婚約はなかったことになりましたが、新たな出会いはあったので、穏やかに暮らします。

四季

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15.パンを買いに

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 また今日も開店の時間を迎える。

 カウンターの内側に立ち客を迎えるのはダリア。私は必要になった時のため後方で待機だ。

 今日は客がそれほど多くなさそうで、店内はそこそこ落ち着いた空気。だが今日は、暇潰しがてらシュヴェーアと話をすることはできない。というのも、シュヴェーアは肉を獲りに出掛けてしまったのである。

 なぜ肉を獲りに出掛けたのか?
 その理由は、今朝食事の際に家にあったパンをほぼ食べ尽くしてしまったから。

 素振りでお腹が空いていたのか、彼は、いくつものパンをあっという間に食べきった。結果、家に置いてあるパンがほとんどなくなってしまった。今や、うちに残っているのは、食卓に出さなかった立方体のパン一個だけである。

「そうだ、セリナ。パン買ってきてくれる?」

 客が少ないなぁ、と思っていたら、ダリアからそんなことを頼まれた。

 家を出て三軒ほど西に行ったところにパン屋はある。パン屋といっても賑わいはさほどない。かなり小規模な店であり、頼んで焼いてもらうような形式だ。ただ、味は悪くない。焼き上がったパンは焦げの部分と柔らかい部分にしっかりと食感の差があり、香りもふんわりしていて、優しい美味しさなのだ。

「いいよ。今朝なくなっちゃったもんね」
「彼、ホントよく食べるわねー」
「もしかして困ってる? もし困ってるなら、そう伝えてみるけど……」
「いいのよー。また買えば済む話だもの。あ、お金は棚から適当に持っていって」

 ダリアはシュヴェーアの大食らいを不快には思っていないようだ。それが分かり、私は少し安心した。だが、これからずっと彼の食料を確保できるかと考えると、若干不安になる自分がいる。彼は本当によく食べるのだ。それゆえ、彼と共に暮らすとなると、常に大量の食べ物が必要となってくる。上手く確保できるだろうか、そんな大量の食べ物を常になんて。

「分かった。じゃあ買ってくるわ」
「気をつけてー」


 ◆


 煉瓦造りの一軒家、そこがこの村のパン屋だ。暖かみのある赤茶の煉瓦を積んで作ったその建物は、いかにも古そうで、地面に近い辺りにはコケのようなものがこびり付いている。良く言えば「味わい深い外観」だが、普通に見ると単に古ぼけているだけの建物だ。
 営業時間中は入り口の木戸が開放されている。客は自らそこを通過し、店内へ入るのだ。
 店内は薄暗い。風でたまに軋む窓から入り込む陽が照らしているが、照明器具はほとんどなく、その結果薄暗くなってしまっているのである。

「こんにちは」
「オス! イラッサァーイ!」

 迎えてくれたのは、パン屋の店主。
 彼の名は、パンヤ・キ・キーノ。鼠色の顎髭が大迫力な、五十七歳男性だ。

 妻は数年前に亡くなり、子ども十人は皆揃って都へ発ち、今はこの村で一人パン屋を営んでいる。以前本人から聞いた話によれば、パン作りを始めたきっかけは妻の実家がパン屋だったことだとか。妻の実家の影響で始めたパン作りを一人になってもなお続けているとは、ある意味皮肉な話だ。もっとも、本人がパン作りを楽しんでいるなら悪いことではないのだろうが。

「丸いのを十五個、立方体の中を三個、お願いします」
「オス! イイッゼー!」
「どのくらいかかりますか?」
「ソウダーナ……三十分クラーイ!」

 三十分はまだ早い方だ。時には数時間かかることもある。

「分かりました。お支払いはその時で大丈夫ですか」
「オス!」

 短い方ではあるとはいえ、三十分薄暗い店内で待ち続けるのは退屈過ぎる。なので私は、少し外の空気を吸い歩くことにした。早朝とは違い人通りのある村は、賑やかで、どことなく楽しげな空気だ。昼間であれば女一人でも問題なく出歩ける、この村の平和さは嫌いではない。

 そして、三十分後。
 私は約束の時間にパン屋へ戻った。

「受け取りに来ました」
「オス! モウデキテール!」

 焼き上がったパンたちは紙袋に入っていた。既に一つにまとめられている。
 店内には香ばしい匂いが漂っていた。

「八百ペペターヨ!」
「ではこれで」
「千ペペタダナ! オス! デハ、二百ペペタカエース!」
「ありがとうございました」

 支払いを済ませると、パンが入った紙袋を抱え、煉瓦造りの店を出る。

 家へ帰ろう。


 ◆


 家の前にたどり着いた瞬間、視界に入ったのはシュヴェーアの後ろ姿だった。

「あ! シュヴェーアさん、もう帰って——」

 最初は何も思わず普通に話しかけたのだが、声に反応して振り返った彼の姿を目にして驚く。

「え!?」
「……あぁ、セリナか」
「血が出てるわよ!? シュヴェーアさん!?」

 シュヴェーアは手にウサギのような生き物を数匹握っていた。だが、私が驚いたのはそこではない。彼が野生の動物を狩ってくることにはもう慣れた。私が衝撃を受けたのは、彼の顔面が半分ほど赤く染まっていたことに対してである。

「……何を、言っている?」

 不思議そうな顔をして首を傾げるシュヴェーア。
 だが、私からしてみれば、流血しながら呑気でいられる彼の方が不思議で仕方がない。

「顔! 出血があるじゃない! 早く手当てしないと」
「あぁ……いや、この程度は……普通だ」
「普通なんて言ってる場合じゃないわよ!」
「……それより、セリナ。これを……贈ろう。今日は、少ないが……」

 シュヴェーアは握っていたウサギのような生き物を差し出してくる。

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」

 思わず大声を発してしまった。

 獲物を贈ってくれるのが悪いことだとは言わないが、今は怪我の手当てを優先すべきではないか。その優先順位を無視し、話を勝手に進めていくというのは、納得できない。たとえ怪我しているのが彼だとしても。

「ほら、家に入って! 早く止血しなくちゃ!」
「……パンの、匂いが」
「それは後! いいからついてきて!」
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