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episode.140 ある意味ラッキー
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喉元に刃を突きつけられたデスタンは、余裕たっぷりな表情のトランを、威嚇するように睨んでいる。
威嚇するように、と言っても、野性味に満ちた睨み方なわけではない。静かな水面のような、冷たい目つきである。ただ、相手を今以上近寄らせないという力が溢れ出しているようだ。
「……強がらなくていいんだよー?」
「理解できない」
「怖いなら怖いって言えばいいし、止めてほしいなら止めてくれって言えばいい。ま、それでボクが止めるとは限らないけどね?」
トランはよく喋る。
しかし、短剣を握っている手は、先ほどのまま。
短剣の先は、まだデスタンの首へ向いている。
「じゃ、そろそろ始めようか——」
「待ちなさい!」
突如背後から聞こえてきた叫び声は、よく聞き慣れた声だった。
そう、声の主はリゴールである。
彼は基本、丁寧かつ穏やか。時に大きな声を出すことはあっても、それは大概、笑えるような時かむきになっている時かである。だから、彼がつい先ほど聞こえてきたような荒さのある言い方をしているのを聞いたことは、ほとんどない。ゼロかと言われればそうではないけれど、あっても数回くらいだろう。
ただ、それでも、今の声がリゴールの声だとすぐに気づくことができた。
「リゴール!」
振り返り、彼の姿を瞳で捉えて、半ば無意識のうちに名を呼んでいた。
「来てくれたのね!?」
「はい! 侵入者と聞きました。好きにはさせません!」
来てくれた! 彼が、ちょうど、このタイミングで!
胸の内で、安堵の洪水が発生する。
実際に洪水が起こるのは恐ろしく嫌なことだが、この胸の内の洪水は逆に嬉しくありがたいことだ。
リゴールの少し後ろには、ミセの姿。
彼女が呼んできてくれたのだろう。
「……ふぅん。王子自ら参戦してくるんだ」
トランは少しばかり目を細め、楽しくなさそうな声で呟く。
「ま、関係なく進めるけどねー」
短剣を柄を握る手に力を加えるのが見えた。
私は片手を、首元のペンダントへ。
「駄目!」
そして、ペンダントから変化した剣を、トランの手元に向かって振った。
トランの片手から短剣が落ちる。
いきなりの斬撃に、デスタンは後ろ向きに転倒。
しかし彼は、転倒した体勢のまま、床に落ちたトランの短剣を掴む。
そして、後ろへ投げる。
投げられた短剣は、リゴールの手元に収まった。
——場の状況は少しだけ動いた。
「……へぇー」
トランは感心したように漏らす。
その右手の甲には浅い傷ができていて、そこから、一筋の赤が流れ出ている。
私は、力を加減する暇もなく剣を振った。にもかかわらず、トランの手の傷は浅い。それは恐らく、トランの反応が早かったということなのだろう。
もっとも、王の直属軍に所属しているくらいだから、そのくらいの反応はできて普通なのかもしれないが。
「短剣は没収。手にも一撃。ふふふ。面白いねー。……これはなかなか面白くなってきたよ」
トランが一人で話している隙に、リゴールはデスタンへ駆け寄る。転んでしまいすぐには立てそうにないデスタンに、リゴールは不安げな眼差しを向けていた。また、それだけではなく、リゴールは両手を差し出しながら「立てますか?」と声をかけている。もちろん、トランの短剣は床に置いて。ただ、そんなに心配してもらっているにもかかわらずデスタンは平常運転で、「手を貸していただく必要はありません」などとあっさり返していた。
私は剣を構える。
先端をトランへ向けながら。
リゴールとデスタンはまだ言葉を交わしている。それゆえ、二人が狙われては大変だ。だから私は、剣を向けて牽制しておく。
「デスタン。後ろにミセさんがいらっしゃいますから、彼女と共に下がって下さい」
「……いえ。そのような真似はできません」
「駄目です! 下がっていて下さい」
厳しく言い放つリゴール。
だが、対するデスタンは、まだ納得しない。
「……止めて下さい、王子。逃げ出すなど、情けないにもほどがあります」
デスタンは体を軽く捻り、床に片腕をついて、腰を浮かせる。
どうやら、自力で立ち上がろうとしているようだ。
彼の、苦労があってもすぐ他人に頼らない態度は、尊敬に値すると言っても言い過ぎではないかもしれない。
ただ、時には他人に力を借りた方が良い場合もあると思うが。
「……できることはします」
「いえ。デスタン、速やかに下がりなさい」
その頃になって、リゴールとデスタンがいるところへミセが接近。彼女は素早くデスタンを立たせると、納得がいかないというような顔つきの彼を、半ば強制的に下がらせる。その時リゴールは、ミセに短く感謝を述べていた。
デスタンとミセが避難し始めるなり、リゴールは、先ほど床に置いた短剣を手に立ち上がる。
「エアリ、お怪我は?」
「ないわよ」
「それは良かった。安心しました」
リゴールはホッとしたような笑みを浮かべる。
「エアリ。後はわたくしにお任せを」
「待って、大丈夫なの?」
王妃を倒した日からは、とうに数日が経過している。だから、普通ならもう回復していることだろう。しかし、王妃を倒したあの時、リゴールは日頃とは比べ物にならないような威力の魔法を使っていた。それだけに、少し心配だったのだ。
私のお節介な問いを聞いたリゴールは、キョトンとしながら首を傾げる。
「え。何がですか?」
「この前、恐ろしいくらい魔法を使っていたでしょ。もうちゃんと回復したの? 本調子?」
改めて問いの意図を説明するのは、少しばかり恥ずかしい。けれど、問いを一度放ってしまった以上、仕方のないことだ。
説明から少し時間が経って、リゴールは口を開く。
「そういった意味でしたか。それなら問題ありません。わたくしはもう回復しましたので」
それから彼は、トランへ視線を移す。
その横顔は凛々しくて。
つい見惚れてしまう。
「逃げられちゃったかぁ。……ま、でも。王子がのこのこ現れるなんて、ある意味ラッキー」
トランは意外とポジティブ。
「ここでちょこっと金星あげることにしようかな」
そう続け、トランは片手を掲げる。
すると、彼の背後に黒い矢のようなものが現れた。
「そーれ」
トランが右の口角を僅かに持ち上げた瞬間、宙に浮かんでいた黒い矢が一気にこちらへ向かってくる。
私は、剣で。
リゴールは、防御膜で。
それぞれ、飛んできた黒い矢を防ぐ。
私たちが矢を防いでいる隙に、直進してくるトラン。彼のどことなく虚ろな双眸はリゴールを捉えている。
「させないわよ!」
リゴールとトランの間に割って入る。
「……斬れるのかな?」
挑発的な物言いをするトランは、真っ直ぐ来る。
威嚇するように、と言っても、野性味に満ちた睨み方なわけではない。静かな水面のような、冷たい目つきである。ただ、相手を今以上近寄らせないという力が溢れ出しているようだ。
「……強がらなくていいんだよー?」
「理解できない」
「怖いなら怖いって言えばいいし、止めてほしいなら止めてくれって言えばいい。ま、それでボクが止めるとは限らないけどね?」
トランはよく喋る。
しかし、短剣を握っている手は、先ほどのまま。
短剣の先は、まだデスタンの首へ向いている。
「じゃ、そろそろ始めようか——」
「待ちなさい!」
突如背後から聞こえてきた叫び声は、よく聞き慣れた声だった。
そう、声の主はリゴールである。
彼は基本、丁寧かつ穏やか。時に大きな声を出すことはあっても、それは大概、笑えるような時かむきになっている時かである。だから、彼がつい先ほど聞こえてきたような荒さのある言い方をしているのを聞いたことは、ほとんどない。ゼロかと言われればそうではないけれど、あっても数回くらいだろう。
ただ、それでも、今の声がリゴールの声だとすぐに気づくことができた。
「リゴール!」
振り返り、彼の姿を瞳で捉えて、半ば無意識のうちに名を呼んでいた。
「来てくれたのね!?」
「はい! 侵入者と聞きました。好きにはさせません!」
来てくれた! 彼が、ちょうど、このタイミングで!
胸の内で、安堵の洪水が発生する。
実際に洪水が起こるのは恐ろしく嫌なことだが、この胸の内の洪水は逆に嬉しくありがたいことだ。
リゴールの少し後ろには、ミセの姿。
彼女が呼んできてくれたのだろう。
「……ふぅん。王子自ら参戦してくるんだ」
トランは少しばかり目を細め、楽しくなさそうな声で呟く。
「ま、関係なく進めるけどねー」
短剣を柄を握る手に力を加えるのが見えた。
私は片手を、首元のペンダントへ。
「駄目!」
そして、ペンダントから変化した剣を、トランの手元に向かって振った。
トランの片手から短剣が落ちる。
いきなりの斬撃に、デスタンは後ろ向きに転倒。
しかし彼は、転倒した体勢のまま、床に落ちたトランの短剣を掴む。
そして、後ろへ投げる。
投げられた短剣は、リゴールの手元に収まった。
——場の状況は少しだけ動いた。
「……へぇー」
トランは感心したように漏らす。
その右手の甲には浅い傷ができていて、そこから、一筋の赤が流れ出ている。
私は、力を加減する暇もなく剣を振った。にもかかわらず、トランの手の傷は浅い。それは恐らく、トランの反応が早かったということなのだろう。
もっとも、王の直属軍に所属しているくらいだから、そのくらいの反応はできて普通なのかもしれないが。
「短剣は没収。手にも一撃。ふふふ。面白いねー。……これはなかなか面白くなってきたよ」
トランが一人で話している隙に、リゴールはデスタンへ駆け寄る。転んでしまいすぐには立てそうにないデスタンに、リゴールは不安げな眼差しを向けていた。また、それだけではなく、リゴールは両手を差し出しながら「立てますか?」と声をかけている。もちろん、トランの短剣は床に置いて。ただ、そんなに心配してもらっているにもかかわらずデスタンは平常運転で、「手を貸していただく必要はありません」などとあっさり返していた。
私は剣を構える。
先端をトランへ向けながら。
リゴールとデスタンはまだ言葉を交わしている。それゆえ、二人が狙われては大変だ。だから私は、剣を向けて牽制しておく。
「デスタン。後ろにミセさんがいらっしゃいますから、彼女と共に下がって下さい」
「……いえ。そのような真似はできません」
「駄目です! 下がっていて下さい」
厳しく言い放つリゴール。
だが、対するデスタンは、まだ納得しない。
「……止めて下さい、王子。逃げ出すなど、情けないにもほどがあります」
デスタンは体を軽く捻り、床に片腕をついて、腰を浮かせる。
どうやら、自力で立ち上がろうとしているようだ。
彼の、苦労があってもすぐ他人に頼らない態度は、尊敬に値すると言っても言い過ぎではないかもしれない。
ただ、時には他人に力を借りた方が良い場合もあると思うが。
「……できることはします」
「いえ。デスタン、速やかに下がりなさい」
その頃になって、リゴールとデスタンがいるところへミセが接近。彼女は素早くデスタンを立たせると、納得がいかないというような顔つきの彼を、半ば強制的に下がらせる。その時リゴールは、ミセに短く感謝を述べていた。
デスタンとミセが避難し始めるなり、リゴールは、先ほど床に置いた短剣を手に立ち上がる。
「エアリ、お怪我は?」
「ないわよ」
「それは良かった。安心しました」
リゴールはホッとしたような笑みを浮かべる。
「エアリ。後はわたくしにお任せを」
「待って、大丈夫なの?」
王妃を倒した日からは、とうに数日が経過している。だから、普通ならもう回復していることだろう。しかし、王妃を倒したあの時、リゴールは日頃とは比べ物にならないような威力の魔法を使っていた。それだけに、少し心配だったのだ。
私のお節介な問いを聞いたリゴールは、キョトンとしながら首を傾げる。
「え。何がですか?」
「この前、恐ろしいくらい魔法を使っていたでしょ。もうちゃんと回復したの? 本調子?」
改めて問いの意図を説明するのは、少しばかり恥ずかしい。けれど、問いを一度放ってしまった以上、仕方のないことだ。
説明から少し時間が経って、リゴールは口を開く。
「そういった意味でしたか。それなら問題ありません。わたくしはもう回復しましたので」
それから彼は、トランへ視線を移す。
その横顔は凛々しくて。
つい見惚れてしまう。
「逃げられちゃったかぁ。……ま、でも。王子がのこのこ現れるなんて、ある意味ラッキー」
トランは意外とポジティブ。
「ここでちょこっと金星あげることにしようかな」
そう続け、トランは片手を掲げる。
すると、彼の背後に黒い矢のようなものが現れた。
「そーれ」
トランが右の口角を僅かに持ち上げた瞬間、宙に浮かんでいた黒い矢が一気にこちらへ向かってくる。
私は、剣で。
リゴールは、防御膜で。
それぞれ、飛んできた黒い矢を防ぐ。
私たちが矢を防いでいる隙に、直進してくるトラン。彼のどことなく虚ろな双眸はリゴールを捉えている。
「させないわよ!」
リゴールとトランの間に割って入る。
「……斬れるのかな?」
挑発的な物言いをするトランは、真っ直ぐ来る。
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