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少し親切にされたくらいで惚れてしまうなんて、恥ずかしくないのでしょうか。

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「なぁ婚約破棄してくれねぇか」
「はい?」

 いつもと何ら変わりない会話の中でそんな言葉が出てきたものだから驚いた。

 わたしと婚約者は親同士が決めたことで婚約者となった。が、仲が悪いかというとそういうわけではなくて。気が合うし、一緒にいるとそれなりに楽しい。相性は悪くない気がしていた。

「実はさ、べつに好きな人ができちまったんだ」

 彼は本心を隠そうともしない。

「わたしを捨てるの?」
「あぁ、そんな感じさ。悪いな、本当に」
「……どうにかならないの」
「悪りぃな。どうしようもねぇんだ、惚れちまったからよ」
「じゃあ仕方ないわね……」

 何でも、彼が惚れてしまったのは街の花屋の娘らしい。ある時花束を買う機会があって、その際に親切にしてもらったことから、恋心を抱くようになってしまったとのことだ。

 その後、わたしたちは婚約破棄となった。

 慰謝料の支払いは求めなかった。というのも、わたしには手続きをするほどの気力がなかったのだ。落ち込んでしまっていたからである。今は婚約破棄の手続きだけで精一杯だった。慰謝料を支払ってもらえる案件ではなさそうな気がした、ということもある。

 以降、わたしは、暫し療養に入った。
 療養と言ってもたいしたものではない。休息、と言う方が近いかもしれない。それほど深刻なものではなく、疲れを癒やすための時間を作ったということである。

 後に聞いた噂によると、婚約者だった彼は惚れた人に告白したらしい。だが、受け入れてはもらえなかったそうだ。彼女は「そんな風に貴方を見ていたわけではありません。すみませんがお断りします」とはっきり述べたそう。

 彼は一人になってしまった。

 婚約者を失い。惚れていた人からは拒まれ。評判は地に堕ちて。
 自分の心を最優先したがために多くのものを失った。


◆終わり◆
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