94 / 147
episode.93 宣戦布告
しおりを挟む
それからのグレイブは凄まじかった。
目から放たれる本気の視線。しなやかさと豪快さのある槍術。そして、敵に反撃の隙を与えない位置取り。それらすべてが合わさり、今のグレイブは、シロを圧倒するほどの強さとなっている。
もはや私が援護する必要もない——戦闘の光景を遠巻きに見ていた私が、迷いなくそう思ったほどだ。
一度不利な状況に陥ったことが、彼女を本気にした。
そういう意味では、この流れは良かったのかもしれない。
「終わりだ」
紅の唇から言葉がこぼれる。
そして、グレイブの長槍が、シロへと振り下ろされた。
「……やられ……ごわ……す……」
シロからあふれ、飛び散る、赤い液体。
それは、槍の先やグレイブの純白の制服すらも、真っ赤に染めた。
「リュビリュ……ビ……さ……」
場が赤黒く染まる様は、見ているだけで恐ろしい。
しかし、その中に落ち着き払って立っているグレイブも、常人ではない雰囲気を漂わせている。返り血に濡れた彼女は、まるで、一輪の赤薔薇のようだった。
少しして、シロの生命活動が完全に停止したことを確認すると、グレイブは、私とゼーレがいる方へと歩いてくる。「もう白には戻らないのでは」と思うほど赤く染まった制服と、不気味なくらい艶のある黒髪がさらりと揺れるところが、非常に印象的だ。
「マレイ。良い援護、感謝する」
グレイブの第一声はそれだった。
それまで無表情だった彼女の顔に、今は、軽い笑みが浮かんでいる。
世間一般の人々と比べれば、あまりにさりげない、控えめな笑みだ。けれども、彼女の凛々しい顔立ちには、このくらいの笑みがちょうどいい。ほんの少し、口角を上げて、頬を緩めるだけ——その程度の笑顔が、彼女を一番魅力的にするのだから。
「襲撃してきたのがゴリラ型であったことを考えると、今回はこれで終結することだろう。マレイ、もう心配は要らない」
「本当ですか! ……良かったです。ありがとうございます」
蜘蛛型化け物の上に乗ったまま、頭を下げる。シロに襲われるのを助けてもらった感謝を込めて、しっかりとお辞儀をした。それから私は、すぐ隣にいるゼーレへと視線を向ける。
「助かって良かったわね」
さりげなく声をかけると、彼は微かに頷いて、「そうですねぇ……」と返してきた。素直に「良かった!」と言わないところがゼーレらしい。
「素直に良かったねって言えばいいのに」
「……そうですかねぇ」
「せっかく助けてもらったのだから、ありがとうくらい言ったら?」
私は冗談めかして言ってみた。
だが、彼の顔は笑わない。まだ真剣な顔をしている。妙だ。
「ゼーレ? どうしたの?」
シロはグレイブが倒した。この目で見たのだから、それは間違いない。
ゼーレだって、グレイブがシロを倒すところは、その目で見届けたはずだ。なのに、なぜ少しもリラックスした表情にならないのか。実に謎である。
「ねぇ、ゼーレ。本当に、どうしちゃったの。何だか様子がおかしいけど」
不思議に思いながら彼を見つめた。
すると彼は、静かな淡々とした声で、そっと述べる。
「まだ……何やら気配がします」
「えっ」
「終わってはいないのやも……しれませんねぇ」
——彼が言い終わり、数秒。
蜘蛛型化け物に乗っている私たちやグレイブから、数メートルほど離れた場所の空間が、突如ぐにゃりと曲がった。
見覚えのある光景だ。
そう、あれは、トリスタンを助けに行く時にゼーレが使った空間を移動できる技と同じ。
詳しいことは分からないが、それと同じ類のものであることは確かだ。
「どうも」
しっとりした女性の声が耳に入ってくる。
そして現れたのは——リュビエだった。
全身を包む黒いボディスーツはすっかり綺麗になっていて、穴どころか傷一つ見当たらない。はっきりと体の凹凸が視認できる。また、灯りを照り返して、艶めかしく輝いている。
「リュビエさん!?」
私は思わず声を出してしまった。
本当なら、言葉を交わすことも視線を交えることもなく、気づかなかったふりをして逃げ出すべきだったのだろう。一刻もこの場から離れるのが、私にとって望ましい選択肢であったことは間違いない。
けれども、名を呼んでしまった。
だからもう、気づかなかったふりはできない。
「あら。また会うなんて、偶然ね。マレイ・チャーム・カトレア……この前やってくれたことは忘れていないわよ」
ゼーレは警戒した顔をし、グレイブは長槍を構えて戦闘態勢に入る。空気が再び固くなった。
「貴様、何者だ」
槍の先端をリュビエへ向け、睨みを利かせながら問うグレイブ。
「あたしはボスの優秀な部下であるリュビエ」
優秀な、を強調しているところが、珍妙だ。自らそこを強調する必要性がいまいち分からない。
「一つ、お知らせにやって来たの。ボスからのお言葉よ、しかとお聞きなさい」
相変わらずの上から目線である。
なぜこうも偉そうな話し方ができるのだろう。そういう質なのか。
「聞く気などない」
「あらあら。そんな態度でいいのかしら。聞く気がないのならこのまま帰ってあげても構わないけれど……重要な予定を聞かなくて、本当にいいのかしら?」
「どういう意味だ」
グレイブはリュビエへ槍の先を向けたまま、怪訝な顔をしている。リュビエの意味ありげな発言に、その真意を知りたくなっているのだろう。
「聞いてくれるのかしら」
「重要な予定、とは何だ。くだらぬことであれば許しはしない」
なかなか厳しいグレイブである。
「偉そうな口の利き方ね」
他人のことは言えないと思うが……。
「ま、いいわ。ボスからの命令だもの、今ここで伝えるわ」
リュビエは、うねりのある緑の髪を、一度わざとらしく掻き上げる。それから右足をほんの少しだけ前へ出し、腕組みをして、ふふっと怪しげな笑みをこぼす。
そして、口を開いた。
「本日より一週間以内に、マレイ・チャーム・カトレア及びゼーレの捕獲作戦を決行する」
色気のあるリュビエの声が告げた瞬間、空気が凍りつく。
やはりまだ狙って——私はショックを受けた。
本当ならショックを受ける理由なんてなかったはずだ。ボスが私を狙っていることは、ずっと前から知っていたのだから。なのに、そのはずなのに、なぜか非常にショックだ。
「これは、ちょっぴり早めの宣戦布告よ」
リュビエは動揺する私たちを楽しんでいるようだ。愉快そうに笑みを浮かべている。
「弱い弱いお前たちに、ボスは、準備時間を与えることになさったのよ。感謝なさい」
「準備時間? 私たちも舐められたものだな」
「あら。舐めるも何も、お前たちが弱いのは事実じゃない」
見下した表情で口を動かすリュビエ。それに対しグレイブは、その美しい顔面に不快の色を浮かべる。
「貴様…!」
「図星だからって怒らないでちょうだい」
「いい加減にしろ!」
「ふふっ。あたしはお前と言い争う気はないわ」
怒りを露わにするグレイブの発言を軽く長し、リュビエは手を伸ばす。すると空間が歪んだ。
「それじゃ、今日はこれで失礼するわね」
数秒後、リュビエは跡形もなく消え去る。
残されたのは、私たち三人と、殺伐とした空気だけだった。
目から放たれる本気の視線。しなやかさと豪快さのある槍術。そして、敵に反撃の隙を与えない位置取り。それらすべてが合わさり、今のグレイブは、シロを圧倒するほどの強さとなっている。
もはや私が援護する必要もない——戦闘の光景を遠巻きに見ていた私が、迷いなくそう思ったほどだ。
一度不利な状況に陥ったことが、彼女を本気にした。
そういう意味では、この流れは良かったのかもしれない。
「終わりだ」
紅の唇から言葉がこぼれる。
そして、グレイブの長槍が、シロへと振り下ろされた。
「……やられ……ごわ……す……」
シロからあふれ、飛び散る、赤い液体。
それは、槍の先やグレイブの純白の制服すらも、真っ赤に染めた。
「リュビリュ……ビ……さ……」
場が赤黒く染まる様は、見ているだけで恐ろしい。
しかし、その中に落ち着き払って立っているグレイブも、常人ではない雰囲気を漂わせている。返り血に濡れた彼女は、まるで、一輪の赤薔薇のようだった。
少しして、シロの生命活動が完全に停止したことを確認すると、グレイブは、私とゼーレがいる方へと歩いてくる。「もう白には戻らないのでは」と思うほど赤く染まった制服と、不気味なくらい艶のある黒髪がさらりと揺れるところが、非常に印象的だ。
「マレイ。良い援護、感謝する」
グレイブの第一声はそれだった。
それまで無表情だった彼女の顔に、今は、軽い笑みが浮かんでいる。
世間一般の人々と比べれば、あまりにさりげない、控えめな笑みだ。けれども、彼女の凛々しい顔立ちには、このくらいの笑みがちょうどいい。ほんの少し、口角を上げて、頬を緩めるだけ——その程度の笑顔が、彼女を一番魅力的にするのだから。
「襲撃してきたのがゴリラ型であったことを考えると、今回はこれで終結することだろう。マレイ、もう心配は要らない」
「本当ですか! ……良かったです。ありがとうございます」
蜘蛛型化け物の上に乗ったまま、頭を下げる。シロに襲われるのを助けてもらった感謝を込めて、しっかりとお辞儀をした。それから私は、すぐ隣にいるゼーレへと視線を向ける。
「助かって良かったわね」
さりげなく声をかけると、彼は微かに頷いて、「そうですねぇ……」と返してきた。素直に「良かった!」と言わないところがゼーレらしい。
「素直に良かったねって言えばいいのに」
「……そうですかねぇ」
「せっかく助けてもらったのだから、ありがとうくらい言ったら?」
私は冗談めかして言ってみた。
だが、彼の顔は笑わない。まだ真剣な顔をしている。妙だ。
「ゼーレ? どうしたの?」
シロはグレイブが倒した。この目で見たのだから、それは間違いない。
ゼーレだって、グレイブがシロを倒すところは、その目で見届けたはずだ。なのに、なぜ少しもリラックスした表情にならないのか。実に謎である。
「ねぇ、ゼーレ。本当に、どうしちゃったの。何だか様子がおかしいけど」
不思議に思いながら彼を見つめた。
すると彼は、静かな淡々とした声で、そっと述べる。
「まだ……何やら気配がします」
「えっ」
「終わってはいないのやも……しれませんねぇ」
——彼が言い終わり、数秒。
蜘蛛型化け物に乗っている私たちやグレイブから、数メートルほど離れた場所の空間が、突如ぐにゃりと曲がった。
見覚えのある光景だ。
そう、あれは、トリスタンを助けに行く時にゼーレが使った空間を移動できる技と同じ。
詳しいことは分からないが、それと同じ類のものであることは確かだ。
「どうも」
しっとりした女性の声が耳に入ってくる。
そして現れたのは——リュビエだった。
全身を包む黒いボディスーツはすっかり綺麗になっていて、穴どころか傷一つ見当たらない。はっきりと体の凹凸が視認できる。また、灯りを照り返して、艶めかしく輝いている。
「リュビエさん!?」
私は思わず声を出してしまった。
本当なら、言葉を交わすことも視線を交えることもなく、気づかなかったふりをして逃げ出すべきだったのだろう。一刻もこの場から離れるのが、私にとって望ましい選択肢であったことは間違いない。
けれども、名を呼んでしまった。
だからもう、気づかなかったふりはできない。
「あら。また会うなんて、偶然ね。マレイ・チャーム・カトレア……この前やってくれたことは忘れていないわよ」
ゼーレは警戒した顔をし、グレイブは長槍を構えて戦闘態勢に入る。空気が再び固くなった。
「貴様、何者だ」
槍の先端をリュビエへ向け、睨みを利かせながら問うグレイブ。
「あたしはボスの優秀な部下であるリュビエ」
優秀な、を強調しているところが、珍妙だ。自らそこを強調する必要性がいまいち分からない。
「一つ、お知らせにやって来たの。ボスからのお言葉よ、しかとお聞きなさい」
相変わらずの上から目線である。
なぜこうも偉そうな話し方ができるのだろう。そういう質なのか。
「聞く気などない」
「あらあら。そんな態度でいいのかしら。聞く気がないのならこのまま帰ってあげても構わないけれど……重要な予定を聞かなくて、本当にいいのかしら?」
「どういう意味だ」
グレイブはリュビエへ槍の先を向けたまま、怪訝な顔をしている。リュビエの意味ありげな発言に、その真意を知りたくなっているのだろう。
「聞いてくれるのかしら」
「重要な予定、とは何だ。くだらぬことであれば許しはしない」
なかなか厳しいグレイブである。
「偉そうな口の利き方ね」
他人のことは言えないと思うが……。
「ま、いいわ。ボスからの命令だもの、今ここで伝えるわ」
リュビエは、うねりのある緑の髪を、一度わざとらしく掻き上げる。それから右足をほんの少しだけ前へ出し、腕組みをして、ふふっと怪しげな笑みをこぼす。
そして、口を開いた。
「本日より一週間以内に、マレイ・チャーム・カトレア及びゼーレの捕獲作戦を決行する」
色気のあるリュビエの声が告げた瞬間、空気が凍りつく。
やはりまだ狙って——私はショックを受けた。
本当ならショックを受ける理由なんてなかったはずだ。ボスが私を狙っていることは、ずっと前から知っていたのだから。なのに、そのはずなのに、なぜか非常にショックだ。
「これは、ちょっぴり早めの宣戦布告よ」
リュビエは動揺する私たちを楽しんでいるようだ。愉快そうに笑みを浮かべている。
「弱い弱いお前たちに、ボスは、準備時間を与えることになさったのよ。感謝なさい」
「準備時間? 私たちも舐められたものだな」
「あら。舐めるも何も、お前たちが弱いのは事実じゃない」
見下した表情で口を動かすリュビエ。それに対しグレイブは、その美しい顔面に不快の色を浮かべる。
「貴様…!」
「図星だからって怒らないでちょうだい」
「いい加減にしろ!」
「ふふっ。あたしはお前と言い争う気はないわ」
怒りを露わにするグレイブの発言を軽く長し、リュビエは手を伸ばす。すると空間が歪んだ。
「それじゃ、今日はこれで失礼するわね」
数秒後、リュビエは跡形もなく消え去る。
残されたのは、私たち三人と、殺伐とした空気だけだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる