暁のカトレア

四季

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episode.91 私が叩き潰すとしよう

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「ぐぎゃっ!」

 妄想にふけっていたシロは、突如叩き込まれた蹴りに、情けない悲鳴をあげた。
 無防備になっていたところに攻撃を受けたのだ、悲鳴をあげてしまうのも無理はない。しかし、それにしても、何とも言えないかっこ悪さである。

 シロの手が離れた隙に、ゼーレはその場から離れた。

「ががーん! やってしまったでごわす!」

 惜しいところで獲物を取り逃がし、顔面蒼白になるシロ。

「ゼーレ! こっちへ来て!」

 私は、蜘蛛型化け物の上に乗ったまま、ゼーレに対して言い放つ。
 この大きなチャンスを、逃すわけにはいかない。

「……そうします」

 ゼーレは時折よろけながらも、自力でこちらへ歩いてくる。その間、先ほどゼーレが生み出した蜘蛛型化け物たちは、シロに襲いかかっていっていた。
 シロが蜘蛛型化け物たちに翻弄されているうちに、ゼーレは私のいるところへたどり着く。

「ゼーレ、平気?」

 手を差し出すと、彼はこくりと頷く。

「この程度なら……どうということはありません」
「本当に?」
「もちろんです」

 ゼーレは私の手を取ると、蜘蛛型化け物の上へ上がってきた。慣れが伝わってくる動きだ。

 蜘蛛型化け物の上に二人が揃うと、私たちは顔を見合わせる。

「このまま逃げるの?」
「そうです。どのみち追ってくるでしょうが……ひとまず退きましょう」
「分かったわ」

 私たちは、最低限の言葉だけを交わす。

 そして、今度こそ部屋を脱出した。


 外へ出れば何とかなる。いくらでもいる隊員に助けてもらえる。
 そんな風に思っていた頃もあった。

 しかし、シロの前から脱走した私たちに突きつけられたのは、厳しい現実。

「そんな……!」

 襲撃を受けているのは、私たちだけではなかったのだ。
 耳をつんざくような警報音がけたたましく鳴り響き、廊下を隊員らが駆けていく。帝都ではなく、基地自体が襲撃を受けているようである。

 私はすぐに、ゼーレの方へと視線を向けた。

「これは……襲撃よね」
「どうやら、あの男一人ではなかったようですねぇ」

 仮面の隙間から覗くゼーレの顔は、いつもより強張っていた。いくら心の強い彼でも、この状況にはさすがに動揺しているのかもしれない。

「さて、どうしたものですかねぇ……」

 ゼーレは溜め息を漏らす。

 私は、場のただならぬ緊迫感に、まともに呼吸ができない。
 頭の中がぐちゃぐちゃになって、何か考えなくてはならないはずなのに、何も考えられない。

「……カトレア?」

 負傷者を連れているのだ、私がしっかりしなくては。そう思うのに、思いとは逆に、心はどんどん縮んでいってしまう。

 この期に及んで、この様だ。
 もはや、情けないとしか言い様がない。

「どうしたのです? ……本物の馬鹿にでもなりましたか」

 ちょっぴり棘のある言葉を吐いてくるゼーレ。
 だが、今の私には、言い返す余裕などない。

「ごめんなさい、ゼーレ。私、段々よく分からなくなってきたの」
「どういう意味です?」
「考えようとすればするほど、頭がこんがらがって、何から考えればいいか分からなくなるの」

 取り敢えず、今の状態を素直に話してみた。気の利いたことなんて言えないから。

 するとゼーレは、そっけなく、「一度落ち着けるところへ行きましょうか」と言う。

 決して温かな声色ではなかったけれど、それでも、彼の存在は私の支えになってくれた。一人でいるより二人でいる方が、ずっと気が楽である。


 行く先をゼーレに委ね、暫し時が流れた。

 私たちは偶然、長槍を持ったグレイブに遭遇する。

「グレイブさん!」

 彼女の姿を見るや否や、私は、半ば無意識に呼んでいた。
 しっとりとした長い黒髪。凛々しい顔立ち。血のような紅の塗られた唇。今はただ、そのすべてが頼もしく感じられた。

「おぉ。マレイか」

 長槍を握ったグレイブは、私の呼びかけに反応して振り返る。黒髪が、華麗にひらりと揺れていた。

「ゼーレも一緒か。二人とも、そんなところで何をしている」

 グレイブの問いに答えるのはゼーレ。

「指定された部屋で待っていたところ……曲者に襲われましてねぇ」
「指定された部屋? 報告会を予定していた部屋のことか」

 眉をひそめるグレイブ。眉間にしわがよってもなお、その容貌は美しい。

「そうです」
「まだそこにいたのか?」
「皆さんが遅いので、仕方なく待っていたのですがねぇ……」

 ゼーレはグレイブをじっとりと睨んでいる。
 ちなみに、睨んでいると言ってもそんなに鋭い睨み方ではない。鋭利というよりは、重苦しいような睨み方だ。

「おかしいな。襲撃のため中止だと、放送を流したはずなのだが」
「聞いていませんねぇ……」

 確かに、中止の知らせなど聞いた覚えはない。

「そうか、伝達ミスかもしれないな。すまなかった。それでその——」

 グレイブはひと呼吸空けて続ける。

「曲者とは、どんなやつだったんだ?」

 彼女の漆黒の瞳はゼーレを捉えていた。彼女の勇猛さが肌で感じられるような目つきである。
 なんというか、凄くかっこいい。

「詳しくは知りませんが……いかにも野蛮の極みといった感じの人間でしたねぇ。あまり関わりたくない感じの輩でした」

 物凄く同感だ。
 あんな凶暴な男とは、もう関わりたくない。


 だが、運命は残酷だった。
 苦難からそう易々と逃れさせてはくれない。

「逃がさんでごわーっすっ!!」

 ドスドスと激しい足音を立てながら、凄まじい勢いで走ってくるシロが見えた。やはり諦めてくれはしなかったようだ。

「来たわ! ゼーレ!」
「はぁ……鬱陶しいですねぇ……」

 ゼーレは漏らす。その顔には、疲労の色が濃く浮かんでいる。

「ほう。あれが例の曲者なのだな」

 駆けてくるシロを見て、口を開いたのはグレイブ。

「では私が叩き潰すとしよう」

 彼女は長槍を構えた。
 黒い髪がしゃらんと揺れる。まるで、夜の始まりを告げるかのように。
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