73 / 147
episode.72 どうしようもない二人
しおりを挟む
トリスタンは意識のないゼーレをアニタの宿へと運んだ。マレイがシブキガニ退治に残ることを選んだからである。
ゼーレの応急処置は、既に宿に戻っていたアニタが行った。応急処置、と言っても、止血や傷口の消毒などの簡単な処置だけ。ではあるが、「取り敢えず死は免れただろう」と、トリスタンはほっとしていた。
もし仮にゼーレが命を落とすようなことがあっては、信じて託してくれたマレイに合わせる顔がないからである。
その後ゼーレは、アニタが気を利かせて用意してくれた一階の個室のベッドに、横たえられた。狭い部屋の中、トリスタンはゼーレが意識を取り戻すのを待つ。
「マレイちゃん……どうか無事で」
静寂の中、トリスタンは祈るように呟く。
たとえ離れた場所にいても、彼にとってマレイが大切な存在であることに変わりはない。だから、彼は今も、マレイの身を案じている。
それから、数十分ほど経過した時。
「……カトレア……」
ベッドに横たえられていたゼーレが、突然、はっきりしない声で何かを漏らした。
何を言っているのだろう、と疑問に思ったトリスタンは、ゼーレに近づき耳を澄ます。
「すみません……いつも……で」
ゼーレは、目は開いていないし、体が動いてもいない。それらのことから、トリスタンは、ただの寝言だろうと判断した。
「それでも……貴女が」
これ以上は耳を澄まして聞く必要もない——とトリスタンが思った刹那。
「……愛しい」
意識のないゼーレの唇から漏れた一言が、トリスタンを動揺の渦に巻き込んだ。平穏な街を突如嵐が襲ったかのように。
トリスタンは思わず立ち上がる。
今は弱者の立場にあるゼーレにだから手は出さない。だが、これがもし本調子なゼーレの発言だったなら、トリスタンは間違いなく手を出していたことだろう。
それほどに、トリスタンを動揺させる一言だったのだ。
その数分後。
ゼーレが唐突に、上半身をむくりと起こした。意識が戻ったようである。
彼はトリスタンの姿を発見するや否や、尋ねる。
「……ここは?」
それに対しトリスタンは、「宿だよ」とだけ返した。
そっけない言い方だ。その声は、マレイに話す時の優しい声とは別人のような、淡々とした声である。
「相変わらず愛想が悪いですねぇ……」
「偉そうなことを言わないでくれるかな。君をここまで運んだのは僕なんだから」
空気は凍りつくように冷たい。
もし仮に、この場にマレイがいたとしたら、きっと胃を痛めていたことだろう。
「ゼーレ。ちょっといいかな」
氷河期のような空気が漂う中、先に話を切り出したのはトリスタン。
「……何です」
「君はマレイちゃんのことが好きなの?」
トリスタンの真っ直ぐな問いに、割れた仮面の隙間から覗くゼーレの顔面が一瞬強張る。しかしゼーレは、すぐに、普段通りの表情に戻った。
「……はっ。馬鹿らしい。そんなこと、ありえないでしょう」
否定するゼーレに、トリスタンは言葉を重ねる。
「眠っている時、『愛しい』とか言っていたけど、あれは?」
「何です、それは。ただの聞き間違いでしょう」
「いや、間違いなく言っていたよ。だって、僕はこの耳で聞いたからね」
執拗に言われ、眉を寄せるゼーレ。
「私には意味が分からないのですが」
「だからね。君が眠っている時に、マレイちゃんのことを『愛しい』って言っていたんだよ。あれは何? マレイちゃんを好きってことじゃないの?」
するとゼーレは、急に態度を変える。
「もしそうだったら……どうするつもりです?」
ゼーレは片側の口角を微かに持ち上げ、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。少し遊んでやろう、とでも思ったのかもしれない。
「僕としては、はっきりしてもらいたいところだね。好きなのか、そうじゃないのか、どっちなのかな」
トリスタンの表情は真剣そのものだ。
彼の青い双眸は、鋭い光をたたえながら、ゼーレをじっと見つめている。戦闘時ほどではないが、それに近しいくらいの、真剣な目つきだ。
そして、暫し沈黙。
長い静寂が部屋を包み込んだ。
トリスタンもゼーレも、何も言葉を発さない。先に口を開いた方の負け、というゲームをしているかのように、どちらも何も言わない。まさに黙り合いである。
もともと意地を張るようなところがある二人だ。こういうことになるのも仕方がない。
もっとも、マレイがいる時なら、話は別なのだろうが。
「……カトレアは今どこにいるのです?」
長い沈黙を先に破ったのはゼーレ。
黙り合いが始まり、既に十数分ほどが経った時であった。
「まだ砂浜にいるよ」
愛想なく答えるトリスタン。
「まったく、不愛想な男ですねぇ……ま、問いに答えるだけまだましですが」
そっけない態度をとられ続けているゼーレは、半ば独り言のような愚痴を漏らしていた。
しかしトリスタンは無視をする。
その態度に、「話にならない」と思ったのか、ゼーレは再び上半身を倒した。ベッドに横たわり、天井をぼんやりと眺めている。
一方のトリスタンはというと、室内にある椅子に腰をかけながら、瞼を閉じ、唇を一文字に結んでいた。ゼーレと関わりたくない、という気持ちが、態度に露骨に表れている。
その後も沈黙は続いた。
マレイのいない空間でゼーレとトリスタンが共存するのは、かなり難しいようだ。間に入るクッションのようなマレイがいれば何とかなるが、二人だけとなると、弾き合うばかり。
どうしようもない。
ゼーレの応急処置は、既に宿に戻っていたアニタが行った。応急処置、と言っても、止血や傷口の消毒などの簡単な処置だけ。ではあるが、「取り敢えず死は免れただろう」と、トリスタンはほっとしていた。
もし仮にゼーレが命を落とすようなことがあっては、信じて託してくれたマレイに合わせる顔がないからである。
その後ゼーレは、アニタが気を利かせて用意してくれた一階の個室のベッドに、横たえられた。狭い部屋の中、トリスタンはゼーレが意識を取り戻すのを待つ。
「マレイちゃん……どうか無事で」
静寂の中、トリスタンは祈るように呟く。
たとえ離れた場所にいても、彼にとってマレイが大切な存在であることに変わりはない。だから、彼は今も、マレイの身を案じている。
それから、数十分ほど経過した時。
「……カトレア……」
ベッドに横たえられていたゼーレが、突然、はっきりしない声で何かを漏らした。
何を言っているのだろう、と疑問に思ったトリスタンは、ゼーレに近づき耳を澄ます。
「すみません……いつも……で」
ゼーレは、目は開いていないし、体が動いてもいない。それらのことから、トリスタンは、ただの寝言だろうと判断した。
「それでも……貴女が」
これ以上は耳を澄まして聞く必要もない——とトリスタンが思った刹那。
「……愛しい」
意識のないゼーレの唇から漏れた一言が、トリスタンを動揺の渦に巻き込んだ。平穏な街を突如嵐が襲ったかのように。
トリスタンは思わず立ち上がる。
今は弱者の立場にあるゼーレにだから手は出さない。だが、これがもし本調子なゼーレの発言だったなら、トリスタンは間違いなく手を出していたことだろう。
それほどに、トリスタンを動揺させる一言だったのだ。
その数分後。
ゼーレが唐突に、上半身をむくりと起こした。意識が戻ったようである。
彼はトリスタンの姿を発見するや否や、尋ねる。
「……ここは?」
それに対しトリスタンは、「宿だよ」とだけ返した。
そっけない言い方だ。その声は、マレイに話す時の優しい声とは別人のような、淡々とした声である。
「相変わらず愛想が悪いですねぇ……」
「偉そうなことを言わないでくれるかな。君をここまで運んだのは僕なんだから」
空気は凍りつくように冷たい。
もし仮に、この場にマレイがいたとしたら、きっと胃を痛めていたことだろう。
「ゼーレ。ちょっといいかな」
氷河期のような空気が漂う中、先に話を切り出したのはトリスタン。
「……何です」
「君はマレイちゃんのことが好きなの?」
トリスタンの真っ直ぐな問いに、割れた仮面の隙間から覗くゼーレの顔面が一瞬強張る。しかしゼーレは、すぐに、普段通りの表情に戻った。
「……はっ。馬鹿らしい。そんなこと、ありえないでしょう」
否定するゼーレに、トリスタンは言葉を重ねる。
「眠っている時、『愛しい』とか言っていたけど、あれは?」
「何です、それは。ただの聞き間違いでしょう」
「いや、間違いなく言っていたよ。だって、僕はこの耳で聞いたからね」
執拗に言われ、眉を寄せるゼーレ。
「私には意味が分からないのですが」
「だからね。君が眠っている時に、マレイちゃんのことを『愛しい』って言っていたんだよ。あれは何? マレイちゃんを好きってことじゃないの?」
するとゼーレは、急に態度を変える。
「もしそうだったら……どうするつもりです?」
ゼーレは片側の口角を微かに持ち上げ、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。少し遊んでやろう、とでも思ったのかもしれない。
「僕としては、はっきりしてもらいたいところだね。好きなのか、そうじゃないのか、どっちなのかな」
トリスタンの表情は真剣そのものだ。
彼の青い双眸は、鋭い光をたたえながら、ゼーレをじっと見つめている。戦闘時ほどではないが、それに近しいくらいの、真剣な目つきだ。
そして、暫し沈黙。
長い静寂が部屋を包み込んだ。
トリスタンもゼーレも、何も言葉を発さない。先に口を開いた方の負け、というゲームをしているかのように、どちらも何も言わない。まさに黙り合いである。
もともと意地を張るようなところがある二人だ。こういうことになるのも仕方がない。
もっとも、マレイがいる時なら、話は別なのだろうが。
「……カトレアは今どこにいるのです?」
長い沈黙を先に破ったのはゼーレ。
黙り合いが始まり、既に十数分ほどが経った時であった。
「まだ砂浜にいるよ」
愛想なく答えるトリスタン。
「まったく、不愛想な男ですねぇ……ま、問いに答えるだけまだましですが」
そっけない態度をとられ続けているゼーレは、半ば独り言のような愚痴を漏らしていた。
しかしトリスタンは無視をする。
その態度に、「話にならない」と思ったのか、ゼーレは再び上半身を倒した。ベッドに横たわり、天井をぼんやりと眺めている。
一方のトリスタンはというと、室内にある椅子に腰をかけながら、瞼を閉じ、唇を一文字に結んでいた。ゼーレと関わりたくない、という気持ちが、態度に露骨に表れている。
その後も沈黙は続いた。
マレイのいない空間でゼーレとトリスタンが共存するのは、かなり難しいようだ。間に入るクッションのようなマレイがいれば何とかなるが、二人だけとなると、弾き合うばかり。
どうしようもない。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる