88 / 157
87話 恋か否か
しおりを挟む
リンディアやフィリーナと会話していると、洗面所の方から、ベルンハルトがやって来た。
濡れたタオルを持っている。
「……イーダ王女!」
ベルンハルトは、すぐに私に気づいた。
「おはよう、ベルンハルト。働いてくれていたの?」
「いや、少し手伝っただけだ」
「もしかして、フィリーナの手伝い?」
すると彼は、ほんの少し黙った後、静かな声で「そうだ」と言った。
「助かるわ、ありがとう」
「……貴女に不快な思いをさせるわけにはいかないからな」
「いい人ね!」
「いや、べつに。そんなことはない」
言いながら、ベルンハルトは部屋から出ていった。恐らく、濡れたタオルをどこかへ運んでいったのだろう。
そうして、またベルンハルトがいなくなった時、フィリーナがぽつりと漏らした。
「……優しい方ですよね」
彼女の柔らかそうな頬は、微かに紅潮している。
しかも、それだけではない。
彼女の瞳は、ベルンハルトが出ていった扉を、じっと捉えていた。彼が出ていってから少なくとも十秒は経っているにもかかわらず、である。
「ベルンハルトさん……」
基本的にいろんなことに疎い私でも、この時のフィリーナの異変には、すぐに気がついた。
ベルンハルトを見つめる彼女の瞳には、日頃の彼女の瞳にはない輝きが宿っている。そう、あれは——恋する乙女の瞳に宿る輝き。
間違いない。
彼女はベルンハルトに好意を抱いている。
確信した私は、ストレートに尋ねてみることにした。
「ねぇ、フィリーナ」
「は、はいっ。何でしょうか!」
とうに消えた男の背を眺め続けていたフィリーナは、私の問いによって正気に戻ったらしく、慌ててこちらへ視線を向ける。
「フィリーナは、ベルンハルトのことが好きなの?」
王女がこんな下世話なことを言うなんて、と幻滅されるかもしれない。が、今はそんなことはどうでもいい、という気分だ。
「え……あ、あのっ……そんなことありませんよ……?」
怪しい。
明らかに不自然な言い方だ。
「た、ただ……失敗したのをフォローして下さったので、優しい方だなぁと……」
「本当に、それだけ?」
なぜ自分がこんなにも、フィリーナがベルンハルトに好意を抱いているのかどうかを気にしているのか、よく分からない。
ただ、はっきりさせておきたかったのだ。
フィリーナがベルンハルトをどう思っているのかを。
「本当に……優しい人だと思っただけ? それ以上のことはないと、言い切ることができる?」
「そ、それは誰だって言い切れませんよぉ……」
彼女はまずは逃げるだろう。それは想定していた。だから、動揺するようなことはなかった。
が、その先で想定外のことが起こる。
「あたしは言い切れるわよー」
リンディアがそう言ったのだ。
「アンタの目、見逃さなかったのは王女様だけじゃなーいわよー」
予想外の発言。
しかし、今の状況においては、心強い援護でもある。
「フィリーナがベルンハルトを見る目は、恋する女の目。そーいうことでしょ? 王女様」
「……ふと、そんな気がしたの」
「ま、あたしでも気づいたほどだものねー。王女様が気づかないわけなーいわよねー」
ソファに腰掛けたまま、リンディアはばっさり言う。
「無能なくせに恋はするーっていうのは、侍女なんかに向いてないわー。いや、そもそも、てんけー的な無能よねー」
今のリンディアには、遠慮なんてものは存在しない。
「こら、リンディア。さすがに失礼ではないかね? それに、無能に無能と言ったら、傷つけてしまうよ」
アスターは注意する。
しかし、その注意自体も遠慮がなく、かなり失礼だ。
間違ったことは言っていないのかもしれないが、少しは柔らかな物言いをできないものだろうか。
「なーによ、善人ぶって。ジジイは黙ってなさーい」
「ジジイ!? 違う! せめて、おじさんと呼んでくれたまえ!」
「じゃ、おじじいさんにするわー」
「おじじいさん!? それはまた、おじさんなのかじいさんなのか分かりづらい!」
リンディアとアスターの会話は、いつの間にやら、本題から逸れていってしまった。二人は恐らく、もう、フィリーナのことなど忘れているのだろう。
……気を取り直そう。
「それで、フィリーナ」
「は、はい……」
「ベルンハルトのこと、かっこいいと思う?」
質問を少し変えてみることにした。
「それは……はい。いつも凛としていて、さすが王女様の従者、と思いますぅ……」
「優しい、とも思うのよね?」
「はいっ……! それはとても思います。失敗しても、何度もフォローして下さって……優しいです!」
自覚はないが、実際のところは好意を抱いている——といったところか。
「そうよね。おかしなことを聞いて悪かったわね」
「い、いえ……」
今は様子を探れただけで十分。
それにしても、ベルンハルトへの好意絡みになると神経質になる私は、一体何なのだろう。
こんなことを言っていると「自分のこともまともに分からないのか」と怒られそうな気もするが、実際、私は私を理解しきれていない。
「これからも、その……何でも聞いて下さい」
可愛らしい顔に安堵の色を浮かべつつ、フィリーナはそんなことを言ってくれる。
「たいして役には立てないかもしれませんが、取り敢えず、答えられることは答えさせていただきますので……」
「ありがとう」
「い、いえ……。こちらこそ、ありがとうございます」
フィリーナは善良な少女。
素直に謝るし、純粋に笑う。
彼女には、悪意なんてものは欠片もない。
だからきっと、良い関係を築いていけるはずだ。お互いに歩み寄っていけたなら、いつかは仲良しになれるに違いない。
ただ、そうなるためには、胸に立ち込めたこの薄汚いものをどうにかしなくてはならないだろう。
そうでなくては、純粋に関わることができないから。
濡れたタオルを持っている。
「……イーダ王女!」
ベルンハルトは、すぐに私に気づいた。
「おはよう、ベルンハルト。働いてくれていたの?」
「いや、少し手伝っただけだ」
「もしかして、フィリーナの手伝い?」
すると彼は、ほんの少し黙った後、静かな声で「そうだ」と言った。
「助かるわ、ありがとう」
「……貴女に不快な思いをさせるわけにはいかないからな」
「いい人ね!」
「いや、べつに。そんなことはない」
言いながら、ベルンハルトは部屋から出ていった。恐らく、濡れたタオルをどこかへ運んでいったのだろう。
そうして、またベルンハルトがいなくなった時、フィリーナがぽつりと漏らした。
「……優しい方ですよね」
彼女の柔らかそうな頬は、微かに紅潮している。
しかも、それだけではない。
彼女の瞳は、ベルンハルトが出ていった扉を、じっと捉えていた。彼が出ていってから少なくとも十秒は経っているにもかかわらず、である。
「ベルンハルトさん……」
基本的にいろんなことに疎い私でも、この時のフィリーナの異変には、すぐに気がついた。
ベルンハルトを見つめる彼女の瞳には、日頃の彼女の瞳にはない輝きが宿っている。そう、あれは——恋する乙女の瞳に宿る輝き。
間違いない。
彼女はベルンハルトに好意を抱いている。
確信した私は、ストレートに尋ねてみることにした。
「ねぇ、フィリーナ」
「は、はいっ。何でしょうか!」
とうに消えた男の背を眺め続けていたフィリーナは、私の問いによって正気に戻ったらしく、慌ててこちらへ視線を向ける。
「フィリーナは、ベルンハルトのことが好きなの?」
王女がこんな下世話なことを言うなんて、と幻滅されるかもしれない。が、今はそんなことはどうでもいい、という気分だ。
「え……あ、あのっ……そんなことありませんよ……?」
怪しい。
明らかに不自然な言い方だ。
「た、ただ……失敗したのをフォローして下さったので、優しい方だなぁと……」
「本当に、それだけ?」
なぜ自分がこんなにも、フィリーナがベルンハルトに好意を抱いているのかどうかを気にしているのか、よく分からない。
ただ、はっきりさせておきたかったのだ。
フィリーナがベルンハルトをどう思っているのかを。
「本当に……優しい人だと思っただけ? それ以上のことはないと、言い切ることができる?」
「そ、それは誰だって言い切れませんよぉ……」
彼女はまずは逃げるだろう。それは想定していた。だから、動揺するようなことはなかった。
が、その先で想定外のことが起こる。
「あたしは言い切れるわよー」
リンディアがそう言ったのだ。
「アンタの目、見逃さなかったのは王女様だけじゃなーいわよー」
予想外の発言。
しかし、今の状況においては、心強い援護でもある。
「フィリーナがベルンハルトを見る目は、恋する女の目。そーいうことでしょ? 王女様」
「……ふと、そんな気がしたの」
「ま、あたしでも気づいたほどだものねー。王女様が気づかないわけなーいわよねー」
ソファに腰掛けたまま、リンディアはばっさり言う。
「無能なくせに恋はするーっていうのは、侍女なんかに向いてないわー。いや、そもそも、てんけー的な無能よねー」
今のリンディアには、遠慮なんてものは存在しない。
「こら、リンディア。さすがに失礼ではないかね? それに、無能に無能と言ったら、傷つけてしまうよ」
アスターは注意する。
しかし、その注意自体も遠慮がなく、かなり失礼だ。
間違ったことは言っていないのかもしれないが、少しは柔らかな物言いをできないものだろうか。
「なーによ、善人ぶって。ジジイは黙ってなさーい」
「ジジイ!? 違う! せめて、おじさんと呼んでくれたまえ!」
「じゃ、おじじいさんにするわー」
「おじじいさん!? それはまた、おじさんなのかじいさんなのか分かりづらい!」
リンディアとアスターの会話は、いつの間にやら、本題から逸れていってしまった。二人は恐らく、もう、フィリーナのことなど忘れているのだろう。
……気を取り直そう。
「それで、フィリーナ」
「は、はい……」
「ベルンハルトのこと、かっこいいと思う?」
質問を少し変えてみることにした。
「それは……はい。いつも凛としていて、さすが王女様の従者、と思いますぅ……」
「優しい、とも思うのよね?」
「はいっ……! それはとても思います。失敗しても、何度もフォローして下さって……優しいです!」
自覚はないが、実際のところは好意を抱いている——といったところか。
「そうよね。おかしなことを聞いて悪かったわね」
「い、いえ……」
今は様子を探れただけで十分。
それにしても、ベルンハルトへの好意絡みになると神経質になる私は、一体何なのだろう。
こんなことを言っていると「自分のこともまともに分からないのか」と怒られそうな気もするが、実際、私は私を理解しきれていない。
「これからも、その……何でも聞いて下さい」
可愛らしい顔に安堵の色を浮かべつつ、フィリーナはそんなことを言ってくれる。
「たいして役には立てないかもしれませんが、取り敢えず、答えられることは答えさせていただきますので……」
「ありがとう」
「い、いえ……。こちらこそ、ありがとうございます」
フィリーナは善良な少女。
素直に謝るし、純粋に笑う。
彼女には、悪意なんてものは欠片もない。
だからきっと、良い関係を築いていけるはずだ。お互いに歩み寄っていけたなら、いつかは仲良しになれるに違いない。
ただ、そうなるためには、胸に立ち込めたこの薄汚いものをどうにかしなくてはならないだろう。
そうでなくては、純粋に関わることができないから。
0
あなたにおすすめの小説
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ
しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”――
今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。
そして隣国の国王まで参戦!?
史上最大の婿取り争奪戦が始まる。
リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。
理由はただひとつ。
> 「幼すぎて才能がない」
――だが、それは歴史に残る大失策となる。
成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。
灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶……
彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。
その名声を聞きつけ、王家はざわついた。
「セリカに婿を取らせる」
父であるディオール公爵がそう発表した瞬間――
なんと、三人の王子が同時に立候補。
・冷静沈着な第一王子アコード
・誠実温和な第二王子セドリック
・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック
王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、
王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。
しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。
セリカの名声は国境を越え、
ついには隣国の――
国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。
「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?
そんな逸材、逃す手はない!」
国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。
当の本人であるセリカはというと――
「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」
王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。
しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。
これは――
婚約破棄された天才令嬢が、
王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら
自由奔放に世界を変えてしまう物語。
過労薬師です。冷酷無慈悲と噂の騎士様に心配されるようになりました。
黒猫とと
恋愛
王都西区で薬師として働くソフィアは毎日大忙し。かかりつけ薬師として常備薬の準備や急患の対応をたった1人でこなしている。
明るく振舞っているが、完全なるブラック企業と化している。
そんな過労薬師の元には冷徹無慈悲と噂の騎士様が差し入れを持って訪ねてくる。
………何でこんな事になったっけ?
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる