イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

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118話 冷たき静寂

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 一歩、一歩、歩み寄ってくるシュヴァル。彼との距離が縮まるたび、私の鼓動は大きく速くなってゆく。さらに、背筋を冷たいものが駆け抜け、生物としての危機感を覚える。

「……こんなことをして、どうするつもりなの」
「どうするつもり? そんなこと、貴女にお話しする必要はありません」

 シュヴァルは私へ手を伸ばそうとする。

 私は咄嗟に後ろへ下がった。
 幸い足はくくられていなかったので、一二歩下がるくらいのことは容易であったのだ。

「話してちょうだい!」
「おや……随分強気ですね。分かっているのですか? 今の状況を」

 分かっていないわけがないじゃない。
 危険な状況だってことくらい、素人の私でも分かるわ。

 でも——だからこそ。

 不利で危険な状況におかれているからこそ、弱音を吐いてはいられない。不安であってもそれは隠し、強気に振る舞わなくてはならないのだ。

「シュヴァル! こんなこと、もう止めて!」
「それは無理な願いです」
「貴方だって馬鹿ではないはず。分かるでしょう、こんなことを続けても何も変わらないと」

 私がそう言うと、シュヴァルは大股で接近してきて私が着ている服の襟を乱暴に掴んだ。そしてそのまま、私の体を壁の近くへと移動させる。

「……っ!」

 体を壁に押し付けられ、私は思わず音を漏らしてしまった。声にもならないような、微かな音を。

 その次の瞬間、私は思わず喉を上下させた。

 ——首筋に銃口が突きつけられていたからである。

「立場を理解できないというのなら、恐怖で理解させて差し上げても良いのですよ?」
「……そんな脅しが何になるというの」
「脅し? まさか。このシュヴァル、そのような生温いことは致しません。常に本気です」

 この男、本気でやりかねないから恐ろしい。

 私は少しも動かず、助けを求めるようにリンディアを一瞥する。だが、ほんの一二秒で、彼女に助けを求めるのは無理だと悟った。彼女は彼女で、やや腹が出ている男に捕まえられていたからである。

 もはや、自力で抜け出すか、時間稼ぎする以外の選択肢はない。
 そんな風に思っていた時。

「シュヴァル様」

 リンディアを捕らえている男が、唐突に口を開いた。

「何です」
「この女、もう連れていっても?」
「リンディアを、ですか」

 シュヴァルは私の首筋に銃口を押し当てたまま、淡々とした調子で話している。

「はい。そろそろもう一人のあいつが帰ってきます。あいつは凄く楽しみにしていたので」
「なるほど。……ま、そろそろいいでしょう」

 その返事に、男の瞳が輝く。

「ありがとうございまっす!」
「あまり騒ぎを起こさないで下さいよ」
「はい!」

 急激に生き生きした顔つきになった男は、身をよじり抵抗するリンディアの体を押さえこみながら、入り口の方へと歩いていく。

「リンディア!」

 我慢できず、思わず叫んだ。

 でも、男の足は止まらない。
 私の声など完全に無視で、どんどん歩いていってしまう。

「ちょっと、シュヴァル! あんなやつにリンディアを渡していいの!?」

 男とリンディアの姿が見えなくなってから、私は、視線を再びシュヴァルへ戻す。

「良いのです。もとよりそういう約束でしたから」
「リンディアは貴方の娘じゃない! あんな男に差し出していいの!?」
「役に立たぬ者は、もはや必要ありません」

 シュヴァルの口から放たれる言葉を、私は理解することができなかった。

 例え仲良しではなくとも、距離は遠く離れていても、父と娘であることに変わりはないのだと……そう信じていたかった。日頃は罵り合っていたとしても、肝心な時にはお互いを大切にできるものだと、そう信じていた。

 ——けれども、それは幻想だったのかもしれない。

 私はずっと大切にされてきた。父親に可愛がられて育ってきた。時折面倒臭くなることはあったけれど、私だって、無条件に愛してくれる父親を嫌いではなくて。

 そういう関係が父娘の関係であるのだと、ずっとそう思っていた。

 でも、違うのだ。

 すべての父娘がそうなれるわけじゃなくて、誰もがそれを望んでいるというわけでもない。きっと、それが真実なのだろう。

「自分に従わない娘なんて要らないと、そう言うの……?」
「そういうことです」
「どうして……。貴方の血を引く彼女が惜しくないの」
「血など、どうでもいい。このシュヴァルが求めるもの、それは、我が願いの成就だけなのです」

 なんて冷たいのだろう。
 彼の言葉も、首筋に触れる銃口も。

 そしてきっと——彼の心はもっと冷えきっているに違いない。

「こんなこと止めて。もう一度やり直して、と、そう言いたい。でもきっと……そんな言葉は貴方には届かないのね」

 父親を騙し続け、私の命を執拗に狙い、役に立たなくなった者は消す。そんなやり方をしてきた彼が、許されるはずがない。許されていいはずがない。

 でも、彼を消してしまっただけで、本当にすべては終わるのだろうか。

 ふとそんなことを考えた。

 裏切り者を、罪人を、始末するだけなら簡単だ。消してしまえばいいのなら、それはきっと容易いことで。けれど……それでは、彼のしてきたことと同じことをすることになるのではないかと、考えてしまった。

 そんなことを考えているうちに、段々よく分からなくなって、私は深みにはまっていく。
 出よう出ようともがいても、もう、思考という沼から自力で抜け出すことはできない。

「……ねぇ、シュヴァル。もう、戻れないの?」

 十八の春を迎える前に、何も知らずにいた頃に戻れたら、どんなに幸せだろう。

「私たち、もう、穏やかだった頃には戻れないの?」
「それは無理です。なぜなら、穏やかだった頃なんてなかったからです」
「でも、平和だったじゃない! 私が最初に襲撃された、十八の春までは!」

 すぐに何か言い返してくるものと思っていたが、意外にも、シュヴァルはそこで黙った。言葉を止めた。

 暫し、沈黙。
 無機質な部屋から、音が消える。

 それから、どのくらい時間が経っただろう。シュヴァルがようやく、再び口を開いた。

「平和? 十八の春までは? ……本当に、そうでしたか」

 シュヴァルはそっと耳打ちしてくる。

「お考えになったことはないのですか。例えば……貴女のお母上である、王妃様の行方なんて」
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