イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

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53話 雪

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 左足の怪我は、案外たいしたことはなかった。だから私は、視察を続けることを選んだ。

 せっかくここまで来たのに、今さら帰るというのも残念な気がしたからである。

 こうして視察を続けることになった私たちは、再び浮遊自動車へ乗り、目的地のある北へと移動。その間は、別段何も起こらず、順調に進むことができた。


 そして、星都より遥か北にある、ポラールという街へたどり着く。

「凄い……!」

 街へ到着し、浮遊自動車から降りた瞬間、高い空から白いものが舞い降りてきた。

 まるで鳥の羽のようなそれは、ひらりふわりと降りてきて、手のひらの上でじわりと滲む。この手のひらは、決して熱いわけではない。にもかかわらず、白いものはあっという間に溶けて消えてしまった。非常に繊細で、あまりに儚い。

「なくなっちゃった……」

 思わずそう漏らすと、聞き逃さなかったシュヴァルが説明してくれる。

「それは雪ですよ、王女様。ほんの少しの熱だけで、溶けて消えるものなのです」
「そうなの?」
「星都には雪など滅多に降りませんから、王女様が驚かれるのも仕方ありませんね。ただ、この辺りではよく降るものなのですよ」

 なんて美しいのだろう。
 もはや何もない手のひらを見つめ、そんな風に思った。

 穢れを知らぬ純白。少女のように柔らかな感触。そんな素晴らしいものなのに、輝くのはほんの一瞬だけ。

 刹那の煌めきほど美しいものはない——。

「……素敵ね」

 半ば無意識に漏らしていた。

「きっと……儚いから美しいのだわ」
「そうかもしれませんね」

 私の呟きに、シュヴァルはそっと返してきた。
 彼がこんなにシンプルに返してくるとは思わなかったので、こう言っては失礼かもしれないが、驚いた。

「儚いものこそ、美しいというものです」

 シュヴァルはそっと唇を動かす。
 その言葉は、何か深い意味があるかのような雰囲気を漂わせていた。

「……過去に何かあったの?」
「いえ。あくまで私が思うことです」

 思いきって尋ねてみたのだが、シュヴァルは何も答えてはくれなかった。彼が発した「あくまで私が思うこと」という言葉が真実か否かは、私には知りようがない。

「ただ、人が儚さに惹かれることは確か」
「そういうものなの?」
「はい。歴史上の人物、英雄と呼ばれるような存在。いずれも、その最期が壮絶であればあるほど、後の人々には好まれるものです」

 シュヴァルの話はよく分からなかった。私にはまだ難しすぎたのかもしれない。

 ただ、一つだけ思ったことがある。

 もし人々が壮絶な最期を望むのだとしたら——それはあまりに夢のない世界で、悲しいとしか言い様がない。


 シュヴァルとそんな風に話した後、私たちは、今夜泊まる予定のホテルへと向かった。

 私たちが到着した頃には、既に、ホテルの玄関口に人が集まってきていた。服装からして一般人だと分かる人々の中に、きっちりした服装の人がちらほらと混ざっている。恐らく、きっちりした服装の彼らはホテルの従業員なのだろう。

 私は、父親やシュヴァルの後ろに、続いて歩く。

「凄い人の数だな」

 私のすぐ左側を歩いているベルンハルトが、歩きながら、そんなことを呟いた。集まった人の多さに驚いているようだ。

「とーぜんよ。星王様に王女様だものー」

 ベルンハルトの逆、私のすぐ右側を歩むリンディアは、「当たり前」と言いたげに述べる。

「こーんなにお偉いさんたちがやって来るのは、この辺りじゃごく稀だものねー」
「それはそうだな。上の人間ほど、街には来ないものだ」
「なーに、それ。もしかして、不満なのー?」
「いやべつに。深い意味など、何もありはしない」

 リンディアとベルンハルトは、私を挟んだ位置にいながら、そんな風に喋っていた。

 本当は少し話に参加してみたかった。けれど、人がたくさんいるところで何かやらかしてしまったら大変だ。だから私は、黙って歩くだけにしておいた。その方が安全だから。


 ロビーへ入ると、少し空き時間ができた。というのも、ホテルの支配人がやって来て、シュヴァルや父親と話し始めたからである。その間、私は、ベルンハルトら従者三人組と一緒に過ごした。

「イーダ王女」
「何? ベルンハルト」
「ここは……凄く高級感のある建物だな」

 ベルンハルトは高い天井を見上げながら言った。
 その声には、感心の色が滲んでいる。

「そうね。素敵なところだわ」

 すると、ベルンハルトは驚いた顔をした。

「……常に贅沢な暮らしをしている貴女でも、そう思うのか」

 驚くポイントが掴めない。

 それにそもそも、私とて、毎日贅沢な暮らしをしているわけではない。もちろん、たまには贅沢もしているかもしれないが、日頃は「少々良い暮らし」程度である。

 これまでのオルマリン史の中には、もっと贅沢をしていた統治者もいる。
 それに比べれば、私たち今の星王家など、たいした贅沢はしていない。

「もちろんよ。立派なものを立派だと思うのは、当然だわ」
「そうなのか」
「えぇ。といっても、個人差は多少あるかもしれないけれどね」

 言ってから、ベルンハルトの顔を見つめ、口角を持ち上げる。すると、彼の表情も微かに和らいだ。

 人は鏡、というのも、あながち間違いではないのかもしれない。

「しかし、立派なホテルだね」

 私とベルンハルトがさりげなく頬を緩め合っていたところ、アスターが唐突に言葉を挟んできた。

「スイーツがあれば、なお良いのだがね」
「スイーツ? アスターさんは、スイーツを食べたいの?」
「なに、主人に対してわがままを言う気はないよ。ただ、途中で少し動いたせいで、糖分が欲しくなってしまってね」

 アスターは軽やかな調子で話しながら笑っている。何やら楽しげだ。

「ちょっと、アスター。それは王女様に言うことじゃないでしょー?」
「リンディア。厳しいことを言わないでくれるかね」
「相手は王女様なのよー? 他の依頼者とはまったく別物だって、分かってるの?」
「もちろんだとも! 念のため言っておくが、私はそこまで馬鹿ではないよ」

 アスターとリンディアが話し始めると、私は入っていけない空気になる。

 二人は、恋人同士なわけでもなければ、特別仲良しなわけでもない。いや、それどころか、リンディアなんてアスターを鬱陶しがっているくらいだ。

 にもかかわらず、二人には二人だけの世界がある。

 実に不思議なことだ。
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