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黒文字の謎

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 馬靴毛第一高等学校。そこは、『足取り確かに夢を追え』と言う校訓と共に、馬の像が昇降口の近くに堂々と設置されている高校である。この高校ではかつて、世界で活躍した画家や音楽家を多数輩出したとかしないとか(多分してない)。
 とにかく、少なくとも馬靴毛市内では、ピカイチの高校である。
 皆藤天音が通う高校も、まさに馬靴毛第一高校であった。
 皆藤は、私立探偵を営む路地黒雄を親戚にもつ。路地は、口も悪い・身だしなみも悪い・事務所も汚いという問題点を抱えながらも、その推理力だけはずば抜けている探偵だ。そして皆藤は、その路地の第一助手を自称する、一風変わった女子高校生なのである。
 しかし、それはあくまでプライベートの話。
 女子高校生としての皆藤天音は、成績はそれなりに優秀で、学級委員長をも務め、さらに人当たりも良しと言う、ほぼほぼ完璧少女。さらに、ルックスも抜群……。
 まあ、だからこそ路地の第一助手を自称していると言う汚点がなおさら引き立つのだが。

 そして、皆藤にはもう一つ変わっている点がある。
 皆藤は部活に入っていないのだ。
 馬靴毛第一高校(通称・馬一)は、部活にも力を入れている高校である。一つ一つの部活の成績ももちろん、その部活数も他校には劣らない。
 運動部のほとんどはは地区大会上位校で、その中には県大会さらにはその次の大会へとどんどん進んでいく部活もある。剣道部・柔道部などは、団体戦も強いが、個人戦に至っては大会の上位を独占することも多い。
 文化部も、地区大会突破はほぼほぼ当たり前だから、県大会へ向かって活動している部活が多い。吹奏楽部に至ってはほぼ毎月依頼演奏を受け持っているぐらいである。
 さらにその部活のレパートリーもまたすごい。定番部活はもちろん、文芸部・漫画研究部・ミステリー研究部・フォークロア研究部・折り紙研究部・鉄道研究部・天体観測部・古典部………などなど、マイナーな部活が名を連ねている。

 とにかく、そんなに部活に力を入れている高校なのだが、皆藤は部活に入っていない。
 おそらく、放課後は路地の事務所に通って事件に首を突っ込みたい、と言う理由もあるのだろうが、もう一つ大きな理由があった。
 別に人見知りなわけじゃない、苦手だからでもない、不器用だからでもない。
 その理由とは、皆藤が出来すぎてしまうから、である。
 皆藤は入学後、友達と一緒に一通りの部活を体験した。なんとその時に、驚くべきことが起こった。ほとんどの部活で皆藤は、部員も驚愕する力を発揮したのだ。
 バスケ部を体験したら、ブラックホールの如くゴールにボールが吸い込まれていく。
 吹奏楽部を体験したら、初めてのはずなのに金管・木管どちらもすぐに音を出せてしまう。
 美術部を体験したら、変わり者の美術の先生をも唸らせる見事な写生画を描く。
 野球部を体験したら、マネージャー枠にも関わらず、選手も驚きの投球フォームを見せる。
 そんな具合で、ほとんどの部活で皆藤は出来すぎてしまったのだ。
 だから、もしどこか一つの部活に入ってしまったら、他の部活が皆藤を引き抜きたいと主張して、部活同士のいざこざが起こってしまう。それを危惧した皆藤の友人たちが、部活に入らないでおくことを提案したのだ。

 だから、毎日、皆藤は授業と清掃が終わるとすぐに、自宅か路地のところへ直行する。たまに学級委員長としての仕事も入るが、基本放課後の予定は真っ白である。
 しかし、時として、その放課後が埋まってしまうことがある。
 路地に勝てるかどうかはわからないが、皆藤もまたそれなりの推理力を持ち合わせていたのである。だから、それを求めて、皆藤の友人が、学内のいざこざの解決を頼む時があるのだ。
 皆藤に言わせれば、それは少々(というか大分)面倒臭いこと。だけど、友人の頼みを無視することもできず、嫌々ながらも引き受けるのである。

 そして、この日も……。
 四時十分。授業も清掃も、一日のやるべきことが全て終わった時間。
「うちさ、新しいレンジ買ったのよ」
「あ、今よくCMやってるやつね」
「そうそう」
「実際、あれって美味しいの?」
「うん、結構いいよ……」
 そんな話をしながら、続々と友達が帰っていく。
 皆藤もまた、教室で帰る準備をしていた時だった。
「あ、いた!」
 体育着を着た二人の男子が、教室に入ってきた。松村龍斗と作間北斗である。
「お、マッサクじゃん」
 松村と作間の頭文字を取って、二人揃ってマッサクと呼ばれている。
「よ、皆藤」
「あのさ、ちょいと頼みがあってさ」
 いつも一緒にいる二人。陸上部の仲良しメンツである。
 お調子者で勉強の方はいまいちだが、そのルックスはいい。さらに、二人揃って陸上部を引っ張るエース同士だから、女子人気も高い。
 もちろん、皆藤に言わせれば「興味ない」なのだが。
「頼み?」
 皆藤は二人の言葉に嫌な予感がし、顔をしかめた。
「あぁ。少し時間をくれないか」
 松村がそう言った時、作間のスマホが鳴った。作間がスマホに出る。
「ん? あぁ、山岡か。もう交代の時間か。わかった、今行く」
 スマホを切ると、「わり、俺はちょっと出てくるわ」と言って、作間は教室から出ていった。
「……あれに関わりあるの?」
 皆藤は、急いで走ってゆく作間を見ながら、松村に聞いた。松村はため息をつきながら頷いた。
「実は最近、陸上部が管理してる体育倉庫がイタズラされることが多くてさ」
「イタズラ?」
「あぁ。皆藤もさ、陸上部が校舎裏の第三体育倉庫の管理を任されてること知ってるだろ」
「うん」
 馬一には三つ体育倉庫がある。一つ目は野球部用の倉庫で、二つ目はサッカー部やラグビー部用の倉庫。そして、三つ目が陸上部用の倉庫である。
 陸上部用の第三倉庫には、ハードルやコーンから、地面を平すためのトンボや高跳びの棒などが保管されている。
 馬一では、三つの倉庫を使っている部活が分担して管理しているのだ。陸上部が管理を任されているのが、第三倉庫、三つの中で一番古くて小さい倉庫なのである。
「イタズラってなんなの?」
 皆藤が尋ねると、松村は困った顔で話し出した。
「第三倉庫さ、古すぎて鍵が壊れてるの知ってるでしょ。第一と第二はちゃんとした鍵ついてるのに、うちのは少しいじれば簡単に開いちゃう」
「知ってる。生徒会の意見箱でも、陸上部からの、倉庫を回収してほしいっていうお願いめっちゃ来るもんね」
「だからさ、陸上部じゃなくても誰でも簡単に入れちゃうわけ。そのせいで、最近めっちゃイタズラされるんだよ。ほら見て」
 松村はスマホを取り出して、写真を見せてきた。
「うわーひどいねー」
 皆藤は本当にそう思っているのかわからない声を上げながら、松村のスマホを覗き込んだ。
 全てのハードルが両足の高さを別々にされている。トンボの持ち手にアイドルやジャニーズの写真シールが貼られている。コーンを積み上げてコーンタワーを作っている……つもりなのだろうが崩れてコーンが散乱している。
「なんというか……幼稚だね」
「はは……ま、そうなんだよな」
 小さな子供がしているようなイタズラの数々を見て、二人は思わず苦笑いした。
「気にするなって言われたら確かにそうなんだけどさ、一応うちの部活の道具いじられてるわけだからいい気はしないんだよ」
「そりゃそうだよね」
「それに、ほぼ毎日、部活の準備の時にこうなってるわけだから、これを直すのに時間がかかって…。
 そろそろインターハイだってのに」
「そういえば、そうだったね」
 かつて陸上部にも体験に行った皆藤、だから今でも陸上部の女子友達に勧誘を受けるのである。体験初日から、短距離と長距離の両方で当時のエースの先輩に匹敵するタイムを叩き出したのだから当然だ。
 それはともかく、その陸上部の友達にインターハイが近々あることも聞いていたのである。もちろん、そのインターハイの中心メンバーとなるのは、松村と作間だ。
「大変だねぇ」
「そうなんだ。
 だから、最近は俺らも頑張っててさ、さっき作間が出てっただろ。あれは、第三倉庫の入り口のところの門番しに行ったんだと」
「門番?」
「そう。こんな時に面倒なんだけどさ、早く解決するに越したことはないってことになって、グループに分かれて毎日放課後、倉庫の入り口につきっきりで見てんだよ」
「大変だねぇ」
「ホントだよ。毎日五、六人抜けるわけだから、全然練習にならねえ。まいったよ」
 松村はそこで一旦話を区切ると、皆藤の顔を見た。文庫本片手に話を聞いていた皆藤は松村と顔が合ってビクッとする。
「……皆藤、話聞いてたか?」
「ん、あぁ、話ね、聞いてた聞いてた」
 本をしまって松村に向き直った皆藤。松村は呆れながら話し出した。
「とにかく、このままにしとくわけにはいかないから、今日の見張り当番のグループだった俺が、作間に俺の分の見張り頼んで、お前に頼んでるわけ」
「うん、なるほど、よくわかった」
「……手伝ってくれない?」
「……何を」
「何をって、犯人探しだよ」
 数秒沈黙。
「えぇえぇえ~~~」
 皆藤はまるで背骨が抜けたかのように体をふにゃふにゃと揺らして、拒絶の意思を示した。
「頼む、マジで頼む!」
 松村は手を擦り合わせて頼んだ。
「私、放課後は自由になりたいのよ」
「頼む、今回だけ!」
 訳のわからない理由で松村の頼みを交わす皆藤。それでも松村は頼み続けた。
「……」
「ホントに頼む、このままじゃインターハイがやばいんだよ」
 必死になって懇願する松村。
 流石の皆藤も、小さくため息をつくと、
「……わかった」
 と言った。

 翌日から、皆藤も陸上部の面々と一緒に倉庫の見回りをすることになった。毎日、松村か作間のどちらかがお供についたので、皆藤が一人だけになることはなかった。そして、いくつか質問しながら見回りすることができた。

 一日目は作間と一緒に見回りすることになった。
「ねえ、中見てもいい?」
「あ、いいよ」
 放課後一番に、皆藤は作間に頼んで倉庫の中に入れてもらった。現場の確認だ。
 三つの倉庫の中で唯一窓のない第三倉庫。やはり、湿気と埃、そして外の部活特有の土煙が充満している。
「なるほどね」
「なんかわかった?」
「汚いってこと」
「あっそ」
 作間がムッとして、目線を外の方に戻す。
「見終わったら電気も消しといてね」
 入り口付近に腰を下ろした作間が皆藤にいう。
「わかった」
 皆藤はそう答えて天井を見た。古い蛍光灯の電気がついてる。
 試しに電気を消してみる。
 窓がない倉庫内は真っ暗になった……のだが、うっすら外からの光の線が見える。
「何これ」
 皆藤は電気を消したまま、その光の線の出どころを見つけると、そこをスマホの光で照らす。
「これ……穴空いてるの?」
 皆藤はすぐに電気をつけて、穴が空いているところを見る。
 老朽化のせいだろうか、土壁の所々に小さく穴が空いている。定規を取り出して大きさを測ってみると、直径1㎝くらいだった。少し触れると、土がポロポロ落ちる。
「これは……流石に生徒会に修復工事を提案してみるか」
 皆藤は苦笑いしてつぶやいた。
 あたりを見回すと、陸上部が使う道具が所狭しとしまわれている。入り口から見て、右側にはコーンとトンボとハードル、左側には砲丸やメジャーなどの小物棚があった。
 そして、入り口から見て目の前にはマットが二つ壁に立てかけられていた。壁の左側には青い分厚いマットと、その右横には白い運動マットが並べられている。
「ねえ、このマット何に使うの?」
「青い方は高跳びの時の安全マットで、白い方は体力作りで上体起こしとかする時に使うんだよ」
 作間が振り向きざまに答えた。
「あっそう……」
 特に不自然なところは見当たらない。その日はそれだけで終わった。

 また数日後、この日は松村と一緒に倉庫の見張りについていた。
「それで、最近はどうなの?、被害の方は」
 皆藤は暇を持て余しながら、尋ねた。
「見張りのおかげでだいぶ減ったよ」
「ならいいけど」
 そりゃそうだ、放課後はずっと居座られているんだから、入りたくても入れないだろう。皆藤はそう思いながらも、口にはしなかった。
「でも、だいぶ減ったってことは、なくなってはいないの?」
「朝と昼が狙われるんだよ。
 基本、俺らって朝練とか昼練は部活としてやらないからさ、ちゃんと見張りってつけられないんだよ。特に朝なんかは早いから起きるのも大変だし」
「なるほどね」
 それくらい早く起きろよ……と言いたいのを皆藤は堪えた。
「そういえば、全然聞いてなかったけど、犯人に心当たりってあるの?」
「それは……まあな……」
 松村は苦笑いした。
「いそうな顔ね」
「いるよ。だって、俺たち、モテるじゃん?」
 松村が口角を上げて皆藤を見る。
「……」
 皆藤は氷点下三十度ほどの視線を松村に浴びせる。
「……無言はやめろよな」
 耐えきれなくなった松村が泣きそうな目をしてぼそっと呟く。
「……それで、本当のところ、心当たりはあるの?」
 茶番を終わらせて皆藤は再度尋ねた。
「あるよ。運動部はほとんど怪しいもんさ。
 こんなこと言うのはなんだけど、新人選とかで一番いい結果残してるのは今のところ陸上部だから、結構忖度されちゃってるんだよね。俺らは他とも仲良くやりたいから別にいいって言ってるんだけど、先生とか保護者会がね」
「あんたたちも大変だね」
「それだけじゃないよ。もしかすると文化部だって恨んでるかもしれん」
「どうして」
 松村は校庭の方を指差して「あれだよ」と言った。
 指先にある校庭、陸上部が活動している。そして、そのすぐ近くには、何人もの女子がウチワやタオルで武装している。
「なるほどね」
「そう、ありがたいけど、うるさいんだよね」
 武装女子の集団は陸上部のファンクラブなのである。もちろん、そのお目当ては松村と佐久間だ。
 松村と一緒にいるなんてバレたらとんでもない目に遭わされるんだろうなと戦々恐々としながら話を続ける。
「あれがうるさすぎて、近くで活動してる文化部からも恨まれてるってわけね」
「そういうこと。俺らのせいじゃないのにね」
 松村がやれやれというようにつぶやいた。
 その日も何も起きずに終わった。

 そして、何もない日が続いている中、その事件は起こった……。

 その日は、皆藤はクラスのことで用事があったために、遅れて松村と合流した。
 第三倉庫に行くと、松村と作間がいた。
「あ、そっか、今日は元から二人の当番だったっけ」
 皆藤が二人に声をかけながら近づいて行った時、皆藤の鼻を何かの匂いがくすぐった。
「ねえ、なんか変な匂いしない……?」
 これは……煙⁉︎
 なんだなんだと鼻をクンクンさせて周りを見回している松村と作間。
「……ねえ、あんたらタバコなんて吸ってないよね」
「吸うわけないだろ」
 松村がぶっきらぼうに答える。
 けれども微かだけど、皆藤の嗅覚は煙のような嫌な匂いを捉えている。
「まさか!」
 皆藤は走り出して、倉庫の裏側に回った。
「っておい!」
 松村が急いで立ち上がる。
「北斗はそこで待っとけ」
「あ、あぁ」
 作間に言って、皆藤の後を追う。
 倉庫の裏は木の茂みがあるだけで何もないが、人が隠れるスペースは十分にある。倉庫の入り口から回らなくても、校舎全体の隠された道や獣道(⁉︎)をよく把握していれば、いろんなところから倉庫裏にたどり着くことができる。
 しかも、日陰ということや建物の形などから、死角になりやすい場所なのである。
 鼻をつく煙の匂い。皆藤は万が一のことを恐れて倉庫の裏側へ回ったのだが……
「何もないじゃん」
 後から来た松村のいう通り、不審火などはなかった。
 しかし、その後すぐに松村はあたりをクンクンと嗅ぐと、「ほんとだ、臭う」とつぶやいた。
 皆藤も、明らかにさっきより煙の匂いが強くなっているのを感じていた。
「……もしかして、中?」
 松村の呟きを合図に、二人は入口に回り込む。
「どした、なんかあった?」
 走ってきた二人を見て作間があたふたする。
「中入るぞ」
 松村が扉を開けた。

 電気をつける。特に変わったことはない。もちろん火や煙も見当たらない。
 でも、確かに匂いは強くなっている。
「うわ、ほんとに匂う」
 作間もようやく匂いに気がついた。
 右側と左側に分かれて棚や道具を調べ始める松村と作間。皆藤は一人奥へと進んだ。
 そして……
「これだ」
 一番匂いが強いものを見つけた。それは、白いマットだった。
 皆藤の声で二人も寄ってくる。恐る恐る、皆藤はそのマットを広げた。
「これは……」
「ひでぇ……」
「……」
 真ん中で畳まれて、看板のように立てかけられていたマット。入り口から見ただけではわからない、壁側の方の面に、真っ黒でいびつな字で、決して人に言ってはいけない言葉が書かれていた。
「『シネ』」
 作間がその文字を読む。
 変にぼやけていて、色の濃いところと薄いところとがある不思議な文字で、そのカタカナ二つは書かれていた。
 少しの沈黙の後、皆藤がその文字に鼻を近づける。
「匂いの正体これだ。これ、ただの字じゃなくて、マットを焦がして書いたんだ」
 その文字とその周辺から煙のような匂いがしていたのである。皆藤がその文字を指でなぞると、指には真っ黒な炭のようなものが少しついた。
「何か、火みたいなのをマットに当てたってこと?」
「でもどうやって」
 作間は倉庫内を見回した。
「だって、その文字が書かれてたのは、ちょうど壁に面してたところだし。それに、入口は俺たちが見張ってた。一体どうやって、その文字を書いたんだ?」
 松村も、確かに、と唸る。
「これだよ」
 皆藤はマットが立てかけられていた壁を指差した。
 前にも確認したが、この倉庫は古いためにあちこちの土壁に穴が開いている。直径1㎝にも満たないほどの穴で、それがいくつもあるのだ。
「ここからだったら何かすることはできる。この壁の向こうは倉庫裏。もちろん入口にいた私たちからは見えないし、他の場所からも死角になりやすい」
「なるほど…」
「それで、その何かって何をしたの?」
 松村が感嘆の言葉を漏らし、作間は期待に溢れた目を輝かせて皆藤を見つめる。
「それは……わからん」
 皆藤は土壁の穴を一点に見つめながら言った。
「ま、そりゃそうだよな」
 松村もため息をついた。
「それより、犯人近くにいるかも! 探そう!」
 作間が今にも入り口を飛び出しそうな姿勢で言った。
「あ、あぁ」
 松村も、まだ考え込んでいる様子の皆藤も、作間に続いて入り口を飛び出した。

 簡単な振り分けの結果、皆藤は校庭の方へ抜け出る道を、松村は校舎の方へ抜け出る道を、作間は体育館の方へ抜け出る道を追うことにした。
 松村と作間はもちろん、皆藤も陸上部体験の時に先輩に認められるほどの脚力の持ち主である。犯人に追いつける可能性は大いにあった。

 皆藤は二人と分かれて、校庭の方へ抜ける道を走る。
 すると、正面に誰かの背中が見えた。男子のようだ。その背中も走っているようでなかなか追いつかない。ただ、怪我をしているようで右足を引きずっている。
「ちょっとそこの人!」
 皆藤が声をかける。
 一瞬ビクッとしてからその男子が振り向いた。

 松村もまた二人を分かれて、校舎の方へ抜ける道を走っていた。
 誰にも会わないまま、校舎の方へ飛び出した。
 その時、ガタンとガラス戸が閉まる音がした。音が聞こえてきた先にあったのは、第一理科室。
「もしかして、誰かが逃げてきたのか?」
 松村はそう考えて、理科室のガラス戸を開けた。
 部屋の中ではメガネをかけた白衣の男子が一人、松村を見て固まっていた。

 作間も体育館の方へ抜ける道を走るそして体育館の近くに出た。
 体育館からはバスケ部が活動している声が聞こえる。それ以外は人の気配はしない……と思っていると、校門へ歩いて向かう女子の後ろ姿を見つけた。
「あ、ちょっと君」
 その女子は大きめのキーホルダーを揺らしながら振り向くと、作間を見て焦りの表情を見せた。
「……ナンパじゃないですよ」
 作間はそう言っていた。

 皆藤たちは互いに連絡をとって、一人ずつ怪しい人を見つけたと話した。松村が出会った男子の好意で(というか松村の頼み込みで)理科室を借りられることになったため、そこに集まった。
「ったくなんだよ……」
 集まって早々に皆藤が出会った男子が愚痴を言い出した。
「皆さんの名前、教えてください」
 その男子を無視して、皆藤は堂々と言った。
 三人とも普段の学校生活の中でたまに見かける顔だ。それぞれ思い出して見ると、全員三年生だった気がする。
 皆藤がそんなことを考えている間、集められた三人は顔を見合わせていたが、たった一人の女子から話し出した。
「私は新谷理子。女バスの三年よ。今日は用事があったから部活を休んで帰るとこだったの」
 次に皆藤が出会った男子。
「俺は、加納大成。新谷と同じ三年のサッカー部だよ。今日はオフだから帰ろうとしたんだけど、昨日荷物置き場に水筒忘れたかもしれなくて、それ探しにきたんだよ」
 最後は松村が出会った、理科室を貸してくれた男子だ。
「ぼくは芹沢貞治。化学部部長だ。理科の方の〝科〟じゃないぞ、〝化〟ける方の化学だ。
 今日は部活は休みなんだけど、研究したいことがあったから、装置を使った実験をしていたんだよ」
 ガチガチ理系の芹沢に引き気味になりながら、作間が尋ねた。
「実験?」
「蒸留の発展研究だよ」
 作間の問いに、芹沢が後ろの机を指差しながら答えた。
 いくつかある化学器具に布がかぶせられていた。その中に一際大きな塊があって、フラスコのような形のものから枝が伸びたようになっている。あの形はおそらく……
「枝付きフラスコね」
 と新谷がぼそっとつぶやいた。
「ジョーリュー?」
「ばか、中学校で習っただろ。あの、枝付きフラスコを使うんだよ」
 馬鹿らしく聞き返す作間に、松村が突っ込む。
 蒸留。簡単にいえば、物質が気体に変わる温度(沸点)の違いを利用して、物質を分けることをいう。(実際にはもっとちゃんとした説明があるのでしょうが、作者は文系のため分かりません。お許しください。)
「枝付きフラスコってのは、フラスコからガラス管が伸びたやつだ」
「なるほど」
「わかったか」
 文系の松村も、おそらく作者と同じような説明をしたのだろうが、作間はそれで納得したようだ。
「蒸留の発展って?」
 松村が尋ねると、
「長くなるけど知りたい?」
 芹沢が意地悪く言った。「いや良いです……」と松村はちぢこまる。
「そんなことより」
 加納がイライラしながら話し出す。
「なんなんだよ、俺らをここに集めた理由は」
「僕だって、実験の続きを早くしたいんだ」
「そうよ。せっかく何もない放課後だったから、ゆっくりできると思ったのに
 放課後をゆっくりしたかったのは私も一緒だよ。皆藤はそう思いながら、松村たちと一緒に、事件について説明することにした。
「俺たち、陸上部なんだ」
「ヘェ~。どっかで見た顔だと思ったけど……あ、そうだ。大会進出、おめでとう」
 松村の名乗りに、加納がどこか嫌味を含んだ言い方をした。
「ホントおめでたい。私たちの活動場所の体育館だって、喜んで貸し出しますよ」
 新谷も加納と同じ、卑屈感たっぷりの言い方をした。
「よく聞いてるよ。君たちの活躍と、実験や研究の邪魔になるほどうるさい女子たちの声をね」
 芹沢は嫌味というよりかは、イライラしながら言った。
 そんな他部活からの圧に縮こまりながら、松村と作間は話出した。
「そうなんですけど……最近、陸上部が管理してる第三倉庫がイタズラされるようになって……」
「これまでは、ハードルいじるとか物入れ替えるとか、小さなイタズラだったんですけど、ついさっき、流石にやばいことが起きちゃって」
「やばいこと?」と加納。
「倉庫にあったマットにイタズラされたんです。しかも、火を使って」
「火⁉︎」
 松村の言葉に、三人が誰ともなく驚きの声をあげた。
「見張りをしていたら、少し焦げ臭い匂いがしたんです。それで、倉庫の裏に回っても何もなかったんですけど、倉庫の中に入ってみたら、マットの後ろに黒い文字で死ねって書かれてて。
 どうやら、火気のあるものを当てて、焦げた部分で文字を書いたようなんです」
 皆藤が続けて説明した。
「……」
 加納たちはお互いに顔を見合わせている。それもそうだ、ついさっき陸上部を妬んでいるような物言いをしてしまったのだから、疑われると思ったのだろう。
 少し沈黙があった後、
「ということは、だ」
 芹沢が立ち上がって、ホワイトボードの方へツカツカと歩いていった。
「この事件はまさに、陸上部イタズラ事件!」
 芹沢はそう堂々と題したその名前をホワイトボードに書き出した。
 そのまんまじゃん……。皆藤はそう思ったが、どうやら芹沢は警察の捜査会議のような雰囲気にしたいらしい。自分はそのリーダーとなる捜査一課長!とでも考えているのだろう。
 しかし、それに乗ったのが松村と作間だった。
「その通りです!」
「芹沢先輩!」
 馬鹿らしい……と顔をしかめる、皆藤・加納・新谷の三名。
 しかし調子に乗り始めた、芹沢・松村・作間は止まらない。
「現場は第三倉庫の中だったな」
 芹沢はそう言ってホワイトボードに『第三倉庫内』と書いた。
「そうです」と答える松村。
 芹沢はそのまま、
「マットの裏にその文字は書かれていたんだったな」
 と長方形を二つかいた。
「そうです」とお次は作間。
「そのマットに死ねと書かれていた」
「右の方です」
 松村の言葉で芹沢は二つのうち右側に、『シネ』と書き込んだ。
「君たち陸上部のマットに、こんな不謹慎な文字を書いた犯人がこの中、つまり、加納くんと新谷くんのどちらかにいると言うことだな」
 芹沢がそう二人を指差した瞬間に、
「冗談じゃねえよ」
 と加納が怒鳴った。
「どうして、俺たちの中に犯人がいるんだよ」
「だってそうだろ。僕は犯人じゃないんだ」
「私だって知らないわよ」
「そうは言ったって、事件の後すぐに追った結果、僕たちを見つけたと言っていたじゃないか。そこの陸上部と……君は?」
 今にも白熱しそうな雰囲気で、芹沢がふと気づいたと言うように皆藤を見て尋ねた。
「あ、私は、陸上部じゃないんですけど…お手伝いです」
「部活入ってないんすよ」
 皆藤が答えると、松村が付け足した。
「陸上部じゃないって……俺を追いかけてた時の速さ半端なかったぞ。俺てっきり、陸上部の女子のエースに追いかけられてんのかと思ってたよ」
 加納も興奮が急激に冷めたようで、皆藤を見ながら言った。
「あ、ありがとうございます」
 褒められたような気分になって少し嬉しくなった皆藤がそう言ったところ、
「もしかして、あなたが〝部活殺し〟?」
 と新谷がつぶやいた。
 それと同時に、
「部活殺し⁉︎」「君がか!」
 と加納と芹沢も驚きの声を上げた。
「部、部活殺し? なんですか、それ」
 皆藤が恐る恐る尋ねる。答えたのは新谷だった。
「あら知らない? 去年の五月ごろ、ちょうど部活体験の頃に現れたって噂の生徒よ。いろんな部活の体験に顔を出しては恐るべき能力を発揮して、当時の先輩たちを恐怖の底に落とした、伝説の新入生よ。
 運動部を体験させたら外の方も中の方も両方軽々こなし、文化部を体験させたって音楽・美術・書道すべてを鮮やかにこなす。
 当時の先輩たち、要するにちょうど私たちの代は、その新入生が入ったら自分達が負けてしまうんじゃないかってビクビクしてたのよ」
「だから〝部活殺し〟……」
 作間の呟きに、そう、と頷いて新谷は続けた。
「部活殺しという異名はそれから付けられたの。そしてすぐに私たちの学年に広まった。
 私はその時期にちょうど体を壊して部活から離れてたから実際に会ったことはなかったんだけどね。
 去年新入生で、今年はその噂は聞かないってことは、君たち今の二年生の誰かだと思ってたけど……。
 サッカー部の加納くんを唸らせる足を持ちながら、部活に所属してないあたり、どうやらあなたが〝部活殺し〟だったようね。皆藤天音さん」
 新谷が皆藤の胸の名札を指した。彼女の射るような視線と共に、加納と芹沢の驚愕の視線が皆藤に集中する。
 皆藤はタジタジしながらも、
「それは今は関係ないです」
 となんとか言い切った。
 皆藤は自分に集まる視線を振り切るように、三人の鞄を指差すと、
「持っているものを確認しても良いですか」
 そう皆藤が言うと、三人とも少なからず焦りの表情を見せた。
「どうして私たちが」
「陸上部の部品が傷付けられたんです。これは学校として大問題だし、もしかすると器物損壊の犯罪になりうるんです。ちゃんと確認させてください」
 あくまで強気の新谷に、皆藤も対抗する。
「火をつけられるものを持ってるやつが犯人だからな」
 作間が、犯人の正体はもう掴んだとばかりに言葉を投げかける。
 三人はそれぞれ躊躇していたが、皆藤が無言の圧をかけ続けているとそれに屈して、それぞれバッグなどを漁り始めた。
 一応、皆藤は二年生だから、三人とも皆藤より先輩のはずなのだが……。

 しかし数十秒後、三人が持っていたものを全て出し終えたところで、皆藤たちに驚きが走る。「火をつけられるものを持ってるやつが犯人」と言っていた作間も、言葉を無くした。
 三人とも、火をつけられるものを持っていたのだから、当然である……。

「これはチャッカマンですよね、加納さん」
 加納が持っていたのは市販のチャッカマン。よく見かける赤い斜線の入ったもので、持ち手から炎が出る口まではおよそ10㎝といったところだろうか。
「どうしてこれを」
 松村が怪しげな目線を向けて尋ねると、加納は焦って口を動かし出した。
「違う、別にこれは変なことに使うために買ったんじゃない。間違えて持ってきちまったんだよ」
 加納は「間違えて」を強調した。
「間違えてって、何を間違えるのよ」
 皆藤の追撃に、加納はタジタジしながらも話し出す。
「この前、部活仲間とキャンプ行った時に、このバッグ使ったんだよ。キャンプで花火やったから、その花火と道具をこのバッグに入れてたんだけどさ、その時チャッカマン入れてたの忘れて、そのまま今日持ってきちまったんだよ。
 ほんとだよ、嘘じゃない」
 加納の話は一応筋は通っている。
「なるほどね」
 しかしそれでもチャッカマンを高校に持ち込むのは校則に違反している。のだが、今日だけは見逃すことにして次へ移った。

「これは線香とライターですよね、新谷さん」
 新谷が持っていたのは市販の100円ライターと、あの太平師匠がCMソングを歌う青い雲の線香。
「私も、別に変なことに使おうとしたわけじゃないわ」
 新谷は毅然とした態度で話し始めた。
「実は明日、親戚の法事があるのよ。それで、うちからも一応線香だけは持っていこうってことになったんだけど、家族全員買う時間がないって言うから、仕方なく私が買ったの。放課後は図書館行きたいから、朝のうちに買ってそのままカバンに入れてただけよ」
 新谷の話もまた筋は通っている。しかし……
「どうして、ライターまで買ったんですか? 線香だけでもよかったんじゃないんですか」
 作間が珍しく的を射た質問をすると、初めて新谷がドキッとした様子を見せた。
「それは……一応よ一応。うちのお母さんおっちょこちょいだから、線香買ったのにうちにライターがなかったなんてなったら大変でしょ」
 皆藤たちはその答えに、とりあえず納得の意を表し、次に移ることにした。

「芹沢さんはマッチですね」
 芹沢が持っていたのはマッチ。化学の実験などで皆藤たちもよく使う、至って普通のものだった。
「当たり前。実験をしていたといっただろう。アルコールランプに火をつけるためのマッチだよ」
 芹沢は堂々と言って、理科室の教卓の上を指差した。
「ついさっき、君たちに邪魔されるまで、あそこで実験してたんだから」
 教卓の上にはさっきも見た、布で覆われた化学器具がある。
「なるほどね」
 皆藤はそう呟いた。

 皆藤たちはとりあえず、三人ともが火をつけられるものを持っているということはわかった。

「どうやって、あんなことをしたんだろう……」
 ぼーっと作間の呟きに、皆藤も何も答えられなかった。
 今も目の前には、皆藤たちを悩ませている理由である、容疑のかかった三人の荷物が広がっている。
 加納の荷物は、問題のチャッカマン以外に、汗拭きシート、ユニフォーム、替えの下着、ビニール袋二枚、水筒(中身はスポーツ飲料)、そして包帯とその固定用テープだった。
「そういえば、加納さん」
 皆藤に話しかけられて目に見えてビクッとする加納。
「なんだよ」
「走ってる時足痛めてるように見えたんですけど、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ、この前の試合で痛めちゃって、それで今も治療してるんだよ」
「包帯持ってるのに、今は包帯してないみたいですね」
「さっき外したばかりだから」
「外した包帯はどうしたんですか?」
「それは、どこかのゴミ箱に捨てたんだよ」
 加納が少し面倒くさそうに言う。
「そうですか」
 皆藤はそこまでにして、次の荷物に目を向けた。
 新谷の荷物は、問題の線香とライター以外に、カ○リーメイト(入ってるやつと空き箱)、化粧道具ポーチ(中身は至って普通)、イヤホンとコード、文庫本、缶コーヒーの飲みかけだった。
「あ、かわいいですね」
 皆藤が新谷のカバンについているキーホルダーを揺らす。今流行りのキャラクターの、手のひらサイズのぬいぐるみだった。
「かわいいでしょ。友達からのプレゼントなの」
「いいですね……ん?」
 見回していると、ぬいぐるみの上部にステッキ状の付属品がチェーンで繋がっていた。
「これは?」
「その子が使うステッキなの。見てみればわかるよ」
「そうですか」
 皆藤はそこまでにして、最後の荷物に目を向けた。
 芹沢の荷物は、問題のマッチ以外に、教科書・ノート十数冊、参考書・ワーク数冊、なんの変哲もない(面白みもない)筆箱、ペットボトルの天然水、図書館で借りたという図鑑だった。
「……はあ、なんというか……」
「何だよ」
 つまんない、と言いそうになった皆藤を、芹沢がきっと睨む。
「いや、勉強熱心ですね」
「当たり前だ。受験生だぞ」
「そうですよね、はは」
 ころんと筆箱の中からペンが数本転げ落ちる。
「あ、それ知ってる!」
 松村が声を上げた。
「めっちゃ書きやすいやつですよね、ちょっとお高いやつ」
「よく知ってるじゃないか」
「友達も持ってるんすよ。形もシャープでめっちゃかっこいいし、芯も折れにくいし。いいな~」
 松村に褒められて芹沢も悪い気はしないらしい。
 そんな様子を見つめながら、皆藤は今一度事件のことを考えることにした。

 火のついたもので焦がして書かれた黒い文字。おそらくそこから書いたと思われる、倉庫の壁にある数々の小さい穴。
 それぞれ、チャッカマン、線香とライター、マッチ、を持っていた三人の生徒たち。
 犯人はこの中にいると思うのだが、一体どうやって……

「だからさー、俺らは何もやってねえって」
 加納がそう言い出した。
「なんでそう言えるんですか」
「だって、俺らには不可能だからな」
 松村の問いに、加納が自信満々に言うと、新谷と芹沢も頷いた。
「もう一度、倉庫の壁の穴について教えてよ」
「直径一センチくらいの穴が、あちこちに」
「だろ?」
 作間の答えを聞くと、加納はチャッカマンを手に取った。
「このチャッカマンじゃ、その穴に入らないんじゃないか? 見たところ、火の出るところはちょうど一センチくらいだぜ。
 壁がそんなに脆いんだったら、このチャッカマンを押し込もうとしたら壁が崩れちまうだろ」
「確かに……」
 松村が呟く。その場のみんなも納得という顔をしていた。
「でもな、チャッカマンじゃ入らないけど、マッチとか線香だったら入りそうじゃないか」
 加納はニヤリと笑いながら、新谷と芹沢の方を見た。
「冗談じゃない」「冗談じゃないわよ」
 二人がほぼ同時に叫ぶ。顔を見合わせた末に、芹沢から弁論することになったようだ。芹沢はマッチ箱からマッチを一本取り出した。
「マッチだと短すぎるだろう。見てみろ、せいぜい6センチと言ったところだ。これじゃ、火がついたらすぐに燃え尽きてしまう。そんなことくらい、使ったことがあるなら分かるだろ。
 短くなるまで使ったとしても、火傷なしにはそんなことできないだろう」
「確かに……」
 また松村が呟く。しかし、確かに芹沢の体に火傷は見受けられない。ということは、芹沢の言うことも確かだと言うことだ。
「じゃあ……」
「違うって」
 作間が疑いの目を新谷に向けると、新谷はすぐに言い返した。
「線香だって無理よ。確かに長くて穴にも簡単に入るだろうけど、柔らかすぎるでしょ。ちょっと力込めたらポキポキ折れちゃうなんて、危なくてしょうがない。
 第一、線香だと匂いが残っちゃうじゃない。あの特徴的な匂いに気づかないわけある?、ないでしょ」
「確かに……」
 またまた松村が呟く。確かに、一同は納得したのだが……
「誰にも無理ってこと?」
 作間が不安そうに言った。加納たち三人がそれを聞き取って、うんうんと頷く。
 皆藤も一連のことは聞いていた。三人とも火がつけられるものは持っているのだが、それを使って、直径1センチ程度の穴からマットを焦がして文字を書くことができないのだ。
 皆藤は一人、今いる理科室を歩き回り始めた。

 「早く帰せ」との加納の声を皮切りに、新谷と芹沢も文句を言い出すのが聞こえる。松村と作間が懸命にそれを止めてくれている。
 皆藤も、そろそろタイムリミットだとわかっていた。三人も我慢していられないだろう。
 やいのやいのと騒ぐ三人。少し日が落ちて、オレンジがかってきた外の景色。それを見て皆藤はふと物思いにふける。
……憂鬱だ。
……どうしてこんなことになったのだろう。
……そうだ。陸上部の依頼を受けてしまったからだ。
……あの時断っていれば、今日の今頃は、うちでゆっくり……
 皆藤はそんな思いを巡らせながら、理科室内の三人とその荷物をみる。
……ん?
 その時、ふと皆藤の目に止まったものがあった。今この理科室に残された、明かな不自然。それが、皆藤の脳をしっかり掴んで離さなかった。

 途端に髪の毛が逆立ち、極限の興奮状態に突入する皆藤。
……憂鬱? そんなことない。これも立派な〝謎〟じゃん!
 極限状態の皆藤の頭の中で、考えが巡る巡る。すでに、直感で〝ある人物〟を犯人と見抜いていた。
……多分、犯人は〝あの人〟。だとすると、トリックは……
 皆藤の頭の中で、一つのトリックが浮かんだ。
……あれならいける!
 皆藤は浮かび上がったその仮説を、スマホを巧みに操って、見事に証明してみせた。
……金田一少年よ、あの名台詞を貸してくれ!
 権利的関係を気にして一応一言謝ると、皆藤は次こそ自信を持って、その一言を繰り出した。
……謎は全て解けた‼︎

「……おい、皆藤、何かわかった?」
 心配になった松村が、三人の相手を作間に任せて、皆藤に耳打ちしてきた。
「もうそろそろ帰さないと……ただでさえ陸上部は反感買ってるんだから、これ以上喧嘩の種を増やすのは」
「大丈夫」
 松村がハッと驚く。
「全部わかったよ」
 今度は目を輝かせる松村。わかりやすい男だ。
 皆藤は騒いでいる三人の方に向き直ると、深呼吸をして、
「さ、始めよう」
 皆藤は、師匠(と勝手に呼んでいる)路地黒雄に似た特徴的な笑み……右の口角だけあげ右目だけを細める……を浮かべていた。

「全てわかりました」
 そう高らかに宣言した皆藤に、加納たちの視線が釘付けになる。
「犯人の正体も、どうやってあの黒文字を書いたのかも」
「マジで⁉︎」
 加納が一瞬にして黙る。
「面白い」
 芹沢も一言そう言って静かになった。
「聞いて見ようじゃない…〝部活殺し〟の謎解き」
 新谷はニヤリと笑った。
 その隣では、松村と作間が並んで皆藤を見つめている。
 その様子を一瞥してから、皆藤は話し始めた。

「まず、私たちは前提条件からして間違っていたんです」
「どう言うことだ」
 松村が声を上げた。皆藤はそれを頷きながら見てから話を続ける。
「確かにあの黒文字は焦がして書いてありました。それで私たちは、火を使ってあの文字を書いたと思いました」
「当たり前だろ、焦げてんだから」と作間。
「私も初めはそう思ってたの。だから、チャッカマンを持ってた加納さん、ライターを持ってた新谷さん、マッチを持ってた芹沢さん、が怪しいと思った。
 けど、違ったんだよ」
 皆藤は、主に松村と作間に語りかけるように言った。そして、視線を加納たちの方に戻すと、
「火じゃない、別なもので焦がしたんだよ」
 と言った。
「火じゃない⁉︎」
 声を上げたのは松村だったが、加納たち三人の中にも驚きの表情が見られた。

「そう、あるものを火の代わりに使って、マットを焦がしたんです。
 ……そうですよね、芹沢さん」

 皆藤の視線が、芹沢のこちらを伺うような視線とぶつかる。
「えっ!」「嘘⁉︎」
 理科室にいる全員の注目も芹沢に集まる。
「……」
 それでも芹沢は、この理科室を支配する絶対王者のように、顔を崩すことなくことの成り行きを見守っている。 ……捜査一課もどきの時もそうだったが、相当な演技派らしい。
「何も言わずに認めるつもりですか?」
「そんなことするわけないだろう。
 一体、どれだけ馬鹿げた推理をひっさげてそんなことを言い出したのか、聞いてやろうとしているんじゃないか」
 あくまで自分でないと言い張る様子の芹沢に、松村と作間は心配そうにして、加納と新谷もどうなることかと皆藤と芹沢を交互に見ている。
 そんな中でも、皆藤は怯むことなく話を続けた。
「それじゃあ、芹沢さんの使ったトリックを説明していきましょう。
 使うのは…」
 皆藤は芹沢の荷物を通り抜け、背後の実験装置の方に立った。
「これらの、蒸留の実験装置です。
 いや、正確に言うと、蒸留の実験装置に〝似たもの〟かな」
 芹沢以外の面々に困惑の表情が浮かぶ中で、皆藤はかかっていた布をとった。
 
 至って普通の化学器具。アルコールランプにビーカーに、容器に入れられた沸騰石や、マッチの燃えカス入れなどなど……。
 しかし、その中に、蒸留の実験装置として不自然なものが一つだけ紛れていた。
「これ……、枝付きフラスコじゃない」
 加納が驚く。
 布がかけられていた時、確かにフラスコから枝が伸びているような形をしたものが見えた。だけど、その布が外された今、そこにあるのは枝付きフラスコなんかではなかった。
 フラスコから伸びていたのはガラス管に似ても似つかない、金属でできた管だった。ジェットコースターのように途中で数回巻かれている。
「これ、確か……」
「新谷さんは気づいたようですね。
 そう、これは〝加熱蒸気実験器〟です」
 芹沢の顔に若干の曇りが見えた。
「加熱蒸気……。なんかの本で読んだことあるわ。水を沸騰させてできた蒸気を、さらに加熱するための道具ね」
 新谷の説明で、その場の全員もその器具の使い道をおおまかに把握した。
「説明ありがとうございます。
 新谷さんの言う通りです。このフラスコの部分に水を入れて普通に加熱すると、もちろん沸騰して蒸気になります。その蒸気が、この金属の管から出てくるのですが、この管が巻かれている部分を熱すると、その蒸気を加熱することができるんです。
 芹沢さんはこれを使ったんですよね」
「じゃあ、マットを焦がしたのって……」と加納。
「そう……」
 皆藤は改めて芹沢を見ると、堂々と言った。
「水で焼いたんです」

「文句つけるようで申し訳ないけど、水で焼くなんてことできるのか?」
 作間が不安そうに聞いた。
「じゃあ、やってみようか。
 いいですよね、芹沢さん」
「……あぁ。化学部の僕がいるからな」
 芹沢は素直に、皆藤の提案を許した。
「まず下準備」
 皆藤は実験の準備を始めた。
 ガスコンロにボンベを装着して火をつける。
 松村が水を入れてくれた過熱蒸気実験器に、金属の管がついた蓋をしっかり装着する。新谷が指摘してくれて、沸騰石もちゃんと入れた。
 そして水が沸騰すると、金属の管の先から白い水蒸気が見え始めた。作間がアルコールランプに火をつける。あわや火傷しそうになったところで、加納が水の入った燃えかす入れを差し出してくれたことで、ことなきを得た。
 作間からアルコールランプを受け取った皆藤はそれを、管の巻かれた部分に近づけた。
「これが、蒸気を加熱した状態。そして、今管から出ているのが、過熱水蒸気です」
 「おぉ」と全員の口から簡単の声が漏れる。
 芹沢は一人、目を逸らしてその様子を見ていた。
「さぁやってみよう。ものを、水で焼くんだ」
 皆藤はそう宣言すると、まずマッチを取り出した。
「みんな知ってます? マッチって着火する時の温度って大体決まってるんです。発火点って言うんですけど、マッチの発火点はおよそ200度」
「つまり、200度あれば、マッチを着火できる」
 加納が言うと、皆藤が「その通り」と答えた。
「そして、そのマッチをこの過熱水蒸気に近づけると」
 皆藤がマッチの先端を、金属の管の先に近づけた時、
〝シュボッ〟
 マッチの火がついた。
「ついた!」
 松村たちが驚いている中、皆藤はマッチの火を消してちゃんと処理した。
「この通り、水蒸気は100度であるはずなのに、加熱することで、200度近くの蒸気に変わるんです。
 そして、これは……」
 皆藤は理科室に一枚あった要らなそうなプリントを手に取って、金属の管に近づける。
「紙を焦がすこともできる……」
 ニヤリと微笑む皆藤。その手に持った白いプリントに、過熱水蒸気が黒い焦げ跡を残した。
「焦げた……」
 その場にいる全員……芹沢以外は驚いている。芹沢の口から舌打ちが聞こえたような気がした。
 皆藤は続ける。
「ほら、こうやって水蒸気を加熱すれば、水で焼くことができるんです。芹沢さんは、このことを利用したんですね」
 皆藤はそこでアルコールランプの火を消し、装置を机に置いた。
「この管は直径5ミリくらい。1センチの穴なんて余裕です。
 それに、長さもちゃんとあるし、金属ですから折れる心配もない。
 あの穴から、焦がして文字を書くための道具には、もってこいです」
 芹沢が俯く。
「芹沢さんは、これらの装置を持って倉庫の裏に回った。そして、こっそりガスコンロで水を沸騰させて、防熱手袋かなんかをうまく使ってそれを持ち上げ、管を穴に差し込み、壁の外から管を加熱した。
 アルコールランプだったら片手で持てるから、加熱も簡単だったはずです。
 蒸気が出ている間に、うまくこの過熱蒸気実験器を操って、マットを焦がして文字を書いたんです。紙をあんなふうに焦がせる過熱水蒸気ですから、マットを焦がすことも簡単だったでしょう。
 ガスコンロは持ち運びが難しいから、蒸気が出てるうちにマットを焦がして、蒸気が弱まってきたらまたガスコンロで沸騰させて……。これを繰り返して、あの文字を書いたんです」
 皆藤は説明に合わせて、過熱蒸気実験器の管の部分に蓋がされたアルコールランプをあてがいながら、それを動かしてみせた。
「おそらく持ち物にあったマッチは、その時使ったものをしまいわすれたもの。
 そして、もし過熱蒸気実験器が見られたら勘のいい人には気づかれてしまうと思って、布をかけて形が似ていた枝付きフラスコだと思わせて、『蒸留の実験をしていた』と言ったんですよね。
 過熱蒸気実験器とアルコールランプ以外は使う実験器具も同じだったから、芹沢さんにとっては都合がよかったでしょうね」
 そこまで話して、皆藤は一旦区切って芹沢の様子を見た。
 芹沢はふっと顔をあげて、作り笑いを浮かべた。
「びっくりしたよ。君が、過熱水蒸気のことを知っていたとはね。何かで知ったのかな?」
「最近のレンジやオーブンは、この過熱水蒸気の原理を使ったものが多い。よく、美味しい料理ができると話を聞くから、パッと思いついたんですよ」
「なるほど。電化も侮れないってことだな」
 芹沢がそう言ったところで、
「あんたがマットを焦がしたのか!」
 と松村が声を上げた。
 しかし、芹沢はその様子を一瞥すると、
「まだ認めてないさ。僕にできると言うことが証明されただけ。
 まだ、僕がやったと言う証明はされてないよ」
「くっ……」
 苦虫を噛み潰したような顔をする松村。
「まだまだ、QEDで閉じるには早いようだね」
 嫌な笑顔を浮かべる芹沢。その顔を、再び無に変えたのは、
「証拠はありますよ」
 との皆藤の一言だった。

「証拠?」
「そう。明らかに不自然なことを、あなたはしていたんです」
 芹沢の声が震えている。皆藤は気にせず続けた。
「マッサクの二人に事件内容を聞いたとき、あなた、ホワイトボードに現場のことをまとめてましたね」
「それが何……」
 芹沢は何か気づいたようだ。しかし弁明できる余地があると見たのか、すぐいやらしい笑顔に戻った。
「もしかして、マットのことかい? 僕がマットの絵を簡単に描いたから、それは犯人しか知り得ないはず、と言って糾弾するつもりなのかい?
 残念だが、それはできない。以前部活紹介で倉庫内の写真を見たことがあってね、それで青と白のマットが二枚あることは知っていたんだ。これはみんなも知っているはずだよ。
 それに、ちゃんとどちらに文字が書かれていたのか、僕は二人に確認を取ったはずだ。そうだろ」
 芹沢に急に振られて、おどおどしながら頷く松村と作間。
「何も不自然じゃない。やっぱり証拠なんて…」
「マットじゃなくて、文字ですよ」
 皆藤は淡々と告げた。
「文字?」
「あの時、あなたはマットに似せた四角形に、カタカナで『シネ』と文字を書き入れた。それは確かですよね」
「あぁそうだよ。そう書かれていたと聞いたからね」
「それが不自然なんですよ」
「何がだって、何が不自然なんだよ」
 芹沢の声が高くなる。焦りが見え始める。
「何も不自然じゃ……」
 芹沢が固まった。
「ようやく気づきましたか。
 確かにあの時マッサクは、死ねと書かれていたと言いました。
 けれど、どんな表記で書かれていたかは、一度も口にしていなかったんですよ。
 そう、カタカナで『シネ』と書かれていたなんて、誰も言ってないんです」
 一同にも沈黙が走る。
 読者の諸君は読み返していただければわかることだが、松村と作間は「死ねと書かれていた」とは言ったが、「カタカナで『シネ』と書かれていた」とは言っていない。
 芹沢はもう何も言えなかった。
「良くないことだけど、この世の中に『死ね』と言う言葉の表記方法はたくさんある。
 今回書かれていたカタカナもそうだし、ひらがなだってあり得る。ローマ字もあり得るし、漢字を変えて書くこともあり得る。
 あのトリックの書きづらさを考慮しても、たったの二文字だからどれも難易度は同じくらい。
 その無数の表記方法から、たった一つ、確認もせずにカタカナだと決められるのは、発見者のわたしたちともう一人。
 犯人しかあり得ないんですよ」
 芹沢の吐息が震える。
 陸上部を騒がせた犯人の、静かな敗北宣言だった。


 数日後。放課後の、皆藤たちの教室。
 皆藤へのお礼も含めて、とマッサクたちが貢物(大量のお菓子)を担いで事後報告にやってきた。
「で、どうなったの?」
 貢物を全て受け取った皆藤が二人に尋ねた。
「それが……」
 二人の話によると、芹沢は厳重注意で済んだらしい。ただ、化学部の器具の管理には先生が介入することになり、今回のような持ち出しは簡単にできなくなったそうだ。また、芹沢自身はマットの弁償を求められ、素直に応じたらしい。 
 厳重注意で済んだ理由としては、陸上部ファンの声による化学部部長としてのストレスが相当なものだっただろう、と認められたからだった。それによって、陸上部の過激なファンたちも取り締まられることになりそうだと言う。
「ま、一件落着かな」
「今回の件で、第三倉庫の修復も検討するらしいし、マイナスにはならなそうだ」
 マッサクが胸を撫で下ろす。
「よかったね」
 皆藤が微笑むと、マッサクも嬉しそうに、
「ほんっと、お前のおかげだ。サンキューな」
「流石の推理だったぜ」
 二人の感謝を素直に受けとめて、皆藤は思った。

……これで、しばらく続いた放課後見張りともお別れだ。
……当分はゆっくりした放課後を……

「そー言えば」
 作間が話し始めた。
「サッカー部の友達が、皆藤のお知恵を借りたいとか言ってたぜ」
「へっ⁉︎」
「なんかあったらしい。確か、真夜中に一人でに転がるボールの謎を暴いてほしい、とかって」
 作間が皆藤の方を見ると、そこにはもういない。
「あれ?」
「あそこあそこ」
 松村が呆れながら指差す方向……窓から見える昇降口付近には、大量のお菓子を抱えて今にも帰ろうとする皆藤の姿があった。
「はっや。どうしよ、そいつに話しつけといてほしいって言われたんだけど」
「大丈夫。なんだかんだ言って優しい皆藤のことだ。どうせその依頼も、受けることになるだろうよ」
「ま、そうだな」
 松村と作間が顔を見合わせて笑う。

 いそいそと帰ろうとする皆藤。
「あれ、皆藤?」
 サッカー部の知り合いの女子マネージャーの声が聞こえた。
「あ、どうしたの……」
「作間から聞いてない? 頼みたいことがあるって」
「知らない‼︎」
「ちょっと!」
 走り出す皆藤。それを追う女子マネージャー。
「もう放課後はゆっくりしたいのーー‼︎」
「ちょっと、天音~……足はっや……とにかく話だけでいいから‼︎」
「もう~~」
 圧倒的なスピードで女子マネージャーを離していたのに、だんだんとスピードが落ちていく皆藤。
 放課後はゆっくり過ごしたいと思う反面、謎を解きたいと言う興味心もある……。
 結局、わざとスピードを落として女子マネージャーに捕まった皆藤。
「さ、話を聞いて」
「もう~~」
 二人で肩を並べて空き教室へ向かうさながら、皆藤は思った。
 

 皆藤天音の憂鬱な放課後は、終わることを知らないのかもしれない……。
 
了                        
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