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20.失礼な美女
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一方的な都合による婚約解消の代償としてキッフェール家より渡されたお金は、一般人から見るとかなり大金と思われるものだった。
大体、平凡に暮らす四人家族が一年に使う金額の十倍くらい。
どうせはした金で解決しようとするのだろうと考え、さほど期待はしていなかったが、驚くべき収入が発生。これはもはや、人生が変わりかねない金額である。
とはいえ、私もダリアも贅沢をする夢など抱いていなかったので、それまでと何も変わらない日常が続くだけだった。
茶葉専門店を営業しつつ、シュヴェーアを含む三人で穏やかに暮らす。
それが私の生活だった。
変わりばえはしないけれど、私はそんな暮らしが嫌いではない。だから、細やかな喜びを胸に刻みつつ、静かに生きた。
◆
それから半年が経った、ある朝。
一人の女性が訪ねてきた。
波打った長い金髪が金持ちそうなイメージを醸し出す美女。彼女の目的は、私と話すことだった。
「貴女がセリナ・カローリアね」
年は私より少し上だろうか。長い睫毛とアーモンドを思わせる整った形の目は人形のような可愛らしさで、しかしながら、眉は凛々しい弧を描いている。甘さと辛さが混じり合ったような、独特の顔立ちの女性だ。どことなく男性よりの印象を受ける顔ではあるけれど、均整の取れた造形。力強い美女、という言葉が似合うだろうか。
「はい。貴女は……?」
「わたしはインベルリア。アルトの恋人だった者よ」
「……っ!」
結婚話が消えてから既に半年以上が経過した。時の流れの中で、私はその話に関する記憶を徐々に忘れていきつつあった。
だからこそ、今になって『アルトの恋人』なる人が現れたことに驚いたのだ。
「今はもう恋人ではないわ。でも、本当ならあのまま幸せになるつもりだった……わたしの幸せを壊したのは、貴女よ」
突然の訪問者——インベルリアの背後には、彼女のお付きと思われる男性が二人立っている。
一人は執事のような出で立ちの中年男性。
もう一人は筋肉質な体つきのまだ若そうな青年。
二人とも、インベルリアの背後に大人しく控えていて、私と彼女の会話に口を出そうとはしない。だが、目だけで私の様子を確認していることは明らか。というのも、二人からの視線を強く感じるのだ。
「なぜ私のせいになるのですか?」
「貴女がいたから、わたしはアルトに裏切られた。貴女さえいなければ、わたしはアルトといつまでも二人で生きてゆけたの」
無茶苦茶だ。一方的過ぎる。
そもそも、アルトに裏切られたのは私の方だ。過剰に被害者面をする気はないけれど、でも、私が彼に突然婚約解消を告げられたことは事実である。しかも、その婚約解消の理由が彼女——インベルリアの存在。
それなのに、私だけが悪いというの?
「聞いたわよ。貴女、婚約解消のためにキッフェール家から大金を受け取ったそうね。本当は、最初からそれが目当てだったのでしょ」
何よそれ! 勝手な解釈過ぎる!
怒鳴りたい気分だが、相手の取り巻きが近くにいるので、今はあまり派手な動きができない。
「そんなつもりはありません」
「ウソね」
「受け取るよう頼まれたので、受け取っただけです」
「よくそんなウソをつけるわね。貧乏な娘は皆そうなのかしら」
貧乏じゃないし! 大金持ちだとは言わないけれど、そこまで貧しくはないわよ。勝手に決めつけないで!
そう言ってやりたい気分だが、この状況下ではさすがに言えない。
しかし、インベルリアはなぜこうも余計なことばかり言ってくるのか。私を挑発することが目的なのだろうか。だとしたら、随分な性悪である。そもそも、半年以上前に済んだことなのだし、もう良いではないか。今になって喧嘩を売ってくるなんて、理解不能だ。
「これだから嫌だわ、貧しい娘と話すのは」
「なら帰ればいいじゃないですか」
「それは無理な願いね。わたしの気が済むまでは帰らないわよ」
あぁ、なんて面倒臭い女……。
内心溜め息をついていた、その時。
背後からシュヴェーアがのそのそとやって来た。
「……何の、話を?」
眠そうな顔つきで近づいてきたシュヴェーアは、まだ目が覚めきらないような声で尋ねてきた。
「……パンの、話か?」
「違っ! そ、そうじゃないのよ」
この空気でパンの話をしているわけがないではないか。もし本当にそう思ったのなら、なぜそう思ったのか教えてほしいくらいだ。こんな険悪な空気でパンについて話し合う者を、シュヴェーアは見たことがあるのか。
「そうか……。では、何を?」
「結婚相手に関する話なの。彼女がアルトさんの恋人だった方なんですって」
シュヴェーアはまた怒りそうなので、彼にはあまり言いたくない。だが、ここで敢えて内容を隠すというのも、シュヴェーアに不審に思われてしまうだろう。
もし仮にさらにややこしいことになったとしても、それでもいい。
決意して、私は事情を打ち明けた。
「……貴様が、セリナの……婚約を!」
話を聞いたシュヴェーアは怒りの感情を露わにする。
眉間にしわを寄せ、眉尻を高く持ち上げ、目つきを険しくする。その視線は、いつもの彼とは比べ物にならないくらい鋭い。顔全体の筋肉が強張っていて、口角も引き下がっている。威嚇する獣のような表情だ。
「……許すまじ!」
「待って待って待って! 落ち着いて!」
インベルリアの方に向かって、すぐにでも殴りかかりそうな勢いで迫っていくシュヴェーア。私は彼の上衣の裾を引っ張り、彼が暴力行為に至らないよう必死に制止する。
こんなところで暴力事件が発生したら、どんな目に遭わされるか。
それだけは避けたい。
「……なぜに?」
シュヴェーアは今にも噛み付いてきそうな目を向けてきた。
その視線には、人離れした凄まじい迫力がある。
「だ、駄目よ! 暴力なんて! あちらに有利を与えてしまうだけ!」
「……なるほど。それは、確かに……そうか……」
私の説明に納得してくれたのか、シュヴェーアは殴りかかろうとするのを止める。
表情も目に見えて大人しくなった。
「な、何なの!? その暴力的な男は!!」
「失礼しました。彼はこういう人間なので。そっとしておいて下さい」
「そ、そう……。で! その男は何なのっ!?」
言われるだろうな、とは思ったけれど。
落ち着いて対処しよう。
「彼は警備として働いてくれている人です」
「警備……本当にそうかしら? ただの警備が、貴女のような地味な小娘のために怒ったりするかしら?」
いちいち失礼! 本当に!
大体、平凡に暮らす四人家族が一年に使う金額の十倍くらい。
どうせはした金で解決しようとするのだろうと考え、さほど期待はしていなかったが、驚くべき収入が発生。これはもはや、人生が変わりかねない金額である。
とはいえ、私もダリアも贅沢をする夢など抱いていなかったので、それまでと何も変わらない日常が続くだけだった。
茶葉専門店を営業しつつ、シュヴェーアを含む三人で穏やかに暮らす。
それが私の生活だった。
変わりばえはしないけれど、私はそんな暮らしが嫌いではない。だから、細やかな喜びを胸に刻みつつ、静かに生きた。
◆
それから半年が経った、ある朝。
一人の女性が訪ねてきた。
波打った長い金髪が金持ちそうなイメージを醸し出す美女。彼女の目的は、私と話すことだった。
「貴女がセリナ・カローリアね」
年は私より少し上だろうか。長い睫毛とアーモンドを思わせる整った形の目は人形のような可愛らしさで、しかしながら、眉は凛々しい弧を描いている。甘さと辛さが混じり合ったような、独特の顔立ちの女性だ。どことなく男性よりの印象を受ける顔ではあるけれど、均整の取れた造形。力強い美女、という言葉が似合うだろうか。
「はい。貴女は……?」
「わたしはインベルリア。アルトの恋人だった者よ」
「……っ!」
結婚話が消えてから既に半年以上が経過した。時の流れの中で、私はその話に関する記憶を徐々に忘れていきつつあった。
だからこそ、今になって『アルトの恋人』なる人が現れたことに驚いたのだ。
「今はもう恋人ではないわ。でも、本当ならあのまま幸せになるつもりだった……わたしの幸せを壊したのは、貴女よ」
突然の訪問者——インベルリアの背後には、彼女のお付きと思われる男性が二人立っている。
一人は執事のような出で立ちの中年男性。
もう一人は筋肉質な体つきのまだ若そうな青年。
二人とも、インベルリアの背後に大人しく控えていて、私と彼女の会話に口を出そうとはしない。だが、目だけで私の様子を確認していることは明らか。というのも、二人からの視線を強く感じるのだ。
「なぜ私のせいになるのですか?」
「貴女がいたから、わたしはアルトに裏切られた。貴女さえいなければ、わたしはアルトといつまでも二人で生きてゆけたの」
無茶苦茶だ。一方的過ぎる。
そもそも、アルトに裏切られたのは私の方だ。過剰に被害者面をする気はないけれど、でも、私が彼に突然婚約解消を告げられたことは事実である。しかも、その婚約解消の理由が彼女——インベルリアの存在。
それなのに、私だけが悪いというの?
「聞いたわよ。貴女、婚約解消のためにキッフェール家から大金を受け取ったそうね。本当は、最初からそれが目当てだったのでしょ」
何よそれ! 勝手な解釈過ぎる!
怒鳴りたい気分だが、相手の取り巻きが近くにいるので、今はあまり派手な動きができない。
「そんなつもりはありません」
「ウソね」
「受け取るよう頼まれたので、受け取っただけです」
「よくそんなウソをつけるわね。貧乏な娘は皆そうなのかしら」
貧乏じゃないし! 大金持ちだとは言わないけれど、そこまで貧しくはないわよ。勝手に決めつけないで!
そう言ってやりたい気分だが、この状況下ではさすがに言えない。
しかし、インベルリアはなぜこうも余計なことばかり言ってくるのか。私を挑発することが目的なのだろうか。だとしたら、随分な性悪である。そもそも、半年以上前に済んだことなのだし、もう良いではないか。今になって喧嘩を売ってくるなんて、理解不能だ。
「これだから嫌だわ、貧しい娘と話すのは」
「なら帰ればいいじゃないですか」
「それは無理な願いね。わたしの気が済むまでは帰らないわよ」
あぁ、なんて面倒臭い女……。
内心溜め息をついていた、その時。
背後からシュヴェーアがのそのそとやって来た。
「……何の、話を?」
眠そうな顔つきで近づいてきたシュヴェーアは、まだ目が覚めきらないような声で尋ねてきた。
「……パンの、話か?」
「違っ! そ、そうじゃないのよ」
この空気でパンの話をしているわけがないではないか。もし本当にそう思ったのなら、なぜそう思ったのか教えてほしいくらいだ。こんな険悪な空気でパンについて話し合う者を、シュヴェーアは見たことがあるのか。
「そうか……。では、何を?」
「結婚相手に関する話なの。彼女がアルトさんの恋人だった方なんですって」
シュヴェーアはまた怒りそうなので、彼にはあまり言いたくない。だが、ここで敢えて内容を隠すというのも、シュヴェーアに不審に思われてしまうだろう。
もし仮にさらにややこしいことになったとしても、それでもいい。
決意して、私は事情を打ち明けた。
「……貴様が、セリナの……婚約を!」
話を聞いたシュヴェーアは怒りの感情を露わにする。
眉間にしわを寄せ、眉尻を高く持ち上げ、目つきを険しくする。その視線は、いつもの彼とは比べ物にならないくらい鋭い。顔全体の筋肉が強張っていて、口角も引き下がっている。威嚇する獣のような表情だ。
「……許すまじ!」
「待って待って待って! 落ち着いて!」
インベルリアの方に向かって、すぐにでも殴りかかりそうな勢いで迫っていくシュヴェーア。私は彼の上衣の裾を引っ張り、彼が暴力行為に至らないよう必死に制止する。
こんなところで暴力事件が発生したら、どんな目に遭わされるか。
それだけは避けたい。
「……なぜに?」
シュヴェーアは今にも噛み付いてきそうな目を向けてきた。
その視線には、人離れした凄まじい迫力がある。
「だ、駄目よ! 暴力なんて! あちらに有利を与えてしまうだけ!」
「……なるほど。それは、確かに……そうか……」
私の説明に納得してくれたのか、シュヴェーアは殴りかかろうとするのを止める。
表情も目に見えて大人しくなった。
「な、何なの!? その暴力的な男は!!」
「失礼しました。彼はこういう人間なので。そっとしておいて下さい」
「そ、そう……。で! その男は何なのっ!?」
言われるだろうな、とは思ったけれど。
落ち着いて対処しよう。
「彼は警備として働いてくれている人です」
「警備……本当にそうかしら? ただの警備が、貴女のような地味な小娘のために怒ったりするかしら?」
いちいち失礼! 本当に!
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