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episode.2 部屋まで案内
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夜の森で出会った少年——リゴールを連れて、私は帰宅した。
「彼を部屋へ案内するわ、父さん」
「部屋?」
私の暮らす家は、村の中では比較的大きい部類だ。二階建てで、広くはないが庭もある。そんな建物を、仕事であまり帰ってこない母親を含む家族三人と住み込みの使用人数名だけで使っているから、空き部屋もいくつかある。
「私の隣の部屋! 確か今は空いていたわよね」
「そうだな。だが、掃除はできていないぞ」
「けど、少し前まで使っていたでしょう?」
私は曖昧な記憶で言ったが、父親は真剣な顔で頷いた。
どうやら、私の記憶は間違ってはいなかったようだ。
「使っていいわよね!」
「……仕方ない、今夜だけだぞ」
父親は渋々許可してくれた。
無事部屋の使用許可を得られたところで、私はリゴールに視線を向ける。
灯りのあるところで改めて見ると、彼はなかなか貧相な体つきをしていた。
身にまとっている薄黄色の詰襟の服は、いかにも貧しそうといった感じの服ではない。それどころか、どちらかというと高級そうである。日頃あまり見かけることのないデザインの服だが、なかなか綺麗だ。
しかし、その体つきといったら。
少年だからなのだろうが、背は低く、全体的にほっそりとしたラインだ。男らしさからはかけ離れた、線の細さである。
「エアリ? どうしました?」
ついじっくりと眺めてしまっていた私に、リゴールが言ってくる。
「わたくし、何かおかしいでしょうか?」
いくら相手が男性だとはいえ、こんなにじっくり眺めるというのは失礼だったかもしれない。
「い、いえ! じゃあ早速、部屋へ案内するわね!」
「……お手数お掛けして申し訳ありません」
「いいの! これは全部、私がやりたくてやっていることよ」
するとリゴールは、ふっとさりげない笑みをこぼした。
「では……ありがとうございます、ですね」
彼が浮かべる笑みは、妙に大人びていて、不思議な魅力がある。そう、例えるなら、夏の終わりの夕暮れのような。彼の笑みは、そんな笑みだ。
リゴールを部屋まで案内していると、途中で、一人の女性に出会った。
「エアリお嬢様!」
「こんばんは、バッサ」
彼女は、住み込み使用人の一人。
私が小さい頃から我が家で働いてくれている、ベテランだ。
背はさほど高くなく、やや肥え気味で、着ている丈の長いワンピースは紺色。その上からやや黄ばんだ白エプロンを着用している。ところどころ白髪の混じった赤茶色の髪はうなじで一つに束ねてあって、その頭部には白色の帽子を被っている。
「無事帰ってこられたのですね」
「えぇ。帰ってこられたの」
「お父様が大変心配なさっていましたよ」
そんな風に言葉を交わしていた時、バッサの視線が突然、私の後ろのリゴールに向いた。いつもはいない彼の存在に気がついたようだ。
「お嬢様、後ろの方は?」
バッサは穏やかな表情のまま尋ねてきた。
どう紹介すればいいのだろう。真実をそのまま伝えるのか、あるいは、もっと自然な伝え方をするのか。悩ましいところだ。
私は暫し考える。
十秒ほど考えた後、実際のところをそのまま伝えることにした。
バッサは私が幼い頃から傍にいてくれた。身の回りの世話はもちろん、遊び相手だってしてくれた、いわば祖母のような存在だ。そんな彼女にだからこそ、嘘をつきたくなくて。
「さっき森で出会ったの。今夜一晩、うちに泊めることになったのよ。父さんから許可は貰っているわ」
私の言葉に、バッサは、暫し奇妙なものを見たような顔をする。
だが、すぐに穏やかな表情に戻って、口を動かす。
「そうでしたか。お嬢様のお部屋をお使いに?」
「さすがに分かっているわね!」
「はい。では、支度して参ります」
そう言って、彼女は歩き出す。
べつにそんな大層な支度は要らないの。そう言おうとしたけれど、彼女はあっという間にいなくなってしまったから、結局言いそびれてしまった。
バッサがちょうどいなくなったタイミングで口を開くリゴール。
「素晴らしいサービスですね!」
彼の瞳は、またしても輝いていた。
……これは少々まずそうな感じだ。
「感動しました! こんな素晴らしいところがあるなんて!」
「サービスなんて立派なものじゃないわよ」
「いえ! どう考えても、立派です!! 素晴らしいです!!」
そろそろ暴走し始めそう。
何とか止めなくては。
「あ、ありがとう。でも、その、そんなに大きな声を出さないで?」
すると、リゴールは両の手のひらで口元を押さえた。
「も、申し訳ありません……つい……」
彼は少女のように顔を真っ赤にしていた。頬は赤く染まり、熟れた小さな果実のよう。男性相手にこんなことを言うのは問題なのかもしれないが、今の彼には妙な可愛らしさがある。
「気にしないで。それより、行きましょう」
「はい」
「あ、そうだ。ところで不調は? もし怪我なら、簡単にでも手当てしておいた方がいいわ」
困ったような顔をするリゴール。
「いえ、そこまでお世話になるわけには……」
またそんなことを言う。
私は少々苛立ってしまった。
「そういう問題じゃないでしょ!」
つい調子を強めてしまう。
そんな私を見て、彼は、おろおろする。
「は、はい……申し訳ありません……」
若干言い過ぎたかもしれない。
「急に強く言ってごめんなさい。でも、無理は良くないと思うの」
「……はい」
「バッサなら手当てもできると思うから」
その後、私はリゴールと共に再び歩き出す。
夜の廊下は寒い。暗いし、人はいないし、まるで恐怖の館のよう。けれど、私にしてみればあまり怖くはない。視界が悪いことには慣れているし、毎晩ここを通って自室へ行っているからだ。
「はい、到着!」
薄暗い廊下を歩くことしばらく、私の自室の近くへ到着した。
今夜リゴールを泊めるのは、私の部屋の隣の部屋。今は使われていない、狭めの部屋である。
扉の前で少し待っていると、やがてバッサが出てきた。
「エアリお嬢様。お待たせ致しました。支度、完了しました」
「もう使えるのね」
「はい。簡単な支度ですが」
「ありがとう、バッサ」
バッサは両手を腹の前で会わせたまま、軽くお辞儀をした。
私は視線を、一旦、バッサからリゴールへ移す。
「行きましょう、リゴール」
「……はい」
リゴールの黄色い髪は、薄暗い中でもよく映える。また、青い瞳は爽やかさを高めている。
「それではこれで失礼致しま——」
「あ。待って!」
去ろうとしたバッサを止める。
「……お嬢様?」
「彼ね、手当てしなくちゃならないかもしれないの」
「手当て、ですか?」
言いながら、バッサはリゴールの方に目をやる。唐突に目を向けられたリゴールは、気恥ずかしそうな顔をした。そんな彼に対し、バッサは躊躇いなく尋ねる。
「どのようなお怪我です?」
さらりと質問されたリゴールは暫し戸惑いの色を浮かべていたが、十秒ほど経ってから控えめに答える。
「……足を、少し」
「足ですか。承知しました。では準備を致しますので、先にお部屋へ行っておいて下さい」
バッサはそう言って、にっこり笑った。
私とリゴールは、また二人きりに戻る。
「本当に……何から何まで申し訳ありません」
リゴールは困ったように眉を動かし、組み合わせた手を腹の前辺りに添えて、謝罪してきた。
心から悪いと思っているような顔をしている。
「いいのよ、気にしないで。それより、足、大丈夫?」
「はい。それほど深い傷ではありませんので」
そう言って、リゴールは笑う。
直前までは申し訳なさそうな顔をしていたのに。
彼の表情は一瞬にして変わった。
すんなりとは理解しづらい、驚くべき素早い変化だ。
ーーでも。
なぜだろう。理由はよく分からないけれど、彼には親しみを覚える。まるでずっと昔から知り合いだったかのような、深いどこかで繋がっているような、そんな感じがするのだ。
「彼を部屋へ案内するわ、父さん」
「部屋?」
私の暮らす家は、村の中では比較的大きい部類だ。二階建てで、広くはないが庭もある。そんな建物を、仕事であまり帰ってこない母親を含む家族三人と住み込みの使用人数名だけで使っているから、空き部屋もいくつかある。
「私の隣の部屋! 確か今は空いていたわよね」
「そうだな。だが、掃除はできていないぞ」
「けど、少し前まで使っていたでしょう?」
私は曖昧な記憶で言ったが、父親は真剣な顔で頷いた。
どうやら、私の記憶は間違ってはいなかったようだ。
「使っていいわよね!」
「……仕方ない、今夜だけだぞ」
父親は渋々許可してくれた。
無事部屋の使用許可を得られたところで、私はリゴールに視線を向ける。
灯りのあるところで改めて見ると、彼はなかなか貧相な体つきをしていた。
身にまとっている薄黄色の詰襟の服は、いかにも貧しそうといった感じの服ではない。それどころか、どちらかというと高級そうである。日頃あまり見かけることのないデザインの服だが、なかなか綺麗だ。
しかし、その体つきといったら。
少年だからなのだろうが、背は低く、全体的にほっそりとしたラインだ。男らしさからはかけ離れた、線の細さである。
「エアリ? どうしました?」
ついじっくりと眺めてしまっていた私に、リゴールが言ってくる。
「わたくし、何かおかしいでしょうか?」
いくら相手が男性だとはいえ、こんなにじっくり眺めるというのは失礼だったかもしれない。
「い、いえ! じゃあ早速、部屋へ案内するわね!」
「……お手数お掛けして申し訳ありません」
「いいの! これは全部、私がやりたくてやっていることよ」
するとリゴールは、ふっとさりげない笑みをこぼした。
「では……ありがとうございます、ですね」
彼が浮かべる笑みは、妙に大人びていて、不思議な魅力がある。そう、例えるなら、夏の終わりの夕暮れのような。彼の笑みは、そんな笑みだ。
リゴールを部屋まで案内していると、途中で、一人の女性に出会った。
「エアリお嬢様!」
「こんばんは、バッサ」
彼女は、住み込み使用人の一人。
私が小さい頃から我が家で働いてくれている、ベテランだ。
背はさほど高くなく、やや肥え気味で、着ている丈の長いワンピースは紺色。その上からやや黄ばんだ白エプロンを着用している。ところどころ白髪の混じった赤茶色の髪はうなじで一つに束ねてあって、その頭部には白色の帽子を被っている。
「無事帰ってこられたのですね」
「えぇ。帰ってこられたの」
「お父様が大変心配なさっていましたよ」
そんな風に言葉を交わしていた時、バッサの視線が突然、私の後ろのリゴールに向いた。いつもはいない彼の存在に気がついたようだ。
「お嬢様、後ろの方は?」
バッサは穏やかな表情のまま尋ねてきた。
どう紹介すればいいのだろう。真実をそのまま伝えるのか、あるいは、もっと自然な伝え方をするのか。悩ましいところだ。
私は暫し考える。
十秒ほど考えた後、実際のところをそのまま伝えることにした。
バッサは私が幼い頃から傍にいてくれた。身の回りの世話はもちろん、遊び相手だってしてくれた、いわば祖母のような存在だ。そんな彼女にだからこそ、嘘をつきたくなくて。
「さっき森で出会ったの。今夜一晩、うちに泊めることになったのよ。父さんから許可は貰っているわ」
私の言葉に、バッサは、暫し奇妙なものを見たような顔をする。
だが、すぐに穏やかな表情に戻って、口を動かす。
「そうでしたか。お嬢様のお部屋をお使いに?」
「さすがに分かっているわね!」
「はい。では、支度して参ります」
そう言って、彼女は歩き出す。
べつにそんな大層な支度は要らないの。そう言おうとしたけれど、彼女はあっという間にいなくなってしまったから、結局言いそびれてしまった。
バッサがちょうどいなくなったタイミングで口を開くリゴール。
「素晴らしいサービスですね!」
彼の瞳は、またしても輝いていた。
……これは少々まずそうな感じだ。
「感動しました! こんな素晴らしいところがあるなんて!」
「サービスなんて立派なものじゃないわよ」
「いえ! どう考えても、立派です!! 素晴らしいです!!」
そろそろ暴走し始めそう。
何とか止めなくては。
「あ、ありがとう。でも、その、そんなに大きな声を出さないで?」
すると、リゴールは両の手のひらで口元を押さえた。
「も、申し訳ありません……つい……」
彼は少女のように顔を真っ赤にしていた。頬は赤く染まり、熟れた小さな果実のよう。男性相手にこんなことを言うのは問題なのかもしれないが、今の彼には妙な可愛らしさがある。
「気にしないで。それより、行きましょう」
「はい」
「あ、そうだ。ところで不調は? もし怪我なら、簡単にでも手当てしておいた方がいいわ」
困ったような顔をするリゴール。
「いえ、そこまでお世話になるわけには……」
またそんなことを言う。
私は少々苛立ってしまった。
「そういう問題じゃないでしょ!」
つい調子を強めてしまう。
そんな私を見て、彼は、おろおろする。
「は、はい……申し訳ありません……」
若干言い過ぎたかもしれない。
「急に強く言ってごめんなさい。でも、無理は良くないと思うの」
「……はい」
「バッサなら手当てもできると思うから」
その後、私はリゴールと共に再び歩き出す。
夜の廊下は寒い。暗いし、人はいないし、まるで恐怖の館のよう。けれど、私にしてみればあまり怖くはない。視界が悪いことには慣れているし、毎晩ここを通って自室へ行っているからだ。
「はい、到着!」
薄暗い廊下を歩くことしばらく、私の自室の近くへ到着した。
今夜リゴールを泊めるのは、私の部屋の隣の部屋。今は使われていない、狭めの部屋である。
扉の前で少し待っていると、やがてバッサが出てきた。
「エアリお嬢様。お待たせ致しました。支度、完了しました」
「もう使えるのね」
「はい。簡単な支度ですが」
「ありがとう、バッサ」
バッサは両手を腹の前で会わせたまま、軽くお辞儀をした。
私は視線を、一旦、バッサからリゴールへ移す。
「行きましょう、リゴール」
「……はい」
リゴールの黄色い髪は、薄暗い中でもよく映える。また、青い瞳は爽やかさを高めている。
「それではこれで失礼致しま——」
「あ。待って!」
去ろうとしたバッサを止める。
「……お嬢様?」
「彼ね、手当てしなくちゃならないかもしれないの」
「手当て、ですか?」
言いながら、バッサはリゴールの方に目をやる。唐突に目を向けられたリゴールは、気恥ずかしそうな顔をした。そんな彼に対し、バッサは躊躇いなく尋ねる。
「どのようなお怪我です?」
さらりと質問されたリゴールは暫し戸惑いの色を浮かべていたが、十秒ほど経ってから控えめに答える。
「……足を、少し」
「足ですか。承知しました。では準備を致しますので、先にお部屋へ行っておいて下さい」
バッサはそう言って、にっこり笑った。
私とリゴールは、また二人きりに戻る。
「本当に……何から何まで申し訳ありません」
リゴールは困ったように眉を動かし、組み合わせた手を腹の前辺りに添えて、謝罪してきた。
心から悪いと思っているような顔をしている。
「いいのよ、気にしないで。それより、足、大丈夫?」
「はい。それほど深い傷ではありませんので」
そう言って、リゴールは笑う。
直前までは申し訳なさそうな顔をしていたのに。
彼の表情は一瞬にして変わった。
すんなりとは理解しづらい、驚くべき素早い変化だ。
ーーでも。
なぜだろう。理由はよく分からないけれど、彼には親しみを覚える。まるでずっと昔から知り合いだったかのような、深いどこかで繋がっているような、そんな感じがするのだ。
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