あなたの剣になりたい

四季

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episode.35 帰還

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 ウェスタの炎で負った軽い火傷はバッサが手当てしてくれた。一方、焼け焦げてしまったワンピースの袖はというと、寝ているうちに元通りになっていた。こちらは多分、エトーリアか誰かが直してくれたのだろう。

 肩も袖も、もう大丈夫。
 だから不安はそんなにない。

 後は、敵襲さえなければ。それだけで十分だ。


 ミセの家の前へ着き、馬車を降りる。
 するといきなりミセが現れた。

「あーら、もう帰ってきたのね!」

 ミセの厚みのある唇は、今日もぽってりしていて、女性的な色気に満ちている。しかも、単にぽってりしているだけではなく、艶やかだ。恐らく何かを塗っているのだろう、艶かしい輝きを放っている。

「はい。そうなんです」
「二人が待ってるわよ! エアリ!」
「……二人、ですか?」
「そうよ。リゴールくんと、アタシのデスタン」

 敢えて「アタシの」などという言葉を付け、デスタンが自分の所有物であるかのように言う辺り、ミセらしいというか何というか。

 悪いことだとは言わないが、少々複雑な心境になってしまう。

 もっとも、私はデスタンを自分のものにしたいなんて考えていないから、彼女と争う気はないけれど。


 私は、ミセに言われた通り、いつも私とリゴールが暮らしている部屋へと向かった。
 扉を開けると、ベッドの脇に座り込んでいるデスタンの後ろ姿が視界に入る。暗い藤色の髪を見れば、その後ろ姿がデスタンのものであるということは、すぐに分かった。

「デスタンさん」

 私は恐る恐る彼の名を呼ぶ。
 すると、彼はくるりと振り返った。

「……もう戻ってこられたのですか」
「えぇ、戻ってきたわ」
「……案外早いですね」

 デスタンは鋭い目つきのまま、こちらをじっと見つめている。が、その片手にはナイフ。もう一方の手で持った白い布で、ナイフの刃の部分を拭いている。

「ま、約束通り戻ったのだから、それで良いとしましょう」
「ありがとう。でも……どうしてデスタンさんがここに?」

 ここは私とリゴールのための部屋。デスタンは別の部屋を使っているはずなのだ。だから、彼がここにいるなんて、奇妙としか言い様がない。それに、リゴールの姿も見当たらないし。

「どうして貴方がこの部屋にいるの? リゴールはいないの? 他にも……」
「質問を連発するのは止めて下さい」

 きっぱりと言われてしまった。

「あ……ごめんなさい。でも、気になって」
「分かりました。一つずつお答えします」

 はぁ、と、溜め息をつき、デスタンは話し始める。

「私がこの部屋にいるのは、王子をお一人にしないため。そして、王子はここにいます。ベッドで眠っていらっしゃるのです」

 そう言って、デスタンは、ベッドの上の掛け布団を掴む。そしてそれを、手の縦の長さ一つ分くらいだけ、ゆっくりとずらす。すると、ベッドに横たわっているリゴールの姿が露わになった。

「リゴールに何かあったの!?」
「しっ。騒がないで下さい」
「落ち着いてなんかいられないわ! 何がどうなったのか説明し——んっ!?」

 取り乱していた私の口を、デスタンの手が塞ぐ。
 それは、突然のことだった。

「騒ぐなと言っているでしょう」
「ん、んっん……!」

 口元に手のひらを強く押し当てられると、言葉をまともに発することはできない。

「静かにして下さい。分かりましたか?」

 この状態のまま言葉を発することは難しいので、取り敢えず頷いた。デスタンに伝わるよう、頭を縦に大きく振る。すると、数秒して手を離してもらえた。

「はっ、はっ……」
「乱暴なことをしてしまい、すみません」
「ほ、本当よっ……」
「しかし、王子を起こしてしまうわけにはいかないのです。ですからどうか、ご理解下さい」

 デスタンは淡々と述べる。
 その声からは、謝罪の気持ちなどまったく感じられない。

「……でも、一体何があったの?」
「私がここへ戻ってきた時、王子は玄関付近に倒れていまして。まだ辛うじて意識がおありだった王子に事情を伺ったところ、我々がいない間にブラックスターの者と交戦なさったようでした」

 デスタンは顔に悔しさを滲ませる。

「……油断するべきではありませんでした。私がお傍に控えていたなら、こんなことにはならなかったというのに……」

 こんな顔もするのね。
 悔しそうなデスタンを見て、そう思った。

「貴方のせいじゃないわ」
「……今、何と?」
「貴方のせいではないと言ったの」

 怪訝な顔になるデスタン。

「デスタンさんは私たちに家をくれたし、今も働いてくれている。だから、貴方がずっとリゴールの傍にいられないのは、仕方のないことよ」

 デスタンがいなかったら、どうなっていたことやら。
 考えたくもない。
 ただ、彼がいなかったら、私もリゴールも住む場所を手に入れられず、野宿することになっていただろうというのは、紛れもない事実だ。

「……知ったようなことを」

 デスタンはそっぽを向いてしまう。

 なんて可愛いげのない!

「何なの、その言い方」
「……貴女に偉そうに言われるのは不愉快なのです」
「気にしなくていいわよって、そう言っただけでしょ?」

 ひねくれているというか、何というか。
 とにかく厄介だ、この男は。
 純粋で明るく穏やかなリゴールとは真逆である。

「……はぁ」
「ちょっと! 溜め息なんてつかないでちょうだい!」
「騒ぐなと言ったはずですが」
「あぁもう、面倒臭いっ」

 話せば話すほどややこしいことになっていってしまいそうな雰囲気。堪らない。

「分かったわよ。騒がなければいいんでしょ? じゃあ私が、リゴールの傍にいるから」
「……出ていけ、と」
「ずっと付きっきりだとデスタンさんも疲れるでしょ?」

 私はそんな風に話しながら、リゴールが横たわっているベッドのすぐ横へ向かう。そして、ベッドの脇に腰を下ろしてから、デスタンを一瞥する。

「彼のことは私に任せて」

 すると、デスタンは飛んできた。

「貴女一人に任せるわけには参りません。私も王子のお傍に」
「ふふ、デスタンさんったら。リゴールが大好きね」
「……命の恩人ですから」

 少し気恥ずかしそうに述べるデスタン。

「お護りするのは当然です」
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