あなたの剣になりたい

四季

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episode.49 逃走

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 土人形の隙間を掻い潜り、埃臭い砦を飛び出す。血に染められたような空の下、足を懸命に動かす。一方、目は前だけを見つめる。そう、デスタンの背だけを。背後からは不気味な音がしていた。恐らく土人形たちが追ってきているのだろう。だが振り返ることはしなかった。今は、振り返る時間さえ惜しいから。

 数メートル先を行くデスタンは、さすがに足が早い。人を抱き抱えているにもかかわらず、私などとは比べ物にならない速度を出すことができている。持ち物は折れて短くなったホウキの柄だけ——そんな身軽な状態の私であっても、到底追いつけそうにない。

 だが、彼もある程度加減してくれてはいるらしく、私との距離がどんどん広がっていくということはなかった。

 私とデスタンの間で言葉が交わされることはない。

 静寂の中、痛々しく禍々しい色をした空の下を駆ける。それは、とても不思議な感覚で。終わらない夢でも見ているかのような、微妙な気味悪さがあった。


「追っ手の姿が消えましたね」

 デスタンが速度を落としたのは、地下通路へ入って三十秒ほど経った頃だった。

「え、えぇ……」

 その頃には、私は、酷い状態になっていた。

 息は荒れ、肩は激しく上下し、胴体の側面がキリキリと痛む。
 そんな悲惨な状態になってしまっている。

「こんな通路に勝手に入って問題ないの?」
「はい。問題ありません」

 壁から天井にかけて、大きな蜘蛛の巣が張られている。それも一ヶ所ではない。

「……ねぇ、デスタンさん」
「何でしょう」
「本当に、ここから私たちのいたところへ帰ることができるの?」

 通路らしいことは通路らしいが、私の生まれ育った世界——地上界へ繋がっているとは思えない。
 しかし、デスタンは一切迷わず、縦に首を振った。

「はい。ホワイトスターを経由し、地上界へ帰ります」
「ホワイトスター経由……」
「何か問題でも?」
「……い、いいえ。何でもないわ、気にしないで」

 本当に何でもない。ホワイトスターを通って地上界へ帰るという方法が意外で、少し驚いてしまっただけだ。

 その後、地下通路を抜けるべく歩き続けたが、通路は予想外に長かった。
 人生と良い勝負をするほどに、長かった。

 それでなくとも、暫し駆けたことで息が荒れているのに、こんな長距離を歩くとなると、かなり辛くて。

 だが、救いもあった。
 それは、土人形たちが追ってこなかったこと。

 地下通路に逃げ込んだ私たちを見つけられなかったのか、トランが敢えて泳がすことを選択したのか、そこは不明だが。

 ただ、ひとまず土人形から逃れることができたということは、かなり大きかった。


 そうして薄暗い地下通路を抜けた私を待っていたのは、空が灰色がかった世界。雨が降る直前のような空模様だ。

「……ここがホワイトスターなの?」
「はい」

 デスタンが抱いているリゴールの背から溢れていた赤いものは、そろそろ止まってきたようだ。血液の自然な働きによる変化かもしれない。

「ホワイトスターって……案外薄暗いところなのね。もっと美しい世界なのだと思っていたわ」

 デスタンの動きを頼りに、小石を蹴って歩きつつ、何げなくそんなことを発する。

「以前は美しいところでした」
「そうなの?」
「はい。そもそも、このような曇り空の日は滅多にありませんでした」
「なるほど……昔は綺麗なところだったのね」

 足下には土と砂ばかり。コケのようなものを時々見かけるだけ、ブラックスターよりかはましな環境なのかもしれないが、美しいとは思えない。

 また、首を捻って辺りを見回してみても、心踊るような光景は少しもない。
 時たま、建物の残骸らしき物体が転がっているのが見えるだけである。

「ところでデスタンさん。これはどこへ向かっているの?」
「崖です」
「が、崖……!?」
「はい。そこから飛び降りれば、あの街へ着きます」

 崖から飛び降りる、は、難易度が高過ぎやしないだろうか。

「あの街って……ミセさんの家を下っていったところの街?」
「そうです」

 坂道に差し掛かる。
 ここに来て上り坂。体力がもつか、若干不安だ。

「じゃあデスタンさんは、そうやって、あの街に着いたのね」
「はい。私はそのまま落ちましたが、王子は途中で攻撃を受け、違う方向へと飛ばされてしまいました。なので、別の場所へ到着してしまったのです」

 徐々に風が強まる。
 灰色の空が近づいてくる。

「それにしても、よく飛び降りたわね」
「生き延びるためには、そうするしかなかったのです」

 坂道は険しく、既に疲れている体へさらなる疲れを与えてくる。
 隣を行くデスタンは涼しい顔をしているが、平気なのだろうか。リゴールは重いだろうし、自身も無傷というわけでもないだろうに。

「生き延びるため、ね……」

 半ば無意識のうちに、その言葉を繰り返していた。

「そういうことです。さすがにそろそろ理解できたでしょうか」
「さすがにそろそろって何よ。失礼ね」
「間違ったことは言っていないはずです」
「……それはそうだけど」

 ちょっと感じが悪いわよ!

 そう言ってやりたかったが、こんなところに置いていかれたりしたら怖いので、言わないでおいた。


 上り坂を歩くことしばらく。
 ようやく、崖らしいところへたどり着いた。

 かなり登ってきたからか、灰色の空がとても近く感じられる。晴れていたらもっと心地よかっただろうな、と思った。

 また、風がとても強い。
 気を抜いていたら風に煽られて転んでしまいそう——そんな不安を抱いたくらいの強風だ。

「では降りましょうか」

 デスタンが淡々とした声で述べる。

「本当に飛び降りる気……?」
「当然です。それしかないのですから」

 当然? それしかない? 何よ、その言い方! そもそも、私がこんな目に遭っているのは、デスタンを助けにブラックスターへ行ったせいじゃない。助けに来てもらっていながら、お礼もなしにそんな冷たい態度をとるなんて、あり得ないわ!

 それが私の本心。

 だが、それをはっきり告げることはできない。
 なぜなら、デスタンの淡々とした振る舞いに励まされているという事実があるから。

「……そう」

 デスタンが崖の先端部にまで足を進めたので、私も同じように進む。あと一歩で落ちる、というところで立ち止まり、下を見る。

「た、高い……」

 異様な高さに、足が震え出す。

「どうかしたのですか?」
「な、何でも……ないわよ……」
「言動が不自然ですが」
「放っておいてちょうだい!」

 怖じ気づいて飛び降りられないなんてことだけは避けたい。特に、デスタンと二人の今、そんな情けない姿を晒すわけにはいかないのだ。

 だが、足の震えが止まらない。
 取り敢えずこれをどうにかしたいのだが、初体験ゆえ良い対策が思い浮かばず、困ってしまう。

 そんな私に向かって、デスタンは提案してくる。

「一人離れるのが怖いなら、服でも掴んでおいて下さい」
「……そうさせてもらうわ」

 行きも帰りもか、と、少し笑えてしまった。

「では、飛び降りましょう」

 三、二、一、で、私たちは崖から飛び降りた。
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