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episode.38 誰もが前へ進んでゆくのだから

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 これは討伐隊のある人から聞いた情報だが。

 ノワールは意識は戻ったようだがまだ魔の者の姿のままらしい。というのも、人の姿に戻ることができないようなのだそう。何度か試してみたそうだが人間のノワールには戻れないらしい。また、吸い込む能力も消失したかもしれないという話だ。

 彼はまだしばらく療養が必要らしい。

 討伐隊としては、ある程度状態が回復してから次の話を進めたいという意向のようで――そのおかげで現時点ではノワールはまだ休息させてもらえているみたいだ。

 北の街に被害を出した彼が何のお咎めもなく解放してもらえるとは思えない。
 が、ゼツボーノを吸い込み一つの絶望を終わらせたのもまた彼だ。
 その辺りを考慮した比較的軽い対応になると良いのだが。
 彼があの時ゼツボーノを吸い込まなければ、きっと今頃もっと大きな被害が出ていただろう。ゼツボーノは容赦ない、人を滅ぼすところまでやるだろう。そうなれば、死者の数だってもっと多かっただろう。何なら残酷な死に方をさせられる人が大量発生した可能性だってあるくらいである。

 そういう意味では、ノワールは人々の役に立ったはずなのだ。

 一方ルナはというと、魔の者のサンプルとして討伐隊のもとにしばらく置かれることとなったそうだ。
 まだ世界のどこかに残っているであろう魔の者が現れた時に対処する、という役割も持たされているのだとか。

 ちなみに、私は、退院と同時に解放された。

 見上げた空は突き抜けるように青くて。
 降り注ぐ日射しに、ほぼ無意識で目を細めてしまう。

 ……これで終わったのだろうか?

 ゼツボーノの野望は潰えた。

 ……いいえ、これは始まり。

 私も、人も、街も――未来へと進んでゆく。

 取り敢えず、ノワールに会いたい。そして改めて話がしたい。たとえ完全な自由は得られずとも少し話すくらいならできるかもしれない、そう思って、私は彼が収容されている場所へと向かうことにした。


 ◆


 魔の者収容施設。

「ちょっと! 離しなさいよ! 部屋に入れて!」
「ま、ま、待ってくださいっ。ルナさんっ、駄目です今は」

 比較的静かな施設の中に、騒いでいる男女が一組。

 対照的な色みの服をまとった二人――ルナとコルトだ。

 ルナはノワールが置かれている部屋に入りたい。しかし勝手に入室するのは許されることではなくて。規則に違反した行動をしようとしているルナを懸命に止めているのがコルトである。コルトはルナの胴に両腕を回して必死に抑えようとしている、しかしそれで諦めるルナではない。そんなこともあって、二人して騒ぐこととなってしまっているのだ。

「どうして!? 部屋に入るくらいいいじゃない、離しなさいよ!!」
「駄目なんですってーっ!!」
「何でよ!」
「いやだから何回も言いましたよね!? 勝手に出入りできない部屋なんですっ」

 そこへ通りかかった男性隊員は「コルト何やってんだ?」と不思議そうな顔をする。それに対しコルトは「この人が入れろってしつこくて!」と返した。すると通りすがりの彼は呆れたように笑って「そうかよ、お疲れ」とだけ返し、加勢せず通過していった。

「アタシはノワ様に会いたいだけよ!」

 ルナはついにコルトを振り払った。

「待って待って待って!」

 振り払われたコルトは慌てて追おうとしたが追いつくより先にルナがスライド式の銀の扉を開けてしまう。

 そこそこ広い部屋で、中央に、魔の者姿のままのノワールが台に寝かされていた。

「ノワ様ぁ~!」

 ルナは喜びの色を滲ませながら駆け寄る。

「……ルナ」

 ノワールは部屋に入ってきた者を捉えたようで小さく名を呼んだ。

「ノワ様、良かった、ご無事で――って、その胸もとは!?」

 ルナはその時になって気づいたのだった、ノワールの胸もとが一部黒に蝕まれていることに。

「……何かさ、多分、ゼツボーノ吸ったから」
「どういうことなの!?」
「分かんない……ケド、何か……気持ち悪いんだよね……」
「そんな! 吐き出すのよ、今すぐ!」
「ううん……駄目だよ、そんなことできない……」

 ルナは切なげに唇を結ぶ。

「……でも、いいや。これでいい……これで、ソレアは、救われるしね」

 ノワールは仰向けにベッドに寝たまま首を僅かに捻り頭部をルナがいる右側へ傾けた。

「……けど、終わっちゃったな」

 呟くノワールは寂しげな空気をまとっていた。

 ゴーグル部分があるためその瞳は見えない。
 けれどもそれでも分かるくらい寂しそうだった。

「ソレア……元気にしてるかな……」

 その時。
 ごろりと音を立てて扉が開いた。

 現れたのは、収容施設内にて働く五十代くらいの男性だ。

「コルト、何をしている」

 本来その部屋にいないはずだったコルトがいることに驚いて、男性は低めの声を出した。

「あっ。もっ、申し訳ありませんっ、ルナさんを制止しきれずっ」
「ああそういうことか」

 慌てて何度も頭を下げるコルト。しかし男性は彼を責めることはしなかった。むしろ、事情を聞いて納得した、というような顔をしていた。

「ノワール・サン・ヴェルジェよ、ソレアさんが来ている」

 男性が言えば、ソレアが恐る恐る部屋に入ってきて。

「え……」
「ノワール、久しぶり」

 ソレアが軽く手を振れば、ノワールは顔面を硬直させた。

「ど、どうして……? ソレアが、ここに……?」
「会いに来たのよ、貴方に」
「ちょ……き、気まずいんだけど……ボク、まだ、人間の姿に戻れてなくて……」

 らしくなく狼狽えるノワール。

 そんな彼の右手の部分に触れるソレア。

「また会えて良かった!」

 ソレアはそう言って笑う。
 けれどもノワールはまだ緊迫しているような面持ちでいる。

「……どうして」
「何かしら」
「どうして……キミは、そんなに……」
「ノワール?」
「平気……なの? こんな、姿……見せられて……」
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