あなたの剣になりたい

四季

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episode.146 もう狙わない

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 リゴールが部屋から出ていくや否や、トランは愉快そうに話しかけてくる。

「ふふふ。それで良かったのー?」

 トランはニヤニヤしながらこちらを見ている。多くを発することはしないが、言いたいことが何やら色々ありそうである。もっとも、他人を刺激するようなことだろうから、まともに聞く気はないが。

「良いのよ」
「王子ファーストじゃないんだ?」
「貴方に『もう狙わない』と約束してもらうことの方が大切だわ」

 約束してもらえるという保証はどこにもないけれど。

「……ふぅん」

 トランは面白くなさそうな顔をする。

「ボクがそんな約束をすると本気で思ってるんだ?」

 いや、そこまで甘く考えてはいない。
 ブラックスター王に絶対的な忠誠を誓っているわけではないとしても、そう易々と約束してはくれないだろう。
 そのくらいは想定している。

 嫌だ、と。
 無理、と。

 そんな風に言われることくらいは、想定の範囲内。

「思っていないわ」
「……そうなのー?」
「私、貴方が言いなりになるだろうなんて、考えていないわよ」

 はっきり言っておく。
 それに対しトランは、ふふ、とさりげなく笑う。

「そのくらいは分かってるーってわけだね」
「えぇ。それでも頼みたいの。どうか、もう手を出さないでって」

 私やリゴールは命を狙われず、トランが命を落とすこともない。そんな解決方法があるのなら、それが一番理想的と言えるはずだ。トランとて馬鹿ではないだろうから、そのくらい理解してくれそうなものなのだが。

 待つことしばらく。
 トランはあっさりと答える。

「……いいよー」

 トランの答えに、思わず大きな声を出してしまう。

「本当!?」

 すんなり頷くとは考えておらず、少し驚いた。

 よく考えてみれば、今までも彼は、時折すんなり頷いてくれた時があった。それを記憶していたなら、今回のこともそこまで驚きではなかったかもしれない。

「うん、いいよー。っていうかさ。そんなに熱心に頼まれたら、まぁ、いいよって言わざるを得ないよねー」

 さりげなく棘を練り込んでいるような発言。
 だが、間違ってはいない。
 ただ一つ、今の彼の発言で驚くところがあるとすれば。それは、熱心に頼まれたらいいよと言わざるを得ない、などという常人的な心がトランにもあったのだというところだろうか。

「王子と君には手を出さない。それでいいんだよねー?」
「……えぇ」
「分かったよ。じゃあ、その二人にはもう何もしなーい」

 おちょけた調子でそう言って、トランは両足を宙に浮かせる。

「だからさ。これ、外してくれない?」

 トランの二本の足は、きちんと揃えているかのような状態で括られている。今の状態では、歩いたり走ったりするどころか、立ち上がることさえままならないだろう。

「いいわよ。でもその前に」
「んー?」
「私たち二人に関係する人たちにはもう何もしない、と、言い直して」

 トランは確かに、二人にはもう何もしない、と言った。一見何の問題もない発言のようだが、裏を返せばそれは、二人以外には何かする可能性があると暗に伝えているような文章だ。

 そんな言葉を認めるわけにはいかない。

 私の関係者のエトーリアやバッサ。リゴールの関係者のデスタンや、彼と親しくしているミセ。
 そういった人たちにも、手を出さないでほしい。

 もちろん、赤の他人だからどうなってもいいと思っているわけではないが。

 ただ、まずは身の回りの人たちの安全を手に入れなければ、安心できない。

「んー? どうして? 言い直しさせる意味がよく分からないなぁ」
「知り合いに手を出されたくないのよ」
「そりゃそうだろうねー。……それにしても、わざわざ言い直させる意味が理解できないよ。ほとんど同じ意味だしー」

 首を軽く回しながら、愚痴を漏らすトラン。

「お願い」
「……どうしてそんなところにこだわるのかなぁ」
「私やリゴールの関係者にも何もしないと、そう言って」

 暫し、沈黙。
 トランは何も返してくれない。

 どうしてここで黙るの? 私やリゴールには手を出さないと言えるのに、他の人たちには手を出さないと言えないの? もしそうだとしたら、それはなぜ?

 二人きりの静寂の中、疑問ばかりが湧いてくる。
 一言何か言ってくれれば、疑問の一つや二つ、消し去ってくれるかもしれないのだが。

 大きな動きのない状況に一人悶々としながら、待つことしばらく。

「分かった」

 トランは面倒臭そうに口を開いた。

「もういいよ、それで。言うよ。君たちには手を出さないって、狙わないって、約束するから」

 少し間を空けて、彼は問う。

「これでいい?」

 私はすぐさま大きく頷く。

「もちろんよ!」

 トランの返答を聞くまで、私の心は、霧に覆われた森のようだった。でも、今は違う。今、この胸の奥は、すっきりしている。

「じゃ、足のこれ外していいかな」

 口約束なんて、何の力もない。いとも簡単に破られてしまうもの。それを信じるなんて、馬鹿ではないだろうか。
 そんな風に言われそうな気もするけれど。

「そうね。外すわ」

 トランはこちらへ足を伸ばしてくる。私はその両足首を括っているタオルを、力を込めて、外す。どのような括り方なのかが分かっていないため少々時間がかかってしまったが、五分もかからぬうちに完全に解くことができた。

「はい!」
「ありがとー。遅かったねー」
「ちょっと、失礼よ」
「ごめんごめん」

 その後、手も足も自由になったトランは、簡易布団から立ち上がる。
 怪我はまだ治りきっていないはずなのだが、私が思っていたより、しっかりと立てていた。

「トラン、傷は?」
「んー? 君が負わせたやつ?」
「そ、そう。それよ」

 私が、私の剣が、彼につけた傷。
 それは分かっているけれど、改めて言われると、心なしか胸が痛むような気がする。

「もう平気だよ」
「……そうなの?」

 信じられず、疑うようなことを言ってしまった。
 するとトランは、両腕を、大きくぐるぐると回転させる。

「うんうん、大丈夫ー」

 簡単な手当ては施しているから、悪化の一途をたどるということはないはずだ。だが、もう平気というのは、どうも信じられない。

 決して小さな傷ではなかった。
 だから、少なくともまだ、軽い痛みくらいは残っているはずなのだ。

「じゃ、これで出ていくよー。しばらく世話になったね」
「もう出ていくの」

 数日近い距離にいた人物がいなくなるというのは、何だか少し寂しくて。

「えー? どうしてそんなに嬉しくなさそうなのかなぁ?」
「……ゆっくりしていっても良いのよ」
「あ! もしかして、君、ボクにメロメロー?」

 笑いの種にされてしまった。
 ほんの少し寂しさを感じたというだけのことだったのに。

「じゃねー」

 トランは立ち上がったまま、体をこちらへ向け、開いた片手をひらひらと振る。
 そして次の瞬間、姿を消した。
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