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episode.12「もう失いたくなくて」
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ジレル中尉は辺りに散らばった屈強な男達を見ると、不思議そうに言う。
「これは……まさかナスカくんが一人で?」
ナスカはさすがにそこまで凶暴ではない。
「いえ、私がやっつけたのは一人だけで。他は全部エアハルトさんです」
ジレル中尉は静かに視線をエアハルトに向けてから、「これが?」とでも言いたそうにナスカに視線を戻す。エアハルトは瞳を閉じて死んだように動かない。信じられないのも無理はないか。
「死んだのか?」
「死んでません! そんなこと、言わないで下さいっ!」
ナスカが注意すると彼は「やたら元気だな」とよく分からない文章を返した。
「それより、こんなところで安心していていいのか?まだ敵陣の真っ只中だ」
「そうですね。そろそろ行かないと。もう襲われるのはごめんです」
ナスカは立ち上がり、足についた砂を払うと、エアハルトを起こそうと声をかけてみる。
「エアハルトさん、聞こえますか? 起きて下さい」
まったく反応が無いので、ナスカは彼の両腕をしっかり掴み引っ張ってみる。しかし、少女一人が意識不明の成人男性を動かすのは、かなりの重労働であった。
「うーん、うーん」
物凄く少しずつ引き摺るのがやっとだ。ナスカが困っているのに気付いたジレル中尉は、急にいつになく大きな声で叫ぶ。
「大変だ! ナスカくんが!」
「ジレル中尉、一体何を?」
するとエアハルトの指がぴくっと動いた。
「エアハルト……さん?」
不思議なことにエアハルトの目がぱちりと開く。むくっと上半身を起こすとナスカと目が合い、きょとんとする。
「あれ、ナスカ?」
エアハルトはきょろきょろしてから再びナスカを見る。
「……おかしいな」
「何が?」
「いや、何か聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな? ごめん、忘れて」
ナスカはニヤッと笑ってジレル中尉に目をやる。彼は何事も無かったかのような顔をした。
「エアハルトさんには私の機体に乗っていただきます。その体で運転は難しいでしょう?」
「ナスカがそう言うならそうなのかも。やっぱり敵陣で無理はしない方が確実だよね。あ、でも僕の機体はどうなる? あれ研究されたら困るんだけど……」
「それはジレル中尉が」
するとエアハルトは怪訝な顔でジレル中尉を凝視する。そしてみるみる不穏な空気になる。
「壊さないで下さいよ」
「今のお前よりかはましだ」
エアハルトとジレル中尉は急激に嫌な雰囲気になり、睨み合い火花が散った。
「僕の愛機ですから、本来は僕が乗るのが相応しいのですけどね」
「案ずるな。私とて素人ではない」
「怖いのに無理することはありませんよ。僕が乗って差し上げましょうか?」
「可愛くないな。そんな体の状態で操縦できると思っているのか」
ナスカは疲れた。二人共不器用だからこんなことになるのだろうな、とナスカは思った。両方が意地を張って一歩も退かない。
「やればできる!」
「傷を軽く見すぎだ。満足に歩けもしないくせに強がるな」
「侮辱しないで下さい!」
「心配してやっているのだが」
ジレル中尉は嫌味たっぷりに溜め息をついた。
ナスカは苛立っているエアハルトの肩をぽんと叩く。
「落ち着いて下さい、ジレル中尉の言う通りです。無理は禁物ですよ」
エアハルトは溜め息を漏らしてから、微笑を浮かべた。
「あー……それもそっか」
ナスカの腕を持って腰を上げると彼はじとっとジレル中尉の方に目をやり、嫌味っぽく「ナスカに心配かけたくないからです」と言った。相変わらず面倒臭い性格だ。しかしナスカはエアハルトが元気そうになって嬉しかった。
二人が歩き出そうとした時。
「ジレルーッ!!」
長い金髪の女が猛スピードで走ってくる。ナスカは新手の敵かと思い警戒する。女はジレル中尉の前で止まった。よく見ると、さっきの女だ。
「ジレルー、邪魔な奴ら締め上げてきたよ。ねぇ、偉い?」
女はジレル中尉に抱き着く。ナスカは唖然とした。
「……誰?」
すると女はクルッとナスカに近付いてきて明るい声を出す。
「ナスカ。久し振り、分かる? リリーだよ!」
ナスカは驚きで何も言えなくなった。顎が外れる勢いだった。帰ってこないと諦めきっていたリリーが、今、目の前にいる。信じられない。
「り、リリーって……本当に言っているの?」
「そう、嘘みたいでしょ! リリーね、生きてたの!」
リリーと名乗る目の前の女は屈託のない笑顔を浮かべてナスカを見つめる。
「急に言われても、そんなの信じられないわ。疑問が多すぎるもの。貴女が本当にリリーだとしたら、あの時私が分かったのでしょう? 分かっていながら、どうしてジレル中尉に手を出したりしたの」
彼女の表情が曇る。
「……それは」
気まずくなっているのに気が付いたからか偶々かは分からないが、エアハルトが穏やな口調で挟む。
「まぁまぁ、話は後で。ヒムロさんが急げって言ってるから急ごう? 全部後で良いよね」
ナスカは少し言い過ぎたかと思い、口をつぐんでエアハルトの顔に目をやると、彼は小さく頷いた。エアハルトが転倒しないように腕を支えると、二人は歩き始める。
機体まで辿り着くと、ナスカは操縦席に座り、エアハルトを助手席に座らせる。シートベルトを締め電源を入れ、気合いを入れて前を向く。ナスカはいつもより緊張気味だ。だがとても懐かしい感じがする。今でも一人前だとは言えないかもしれないが、半人前だった頃を思い出す。
「エアハルトさんが隣にいてくれると、とても心強いです」
二人を乗せた機体はどんどん速度を上げ、やがて夜空へと高く舞い上がった。透明で外が見えやすい構造のコックピットからは、無限に広がる星の海が見える。プラネタリウムみたいだ。
ふと右手側を向くと、小さく朝日が見えている。朝が来たんだ、とナスカは少しだけその眩しさに見惚れた。不思議な感覚だ。つい先程まで真っ暗闇に星が瞬くだけだったのに、今はとても明るく感じられる。
「……朝か」
エアハルトはぼんやりと独り言を呟いた。彼の瞳の中でも、一日を始める太陽が輝き出している。
「本当にやってのけてしまうとは。ナスカ、君だけは敵に回したくないな」
「貴方を救えて良かった」
クロレアの地面が視界に入ってくる。二人は顔を見合わせると、初めて心から笑った。エアハルトは笑いながらで「かっこいいことを言うね」なんて言う。冗談だと思ったのだろうか? ナスカは本気だというのに。でもそんなことは全然気にならなかった。エアハルトが生きていてくれるなら何だって構わない。
朝がやってくる。空全体が水彩絵の具の青と赤を滲ませたような紫色に染まり、黄とも白とも言えない眩しい光が強まる。太陽の光は青い海の泡をチラチラと輝かせる。
赤い機体に白薔薇を描かれた戦闘機は高度を徐々に下げていく。訓練していた頃を思い出すと懐かしくて自然と笑みが零れた。アスファルトと白っぽい海面のコントラストがナスカの心を踊らせる。
帰ってきたのだ、と。
地上では先に帰っているトーレが大きな目を見開きながら手を振っていた。その横には微笑を浮かべたヒムロが長い髪を風に揺らしながら立っている。ナスカとエアハルトの乗る機体は少しずつ減速し、やがて着陸した。
「ナスカ!」
降りたナスカを一番に抱き締めたのはトーレだった。
「ぎゃっ、苦しい!」
息が詰まりそうな程に強く抱き締められて、ナスカは思わずはっきりと言ってしまった。ヒムロが顔を下に向けてくすくすと笑っても、トーレはまだ腕を離さない。
「怖かったよぉ。爆撃なんかしたこと無かったからもう、上手く出来なくて……途中で弾切れなっちゃうし。危うく対空ミサイルに撃ち落とされるところだったんだよぉ……!」
トーレは頬を濡らして泣いていた。ナスカは仕方が無いので彼の頭を優しく撫でる。すると余計に締まって苦しくなった。
「苦しいってばーー! トーレ、いい加減にして!」
「ごめん……ごめんなさい。ごめん、でも怖くてっ」
エアハルトは微笑ましい光景を見て爽やかに軽く笑った。それからヒムロを見る。
「あたし何か変?」
しばらく間を開けて彼は言う。
「いや、化粧が薄くなったなと思って。若干老けたか?」
「は?」
ヒムロは激怒した。と某有名小説の一文目を借りたいぐらいに、彼女は激怒した。
「ふざけんじゃないわよ! もう一度言ってごらんなさい、殺してやるわよ!」
「化粧が薄くなったな、老けたか? と言った」
「本当に言ってんじゃないわよ! 何なのそのボケは。突っ込めと言っているのっ!!?」
「もう突っ込まれた」
「こんの~~クソ男! 収容所へ帰れっ!」
「いい男じゃなかったのか?」
いたずらな表情のエアハルトに言われ、ヒムロは頬を真っ赤にして怒りながらも視線を逸らす。
「あぁもう……いい男よ! 本当に本当にっ!!」
逆ギレだ。
「唇は諦めてないわよ!」
それを聞いたナスカは口をあんぐり開けて、ドン引きな表情でエアハルトを見る。
「もしかして、お二人はそういう行為を……?」
「してない! してないよ!」
エアハルトはナスカに誤解されたくなくて慌てて否定する。そこにヒムロが口を挟む。
「あら、忘れちゃったの? あたしとっても悲しいわ~~。収容所じゃ、た~~くさんさせてくれたのに……」
「鬱陶しいっ! 捕虜だから逃げられなかっただけだ!」
エアハルトは憤慨する。
「でもアードラーくん、唇だけは必死で守ろうとしてたわよねぇ。あ、もしかしてナスカちゃんと……するから?」
「おい、調子に乗るなよ!」
ヒムロが茶化すと、今度はエアハルトが激怒した。ナスカは顔筋をひきつらせて「ないない、ないない」と繰り返した。
「でもあたしは諦めていないわよ。その唇はいつかきっとあたしが捉えるの。いつかはきっとあたしのものにする。あんなことまでしてくれたのだから……信じてるわ」
ナスカは更にドン引きして、青ざめた顔になる。
「そんな行為をなさってたなんて……収容所って怖い」
「いや、ちょっと待って。嘘だよ? この女の話まともに信じたらダメだからねっ!?」
エアハルトはぐったりして肩を落とす。ナスカはしばらくしてから笑いが込み上げてきて、笑い出すと止められなかった。
でも今ぐらいは、笑って良いと思う。
ふいに海の方を見上げると、黒い機体が飛んできているのが見えた。猛スピードのまま地面に向かって飛んでくる。
「何よアレ! このままじゃ墜落するじゃない!」
ナスカはあたふたする。
「あのクソパイロット……」
エアハルトは腹立たしそうに機体に目をやる。
黒い機体は速度がつきすぎていたせいで着陸に失敗しもう一度地上を離れる。そして、二度目の着陸を試みる。今度は何とか大丈夫そうだ。何度か地面にバウンドして機体は無理矢理地面に止まる。
ドアがバンと乱暴に開き、ジレル中尉が外へ出てくる。
「ジレルさんだ!」
トーレがそっちへ走り出す。しかしジレル中尉は駆け寄ってくるトーレを素通りして、エアハルトの前まで来て足を止める。
「……何ですか?」
エアハルトは怒りを堪えながら笑顔で尋ねた。
「おい、何だアレは!!?」
ジレル中尉は大声で質問し返した。
「……はい?」
「あれは何故にあんなスピードが出るんだ! 着陸出来ないところだったではないか!」
いきなり怒り出すものだから、ナスカもヒムロも、トーレまで唖然。その中でエアハルトは一人ドヤ顔をして返す。
「実力の問題では? いや、すみません。違いました。ご高齢で操縦能力が鈍ってられたのでしょうね」
またしても喧嘩が始まりそうになったのをナスカが止めようとした瞬間、「まぁまぁ」という少女の声が聞こえた。
「ジレル、帰ってきたばかりで喧嘩なんてダメだよ」
リリーはてててと小股の小走りでこちらへ寄ってくる。ヒムロの存在に気付くと彼女は深くお辞儀をする。
「失礼しました!」
ヒムロは明るく笑って「いいのいいの」なんて言った。
「ヒムロさん、どうしてここに……あ、もしかして! リリーを捕まえにっ……!?」
一気に青くなるリリーの肩をヒムロはバシバシと激しく叩く。結構痛そう。
「んなわけないでしょーー! あたし逃げてここにきたのに」
「よ、良かったぁ……」
こうして長い夜は終わった。
(大切な人、守れたよ。私……少しは強くなれたかな)
「これは……まさかナスカくんが一人で?」
ナスカはさすがにそこまで凶暴ではない。
「いえ、私がやっつけたのは一人だけで。他は全部エアハルトさんです」
ジレル中尉は静かに視線をエアハルトに向けてから、「これが?」とでも言いたそうにナスカに視線を戻す。エアハルトは瞳を閉じて死んだように動かない。信じられないのも無理はないか。
「死んだのか?」
「死んでません! そんなこと、言わないで下さいっ!」
ナスカが注意すると彼は「やたら元気だな」とよく分からない文章を返した。
「それより、こんなところで安心していていいのか?まだ敵陣の真っ只中だ」
「そうですね。そろそろ行かないと。もう襲われるのはごめんです」
ナスカは立ち上がり、足についた砂を払うと、エアハルトを起こそうと声をかけてみる。
「エアハルトさん、聞こえますか? 起きて下さい」
まったく反応が無いので、ナスカは彼の両腕をしっかり掴み引っ張ってみる。しかし、少女一人が意識不明の成人男性を動かすのは、かなりの重労働であった。
「うーん、うーん」
物凄く少しずつ引き摺るのがやっとだ。ナスカが困っているのに気付いたジレル中尉は、急にいつになく大きな声で叫ぶ。
「大変だ! ナスカくんが!」
「ジレル中尉、一体何を?」
するとエアハルトの指がぴくっと動いた。
「エアハルト……さん?」
不思議なことにエアハルトの目がぱちりと開く。むくっと上半身を起こすとナスカと目が合い、きょとんとする。
「あれ、ナスカ?」
エアハルトはきょろきょろしてから再びナスカを見る。
「……おかしいな」
「何が?」
「いや、何か聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな? ごめん、忘れて」
ナスカはニヤッと笑ってジレル中尉に目をやる。彼は何事も無かったかのような顔をした。
「エアハルトさんには私の機体に乗っていただきます。その体で運転は難しいでしょう?」
「ナスカがそう言うならそうなのかも。やっぱり敵陣で無理はしない方が確実だよね。あ、でも僕の機体はどうなる? あれ研究されたら困るんだけど……」
「それはジレル中尉が」
するとエアハルトは怪訝な顔でジレル中尉を凝視する。そしてみるみる不穏な空気になる。
「壊さないで下さいよ」
「今のお前よりかはましだ」
エアハルトとジレル中尉は急激に嫌な雰囲気になり、睨み合い火花が散った。
「僕の愛機ですから、本来は僕が乗るのが相応しいのですけどね」
「案ずるな。私とて素人ではない」
「怖いのに無理することはありませんよ。僕が乗って差し上げましょうか?」
「可愛くないな。そんな体の状態で操縦できると思っているのか」
ナスカは疲れた。二人共不器用だからこんなことになるのだろうな、とナスカは思った。両方が意地を張って一歩も退かない。
「やればできる!」
「傷を軽く見すぎだ。満足に歩けもしないくせに強がるな」
「侮辱しないで下さい!」
「心配してやっているのだが」
ジレル中尉は嫌味たっぷりに溜め息をついた。
ナスカは苛立っているエアハルトの肩をぽんと叩く。
「落ち着いて下さい、ジレル中尉の言う通りです。無理は禁物ですよ」
エアハルトは溜め息を漏らしてから、微笑を浮かべた。
「あー……それもそっか」
ナスカの腕を持って腰を上げると彼はじとっとジレル中尉の方に目をやり、嫌味っぽく「ナスカに心配かけたくないからです」と言った。相変わらず面倒臭い性格だ。しかしナスカはエアハルトが元気そうになって嬉しかった。
二人が歩き出そうとした時。
「ジレルーッ!!」
長い金髪の女が猛スピードで走ってくる。ナスカは新手の敵かと思い警戒する。女はジレル中尉の前で止まった。よく見ると、さっきの女だ。
「ジレルー、邪魔な奴ら締め上げてきたよ。ねぇ、偉い?」
女はジレル中尉に抱き着く。ナスカは唖然とした。
「……誰?」
すると女はクルッとナスカに近付いてきて明るい声を出す。
「ナスカ。久し振り、分かる? リリーだよ!」
ナスカは驚きで何も言えなくなった。顎が外れる勢いだった。帰ってこないと諦めきっていたリリーが、今、目の前にいる。信じられない。
「り、リリーって……本当に言っているの?」
「そう、嘘みたいでしょ! リリーね、生きてたの!」
リリーと名乗る目の前の女は屈託のない笑顔を浮かべてナスカを見つめる。
「急に言われても、そんなの信じられないわ。疑問が多すぎるもの。貴女が本当にリリーだとしたら、あの時私が分かったのでしょう? 分かっていながら、どうしてジレル中尉に手を出したりしたの」
彼女の表情が曇る。
「……それは」
気まずくなっているのに気が付いたからか偶々かは分からないが、エアハルトが穏やな口調で挟む。
「まぁまぁ、話は後で。ヒムロさんが急げって言ってるから急ごう? 全部後で良いよね」
ナスカは少し言い過ぎたかと思い、口をつぐんでエアハルトの顔に目をやると、彼は小さく頷いた。エアハルトが転倒しないように腕を支えると、二人は歩き始める。
機体まで辿り着くと、ナスカは操縦席に座り、エアハルトを助手席に座らせる。シートベルトを締め電源を入れ、気合いを入れて前を向く。ナスカはいつもより緊張気味だ。だがとても懐かしい感じがする。今でも一人前だとは言えないかもしれないが、半人前だった頃を思い出す。
「エアハルトさんが隣にいてくれると、とても心強いです」
二人を乗せた機体はどんどん速度を上げ、やがて夜空へと高く舞い上がった。透明で外が見えやすい構造のコックピットからは、無限に広がる星の海が見える。プラネタリウムみたいだ。
ふと右手側を向くと、小さく朝日が見えている。朝が来たんだ、とナスカは少しだけその眩しさに見惚れた。不思議な感覚だ。つい先程まで真っ暗闇に星が瞬くだけだったのに、今はとても明るく感じられる。
「……朝か」
エアハルトはぼんやりと独り言を呟いた。彼の瞳の中でも、一日を始める太陽が輝き出している。
「本当にやってのけてしまうとは。ナスカ、君だけは敵に回したくないな」
「貴方を救えて良かった」
クロレアの地面が視界に入ってくる。二人は顔を見合わせると、初めて心から笑った。エアハルトは笑いながらで「かっこいいことを言うね」なんて言う。冗談だと思ったのだろうか? ナスカは本気だというのに。でもそんなことは全然気にならなかった。エアハルトが生きていてくれるなら何だって構わない。
朝がやってくる。空全体が水彩絵の具の青と赤を滲ませたような紫色に染まり、黄とも白とも言えない眩しい光が強まる。太陽の光は青い海の泡をチラチラと輝かせる。
赤い機体に白薔薇を描かれた戦闘機は高度を徐々に下げていく。訓練していた頃を思い出すと懐かしくて自然と笑みが零れた。アスファルトと白っぽい海面のコントラストがナスカの心を踊らせる。
帰ってきたのだ、と。
地上では先に帰っているトーレが大きな目を見開きながら手を振っていた。その横には微笑を浮かべたヒムロが長い髪を風に揺らしながら立っている。ナスカとエアハルトの乗る機体は少しずつ減速し、やがて着陸した。
「ナスカ!」
降りたナスカを一番に抱き締めたのはトーレだった。
「ぎゃっ、苦しい!」
息が詰まりそうな程に強く抱き締められて、ナスカは思わずはっきりと言ってしまった。ヒムロが顔を下に向けてくすくすと笑っても、トーレはまだ腕を離さない。
「怖かったよぉ。爆撃なんかしたこと無かったからもう、上手く出来なくて……途中で弾切れなっちゃうし。危うく対空ミサイルに撃ち落とされるところだったんだよぉ……!」
トーレは頬を濡らして泣いていた。ナスカは仕方が無いので彼の頭を優しく撫でる。すると余計に締まって苦しくなった。
「苦しいってばーー! トーレ、いい加減にして!」
「ごめん……ごめんなさい。ごめん、でも怖くてっ」
エアハルトは微笑ましい光景を見て爽やかに軽く笑った。それからヒムロを見る。
「あたし何か変?」
しばらく間を開けて彼は言う。
「いや、化粧が薄くなったなと思って。若干老けたか?」
「は?」
ヒムロは激怒した。と某有名小説の一文目を借りたいぐらいに、彼女は激怒した。
「ふざけんじゃないわよ! もう一度言ってごらんなさい、殺してやるわよ!」
「化粧が薄くなったな、老けたか? と言った」
「本当に言ってんじゃないわよ! 何なのそのボケは。突っ込めと言っているのっ!!?」
「もう突っ込まれた」
「こんの~~クソ男! 収容所へ帰れっ!」
「いい男じゃなかったのか?」
いたずらな表情のエアハルトに言われ、ヒムロは頬を真っ赤にして怒りながらも視線を逸らす。
「あぁもう……いい男よ! 本当に本当にっ!!」
逆ギレだ。
「唇は諦めてないわよ!」
それを聞いたナスカは口をあんぐり開けて、ドン引きな表情でエアハルトを見る。
「もしかして、お二人はそういう行為を……?」
「してない! してないよ!」
エアハルトはナスカに誤解されたくなくて慌てて否定する。そこにヒムロが口を挟む。
「あら、忘れちゃったの? あたしとっても悲しいわ~~。収容所じゃ、た~~くさんさせてくれたのに……」
「鬱陶しいっ! 捕虜だから逃げられなかっただけだ!」
エアハルトは憤慨する。
「でもアードラーくん、唇だけは必死で守ろうとしてたわよねぇ。あ、もしかしてナスカちゃんと……するから?」
「おい、調子に乗るなよ!」
ヒムロが茶化すと、今度はエアハルトが激怒した。ナスカは顔筋をひきつらせて「ないない、ないない」と繰り返した。
「でもあたしは諦めていないわよ。その唇はいつかきっとあたしが捉えるの。いつかはきっとあたしのものにする。あんなことまでしてくれたのだから……信じてるわ」
ナスカは更にドン引きして、青ざめた顔になる。
「そんな行為をなさってたなんて……収容所って怖い」
「いや、ちょっと待って。嘘だよ? この女の話まともに信じたらダメだからねっ!?」
エアハルトはぐったりして肩を落とす。ナスカはしばらくしてから笑いが込み上げてきて、笑い出すと止められなかった。
でも今ぐらいは、笑って良いと思う。
ふいに海の方を見上げると、黒い機体が飛んできているのが見えた。猛スピードのまま地面に向かって飛んでくる。
「何よアレ! このままじゃ墜落するじゃない!」
ナスカはあたふたする。
「あのクソパイロット……」
エアハルトは腹立たしそうに機体に目をやる。
黒い機体は速度がつきすぎていたせいで着陸に失敗しもう一度地上を離れる。そして、二度目の着陸を試みる。今度は何とか大丈夫そうだ。何度か地面にバウンドして機体は無理矢理地面に止まる。
ドアがバンと乱暴に開き、ジレル中尉が外へ出てくる。
「ジレルさんだ!」
トーレがそっちへ走り出す。しかしジレル中尉は駆け寄ってくるトーレを素通りして、エアハルトの前まで来て足を止める。
「……何ですか?」
エアハルトは怒りを堪えながら笑顔で尋ねた。
「おい、何だアレは!!?」
ジレル中尉は大声で質問し返した。
「……はい?」
「あれは何故にあんなスピードが出るんだ! 着陸出来ないところだったではないか!」
いきなり怒り出すものだから、ナスカもヒムロも、トーレまで唖然。その中でエアハルトは一人ドヤ顔をして返す。
「実力の問題では? いや、すみません。違いました。ご高齢で操縦能力が鈍ってられたのでしょうね」
またしても喧嘩が始まりそうになったのをナスカが止めようとした瞬間、「まぁまぁ」という少女の声が聞こえた。
「ジレル、帰ってきたばかりで喧嘩なんてダメだよ」
リリーはてててと小股の小走りでこちらへ寄ってくる。ヒムロの存在に気付くと彼女は深くお辞儀をする。
「失礼しました!」
ヒムロは明るく笑って「いいのいいの」なんて言った。
「ヒムロさん、どうしてここに……あ、もしかして! リリーを捕まえにっ……!?」
一気に青くなるリリーの肩をヒムロはバシバシと激しく叩く。結構痛そう。
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