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episode.137 もうそろそろ
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王妃を倒した一件以来、私の心に光は射し込まなくなってしまった。
体調が悪いわけではない。
頭痛や腹痛、倦怠感といった症状はないし、発熱している感じもないし。
ただ、心だけが重苦しくて。
しかし、私がそんな状態であっても、世界の変化には何の関係もなく。時間はただひたすらに過ぎてゆく。時計の針が止まることはない。
そんなある日のこと。
軽い昼食を終え、自室へ戻ってぼんやりしていると、誰かが戸を叩いてきた。
私の部屋に訪ねてくるとしたら、リゴールかバッサ、あるいはエトーリア辺りだろう。だが、エトーリアは夜間に来ることが多い。となると、リゴールかバッサが有力と言えるかもしれない。
いずれにせよ、会いたくない相手ということはない。
開けても問題なさそうだ。
そんなことを暫し考えた後、私は扉の方へ向かう。そして、「はーい」と軽やかに発しながら、戸を開けた。
「……っ!」
そして驚く。
扉の向こうに立っていたのが、ミセに肩を借りているデスタンだったから。
「物凄く驚いたような顔ですね。そんなに私が嫌でしたか」
いや、そうじゃない。
私はただ訪ねてきたのがデスタンであることに衝撃を受けただけであって、デスタンが嫌でこんな顔になってしまったわけではない。
そもそも、デスタンが嫌だったのなら、驚いた顔ではなく不快そうな顔をするはずではないか。嫌な人がやって来たから驚いた顔をするなんて、ずれている。
「ち、違うの。嫌だなんて思っていないわ。ただ少し……驚いてしまったのよ。だって、訪ねてきたのが貴方だなんて、考えてもみなかったから……」
ミセは何も口を挟んでこない。デスタンの体を支えることに集中しているようだ。彼女の、デスタン絡みの熱心さは、常人の域を遥かに超えていると言っても過言ではないくらいである。
「言い訳は結構です、嫌われるのには慣れていますから。……それより。話があるので、少し入れていただいても?」
デスタンが私の部屋に来るなんて嘘みたい。でも、それより信じられなかったのは、彼が立てていること。支えてもらいながらではあるが、それでも、立てているのが凄いことであることに変わりはない。
「え、えぇ。どうぞ」
「では失礼」
デスタンはミセにもたれかかりつつゆっくりと歩き、やがて床に座る。デスタンを床に座らせたミセは、素早く彼の隣に陣取る。
「大丈夫かしらぁ? デスタン」
「はい。問題ありません」
二人は一瞬だけ、そんなやり取りをしていた。
そして、デスタンは改めてこちらを向く。
「調子はどうですか」
「え?」
「貴女の調子がどうかを聞いているのです。馬鹿げた説明をさせないで下さい」
彼が発する言葉に含まれるさりげない毒は健在。ミセとの交流の中で少しは変わってきているものかと思っていたが、そうでもないようだ。
「ごめんなさい」
「謝罪は結構なので、答えて下さい」
何なのよ! と言いたくなるも、ギリギリのところで堪える。
「え、えぇ。そうするわ。……と言っても、調子なんて自分ではよく分からないわね」
「単刀直入に言うと、王子が心配なさっていたのです。貴女のことを、ですよ? なので、私が直接様子を確認しに来ました」
そういうことだったのか。
事情が分かり、ほんの少し心が緩んだ気がした。
それにしても、今日のデスタンはさっぱりしている。藤色の長髪はさらさらだし、シャツや体からは石鹸のような爽やかな香りが漂っているし。
「お疲れですか?」
「私は、その……疲れてなんかないわよ」
「では、王子はなぜ心配を?」
そんなこと、聞かれても分からない。
内心呟きつつも、返す。
「あ……もしかしたら、少しすっきりしなかったのを気づいてくれたのかもしれないわ」
曖昧な発言になってしまった。
それを聞いたデスタンは、眉と眉を内に寄せ、訝しんだような顔をする。
「すっきりしない、とは」
「……実は、少し悩んでいるの」
「残念な頭の方も、悩むことはあるのですね」
ちょっと、何それ! 失礼!
怒りが込み上げる。
だが、込み上げたからといってそれをすぐに露わにするのは、短絡的。人であるならば、時には我慢することも必要だ。
「そうなの。王妃との一件以来、どうも明るい気分になれなくて」
「王子が王妃を倒された一件以来、ですか?」
デスタンの確認に、私は「えぇ」と言って頷く。
「犠牲が多すぎるわ。こんなに人が死んでいく争いなんて、絶対良くない。私はそう思うの」
「何もしなければ殺られるのは王子の方です」
私は勇気を振り絞って本当の気持ちを述べた。しかしデスタンは、眉一つ動かさず、あっさり一文を返してくるだけ。
「それはそうかもしれないわね。私だって、一応は分かっているつもりよ」
「ならば、歯向かう者は蹴散らすしかありません」
「でも、命の奪い合いなんて……」
私は俯く。
——否、正しくは、半ば無意識のうちに俯いていた。
私とて馬鹿ではない。命を狙われている以上、生きるためには抵抗しなければならないということは、理解しているつもりだ。リゴールが本気で戦うのも、とにかく生き残るため。生き延びようとするのは人として当然のことだし、それを悪く言う気もない。
ただ、それでも、命の奪い合いなんてない方が良いと思わずにはいられなくて。
何を今さら。
綺麗事ばかり言って。
既に人の命を奪ったことのある私がいくら善良なことを述べても、そんな風に思われてしまうだろうけど。
「……愚かな」
一人思考の渦に巻き込まれてしまっていた私に向け、デスタンは低い声で言った。
「何を今さら迷っているのです」
彼は少し苛立っているみたいだった。
「幸せな夢を想像するのは結構です。しかし、夢は所詮夢。夢と現実の境目を見失うのは、愚か者以外の何者でもありません」
……そうね。
デスタンの言う通りだわ。
私は既に手を汚した身。今さら平和主義的なことを考えても、それはただの夢でしかないの。だって、現実はもう、嫌になるくらい血に濡れているんだもの。
「……そう。そうよね。もう、夢みても無駄なんだわ……」
リゴールと共に歩む道を選んだのは、他の誰でもない、私自身だ。だから、たとえそれが辛い道であったとしても、誰かを責めることなどできない。
そして、その道から逃げ出すことも、一切できはしない。
選んだ道。決めた人生。
歩み出せばもう、引き返せはしない。
「甘いのね……私は」
リゴールに心配をかけ、デスタンを歩かせ、これでは皆に迷惑をかけてばかりではないか。なんて情けない。こんなこと、許されたことではない。
戦うと決意した身なのだから、私ももうそろそろ、一人で地面に立たなければ。
体調が悪いわけではない。
頭痛や腹痛、倦怠感といった症状はないし、発熱している感じもないし。
ただ、心だけが重苦しくて。
しかし、私がそんな状態であっても、世界の変化には何の関係もなく。時間はただひたすらに過ぎてゆく。時計の針が止まることはない。
そんなある日のこと。
軽い昼食を終え、自室へ戻ってぼんやりしていると、誰かが戸を叩いてきた。
私の部屋に訪ねてくるとしたら、リゴールかバッサ、あるいはエトーリア辺りだろう。だが、エトーリアは夜間に来ることが多い。となると、リゴールかバッサが有力と言えるかもしれない。
いずれにせよ、会いたくない相手ということはない。
開けても問題なさそうだ。
そんなことを暫し考えた後、私は扉の方へ向かう。そして、「はーい」と軽やかに発しながら、戸を開けた。
「……っ!」
そして驚く。
扉の向こうに立っていたのが、ミセに肩を借りているデスタンだったから。
「物凄く驚いたような顔ですね。そんなに私が嫌でしたか」
いや、そうじゃない。
私はただ訪ねてきたのがデスタンであることに衝撃を受けただけであって、デスタンが嫌でこんな顔になってしまったわけではない。
そもそも、デスタンが嫌だったのなら、驚いた顔ではなく不快そうな顔をするはずではないか。嫌な人がやって来たから驚いた顔をするなんて、ずれている。
「ち、違うの。嫌だなんて思っていないわ。ただ少し……驚いてしまったのよ。だって、訪ねてきたのが貴方だなんて、考えてもみなかったから……」
ミセは何も口を挟んでこない。デスタンの体を支えることに集中しているようだ。彼女の、デスタン絡みの熱心さは、常人の域を遥かに超えていると言っても過言ではないくらいである。
「言い訳は結構です、嫌われるのには慣れていますから。……それより。話があるので、少し入れていただいても?」
デスタンが私の部屋に来るなんて嘘みたい。でも、それより信じられなかったのは、彼が立てていること。支えてもらいながらではあるが、それでも、立てているのが凄いことであることに変わりはない。
「え、えぇ。どうぞ」
「では失礼」
デスタンはミセにもたれかかりつつゆっくりと歩き、やがて床に座る。デスタンを床に座らせたミセは、素早く彼の隣に陣取る。
「大丈夫かしらぁ? デスタン」
「はい。問題ありません」
二人は一瞬だけ、そんなやり取りをしていた。
そして、デスタンは改めてこちらを向く。
「調子はどうですか」
「え?」
「貴女の調子がどうかを聞いているのです。馬鹿げた説明をさせないで下さい」
彼が発する言葉に含まれるさりげない毒は健在。ミセとの交流の中で少しは変わってきているものかと思っていたが、そうでもないようだ。
「ごめんなさい」
「謝罪は結構なので、答えて下さい」
何なのよ! と言いたくなるも、ギリギリのところで堪える。
「え、えぇ。そうするわ。……と言っても、調子なんて自分ではよく分からないわね」
「単刀直入に言うと、王子が心配なさっていたのです。貴女のことを、ですよ? なので、私が直接様子を確認しに来ました」
そういうことだったのか。
事情が分かり、ほんの少し心が緩んだ気がした。
それにしても、今日のデスタンはさっぱりしている。藤色の長髪はさらさらだし、シャツや体からは石鹸のような爽やかな香りが漂っているし。
「お疲れですか?」
「私は、その……疲れてなんかないわよ」
「では、王子はなぜ心配を?」
そんなこと、聞かれても分からない。
内心呟きつつも、返す。
「あ……もしかしたら、少しすっきりしなかったのを気づいてくれたのかもしれないわ」
曖昧な発言になってしまった。
それを聞いたデスタンは、眉と眉を内に寄せ、訝しんだような顔をする。
「すっきりしない、とは」
「……実は、少し悩んでいるの」
「残念な頭の方も、悩むことはあるのですね」
ちょっと、何それ! 失礼!
怒りが込み上げる。
だが、込み上げたからといってそれをすぐに露わにするのは、短絡的。人であるならば、時には我慢することも必要だ。
「そうなの。王妃との一件以来、どうも明るい気分になれなくて」
「王子が王妃を倒された一件以来、ですか?」
デスタンの確認に、私は「えぇ」と言って頷く。
「犠牲が多すぎるわ。こんなに人が死んでいく争いなんて、絶対良くない。私はそう思うの」
「何もしなければ殺られるのは王子の方です」
私は勇気を振り絞って本当の気持ちを述べた。しかしデスタンは、眉一つ動かさず、あっさり一文を返してくるだけ。
「それはそうかもしれないわね。私だって、一応は分かっているつもりよ」
「ならば、歯向かう者は蹴散らすしかありません」
「でも、命の奪い合いなんて……」
私は俯く。
——否、正しくは、半ば無意識のうちに俯いていた。
私とて馬鹿ではない。命を狙われている以上、生きるためには抵抗しなければならないということは、理解しているつもりだ。リゴールが本気で戦うのも、とにかく生き残るため。生き延びようとするのは人として当然のことだし、それを悪く言う気もない。
ただ、それでも、命の奪い合いなんてない方が良いと思わずにはいられなくて。
何を今さら。
綺麗事ばかり言って。
既に人の命を奪ったことのある私がいくら善良なことを述べても、そんな風に思われてしまうだろうけど。
「……愚かな」
一人思考の渦に巻き込まれてしまっていた私に向け、デスタンは低い声で言った。
「何を今さら迷っているのです」
彼は少し苛立っているみたいだった。
「幸せな夢を想像するのは結構です。しかし、夢は所詮夢。夢と現実の境目を見失うのは、愚か者以外の何者でもありません」
……そうね。
デスタンの言う通りだわ。
私は既に手を汚した身。今さら平和主義的なことを考えても、それはただの夢でしかないの。だって、現実はもう、嫌になるくらい血に濡れているんだもの。
「……そう。そうよね。もう、夢みても無駄なんだわ……」
リゴールと共に歩む道を選んだのは、他の誰でもない、私自身だ。だから、たとえそれが辛い道であったとしても、誰かを責めることなどできない。
そして、その道から逃げ出すことも、一切できはしない。
選んだ道。決めた人生。
歩み出せばもう、引き返せはしない。
「甘いのね……私は」
リゴールに心配をかけ、デスタンを歩かせ、これでは皆に迷惑をかけてばかりではないか。なんて情けない。こんなこと、許されたことではない。
戦うと決意した身なのだから、私ももうそろそろ、一人で地面に立たなければ。
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