暁のカトレア

四季

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episode.116 小娘なんて呼ばないで

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 やがて。
 凄まじい勢いで放たれ続ける炎を掻き分けるようにして、リュビエが姿を現した。
 緑色の髪には炎が燃え移っている。なのにまったく気にせず、ゼーレとフランシスカの方へ走ってきていた。

「うそっ! あれに耐えられるなんて!」

 これにはフランシスカも驚きを隠せない。彼女は、衝撃のあまり、口をぽかんと空けてしまっている。一方、ゼーレはというと、顔色を少しも変えないまま、リュビエを凝視していた。翡翠のような瞳は、ほんの数ミリも揺れていない。落ち着き払っている。

「この程度であたしを止められると思ったら大間違いよ」

 ゼーレらに接近るしようと駆けてくるリュビエの声は、非常に冷たいものだった。いや、「冷たい」という表現は正確ではないかもしれない。どちらかというと、「感情がこもっていない」といった感じの冷たさである。

「ちょっとゼーレ! 何か手はあるのっ?」
「……いえ」
「ええっ! じゃあどうするつもりよっ!」
「貴女に……お任せします」
「はぁぁ!? 何それ、わけ分かんない!!」

 ゼーレの考えていなさにうんざりしつつも、迫りくるリュビエへ目を向けるフランシスカ。

「でもまぁー……フランがやるしかないよね」

 フランシスカはドーナツ型武器を両手に構える。

 そして、リュビエへと狙いを定め——同時に投げた。

 今回は二つの飛び方が異なっている。片方はいつものような大きめの弧を描く飛び方だが、もう一つは少し変わった動きだ。

「甘いわ」

 いつものように大きめの弧を描いて襲いかかる片方のドーナツ型武器を、リュビエは杖で弾いて防ぐ。もはや見ずとも防げるらしく、ドーナツ型武器へ視線を向けることなく弾いていた。

「そうかなっ?」
「えぇ、そうよ。お前もゼーレと一緒に、あの世へ送ってやるわ」

 リュビエのその発言を聞いた瞬間、フランシスカは突然、嫌悪感に満ちた表情になる。

「それは、それだけは、ぜぇーったいに嫌っ!」

 ——刹那。

 普段とは異なった軌道を描いていた方のドーナツ型武器が、リュビエを背後から襲った。

 リュビエは、命中する直前でその存在に気づく。咄嗟に身を返し杖で防ごうとするも、間に合わない。彼女の手から杖が落ちる。蛇型化け物を生み出そうにも、時間が足りない。

 危機的状況に立たされたリュビエは、両腕を胸の前で交差させる。
 彼女にできる対応は、それしかなかった。

「……くっ!」

 ドーナツ型武器はリュビエの両腕を傷つけ、持ち主であるフランシスカの手元へと帰ってくる。フランシスカが上手にキャッチした時には、ドーナツ型武器は赤く染まっていた。
 リュビエにダメージを与えることに成功したフランシスカは、胸を張り、自信満々な顔でゼーレに言う。

「見た? フラン、凄いでしょっ!」
「……見事ですねぇ」

 ゼーレは半ば呆れたような声で答えた。
 そして続ける。

「しかし……まだ終わってはいませんよ」

 ドーナツ型武器の直撃を食らったリュビエ。彼女の両腕はかなりのダメージを受けたらしく、ほとんど動かせていない。だが、腕で防いだため、致命傷にはならなかったようだ。彼女の闘志はまだ消えていない。

「やってくれるじゃない……小娘の分際で!」
「小娘じゃなくて、フランだよっ」
「そんなことはどうでもいいわ!」
「よくないもんっ! 名前は大事なものっ!」

 フランシスカは小娘と呼ばれたことに憤慨していた。

「次ちゃんとフランって言わなかったら、許さないからっ」

 フラン、という存在に自信を持っている彼女にとっては、小娘などという誰のことだかはっきり分からないような言葉で呼ばれることは、苦痛だったのだろう。

「そろそろ……終わらせた方が良いのでは?」

 呼び方について必死になっているフランシスカに対し、ゼーレは、しゃがみ込んだまま言った。話がずれていることを注意したかったものと思われる。

「人任せにしないでよっ」
「私にできないから……貴女に言っているのですが」
「何それ、わけ分かんないっ! どうして全部フランに押し付けるの!?」

 またしても憤慨するフランシスカ。
 そんな彼女に対し、ゼーレは述べる。

「……私とて、無敵ではないのですよ」

 静かだがどこか切迫した雰囲気を感じさせる声。そこから漂う普段とは違った空気に、フランシスカは、ゼーレの状態があまりよくないことに気がつく。

「体調が悪いの? もしかして、毒のせい?」
「えぇ……。弱音を吐きたくはありませんが……そのようです」
「そういうことなら先に言ってよっ!」

 フランシスカは慌てて座り込み、しゃがんでいるゼーレの背中へ手を当てる。

「ゼーレがいなくなったら、フランたち帰れないんだからっ」
「……馬鹿らしい。そう易々とやられる気はありませんよ」
「いい? 無理しちゃ駄目だからね?」

 らしくなくゼーレに優しくするフランシスカを、リュビエは馬鹿にしたように笑う。

「敵前で慣れ合うなんて随分余裕なのね。……ま、いいわ。今のうちに倒させてもらうこととしま——」
「すみません! リュビエさん!」

 リュビエが言いかけたのを遮るように、人の声が飛んでくる。新手かと思い警戒するフランシスカだったが、声の主は戦闘員という感じの人間ではなかった。いたって普通の男性である。

「ボスが多数の敵に取り囲まれている模様! 援護お願いします!」
「何ですって……?」
「ボスは今、お一人なのです! あれだけの数とお一人で戦われるのはさすがに危険では、と思い、知らせに参りました!」

 特徴のない男性が報告する言葉から、フランシスカらは、作戦が順調に進んでいることを知った。

「分かったわ。すぐに行く」

 リュビエは男性にそう答えると、一度フランシスカらの方へ目をやる。そして、微かに顎を持ち上げ、吐き捨てるように言う。

「お前たち、命拾いしたわね」

 その言葉を最後に、彼女は走り去った。
 場に残されたフランシスカはぼそっと呟く。

「走っていくんだ、変なのっ。いつもみたいにぐにゃってする移動をすればいいのにっ」

 フランシスカの呟きに、ゼーレは返す。

「……腕がやられるとあれは使えませんよ」
「え。そうなのっ!?」
「そうです。私も……以前食器洗いで腕を濡らしてしまった時、一時使えなくなりました」
「へ、へぇー」

 例が妙なところには突っ込まないフランシスカであった。


 その後、工場は残りの隊員たちに任せ、フランシスカとゼーレもボスのいる中庭へ移動することになった。リュビエがそちらへ行ってしまったからである。
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