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episode.46 連れられた先にて
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その頃、リュビエに連れていかれたトリスタンは、見知らぬ場所で目を覚ましていた。
「……ここは」
トリスタンは首を傾げながら、一人呟く。そして、黒い床を撫でてみる。ひんやりとしていた。金属製なのだろうな、とトリスタンは思う。だからどうといったことはないが。
それから彼は、周囲をぐるりと見渡したが、人一人いない。
存在するのはだだっ広い空間と高い天井だけだ。
静寂の中、トリスタンはマレイのことを思い出しているのだろう。自身が育てている大切な人に思いを馳せる彼の瞳は、どこか寂しげな色を湛えていた。
そこへ、一人の女性が現れる。
カツンカツンと足音を立てながら、トリスタンの前まで歩いてきたのは、リュビエ。うねった緑の髪と黒いボディスーツが印象的な女性である。
「目が覚めたみたいね」
「……リュビエ」
執拗にマレイを狙ってきていた女の姿に、トリスタンは険しい表情になる。
彼の整った顔は、黙っていると女神のよう。微笑んでいる時などは天使のよう。けれども今は、そんな柔らかさはない。
「ここは?」
トリスタンはリュビエへ鋭い視線を向け、低い声で尋ねた。
するとリュビエは、ふふっ、と色っぽく笑う。
「興味があるのね。意外だわ」
「そういうのは要らない。質問に答えてもらえるかな」
きっぱりと言い放つトリスタン。
今の彼には、マレイに接する時のような優しげな雰囲気は、欠片も存在していない。顔つきも、声色も、敵と戦う戦士のそれだ。
強気に出たトリスタンに対し、リュビエは威嚇するように言い放つ。
「ほざくんじゃないわよ」
彼女はトリスタンのすぐ近くにしゃがみ込む、彼の顎をクイッと持ち上げる。
「ここがどこか、ちっとも分かっていないようね」
トリスタンはすぐに、彼女の手を払い除けた。
強気な姿勢は崩さない。弱さを見せないよう振る舞い、同時に、今自分が置かれている状況を判断しようとしているのだと思われる。
「だから聞いているんだけどね」
彼らしくない、挑発するような口調だ。
リュビエは挑発を軽くかわし、落ち着いた調子で返す。
「そんな偉そうな口を利ける立場じゃないのよ、お前は。ここじゃお前は一番下。もっと礼儀正しくなさい」
「言っている意味が分からない。僕は僕だよ。自分の好きなように振る舞う」
「お前っ……!」
ここまできて、リュビエはようやく怒りを露わにした。
急激に機嫌が悪くなった彼女は、トリスタンの白い衣装の襟を、乱雑に掴む。女性らしからぬ乱暴な動作だ。
「今からボスのところへ行くのよ! 無礼は許されないわ!」
脅すように激しく述べるリュビエ。
しかしトリスタンは、この程度で怖がりはしなかった。
長年化け物のいる戦場に立ち続け、何度も死線を越えてきたのだ。少々大きな声を出された程度では、怯みさえしない。痛くも痒くもない、というやつである。
「君のボスかもしれないけれど、僕のボスじゃない。だから無礼も何もないと思うけどね」
「黙りなさい! レヴィアス人風情が!」
リュビエが吐いた罵声に、トリスタンの表情が変わる。
「レヴィアス人……風情だって?」
直後、トリスタンはリュビエの脚に蹴りを加えた。
襟を掴む手の力が微かに緩んだ瞬間を見逃さず、彼女から距離をとる。
そしてすぐさま、腕時計を着けている左手首へ右手を伸ばす。
——その瞬間、異変に気づく。
「……ない!?」
左手首に間違いなく装着していたはずの腕時計が、こつぜんと姿を消していたのだ。腕時計が無くては化け物とはまともに戦えない。さすがのトリスタンも、焦りを見せる。
彼はすぐに周囲の床へ視線を向けた。落としたのかもしれない、と思ったのであろう。しかし、床にも見当たらなかった。
先ほどまでとは別人のように焦燥感を露わにするトリスタンを見て、リュビエはくすくすと笑う。口元に手を添え笑う様は一見上品にも感じられる。けれども、その笑い自体は嘲りに満ちていて、上品などといったものではない。
「何をそんなに慌てているのかしら?」
「……まさか」
その時になって、トリスタンはようやく気づく。意識がない間にリュビエに奪われたという可能性に。
「まさか、何よ?」
「腕時計は今は君が持っているのかな」
するとリュビエは、突然、高らかに笑い声をあげた。
「何よ、それ! まさかなんて話じゃないじゃない! そうに決まっているでしょ!?」
広い空間に、リュビエのかん高い笑い声が響く。
「何を言い出すかと思えば、それ!? やぁね! 武装解除するのは当たり前よ!」
トリスタンは大笑いされる屈辱に何も言い返さず耐えた。ここでカッとなれば相手の思うつぼだと判断したのだろう。腕時計を奪われたことでかなり焦っている彼だが、こんな見え透いた罠にかかるほど未熟ではない。
「腕時計は君が持っているんだね」
「そうよ。だったら?」
リュビエは余裕に満ちた表情で髪を掻き上げる。
身体能力を強化していないトリスタンなど敵ではない、と思っているような顔つきだ。
「……なら、取り返すまで」
トリスタンは固さのある声で述べた。青い瞳は、リュビエの姿だけを捉えている。
「腕時計無しで、あたしとやり合うつもり? 無理しない方が良いわよ」
リュビエはトリスタンを見下したように笑う。
しかしトリスタンは落ち着いた表情を崩さない。彼女の姿を真っ直ぐ見据えたまま、戦闘体勢をとっている。
——数秒後。
トリスタンは床を蹴り、リュビエに向かって駆けていく。
「美しい男にだって、あたしは手加減しないわよ」
リュビエは細い蛇の化け物を作り出し、トリスタンを迎え撃つ。
対するトリスタンは、細い蛇の化け物たちを軽やかにかわしていく。そして、あっという間にリュビエとの距離を縮める。
腕時計による身体能力の強化はない。しかしそれでも、能力が高いことには変わりがなかった。
「返してもらうよ」
「身の程知らずはいい加減にしてちょうだい」
こうして、腕時計の無いトリスタンとリュビエの戦いが、幕を開けた。
「……ここは」
トリスタンは首を傾げながら、一人呟く。そして、黒い床を撫でてみる。ひんやりとしていた。金属製なのだろうな、とトリスタンは思う。だからどうといったことはないが。
それから彼は、周囲をぐるりと見渡したが、人一人いない。
存在するのはだだっ広い空間と高い天井だけだ。
静寂の中、トリスタンはマレイのことを思い出しているのだろう。自身が育てている大切な人に思いを馳せる彼の瞳は、どこか寂しげな色を湛えていた。
そこへ、一人の女性が現れる。
カツンカツンと足音を立てながら、トリスタンの前まで歩いてきたのは、リュビエ。うねった緑の髪と黒いボディスーツが印象的な女性である。
「目が覚めたみたいね」
「……リュビエ」
執拗にマレイを狙ってきていた女の姿に、トリスタンは険しい表情になる。
彼の整った顔は、黙っていると女神のよう。微笑んでいる時などは天使のよう。けれども今は、そんな柔らかさはない。
「ここは?」
トリスタンはリュビエへ鋭い視線を向け、低い声で尋ねた。
するとリュビエは、ふふっ、と色っぽく笑う。
「興味があるのね。意外だわ」
「そういうのは要らない。質問に答えてもらえるかな」
きっぱりと言い放つトリスタン。
今の彼には、マレイに接する時のような優しげな雰囲気は、欠片も存在していない。顔つきも、声色も、敵と戦う戦士のそれだ。
強気に出たトリスタンに対し、リュビエは威嚇するように言い放つ。
「ほざくんじゃないわよ」
彼女はトリスタンのすぐ近くにしゃがみ込む、彼の顎をクイッと持ち上げる。
「ここがどこか、ちっとも分かっていないようね」
トリスタンはすぐに、彼女の手を払い除けた。
強気な姿勢は崩さない。弱さを見せないよう振る舞い、同時に、今自分が置かれている状況を判断しようとしているのだと思われる。
「だから聞いているんだけどね」
彼らしくない、挑発するような口調だ。
リュビエは挑発を軽くかわし、落ち着いた調子で返す。
「そんな偉そうな口を利ける立場じゃないのよ、お前は。ここじゃお前は一番下。もっと礼儀正しくなさい」
「言っている意味が分からない。僕は僕だよ。自分の好きなように振る舞う」
「お前っ……!」
ここまできて、リュビエはようやく怒りを露わにした。
急激に機嫌が悪くなった彼女は、トリスタンの白い衣装の襟を、乱雑に掴む。女性らしからぬ乱暴な動作だ。
「今からボスのところへ行くのよ! 無礼は許されないわ!」
脅すように激しく述べるリュビエ。
しかしトリスタンは、この程度で怖がりはしなかった。
長年化け物のいる戦場に立ち続け、何度も死線を越えてきたのだ。少々大きな声を出された程度では、怯みさえしない。痛くも痒くもない、というやつである。
「君のボスかもしれないけれど、僕のボスじゃない。だから無礼も何もないと思うけどね」
「黙りなさい! レヴィアス人風情が!」
リュビエが吐いた罵声に、トリスタンの表情が変わる。
「レヴィアス人……風情だって?」
直後、トリスタンはリュビエの脚に蹴りを加えた。
襟を掴む手の力が微かに緩んだ瞬間を見逃さず、彼女から距離をとる。
そしてすぐさま、腕時計を着けている左手首へ右手を伸ばす。
——その瞬間、異変に気づく。
「……ない!?」
左手首に間違いなく装着していたはずの腕時計が、こつぜんと姿を消していたのだ。腕時計が無くては化け物とはまともに戦えない。さすがのトリスタンも、焦りを見せる。
彼はすぐに周囲の床へ視線を向けた。落としたのかもしれない、と思ったのであろう。しかし、床にも見当たらなかった。
先ほどまでとは別人のように焦燥感を露わにするトリスタンを見て、リュビエはくすくすと笑う。口元に手を添え笑う様は一見上品にも感じられる。けれども、その笑い自体は嘲りに満ちていて、上品などといったものではない。
「何をそんなに慌てているのかしら?」
「……まさか」
その時になって、トリスタンはようやく気づく。意識がない間にリュビエに奪われたという可能性に。
「まさか、何よ?」
「腕時計は今は君が持っているのかな」
するとリュビエは、突然、高らかに笑い声をあげた。
「何よ、それ! まさかなんて話じゃないじゃない! そうに決まっているでしょ!?」
広い空間に、リュビエのかん高い笑い声が響く。
「何を言い出すかと思えば、それ!? やぁね! 武装解除するのは当たり前よ!」
トリスタンは大笑いされる屈辱に何も言い返さず耐えた。ここでカッとなれば相手の思うつぼだと判断したのだろう。腕時計を奪われたことでかなり焦っている彼だが、こんな見え透いた罠にかかるほど未熟ではない。
「腕時計は君が持っているんだね」
「そうよ。だったら?」
リュビエは余裕に満ちた表情で髪を掻き上げる。
身体能力を強化していないトリスタンなど敵ではない、と思っているような顔つきだ。
「……なら、取り返すまで」
トリスタンは固さのある声で述べた。青い瞳は、リュビエの姿だけを捉えている。
「腕時計無しで、あたしとやり合うつもり? 無理しない方が良いわよ」
リュビエはトリスタンを見下したように笑う。
しかしトリスタンは落ち着いた表情を崩さない。彼女の姿を真っ直ぐ見据えたまま、戦闘体勢をとっている。
——数秒後。
トリスタンは床を蹴り、リュビエに向かって駆けていく。
「美しい男にだって、あたしは手加減しないわよ」
リュビエは細い蛇の化け物を作り出し、トリスタンを迎え撃つ。
対するトリスタンは、細い蛇の化け物たちを軽やかにかわしていく。そして、あっという間にリュビエとの距離を縮める。
腕時計による身体能力の強化はない。しかしそれでも、能力が高いことには変わりがなかった。
「返してもらうよ」
「身の程知らずはいい加減にしてちょうだい」
こうして、腕時計の無いトリスタンとリュビエの戦いが、幕を開けた。
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