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episode.84 左腕を診てもらう
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帝都にある基地へと戻った私は、フランシスカの提案もあって、医師に診てもらうことになった。無論、この左腕の傷を、である。
私は、フランシスカに、医師がいる部屋まで案内してもらった。
なんせ、そこへ行くのは今日が初めてなのだ。
「こんなくらいで行ってしまって本当に大丈夫なの?」
「もちろん! 十分な怪我だよっ」
確かに、私にとってはこれまでにないほどの重傷だ。しかし、それはあくまで私史上のことであって、この程度の傷はよくあることかもしれない。こんなくらいで騒ぐなんて馬鹿だ、と思われないか若干心配である。
医師がいるという部屋に着くと、フランシスカは、その扉をコンコンと軽くノックする。それから、「失礼しまーす」と言って、扉を開けた。
「……マレイちゃん?」
直後、私の名を放つ声が耳へ入ってきた。
なんという偶然だろうか、と私は驚く。トリスタンがいたからである。彼は医師と思われる人と向かい合わせに座っていた。
「トリスタン!」
私が彼の名を呼ぶより早く、フランシスカが口を開く。睫毛に彩られた丸い瞳は、いつになく輝いている。真夏の太陽のように。
だが、トリスタンの表情はというと、フランシスカのそれとは真逆だ。
「あぁ。君も一緒だったんだ」
「トリスタン、体調は大丈夫っ? 困ったことがあったらフランに言って! 協力するからっ」
「ありがとう。多分頼まないと思うけど」
相変わらずフランシスカにはそっけないトリスタンだった。
この時ばかりは「さすがにもう少し優しくしてあげても……」と思ってしまった。フランシスカだって明るく振る舞っているのだから、少しは親しみを持って接してあげればいいのに。
「マレイちゃん、どうしてここに?」
トリスタンはフランシスカを通り過ぎ、金の髪をなびかせながらこちらへ歩み寄ってくる。穏やかな色が浮かぶ彼の顔は相変わらず整っていて、見惚れてしまった。
「ちょっと怪我したの。それで、フランさんが、診てもらっておいた方がいいって」
「け、怪我!? そんな!!」
「待って、落ち着いて。トリスタン、落ち着いて!」
慌てた様子の彼を制止してから、すぐに医師の方を向く。
トリスタンと話しにわざわざここまで来たのではない。私がここへ来たのは、傷の状態をチェックしてもらうためである。
「あの、今診ていただいても大丈夫でしょうか?」
すると、私たちがどたばたしているのを微笑んで眺めていた老齢の医師は、こくりと頷いた。
「もちろんもちろん。怪我かな?」
「怪我です」
「おぉそうかい。ではここへ座ってもらえるかな?」
「はい。ありがとうございます」
心の広そうな人で、私は内心ほっとした。「このくらいで来るな!」と怒られたらどうしよう、と密かに不安だったからである。
「では傷を見せてくれるかな?」
「はい」
トリスタンやフランシスカも見守る中、私は制服の左袖をめくり上げる。アニタが応急処置で巻いてくれた包帯に包まれた腕が露わになると、トリスタンが動揺したように呟く。
「そんな。マレイちゃんが本当に怪我を……」
老齢の医師は、私の左腕をそっと掴むと、「少々失礼するね」と告げてから包帯に手をかける。そして、慣れた手つきで器用に包帯を解いていく。
こんな上手な解き方、私にはできそうにない。
さすがは医師、といったところか。
やがて、包帯がすべて外れると、切り裂かれたような傷のある皮膚が露出する。クロの爪にやられた傷は、見た目が派手だった。自分でこんなことを言うのなんだが、かなり痛そうな見た目をしている。
「おぉ……」
何とも言えない、といった顔をする老齢の医師。
表情はただの優しいおじいちゃんのそれだ。
しかし、目つきはただのおじいちゃんのものではない。彼の目からは、傷に向き合う真っ直ぐな心が伝わってくる。私の左腕を見つめる、彼の鋭い眼光は、非常に印象的だった。
「これは結構派手にいったね。よし、まずは消毒しようか」
「お願いします」
「すこーし沁みるかもしれないけど、我慢してね」
「はい。分かりました」
傷を左腕の傷を消毒してもらった。
それから、うっかり忘れかけていた脇腹の方も診てもらう。老齢の医師によれば、脇腹の方は比較的軽傷らしい。
それを聞いて、私はほっとした。
もしここで重傷だなんて言われたら、トリスタンやフランシスカを心配させてしまう——そんなのは嫌だったから。
「でもマレイちゃん、軽傷で良かったねっ」
「えぇ。ほっとしたわ」
診察室を出ると、私は、トリスタンとフランシスカと三人で、食堂へ向かった。食堂でなら喋りつつ休息できるかな、と思ったからだ。
「怪我なんて慣れないから、本当は少し心配だったの。だから、フランさんが『診てもらった方が』って言ってくれて、凄く助かったわ」
するとフランシスカは、腕組みをしながら、顎をくいっと持ち上げる。誇らしげな表情だ。
「でしょ? フラン、役に立つでしょ!」
「えぇ。本当に」
「これからもどんどん頼ってくれていいからねっ」
なぜだろう。今日は妙に親切だ。
そこへ口を挟んでくるのはトリスタン。
「役に立つと言うのなら、マレイちゃんを怪我させないでほしかったな」
トリスタンの言葉は、フランシスカへ向けられたものだった。不満の色に満ちた、静かながらも鋭さのある言葉である。
「怪我させておいて、役に立つなんてよく言えるね」
「……ごめん」
フランシスカはらしくなく落ち込んだ顔をした。お気に入りの異性から鋭い言葉を浴びせられるのは堪えるのかもしれない。
だが、これはさすがに、フランシスカが可哀想だ。だから私は、トリスタンへ声をかけた。
「トリスタン、フランさんは悪くないのよ。怪我したのは私が弱かっただけだわ。フランさんは私に的確なアドバイスをしてくれたの。だから、そんな言い方をしないで」
するとトリスタンは、暫し、考え込むように口を閉じた。
私が言っていることを理解してくれればいいのだが……。
「心配してくれているのは嬉しいわ。でも、他の人を責めるのは止めてちょうだい」
「……そうだね」
やがて口を開くトリスタン。
その表情は、柔らかなものだった。
「ごめん。マレイちゃんがそう言うなら気をつけるよ」
私は、フランシスカに、医師がいる部屋まで案内してもらった。
なんせ、そこへ行くのは今日が初めてなのだ。
「こんなくらいで行ってしまって本当に大丈夫なの?」
「もちろん! 十分な怪我だよっ」
確かに、私にとってはこれまでにないほどの重傷だ。しかし、それはあくまで私史上のことであって、この程度の傷はよくあることかもしれない。こんなくらいで騒ぐなんて馬鹿だ、と思われないか若干心配である。
医師がいるという部屋に着くと、フランシスカは、その扉をコンコンと軽くノックする。それから、「失礼しまーす」と言って、扉を開けた。
「……マレイちゃん?」
直後、私の名を放つ声が耳へ入ってきた。
なんという偶然だろうか、と私は驚く。トリスタンがいたからである。彼は医師と思われる人と向かい合わせに座っていた。
「トリスタン!」
私が彼の名を呼ぶより早く、フランシスカが口を開く。睫毛に彩られた丸い瞳は、いつになく輝いている。真夏の太陽のように。
だが、トリスタンの表情はというと、フランシスカのそれとは真逆だ。
「あぁ。君も一緒だったんだ」
「トリスタン、体調は大丈夫っ? 困ったことがあったらフランに言って! 協力するからっ」
「ありがとう。多分頼まないと思うけど」
相変わらずフランシスカにはそっけないトリスタンだった。
この時ばかりは「さすがにもう少し優しくしてあげても……」と思ってしまった。フランシスカだって明るく振る舞っているのだから、少しは親しみを持って接してあげればいいのに。
「マレイちゃん、どうしてここに?」
トリスタンはフランシスカを通り過ぎ、金の髪をなびかせながらこちらへ歩み寄ってくる。穏やかな色が浮かぶ彼の顔は相変わらず整っていて、見惚れてしまった。
「ちょっと怪我したの。それで、フランさんが、診てもらっておいた方がいいって」
「け、怪我!? そんな!!」
「待って、落ち着いて。トリスタン、落ち着いて!」
慌てた様子の彼を制止してから、すぐに医師の方を向く。
トリスタンと話しにわざわざここまで来たのではない。私がここへ来たのは、傷の状態をチェックしてもらうためである。
「あの、今診ていただいても大丈夫でしょうか?」
すると、私たちがどたばたしているのを微笑んで眺めていた老齢の医師は、こくりと頷いた。
「もちろんもちろん。怪我かな?」
「怪我です」
「おぉそうかい。ではここへ座ってもらえるかな?」
「はい。ありがとうございます」
心の広そうな人で、私は内心ほっとした。「このくらいで来るな!」と怒られたらどうしよう、と密かに不安だったからである。
「では傷を見せてくれるかな?」
「はい」
トリスタンやフランシスカも見守る中、私は制服の左袖をめくり上げる。アニタが応急処置で巻いてくれた包帯に包まれた腕が露わになると、トリスタンが動揺したように呟く。
「そんな。マレイちゃんが本当に怪我を……」
老齢の医師は、私の左腕をそっと掴むと、「少々失礼するね」と告げてから包帯に手をかける。そして、慣れた手つきで器用に包帯を解いていく。
こんな上手な解き方、私にはできそうにない。
さすがは医師、といったところか。
やがて、包帯がすべて外れると、切り裂かれたような傷のある皮膚が露出する。クロの爪にやられた傷は、見た目が派手だった。自分でこんなことを言うのなんだが、かなり痛そうな見た目をしている。
「おぉ……」
何とも言えない、といった顔をする老齢の医師。
表情はただの優しいおじいちゃんのそれだ。
しかし、目つきはただのおじいちゃんのものではない。彼の目からは、傷に向き合う真っ直ぐな心が伝わってくる。私の左腕を見つめる、彼の鋭い眼光は、非常に印象的だった。
「これは結構派手にいったね。よし、まずは消毒しようか」
「お願いします」
「すこーし沁みるかもしれないけど、我慢してね」
「はい。分かりました」
傷を左腕の傷を消毒してもらった。
それから、うっかり忘れかけていた脇腹の方も診てもらう。老齢の医師によれば、脇腹の方は比較的軽傷らしい。
それを聞いて、私はほっとした。
もしここで重傷だなんて言われたら、トリスタンやフランシスカを心配させてしまう——そんなのは嫌だったから。
「でもマレイちゃん、軽傷で良かったねっ」
「えぇ。ほっとしたわ」
診察室を出ると、私は、トリスタンとフランシスカと三人で、食堂へ向かった。食堂でなら喋りつつ休息できるかな、と思ったからだ。
「怪我なんて慣れないから、本当は少し心配だったの。だから、フランさんが『診てもらった方が』って言ってくれて、凄く助かったわ」
するとフランシスカは、腕組みをしながら、顎をくいっと持ち上げる。誇らしげな表情だ。
「でしょ? フラン、役に立つでしょ!」
「えぇ。本当に」
「これからもどんどん頼ってくれていいからねっ」
なぜだろう。今日は妙に親切だ。
そこへ口を挟んでくるのはトリスタン。
「役に立つと言うのなら、マレイちゃんを怪我させないでほしかったな」
トリスタンの言葉は、フランシスカへ向けられたものだった。不満の色に満ちた、静かながらも鋭さのある言葉である。
「怪我させておいて、役に立つなんてよく言えるね」
「……ごめん」
フランシスカはらしくなく落ち込んだ顔をした。お気に入りの異性から鋭い言葉を浴びせられるのは堪えるのかもしれない。
だが、これはさすがに、フランシスカが可哀想だ。だから私は、トリスタンへ声をかけた。
「トリスタン、フランさんは悪くないのよ。怪我したのは私が弱かっただけだわ。フランさんは私に的確なアドバイスをしてくれたの。だから、そんな言い方をしないで」
するとトリスタンは、暫し、考え込むように口を閉じた。
私が言っていることを理解してくれればいいのだが……。
「心配してくれているのは嬉しいわ。でも、他の人を責めるのは止めてちょうだい」
「……そうだね」
やがて口を開くトリスタン。
その表情は、柔らかなものだった。
「ごめん。マレイちゃんがそう言うなら気をつけるよ」
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