戦いは終わって、愛する人と結ばれたなら、あとは穏やかに生きてゆくだけだと思っていた――。 (白薔薇のナスカ関連作品)

四季

文字の大きさ
8 / 17

8話

しおりを挟む
「おやすみ、ナスカ」

 エアハルトはいつも眠る前にそう言って軽く頬に口づけを落とす。

 それはここへ来てからも変わっていない。
 まだ穏やかに暮らせていた頃と変わらない夜の挨拶、彼がそれをやめる時はまだ訪れない。

 ある意味それは平穏の象徴である。

 穏やかな日々の中で交わしていた行為。それは今の私にとっては一つの小さな希望なのだ。あの頃を、楽しかった頃を、思い出させてくれる。たった一瞬のことであっても、私はそこに希望の欠片を見出だしている。

「……ねぇ、エアハルト」

 硬い地面に隣り合った横たわる。空気は相変わらず埃臭くて、お世辞にも良いものとは言えない。加えて、床も天井も扉もすべてが無機質で。

「……どうしたんだい?」
「私、貴方と結婚して良かったわ」

 暗闇の中では希望の光などすぐに見えなくなってしまうもの。

 ただ、それでも、残っているものもある。

 明日への希望。
 信じられるもの。

「え!?」
「貴方が私に対してそう思っているかは分からないけれど……私は確かにそう思っているわ」
「えっ……、や、ちょ、照れ――」
「私、多分、貴方のしなやかな強さが好きなの」

 それが、エアハルトだ。

 彼の存在が私に希望を与えてくれる。
 どんなに辛くとも。
 絶望へと堕ちゆく心をこの世界にとどまらせてくれる。

「いつもありがとう」

 彼の方へと片手を伸ばせば、彼はその手をそっと掴んだ。

「……ナスカ、僕だって君のことが好きだし大切に思ってる」

 エアハルトは暗闇の中で呟くように言葉を紡ぐ。

「ありがとうと言うべきなのは僕だよ」
「そんなことはないと思うわ。だって、そもそもこんなことになってしまったのは私が気を抜いていて襲われたからだもの」
「それはない。君に非はない、一切。全部、襲った者が悪いんだ」
「でも貴方を巻き込んでしまった……」
「違う。僕がここへ来たのは僕の意思だ。君のせいじゃない」

 少し、沈黙があって。

「……けど、ごめん。僕は陸じゃ無能だから、君をここから脱出させることさえできない。……本当は早く君だけでも解放されるよう努力するべきなんだけど」

 彼はそんなことを言った。

「申し訳なく思ってるよ」
「そんなの……申し訳ないなんて思わないで、エアハルトは何も悪くないのに……」

 それからも私たちは何度か繰り返し言葉を交わして――やがて羽毛布団に沈み込むかのように柔らかく眠りについた。

 とても穏やかな夜だった。

 ――そしてまた、朝が来る。

「てめぇ! かっこつけやがって! ムカつくんだよクソが!」

 でもその朝は穏やかなものではなかった。

 がっ、と鈍い音がして、目覚めるとすぐ近くでエアハルトが倒れていた。すぐには状況が呑み込めなくて、ただ戸惑うことしかできず、けれどもやがて察することができてくる。どうやらエアハルトはリボソ軍服をまとった若い男からの暴力に晒されている様子。

「ちょっと! 何事なの!?」

 慌てて叫ぶと。

「低能女、てめぇが原因なんだよ」

 男はそんなことを言い返してくる。

「……何ですって?」
「てめぇがなかなか起きねぇから起こそうとしたんだよ。そしたらこのクソ男が制止してきやがってよ。それでこういうことになってんだよ!」
「だから殴ったの!?」
「奴隷のくせに口答えするとか生意気なんだよ!!」

 既に怒りに染まってしまっている男は地面に伏せるような体勢になっているエアハルトの髪を掴むとそのまま身体を引っ張り上げる。

「ああ、そうだ。知ってるか? 無能女。てめぇのせいでこいついっつもヒデェめに遭ってんだぞ?」

 片手で髪を掴んだまま、エアハルトの上衣の裾へ手をかける。

「やめろ!」

 エアハルトは何やら焦ったように視線を上へやって男を睨む。

 何だろう?
 やましいことでもあるのだろうか?

 ……なんて思っていたら。

「ほらよ! その目で見ろ!」

 男はエアハルトの上衣を勢いよくめくり上げる。
 それだけならただの嫌がらせ行為として流しただろうが――露出した腹部に無数の擦り傷ができていたものだから、思わず言葉を失ってしまった。

 言葉一つさえ発することができなくなっている私を目にしたエアハルトは非常に気まずそうな顔で「……ごめん」と呟く。

「どう、して……」

 しばらくしてようやく口から出せたのがそんな言葉で。

「また隠していたのね……」

 どうしてだろう、怒りが込み上げてくる。

 彼は悪くない。
 私を気遣ってくれていただけ。

 なのにどうしても彼に対して怒りの感情を抱いてしまう。

「どうして黙っていたのよ!」
「ごめん」
「なぜそうやっていつも隠すの!」
「……心配させたくなかったんだ」
「隠さないでほしいって何度も言ってきたのに……!」

 ああ、駄目だな私。
 大切な人、愛しい人に、こんな酷いことを言ってしまうなんて。

「貴方っていつもそう! 大切なことを隠すの! だから私、本当は貴方に信頼されていないんじゃないかって……心配になるのよ、もうやめてよ!」

 エアハルトは悲しげな目をして俯いた。

 自由を得られないから、穏やかに暮らせないから、溜まったストレスを近しい人にぶつけるなんて――とても良い行いとは言えない。

 精神的に追い込まれているから八つ当たりして許されるなら、エアハルトがとうに私に当たり散らしているはずだ。
 でも彼はそんなことはしていないではないか。
 辛くても、苦しくても、内に溜まったものを発散するために近しい人に八つ当たりするなんてことは彼はしていない。

 なのに、私は……。

「嘘つきは嫌い!!」

 吐き出して、訪れる静寂。

 こぼれ落ちた涙を手の甲で拭って。
 あまりにも身勝手だと己の行いにばつをつける。

「ごめんね、ナスカ」

 無理矢理立たされたエアハルトは一度だけこちらへ目を向けた。

「……ほんと、ごめん」

 部屋から出ていく彼の瞳には反発や怒りの色はなかった。

 とても優しくて。
 でもそれゆえにうっすらと怖さも感じられて。

 何より、申し訳なかった。


 ◆


「はは、アードラー嫌われてやんの」

 男に付き添われて部屋を出たエアハルトは道中挑発的な言葉をいくつも投げつけられる。

「必死になって庇ってんのにあんな言われ方するとはなぁ。理不尽極まりない話だよなぁ」
「……ナスカは悪くない」
「はは! この期に及んでまだ庇ってんのかよ!」
「当たり前だ、僕にとって彼女は特別な人なのだから」
「おもしれぇ。いつまでそう言ってられるかなぁ? 楽しみだなぁ、ははは」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

彼女の離縁とその波紋

豆狸
恋愛
夫にとって魅力的なのは、今も昔も恋人のあの女性なのでしょう。こうして私が悩んでいる間もふたりは楽しく笑い合っているのかと思うと、胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになりました。 ※子どもに関するセンシティブな内容があります。

愛があれば、何をしてもいいとでも?

篠月珪霞
恋愛
「おいで」と優しく差し伸べられた手をとってしまったのが、そもそもの間違いだった。 何故、あのときの私は、それに縋ってしまったのか。 生まれ変わった今、再びあの男と対峙し、後悔と共に苦い思い出が蘇った。 「我が番よ、どうかこの手を取ってほしい」 過去とまったく同じ台詞、まったく同じ、焦がれるような表情。 まるであのときまで遡ったようだと錯覚させられるほどに。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

処理中です...