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四話「夜が明けたら」
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「マリエ。夜が明けたら、すぐに家へ帰るんだ」
甘い香りがするファヌシーベリーの汁がかかった葉を口へ運んでいると、ジェネが真剣な眼差しを向けてきた。魂が燃えているような瞳が、こちらをじっと捉えている。
彼の言う通り、いずれは家へ帰らなくてはならない。
でも、今はまだ帰りたくない。
家へ帰れば、きっとカイとの話が出るだろう。だから、帰りたくないのだ。現実に戻るのは嫌だ。
「……帰りたくありません」
「駄目だよ。家族が心配する」
「それでも、帰りたくないんです。もう悲しい現実に戻りたくないんです……」
すると、ジェネはきっぱり述べる。
「悲しみに向き合いたくないからといって、家族を悲しませるようなことをしたらいけないよ」
分かっている。
そんなことは分かっている。
でも、嫌なのだ。
現実から目を背け続けることに意味などない。現実逃避し続けても、何一つとして好転はしない。
それは分かっているけれど。
「マリエ、君には勇気がある。あの崖から飛び降りることを躊躇わなかったくらいだから、常人を超越した勇気があるよ」
ジェネはそう言った。
その言葉は、私を確かに励ましてくれた。
「そんな君なら、悲しみくらい乗り越えられる」
「……本当、に?」
私は彼に不安に満ちた視線を送る。すると彼は、ほんの僅かに口角を持ち上げた。
「もちろん。本当だよ」
数秒後、気づけば私は、住んでいるミジーズ村の入り口付近に立っていた。
既に夜が明けたらしく、空は明るくなりつつある。夜の名残の紫に日の光の暖色が混じり、絵画のような空が生まれていた。もしかしたら、今日の空が、生まれてから見た空の中で最も綺麗かもしれない。
とはいえ、いきなりミジーズ村に帰ってきていたのは不思議な現象だ。何がどうなったのか、まずはジェネに聞きたいところ——だが、周囲を見回しても、もう彼の姿はなかった。
私は一度深呼吸をして、心を落ち着かせてから、村の中へと足を踏み出すのだった。
「ねぇねぇ聞いた? ルルーナのお嬢さん、エッカルトの息子さんにふられたらしいわよ!」
「聞いた聞いたー。やっぱりーって感じだわー」
「こう言っちゃいかんかもしれんけど、あーんな田舎者がエッカルトに嫁げるわけないやんね」
まだ早朝だというのに村には人がいて、しかも、私のことが井戸端会議の話題になっていた。ということは、婚約取り消しの件はここまで連絡が来ているのだろう。
安心したような、悲しいような、複雑な気分。
「けど、取り消し料ガッポリ入るらしいわよ! ずるいわね!」
「えぇー。そんなのうちも欲しいわよー。うちだって、この前生まれた三つ子の孫の世話が大変なんだからー」
「こう言っちゃいかんかもしれんけど、あんな地味な娘じゃエッカルト家を守るんは無理やわね」
失礼ね! あんな男、こちらからお断りよ!
かっこよくそう言ってやりたいところだが、それはさすがに無理だった。私には、そこまでの勇気はない。
しかし、私への嫌みを聞き続けるのも心が痛いので、速やかに家へ向かった。
「マリエ! 何があったんだ!」
家へ帰るなり、父親からそう言われた。
父親は青白い顔をしており、呼吸も乱れている。また、眉間には深いしわが刻まれていた。ここまで険しい顔をしている父親を、私は見たことがない。
というのも、私の父親は基本優しいタイプなのだ。
彼は、娘に向かってこんな言い方をする人ではない。
恐らく、想定外のことが起こったことで混乱してしまっているのだろう。
「婚約を取り消されたらしいな!」
「そうなの……」
私が帰ってこなかったことへの心配はないのね。
正直、そこが一番ショックだった。
「確かカイくんと言ったか……お前は彼に、どんな無礼なことをしたんだ!?」
「私は何もしていないわ!」
こればかりは声を大きくして返した。
カイが私との婚約を取り消したのは、私が失敗したからではない。病弱だとかいう女が、カイをたぶらかしたからだ。
「何もしていないなら、なぜ婚約取り消しなど……」
「カイの心が変わったのよ。彼はそう言っていたわ」
私は説明しようとするが、父親はちっとも聞こうとしてくれない。
「あり得ん! あの好青年が式前日に心変わりするなど、あり得ないことだ!」
玄関先だというのに、父親は荒々しく叫ぶ。
こんなやり取りが外に聞こえたら、村の女性たちにまた噂されることは間違いない。恥ずかしいとは思わないのだろうか。
「マリエ、今から謝罪しに行け」
「え!?」
「そして! もう一度お前が彼の妻となるのだ!」
……え、ちょ、何を言い出すの?
それが今の私の本心だ。
甘い香りがするファヌシーベリーの汁がかかった葉を口へ運んでいると、ジェネが真剣な眼差しを向けてきた。魂が燃えているような瞳が、こちらをじっと捉えている。
彼の言う通り、いずれは家へ帰らなくてはならない。
でも、今はまだ帰りたくない。
家へ帰れば、きっとカイとの話が出るだろう。だから、帰りたくないのだ。現実に戻るのは嫌だ。
「……帰りたくありません」
「駄目だよ。家族が心配する」
「それでも、帰りたくないんです。もう悲しい現実に戻りたくないんです……」
すると、ジェネはきっぱり述べる。
「悲しみに向き合いたくないからといって、家族を悲しませるようなことをしたらいけないよ」
分かっている。
そんなことは分かっている。
でも、嫌なのだ。
現実から目を背け続けることに意味などない。現実逃避し続けても、何一つとして好転はしない。
それは分かっているけれど。
「マリエ、君には勇気がある。あの崖から飛び降りることを躊躇わなかったくらいだから、常人を超越した勇気があるよ」
ジェネはそう言った。
その言葉は、私を確かに励ましてくれた。
「そんな君なら、悲しみくらい乗り越えられる」
「……本当、に?」
私は彼に不安に満ちた視線を送る。すると彼は、ほんの僅かに口角を持ち上げた。
「もちろん。本当だよ」
数秒後、気づけば私は、住んでいるミジーズ村の入り口付近に立っていた。
既に夜が明けたらしく、空は明るくなりつつある。夜の名残の紫に日の光の暖色が混じり、絵画のような空が生まれていた。もしかしたら、今日の空が、生まれてから見た空の中で最も綺麗かもしれない。
とはいえ、いきなりミジーズ村に帰ってきていたのは不思議な現象だ。何がどうなったのか、まずはジェネに聞きたいところ——だが、周囲を見回しても、もう彼の姿はなかった。
私は一度深呼吸をして、心を落ち着かせてから、村の中へと足を踏み出すのだった。
「ねぇねぇ聞いた? ルルーナのお嬢さん、エッカルトの息子さんにふられたらしいわよ!」
「聞いた聞いたー。やっぱりーって感じだわー」
「こう言っちゃいかんかもしれんけど、あーんな田舎者がエッカルトに嫁げるわけないやんね」
まだ早朝だというのに村には人がいて、しかも、私のことが井戸端会議の話題になっていた。ということは、婚約取り消しの件はここまで連絡が来ているのだろう。
安心したような、悲しいような、複雑な気分。
「けど、取り消し料ガッポリ入るらしいわよ! ずるいわね!」
「えぇー。そんなのうちも欲しいわよー。うちだって、この前生まれた三つ子の孫の世話が大変なんだからー」
「こう言っちゃいかんかもしれんけど、あんな地味な娘じゃエッカルト家を守るんは無理やわね」
失礼ね! あんな男、こちらからお断りよ!
かっこよくそう言ってやりたいところだが、それはさすがに無理だった。私には、そこまでの勇気はない。
しかし、私への嫌みを聞き続けるのも心が痛いので、速やかに家へ向かった。
「マリエ! 何があったんだ!」
家へ帰るなり、父親からそう言われた。
父親は青白い顔をしており、呼吸も乱れている。また、眉間には深いしわが刻まれていた。ここまで険しい顔をしている父親を、私は見たことがない。
というのも、私の父親は基本優しいタイプなのだ。
彼は、娘に向かってこんな言い方をする人ではない。
恐らく、想定外のことが起こったことで混乱してしまっているのだろう。
「婚約を取り消されたらしいな!」
「そうなの……」
私が帰ってこなかったことへの心配はないのね。
正直、そこが一番ショックだった。
「確かカイくんと言ったか……お前は彼に、どんな無礼なことをしたんだ!?」
「私は何もしていないわ!」
こればかりは声を大きくして返した。
カイが私との婚約を取り消したのは、私が失敗したからではない。病弱だとかいう女が、カイをたぶらかしたからだ。
「何もしていないなら、なぜ婚約取り消しなど……」
「カイの心が変わったのよ。彼はそう言っていたわ」
私は説明しようとするが、父親はちっとも聞こうとしてくれない。
「あり得ん! あの好青年が式前日に心変わりするなど、あり得ないことだ!」
玄関先だというのに、父親は荒々しく叫ぶ。
こんなやり取りが外に聞こえたら、村の女性たちにまた噂されることは間違いない。恥ずかしいとは思わないのだろうか。
「マリエ、今から謝罪しに行け」
「え!?」
「そして! もう一度お前が彼の妻となるのだ!」
……え、ちょ、何を言い出すの?
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