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episode.131 手を取って
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その日から、私はまた、訓練を再開した。
姉の死がエトーリアの心に傷を残しているということは分かった。また、そのことがあったからこそ私に関しても神経質になっているのだということは、容易く想像できる。
エトーリアのためを思うのならば、リゴールとは縁を切るべきなのかもしれない。彼と、そしてホワイトスターとも縁を切り、エトーリアやバッサだけと関わって暮らしていく方が望ましいのかもしれない。そうすれば、エトーリアも、過去を思い出さずに済む。
でも、私はその道を選ばなかった。
もちろん、エトーリアの存在を軽く見ているわけではない。
彼女がいたから今私が生きている——それは事実。だから、彼女のことを軽く見るなんて、できるはずがない。
けれども、リゴールとの縁を断ち切るなんてことは、私にはできなかった。
それから一週間ほどが経過した、ある日の午後。真剣な顔をしたリゴールが、私の部屋にやって来た。
「失礼します、エアリ」
薄いクリーム色の、詰め襟の上衣を身にまとったリゴール。彼の表情は、いつになく真剣そのもので。
「リゴール。……どうしたの? こんな昼間に」
何かあったのだろうか、と不安を抱きながらも、リゴールの海のように青い双眸をじっと見つめる。
「先ほど、ウェスタさんから連絡がありまして。何でも、ブラックスター王妃が向かってきているようだそうで」
今のリゴールの声には、柔らかさがない。
「なので、わたくしはそこへ行きます」
「え。行くの……?」
ブラックスター王妃は、リゴールの命を狙っているはず。そんな者の前に姿を現すなど、自殺行為だ。
隠れているだけで生き残る可能性は上がるのだから、敢えて姿を晒す必要性なんて少しも感じられない。
「出ていくなんて危険よ。隠れていればいいんじゃない?」
「いえ。終わらせるためにも、行くのです」
リゴールの少年のような顔には、真っ直ぐな決意の色が濃く浮かんでいた。
顔立ち自体はいつもと変わらない。可愛らしさのある、あどけない少年の顔だ。けれど、まとっている雰囲気はいつもと少し違っている。
「……エアリも共に来てくれませんか?」
「え!?」
リゴールの口から出た言葉に驚き、うっかり品のない刺々しい声を発してしまった。
「まずは説得を試みるつもりです。しかし、ブラックスター王妃がその説得に速やかに応じてくれるかは分からないので、もしもの時にはエアリの力をお借りしたいのです」
そう言って、リゴールは右手を差し出してくる。控えめな肉付きの手のひら。私は、それを取るか否か、少しばかり迷ってしまった。
彼と共に生きると、彼の傍にいると、とうに決意したはずなのに。
なぜリゴールの手を取ることを躊躇ってしまったのか、自分でもよく分からない。ただ、躊躇してしまったという事実があるだけだ。
けれど、このままでは嘘つきになってしまう。
だから私は、差し出された手をそっと握った。
その時、手が差し出されてから、既に数十秒が経過していた。が、リゴールは時間の経過に怒ることはなく。いや、怒らないどころか、むしろ安堵の笑みをこぼしていた。
「……良かった」
リゴールは、目を細め、鳥の羽のようなふんわりした笑みを浮かべながら、呟くように発する。
「ここのところ、わたくしのワガママで振り回してばかりで……気まずくなってしまい、申し訳ありませんでした」
彼は丁寧に謝罪してきた。
べつに、罪はないのに。
「気にしないで、リゴール」
「……ありがとうございます」
リゴールの口から放たれる感謝の言葉。それは、私の胸をがっしり掴んで離さない。日頃滅多に見かけることのないような純真さに、心を奪われてしまう。
「嬉しいです!」
彼と並んで歩く道を選んだら、待つのはきっと険しい道。恐らく、戦いを避けることはできないだろう。
それでも歩もう、彼と共に。
その日の夕方、まだ日が落ち始めていない時間帯に、私はリゴールと屋敷を出た。
目的地は、屋敷から離れた自然の中。
ちなみに、その場所を考え選んだのはリゴール自身。エトーリアの屋敷に被害が出てはならないということで、リゴールが、屋敷から離れた場所に決めたのだ。
私は外出時によく着る黒いワンピースを着てきた。首元と輪を連ねたようなベルトが緑色なことくらいしか目立った特徴のない、比較的体に密着したデザインのワンピース。軽く膨らんだ肩回りなど、多少修繕しているため、新品には見えなくなってしまっている。が、着なれているから、このワンピースを着ておいた。
もちろん、ペンダントも持ってきている。
「人のいないところで王妃と顔を合わせるなんて、危険じゃない?」
「それはそうですが……お母様に迷惑をかけるわけにはいきません」
「気にしなくて良いのよ」
「いえ。これ以上迷惑をかけては、追い出されてしまいそうですので」
それはそうかも。
最近のエトーリアは、リゴールに妙に厳しいものね。
「あ。もちろん、エアリが負傷しないように気をつけますよ。エアリが傍にいて下されば、わたくしの戦闘能力も二割増しくらいにはなりますから」
二割増し、とは、何と曖昧な表現だろうか。戦闘能力が数値化されていない限り、二割増しなんて表現は、どこまでも曖昧な表現だ。
そんな風に言葉を交わしているうちに、歩き出してから十五分ほどが経過していた。
「この辺りにしましょうか」
辺りには、背の高い木々がたくさん生え、壁のように整然と並んでいる。木々には、生命を感じさせる深い緑の葉が、大量についている。その葉たちは、時折微かに吹く風に揺られ、ガサガサと音を立てていた。
「ここで王妃が来るのを待つの?」
「そうしようと思います」
待つことしばらく。
突如、木々の隙間の空間がぐにゃりと歪んだ。
誰かの姿が見えたわけではないけれど、私は、それにすぐ気づくことができた。
すぐ隣でしゃがみ込んでいたリゴールも気づいたようで、すっと立ち上がっていた。
「来た?」
「そうかもしれませんね……」
緊張が空間を満たす。
「エアリは後ろにいて下さい」
歪みは徐々に広がり、そこから体が現れる——そう、ブラックスター王妃の体が。
「んふふ……ここにいたのね……?」
宙の歪みから現れた王妃は、以前とは違って、黒い衣装をまとっていた。
姉の死がエトーリアの心に傷を残しているということは分かった。また、そのことがあったからこそ私に関しても神経質になっているのだということは、容易く想像できる。
エトーリアのためを思うのならば、リゴールとは縁を切るべきなのかもしれない。彼と、そしてホワイトスターとも縁を切り、エトーリアやバッサだけと関わって暮らしていく方が望ましいのかもしれない。そうすれば、エトーリアも、過去を思い出さずに済む。
でも、私はその道を選ばなかった。
もちろん、エトーリアの存在を軽く見ているわけではない。
彼女がいたから今私が生きている——それは事実。だから、彼女のことを軽く見るなんて、できるはずがない。
けれども、リゴールとの縁を断ち切るなんてことは、私にはできなかった。
それから一週間ほどが経過した、ある日の午後。真剣な顔をしたリゴールが、私の部屋にやって来た。
「失礼します、エアリ」
薄いクリーム色の、詰め襟の上衣を身にまとったリゴール。彼の表情は、いつになく真剣そのもので。
「リゴール。……どうしたの? こんな昼間に」
何かあったのだろうか、と不安を抱きながらも、リゴールの海のように青い双眸をじっと見つめる。
「先ほど、ウェスタさんから連絡がありまして。何でも、ブラックスター王妃が向かってきているようだそうで」
今のリゴールの声には、柔らかさがない。
「なので、わたくしはそこへ行きます」
「え。行くの……?」
ブラックスター王妃は、リゴールの命を狙っているはず。そんな者の前に姿を現すなど、自殺行為だ。
隠れているだけで生き残る可能性は上がるのだから、敢えて姿を晒す必要性なんて少しも感じられない。
「出ていくなんて危険よ。隠れていればいいんじゃない?」
「いえ。終わらせるためにも、行くのです」
リゴールの少年のような顔には、真っ直ぐな決意の色が濃く浮かんでいた。
顔立ち自体はいつもと変わらない。可愛らしさのある、あどけない少年の顔だ。けれど、まとっている雰囲気はいつもと少し違っている。
「……エアリも共に来てくれませんか?」
「え!?」
リゴールの口から出た言葉に驚き、うっかり品のない刺々しい声を発してしまった。
「まずは説得を試みるつもりです。しかし、ブラックスター王妃がその説得に速やかに応じてくれるかは分からないので、もしもの時にはエアリの力をお借りしたいのです」
そう言って、リゴールは右手を差し出してくる。控えめな肉付きの手のひら。私は、それを取るか否か、少しばかり迷ってしまった。
彼と共に生きると、彼の傍にいると、とうに決意したはずなのに。
なぜリゴールの手を取ることを躊躇ってしまったのか、自分でもよく分からない。ただ、躊躇してしまったという事実があるだけだ。
けれど、このままでは嘘つきになってしまう。
だから私は、差し出された手をそっと握った。
その時、手が差し出されてから、既に数十秒が経過していた。が、リゴールは時間の経過に怒ることはなく。いや、怒らないどころか、むしろ安堵の笑みをこぼしていた。
「……良かった」
リゴールは、目を細め、鳥の羽のようなふんわりした笑みを浮かべながら、呟くように発する。
「ここのところ、わたくしのワガママで振り回してばかりで……気まずくなってしまい、申し訳ありませんでした」
彼は丁寧に謝罪してきた。
べつに、罪はないのに。
「気にしないで、リゴール」
「……ありがとうございます」
リゴールの口から放たれる感謝の言葉。それは、私の胸をがっしり掴んで離さない。日頃滅多に見かけることのないような純真さに、心を奪われてしまう。
「嬉しいです!」
彼と並んで歩く道を選んだら、待つのはきっと険しい道。恐らく、戦いを避けることはできないだろう。
それでも歩もう、彼と共に。
その日の夕方、まだ日が落ち始めていない時間帯に、私はリゴールと屋敷を出た。
目的地は、屋敷から離れた自然の中。
ちなみに、その場所を考え選んだのはリゴール自身。エトーリアの屋敷に被害が出てはならないということで、リゴールが、屋敷から離れた場所に決めたのだ。
私は外出時によく着る黒いワンピースを着てきた。首元と輪を連ねたようなベルトが緑色なことくらいしか目立った特徴のない、比較的体に密着したデザインのワンピース。軽く膨らんだ肩回りなど、多少修繕しているため、新品には見えなくなってしまっている。が、着なれているから、このワンピースを着ておいた。
もちろん、ペンダントも持ってきている。
「人のいないところで王妃と顔を合わせるなんて、危険じゃない?」
「それはそうですが……お母様に迷惑をかけるわけにはいきません」
「気にしなくて良いのよ」
「いえ。これ以上迷惑をかけては、追い出されてしまいそうですので」
それはそうかも。
最近のエトーリアは、リゴールに妙に厳しいものね。
「あ。もちろん、エアリが負傷しないように気をつけますよ。エアリが傍にいて下されば、わたくしの戦闘能力も二割増しくらいにはなりますから」
二割増し、とは、何と曖昧な表現だろうか。戦闘能力が数値化されていない限り、二割増しなんて表現は、どこまでも曖昧な表現だ。
そんな風に言葉を交わしているうちに、歩き出してから十五分ほどが経過していた。
「この辺りにしましょうか」
辺りには、背の高い木々がたくさん生え、壁のように整然と並んでいる。木々には、生命を感じさせる深い緑の葉が、大量についている。その葉たちは、時折微かに吹く風に揺られ、ガサガサと音を立てていた。
「ここで王妃が来るのを待つの?」
「そうしようと思います」
待つことしばらく。
突如、木々の隙間の空間がぐにゃりと歪んだ。
誰かの姿が見えたわけではないけれど、私は、それにすぐ気づくことができた。
すぐ隣でしゃがみ込んでいたリゴールも気づいたようで、すっと立ち上がっていた。
「来た?」
「そうかもしれませんね……」
緊張が空間を満たす。
「エアリは後ろにいて下さい」
歪みは徐々に広がり、そこから体が現れる——そう、ブラックスター王妃の体が。
「んふふ……ここにいたのね……?」
宙の歪みから現れた王妃は、以前とは違って、黒い衣装をまとっていた。
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