暁のカトレア

四季

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episode.24 蛇の魔女

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 大蛇の化け物はグレイブに任せ、私たちは先へ急ぐ。

 それからしばらくして、ようやく個室へたどり着くという、その時だった。

「と、トリスタン!」
「マレイちゃんっ!!」

 突如背後から現れた大蛇に絡みつかれ、頭が天井すれすれになるくらいまで持ち上げられる。

 私は女だが、もう子どもの体格ではない。だから、それなりの重さはあるはずだ。にもかかわらずこうも軽々と持ち上げるとは、かなり力持ちである。
 さすがは化け物、といったところか。

「待っていて、すぐに助けるから!」

 トリスタンはすぐに白銀の剣を抜く。これで助かる。きっと大丈夫だ、と思った。

 ——が、そう上手くはいかなかった。
 剣を抜いたトリスタンへ、無数の細い蛇が襲いかかってきたのだ。細い蛇たちは、私を拘束している大蛇の向こう側から発生しているようだが、どこからどう出てきているのかはよく見えない。

「……くっ。これじゃ」

 細い蛇を剣で斬りながら、顔をしかめるトリスタン。
 彼の剣速をもってしても、細い蛇のすべてを倒すことはできていなかった。しかも、倒すことができないだけではない。脚やら腕やらに絡みつかれている。

「マレイちゃん! すぐには助けられそうにない! ごめん!」

 トリスタンは、その均整のとれた顔を不快感に歪めつつ、大きめの声で言い放った。
 今回ばかりはトリスタン任せとはいかないようだ。大蛇の拘束から抜け出すためには、自力で何とかする外なさそうである。

「……そうだ」

 私は右手首へ視線を向ける。腕時計が見えた。頑張れば届きそうな距離だ。

「……よし」

 大蛇が真っ二つになる様を脳に浮かべながらに、動かせる左手を、右手首の腕時計へ必死に伸ばす。

 もう少し。後少し。

 ——そして。

 指先が腕時計の文字盤へ触れる。

 刹那、赤い光が溢れた。
 四方八方へと広がった光の筋は、天井や壁に反射し、大蛇の化け物の体を突き刺す。幾本もの光線が集まり、大きな火球かのようになっている。

 肉が焦げるような匂い、肌を焼くような熱——そして、気づけば地面に落ちていた。

「マレイちゃん!」

 全身に絡む細い蛇たちをようやく払い除けたトリスタンが、すぐにこちらへ駆け寄ってくる。一つに束ねた金の髪は、心なしか乱れていた。

「怪我はしてない?」
「えぇ。落ちた時に腰は打ったけれど……問題ないわ」

 尾てい骨がじんと痛む。
 しかし、数メートルの高さから落下したことを思えば、この程度で済んだのは奇跡だ。

「トリスタンこそ、大丈夫なの? 蛇に絡まれていたけれど」
「うん。平気だよ」

 そう答え、私の手をそっと握るトリスタン。
 私がいきなり手を握られ戸惑っていると、彼は穏やかな声色で述べる。

「無事で良かった。また間に合わないかと思ったよ」

 トリスタンは、深海のように青い瞳で、こちらをじっと見つめてくる。
 その瞳は、不安と安堵が入り交じったような色をしていた。そして、僅かに下がった目尻からは、彼の穢れのない心が感じられる。

「心配してくれたのね。ありが——あれ?」

 言いかけて、私は物音に気づく。カツン、カツンと鳴る、足音に。


 音がする方向へ目をやる。すると、誰かが歩いてくるのが見えた。

 その「誰か」は、成人女性のような形をしている。
 女性にしてはやや背が高めで、しかし凹凸のある女らしい体つき。高いヒールのあるロングブーツを履いていて、脚はすらりと長い。そして、髪の緑と体の黒のコントラストが、目を引き付けて離さない。そこが一番印象的な点であった。

「こんばんは。会えて嬉しいわ」
「……何者?」

 トリスタンは、いきなり現れた謎の女性に対し、少なからず不信感を抱いているようだ。眉をひそめ、牽制するような低い声を出している。

 しかし女性はいたって冷静で、口元には笑みすら浮かべていた。

「あたしの名はリュビエ。ボスの一番の部下よ」

 目の前の彼女——リュビエは、目元を隠すゴーグルのようなものの位置を指で整えつつ、余裕のある声で名乗る。格好こそレヴィアス人とは思えないような珍妙なものだが、姿かたちは比較的レヴィアス人に近い。

「マレイちゃんを連れていきたいという話なら、お断りだよ」

 一歩前に出、険しい表情で述べるトリスタン。彼の美しい顔は今、警戒心に染まっている。
 深みのある青をした瞳は鋭い視線を放ち、それが彼の美貌を更なる高みへと連れていって……って、違う! そんなことを考えている場合ではない!

「お前が噂の騎士ナイトさんね? うふふ。話はゼーレから聞いているわ」

 黒のボディスーツに包まれたリュビエの腕には、数匹の蛇が絡んでいた。しかし、じっと見つめるまでは気づかなかったほど、自然な感じだ。

「やっぱり……ゼーレの仲間ってわけだ」
「えぇ、そうよ。でもあたしは、あんな情けないやつとは違う。もっと優秀なの」

 リュビエが片手を前へ出す。
 それと同時に、トリスタンは剣を構える。

「だから、愚かな失敗なんてしないわ」

 言い終わるや否や、細い蛇がトリスタンへ飛びかかった。
 一瞬では数えきれないほどの匹数だ。無数、という表現が相応しいかと思われる。

 だがトリスタンとて馬鹿ではない。リュビエがどう仕掛けてくるか、見事に読んでいた。

 彼は舞うように回転しながら剣を振り、蛇たちを近寄らせない作戦をとる。接近されれば倒しきれず、絡みつかれるからだろう。これは、大蛇と同時に現れた細い蛇たちとの一戦があったからこそ、考えられた作戦に違いない。そういう意味では、あの一戦も無意味ではなかったようである。

「うふふ……さすがに読まれているわよね」

 細い蛇たちは次から次へと消滅させられている。なのに、リュビエの表情からは、一向に余裕の色が消えない。

「じゃ、これならどうかしら」

 突然リュビエが言った。急な発言に警戒したトリスタンは、ほんの一瞬動きを止める。

 次の瞬間、トリスタンは怪訝な顔をした。
 何かと思い、私は目を凝らす。すると、数センチくらいしか長さのない極めて短い蛇が、彼の首にさりげなく張り付いているのが見えた。

「赤い……蛇?」

 私は思わず漏らす。
 非常に短いため、蛇という確信すら持てない。


 ——直後。
 トリスタンは膝を折り、床にしゃがみ込んだ。しかも顔面蒼白で、目も虚ろにになっている。明らかに様子がおかしい。

「ちゃんと効いたみたいね」
「……毒?」
「そうよ。筋肉を動けなくする毒だもの、直に座ることさえできなくなるわ。即効性だから、一分もかからないはず」

 ふふっ、と、リュビエは勝ち誇ったように笑う。

「さて」

 それから彼女は、会話の対象をこちらへ移す。

「これで邪魔されずに済むわね。マレイ・チャーム・カトレア、確保させていただくわ」
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