に「いつ、どこで見たか聞いてくれ」といった。
「はい、えっと…、when and where did you see this man? 」
「um.., I saw him on the second floor, after ten forty. 」
「私に訳させてください!」
 いきなり、名井が声を張り上げた。見せ場を作りたいらしい。名井は英検二級の刑事を押しのけて、ズンと前に躍り出た。
「彼はこう言っています、『私は10時40分過ぎに彼を二階で見ました』
 つまり、10時40分すぎに、山田は二階にいたようですね」
 山田はしてやったというふうに、満面の笑みを浮かべた。もちろん塚江でもわかるような、至極簡単な英文であるから、威張る必要はないのだが。
 塚江も〝second floor〟という言葉は、聞き逃していなかった。2番目の床、二階ということだ。
「40分過ぎに二階か。現場までは5分、犯行時刻は48分。山田の犯行は不可能かも知れんな」
 塚江はこれまた面倒くさそうにつぶやいた。
「ありがとう」
 塚江は軽々と言うと、さっさと去っていってしまった。名井も後を追う。
 残った英検二級の刑事はジョンと会話を続けていた。
 ジョンが何やら話をしている……。

「はあー、山田が犯人だと思うんだがなー」
「そうですねー。何せ、指紋が残っているんですから」
「だが、現場に行けないようじゃ、殺人なんてできるわけがねえ」
「そうですねー。あ、一服しませんか」
 名井はジョンの言葉を訳せたことで、今日の仕事はやり切ったとでも思っているのか、休憩に入る気満々でいる。
 しかし、一方の塚江も、職務中のタバコを、これっぽっちも悪いと思っていないタチだから、名井の誘いを断るわけがなかった。
 こうして、似たものダメ刑事は展望スペースへと向かった。

 三階の展望スペースの方からゾロゾロと歩いてくる、老人たちの一向とちょうど鉢合わせた。十人ほどの老人たちと、若いヘルパーが五人だった。
 塚江はすれ違ったところで、ふとヘルパーの一人を呼び止めた。
「おい、君。今日は何しに来ていたんだ」
「今日は展望スペースに、馬靴毛市の眺めを見に」
「何時ごろから」
「えっと、今日は10時半から30分ほどいましたね」
「君たちは席を外したりしたか」
「えぇ、恥ずかしながら。ホームの方から緊急連絡がありまして、そっちの対応に。10時40分から、15分ほど、席を外してしまいました」
「そうか、ありがとう」
 塚江はスタスタと歩いて行った。

 展望スペースに着いて、二人それぞれがタバコに火をつけた。
「ところで塚江さん、さっき、ヘルパーにした質問って、どう言う意味だったんですか」
 塚江は口にためた煙を吐いた。
「ヘルパーがいなかったってことは、山田を見たと証言出来る人はいそうにないってこった」
「どうして」
「考えて見ろ。ヘルパーたちがいないようじゃ、山田を見たと言う人がいても、見た可能性があるのはあの老人たち。
 認知症とか痴呆症が入っちまっていそうな老人たちの証言にゃ、なんの信憑性もねえよ」
「なるほどね」
 名井は聞いたはいいものの、すぐにスマホのアイドルに夢中になっていた。塚江は名井の姿を見てため息をついた。
 と、その時、公民館の職員が通り過ぎた。
 塚江は急いで、「おい、そこの人」と呼び止めた。
 職員は面倒くさそうに寄ってくる。そりゃそうだ、自分で呼び止めておきながら、塚江は展望スペースの椅子に座りっぱなしなのだから。
 その職員は新川というらしい。
「なんですか」
「そりゃ仕事です。物を運んでるんですよ、物置からいろんなものを、あちこちへ」
「物置?!」
 塚江が驚いたところで、名井もようやく二次元の世界からご帰宅した。
「きみ、物置部屋で殺人があったの、知ってるよな。まさか、きみ、物置部屋に行ったのか?!」
 二人の刑事にものすごい勢いで詰め寄られ、新川は一歩下がりながら答えた。
「違いますよ!、僕が入ったのは別の部屋です」
 見てください、と新川は物置部屋の方を指さした。
「黄色いテープが貼られてる部屋、つまり、その犯行現場とやらは一番奥。僕が物を運ぶために入ったのは一番手前です」
 なんだ、期待して損した、とばかりに急に二人の刑事は勢いを無くした。その勢い・やる気はもうすでに氷点下まで落ちたかもしれない。
「それで、きみ、何か気になったことはない?」
 名井が質問を絞り出す。
「気になったことといえば……」
 刑事二人のやる気再燃。
「なんだ!」
「教えろ!」
 新川はまたもや刑事たちの勢いにタジタジしながら答えた。
「刑事さんたちが疑ってるのって、俺が朝見た人なんですよ。この公民館に来た時に見て」
 なら話が早い、山田とその祖母の写真を見せるのは必要ないだろう。
 塚江はそう判断して、さらに詰め寄りながら聞いた。
「君、さっき、いろんなところへ荷物を運んでいたといっていたな。ムービーシアターの前は通ったか?」
「は、はい」
 名井がペンを走らせる。塚江は一呼吸すると、もう一つ質問した。
「きみは山田がおばあちゃんと一緒にいるところ、見たりしたか?」
「おばあちゃんですか…?」
 新川は考える素振りをしたが、
「見ましたよ」
 と答えた。
「いつだ!」
 名井が詰め寄る。
「えっと…ちょうど電話が来たので覚えているんですけど」
 新川はスマホの画面を二人に見せた。
「この時間です。10時46分」
 塚江と名井は顔を見合わせた。
 どうやら山田に犯行は不可能だ。46分に祖母と一緒じゃあ、その2分後の犯行は無理。なにせ、ムービーシアターから犯行現場までは5分かかるんだから。
「そうか」
「ありがとう」
 二人の刑事はもう一服する気もなくなっていた。
 けれど諦めていたわけではなく、二人はこう思っていたに違いない。
〝アイツ〟にこの事件を解いてもらおう。
 二人は公民館の玄関へと歩いていった。
 新川が何か言いたげな顔で立っている……。


 三時間後、塚江と名井はとあるビルにいた。
 展望スペースから眺められるといった、あの廃ビルである。
 一応名前はあるのだ。馬革ビルディング。〝うまかわ〟ではなく〝ばかわ〟だ。だから、正式名称で呼ぶ人はほとんどおらず、大抵の人が、〝バカビル〟と呼んでいる。
 ここで、馬靴毛市の名の由来を、市の歴史とともに簡単に説明しよう。
 この街は明治の頃、馬の革を使った靴の名産地として有名になった。それはそれは上品な靴を作っていたらしい。この馬革ビルディングは、元々の地にその工場があったことが名の由来だ。
 ところが、そのブランドイメージはある不良品のために崩壊する。工場のとある男性職員の毛、つまり髪の毛が混入してしまったのだ。そして、たまたまそれを買った人が、影響力が大きく、常に噂話のネタを探しているような人で、たくさんの人に面白おかしく話した。こうして、街の靴は〝人の毛も入る馬革の靴〟として広まってしまった。それでも、噂など関係なくその靴に惚れ込んでいた人や話のタネに実物が欲しいと言う人(おそらく後者が多い)もいたため、なんとか商売としてやっていける感じだったそう。
 そしていつ頃か、工業化が進み、馬革の靴の需要もなくなり衰退した頃。何かの際に、この馬革の靴毛混入事件が市の中で再燃し、他のいくつかの町と合併して作る市の名前の案として、馬靴毛が出された。もちろん、おふざけのつもりが、とんとん拍子に進み、市長の軽率な性格も相成り〝馬靴毛市〟が誕生したのだ。
 これは、馬靴毛の子供たちが、桃太郎より後グリム童話より前に親から語られる、彼らにとっては常識レベルの歴史である。
 そんな歴史とともに生きていたとも言える(し言えなくもない)この馬革ビルディングは、ところどころ錆びているし、欠けているし、何よりゴミだらけだし…。普通の人なら絶対に訪れないところなのだ。
 が、そんなところにやってきた刑事二人は、その手に〝麦チョコ〟を手にしている。
 二人は顔を見合わせると、ビルの中に足を踏み入れた。投げ捨てられたゴミの悪臭が鼻を痛ぶる。刑事二人は、階段を登り始めた。
 人気など全くない、殺風景な内装である。けれど、二人はズンズンと歩いていく。
 そして、三階に着くと、三階へと進んだ。他の階に比べて、まあまあ綺麗になっている。ゴミは落ちている。が、そのほとんどのゴミが〝麦チョコ〟の袋だった。
 もともと何かの会社のオフィスがあった階なのだろうか。机と椅子が並べられている。
 そして、机の合間を通り抜けて、正面の大きな机のところに、男は座っていた。頭はボサボサ、着ているシャツはシワシワ、無精髭も伸びっぱなし。
 その男は机に突っ伏して寝ていたが、刑事二人の存在を感じると、パッと起き上がった。四十代くらいのちょっとだけダンディーな男だった。
 そして刑事二人を見ると、「帰れ」とそれなりに渋い声で言った。
 塚江はムッとしたように、「依頼だよ」と言った。
 名井は持っていた麦チョコを見せた。
 男の顔が少し和らいで、口角が上がった。
「聞いてやろうじゃねえか」

 男の名前は、路地黒雄。これでも私立探偵である。
 この廃れた馬革ビルディングに巣食う正体不明の化け物改め、私立探偵・路地黒雄は探偵界隈ではちょっとして有名人であった。
 まず、汚いビルを拠点としているだけで、客を取ろうという気がない。
 第二に、いつも不潔な格好をしている。
 第三に、言葉遣いが汚い。
 でも、それでいてどうして有名かというと、それなりの推理力は持ち合わせていたのだ。
 だけど、普通の客なら「あのバカビルにめっちゃすごい探偵がいる」と聞いても、ビルの汚さ→路地の不潔さ→言葉遣いの悪さの3コンボで、大体帰ってしまう。ただしそれは、普通の客の場合だけ……
 路地のもとへ来る客は、人目をはばかるような人たちだ。政治家、医者、社長などなど、誰にも知られたくない依頼をしたい人たちが来る。そのたびに、それなりの額を落としていってくれるから、こうして路地が生活できているのだ。
 そして、よく路地の元を訪ねる依頼者こそが、塚江と名井であった。
 二人は事件の捜査に行き詰まるたびに、路地を訪ねて、真相を暴かせる。本来なら、捜査協力者として何かしらの措置を取る必要があるのだが、二人は面倒くさいからとそれをしないのである。
 それに、依頼料を出すわけでもない。
 どうして、依頼料ゼロの仕事を、路地が受けるかって? その理由こそ……

「ほれ」
 塚江が名井に言って、麦チョコを路地に渡させた。
 路地はその、可愛いクマがあしらわれた袋を開けると、一度に鷲掴みにして、口へ運んだ。チョコの匂いが辺りを満たす。
「コイツァ、フルタ製菓のやつだな」
 路地は袋を見ていった。
「なんだ、お気に召さないか」
「そうじゃねえが、こんな安モン……おっと、麦チョコに失礼だ。手軽に食えて美味い上に、値段まで安い好むチョコじゃ、俺の頭はフル回転させられねえぜ」
 路地は悪い顔で言った。
 何を隠そう、この男。麦チョコの類が大好物なのだ。理由は知らんけど。
「チッ、要するに値段ってことだろ。そういうと思って、買ってきたよ」
 塚江の指示で名井がもう一袋取り出した。路地の目が輝く。
 開け口を結んだ袋に、高級感漂うパッケージ。そこには『ベルギー産チョコレート』と書かれている。
「探したんだぜ、東京まで足を伸ばして」
『レーマン』の『プレミアムムーギチョコ』だった。
 路地は名井から引ったくるようにそれを取ると、恐る恐る開封して、一粒取り出し、口に運んだ。路地の顔が一気に緩んで、幸せそうな顔になる。
「これでどうだ」
 塚江の問いかけに、路地がにんまりと笑った時だった。
「まーたきてる」
 セーラー服姿の女子高校生が階段のところに立っていた。学校帰りなのかカバンを背負っている。すらっとした立ち姿に、キリッとした端正な顔。一言で言えば、美人だ。
 彼女は馬靴毛第一高等学校の一年生、皆藤天音だ。
 なぜ、そんな彼女がここにいるのか。それは、彼女が路地の弟子だからである。
 だが、それは自称であって、実際はただの親戚繋がりで、皆藤が一方的に路地の身の回りの世話と助手のような仕事をしているのである。彼女自身、探偵に憧れている一面があり、何か事件が持ち込まれるたびに首を突っ込もうとする、好奇心旺盛な性格だ。
 皆藤はツカツカと歩いてくると、塚江・名井を押しのけ、路地の手から『プレミアムムーギチョコ』を奪い取った。
「毎回毎回、麦チョコだけで妥協しないで、ちゃんとお金も取ってください。たまに大口のお客さんはいるけど、この二人からも依頼料とれば、もっと儲けられるんですよ」
 そういって路地を睨む。皆藤は意外と強気・やり手で、路地の暴走を止める役でも、経済面の手助けをする役でもある。
「今まで、何回この人たちの依頼を受けてきたんですか。お金だって、いくらとれたことか」
 とは口で言いながら、皆藤は『それ』を開けて、つまみ始めている。
「全く……あ、これおいし」
 路地は「それ俺のだぞ」といって、皆藤から『それ』を奪おうとする。
 1分ほど続く、路地と皆藤の争いを収めたのは、塚江の一言だった。
「おい、話を聞け」

 『それ』は皿に出されて、路地と皆藤によってつままれていた。路地が二粒取れば、皆藤は三粒、そして路地が五粒取れば、皆藤は十粒……といった具合に。(なんだか皆藤の方がたくさん食べているような……)
 路地の机の近くにあったホワイトボードを引っ張り出して、名井が今回の馬靴毛市公民館の事件の情報を整理していた。
 容疑者は山田。証言者は古崎、新川、ジョン。
 そして名井が、現場の状況とともに聞き込みの様子を事細かに説明する。若くて記憶力がいいことだけが取り柄の名井は存分にそれを生かす。もちろん、若さも記憶力の良さも、皆藤には敵わないのだが。
 説明が終わった後、路地が二、三ばかり質問をした。
「その時、ジョンとかいう英人は確かにそういったんだな」
「えぇ、I saw him on the second floor, after ten forty. と」
「それで、その新川とかいう男への、お前らの問いかけは確かに、それであってるんだな」
「え、えぇ。確かに、『おばあちゃんと一緒にいるのを見たんだな』と」
 そこまで聞くと、路地の顔が変わった。
 幸せそうな顔つきでもなく、楽しそうな顔つきでもない。目つきが鋭くなり、右の口角は上がって片方は下がる。一見、とても不自然な笑みを浮かべる。
 路地の答えが出た合図だ。
 周りの三人もそれに気づいて、真剣な顔つきになる。
「わかったのか」
 塚江の問に路地が口を開く。
「こんな謎も解けねえから、バカなんだよ」
 言葉遣いの悪いその名探偵は、『プレミアムムーギチョコ』を一粒頬張った……。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
【筆者より、親愛なる読者諸君へ
 諸君のためにも、この事件を改めて整理しよう。

○犯行時刻は10時48分、公民館三階の物置部屋にて。
○有力な容疑者は青年・山田、しかし彼は認知症の祖母を連れて、公民館二階のムービーシアターにいたという。車椅子だし、映画に夢中だったため、祖母を連れ出すことは不可能。
○ムービーシアターと犯行現場を行き来するには、片道5分を要する。つまり、最低でも、1時43分前には山田はムービーシアターを抜け出す必要がある。
○山田・祖母を昔からよく知り、祖母を「おばあちゃん」とまで呼んでいる古崎の証言では、10時40分には山田は『おばあちゃんと一緒』にいた。
○イギリスからの観光客・ジョンによれば、山田を10時40分過ぎに『second floor』で見た。
○今日、山田・祖母に会った新川によれば、10時46分に、山田がおばあちゃんと一緒にいるのを見たという。

 現場まで5分かかるのに、40分過ぎにまだ二階にいた上、46分にはおばあちゃんと一緒にいた。一見すると、山田の犯行は不可能……というのが塚江と名井の結論である。
 果たして、路地の答えとはいかに。】
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

「まず言っておくが、お前らの証言を聞き取る能力は、ゼロだ」
 まず、路地は塚江と名井を指さした。
「貴様らの聞き取り能力は、ひどすぎる。もう一度勉強し直してこい」
 塚江はイラッとしたが、ここは一つ冷静に、
「わかったわかった、ユーキャンで勉強しておく。それで、この事件の真相というのはいったいなんなんだ」
「まず、この証言だが、大きな間違いが二つある」
 二つもだぞ、と言いながら、路地はホワイトボードの前に立った。
「まず。このジョンなる英人の証言だ」
 路地はそういって、ジョンの証言の一文を、拳で叩いた。
「これのどこが…」と名井が呟いた時。
「あ、それだったら私もわかってますよ」
 皆藤が声を上げた。
「ほぉ、それならここは説明を頼むか」
 路地が下がったのと同時に、皆藤が前に躍り出る。
「刑事さんたち、『second floor』って、どこですか」
 皆藤の質問を、塚江が鼻で笑った。
「バカにするな、二階のことに決まっているだろう。二番目の床、なんだからな」
 名井も頷く。皆藤は苦い顔をして続けた。
「やっぱりそう思ってましたか。説明の時から引っかかってたんですよね」
「何が」
「それ、勘違いです」
 皆藤は名井の質問に素早く切り返した。
「勘違い、だと?」
「えぇ。勘違いです。
 だってこの場合、『second floor』は『三階』のことを指すんですから」
 路地もうんうん頷いている。ポカンとしているのは刑事二人だけ。
「どして」
「これ、面白いんですよ。もちろん、アメリカで『second floor』といったら『二階』なんですよ。だけど、イギリスでは『三階』になるんです。
 イギリス英語での階の数え方、ちょっと変わってるんですよ」
 そういって、ホワイトボードに三階の建物の絵を簡単に描き、右側にはアメリカや日本と、左側にはイギリスと書いた。
 そして、いくつか英単語も書いた。
 右側には下から『first floor』『second floor』『third floor』、左側には下から『ground floor』『first floor』『second floor』と。
「イギリスではこんなふうにして階を数えるんです」
「本当だ! イギリスじゃ三階のこと『second floor』っていうのか」
「そして、一階のことは……グ、グランドフロア?」
「そうです。ground floor」
 驚きを隠せない刑事二人は反対に、皆藤は落ち着いて説明する。
「イギリスでは一階をそう呼ぶんです。要するに、数で言うと〝ゼロ階〟ってことです。イギリスでは、地に足がついている一階を〝0〟とカウントして、そこから何階分上がるかで一階、二階とカウントするんです」
「なるほど~」
「そう考えると、確かに、地に足がつく一階を〝0〟と考える方が自然だと思いませんか?
 だって、地下をマイナス一階、マイナス二階とカウントするなら、一階をゼロとした方が、-2、-1、0、1、2…って綺麗に揃いますし」
「確かに~」
 刑事二人はすっかり感心して、間抜けな表情をしている。
「おいおい、今は英語の授業をしてる時間じゃないんだぜ」
 路地が話を戻す。
「今のでわかっただろう。ジョンはイギリス人だから、階数をそう数えたとすると、『second floor』とは一体何階のことだ」
「三階ですね」
「って、あ!」
 刑事二人が驚く。
「そう、ジョンの言葉を改めて翻訳してみろ。『私は、その男を、1時40分すぎに、三階で見ました』だろ」
 路地はホワイトボードのジョンの証言を書き直した。
「つまり、山田は1時40分すぎにはもう三階に上がっていたんだ」
「山田に犯行は、可能!」
 名井がメモ帳を書き直す。塚江がそれに指摘した。
「でも、新川の証言はどうなる。1時46分に山田は、おばあちゃん、つまり祖母と一緒にいたんだぞ。つまり、ムービーシアターにいたんだ。
 その後、48分に物置部屋にいることは不可能だぜ」
 その指摘に、路地がため息をついた。
「だからバカだといっているんだ。その新川の証言にも間違いがあるのも気づかずに」
「間違いだと」
「わかるか?」
 路地は皆藤に尋ねた。
「そこまでは……」と皆藤は首を横に振った。
「まだ修行が足りないな」
 そういって路地は皆藤の前に躍り出ると、説明を始めた。
「お前逹、この新川の証言の、『おばあちゃん』という言葉をどう捉えている」
「そりゃ、山田の祖母のことだろう」と名井。
「バカめ。そんな抽象的すぎる単語で、特定できるわけなかろう。
 それに、この事件に、もう一人『おばあちゃん』と言う存在があることを忘れたわけじゃなかろうな」
 路地の言葉に、三人一斉に首を斜めにした。
「もう一人の『おばあちゃん』って」
 名井が聞くと、路地が笑い飛ばした。
「さっきお前らがいっていたじゃないか、その存在を」
「え、なんだって言うんだよ」
 刑事二人が考え込むが、答えは出ない。路地が口を開く。
「こういっていたじゃないか、『老人ホームが展望スペースに来ていた』と。会ったんだろう、公民館の展望スペースで」
 刑事二人が顔を見合わせる。確かに、塚江と名井は老人ホームの集団とすれ違ったし、その時付き添いの男は〝展望スペースに来ていた〟といっていた。
「まさか考えもしなかったのか、『おばあちゃん』と呼ぶに値する高齢の女性が、その中にいただろうことを」
 刑事二人はまた顔を見合わせた。確かに、あの時すれ違った中には、ご高齢の男性だけでなく女性だっていた。
「この場合は、お前逹の聞き方・質問方法が悪かった。
 確かに、この古崎という職員は山田の祖母を『おばあちゃん』と呼んだ。しかしそれは、古くからの付き合いがあり、よく知る仲だからこそ。
 その山田の祖母のことを、見知ってから一日も経たない、今ドキの若者である新川が『おばあちゃん』と呼ぶわけがなかろう。もし新川が人懐こい性格で『おばあちゃん』と呼んだとしても、『今朝会った男性と一緒にいたおばあちゃん』と言う説明が必要なはずだ。
 それをお前逹は、新川も山田の祖母を『おばあちゃん』と呼ぶだろうと決めつけて、山田の祖母の写真も見せずに新川に聞き取りをした。『山田がおばあちゃんと一緒にいたのを見たか』と。
 だから、新川は質問の意図がわからず、老人ホームの中にいた高齢女性を『おばあちゃん』と呼んでいるのだと勘違いして、『見た』と答えてしまった。
 そうして、この、無意味で邪魔な〝証言〟が出来上がったんだ」
 刑事二人が「お前が写真見せなかったんだろ」「質問したのは塚江さんですよ」とみっともない争いを始める。
「場所のことだって、新川は何もいっていなかったぜ。ただ、物置部屋から物を運んでいて、ムービーシアターの側も通った、といっただけ。それを、勝手に『おばあちゃん』を見たのが『ムービーシアター』だと読み取ったのもお前逹だ」
 路地が、刑事二人の争いを気にもとめず続ける。
「と言うことは、事件を整理するとこうですね」
 皆藤がまた躍り出た。刑事二人はまだ言い争っている。
「1時40分過ぎに山田さんは三階にいた。そして、展望スペースまで行った時、老人ホームから来た『おばあちゃん』と何かを話して、そこを新川さんに見られた。
 そしてその後、犯行を行なって、またムービーシアターに戻った」
「その通り。この事件は、お前逹刑事の聞き取り能力がないせいで、難しくされただけの、簡単な事件だったと言うわけだ」
 路地と皆藤が塚江と名井を冷たい目で見つめる。
「しかし、こんな簡単な事件をわざわざ難しくするようなこのダメ刑事たちほど、他の刑事逹までがバカだとは思えない。
 きっと、今頃、事件は解決しているだろうな」
 路地がそうつぶやいた時、名井のスマホが鳴った。塚江と名井は一時休戦して名井はスマホを見る。ラインが来ていたようだ。
「えっと、樫古井くんからです」
 樫古井とは、塚江と名井の後輩。だが二人とは真逆で、謹厳実直を絵に描いたような男。誰よりも早く仕事に来て、誰よりも仕事に熱心に取り組み、誰よりも事件のことを長考する。人当たりも周りからの評価も優れた男である。
 そんな彼が、惜しくも馬靴毛市警察署ナンバーワンになれないのは、こんな探偵に頼るというズルをしている、塚江と名井のせいである。
「えっと、なになに……。
〝先輩方の聞き取りに間違いがあったようなのでご報告します。
 まず、あの後ですが、ジョンさんが何かを言いたげだったので、ぼくが変わったところ、ジョンさんが容疑者のことを見たのは、二階ではなく、三階だったそうです。イギリスでは『second floor』は『三階』を言うんです。
 第二に、新川さんですが、『刑事さんの言っていた〝おばあちゃん〟とは誰のことだったのか』と質問を受けたので、容疑者と祖母の写真を見せたところ、見たのはこの老人ではない、と答えてくれました。また、見た場所というのも、ムービーシアターではなく、犯行現場近くだったそうです。
 よって、新川さんの証言が容疑者・山田の目撃証言となったので、山田を任意で署まで連れて行きます。
 いつ戻ってこられますか? ご連絡、お待ちしています〟
 だそうです……」
 読み終わった時には、塚江も名井も気の抜けた顔をしていた。
「ほらな。優秀な後輩がいたようだ」
 路地が鼻で笑った。塚江と名井はハッと我に帰ると、
「こうしちゃいられねえ! このヤマは俺らのもんだ。そうだろ」
「えぇ! 樫古井に取られてたまるか!」
「行くぞ!」
「はい!」
 慌ただしく二人の刑事はバカビルを飛び出していった。
「どう考えてお前らの手柄じゃないだろ。バカどもめ」
 路地はそうつぶやいた。
 とにかく、これで一件落着(?)だ。まあ、探偵が必要だとは思えない極簡単な事件だったが。
 路地は『プレミアムムーギチョコ』を食べようと、皿に手を伸ばした。
 そこには、ただ白い皿の底が顔を見せているだけ。
 隣で皆藤が、口を大きく開けて、『それ』の残りを、袋から直接流し込んでいた。
「おい……」
 呆れ怒る路地を見もせず、皆藤は満足げにつぶやいた。
「あー、美味しかった」

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