奇跡の歌姫

四季

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36話「ウタの夢」

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 数日かけてキエル帝国領内を回った私は、十日ほどで全行程を終え、都へと戻ってきた。

 この二週間弱、自動運転車による移動と緊張感の中で過ごしてきた。それゆえ、今はただ、ぐっすり眠りたい気分だ。何でも良いから眠らせてほしい。

 しかし、その願いは叶わず。
 都へ帰るや否や、イヴァンのところへ報告に行くことになった。

 ウィクトルたちが同行してくれるから大きな不安はないものの、これまでの疲労があるから、どうも気が進まない。

「大丈夫か? ウタくん」

 イヴァンとの面会を待っている時、ウィクトルが尋ねてきた。
 爬虫類のような琥珀色の瞳で見つめられると、訳もなく、おかしな気分になってくる。

「え。私、何かおかしかったかしら」
「疲れたような顔をしていたが、もしや体調不良か?」

 直球を投げかけられ、私はただ苦笑する外なかった。疲れたような顔をしていた、なんて言われたら、それ以上何も返せない。私はそんなに分かりやすかったのか、と思うこと以外に、できることは何もなかった。

「早く寝たいなとは思っていたけれど……」
「そうか。連日忙しかったからな、無理もない」

 ウィクトルはさりげなく理解を示してくれる。
 細やかな優しさ、嫌いじゃない。

「これが終われば自由だ。ゆっくり眠ると良い」
「そうね、ありがとう」

 イヴァンとの面会はもうすぐ始まる。どのような話をされるかは分からないが、一応すべきことはきちんとこなしたのだから、怒られたりはしないだろう。それが終われば、私は晴れて自由の身。もちろん、一時の自由かもしれないけれど、でも少しくらいは自由な時間を貰えるはずだ。そうなれば思う存分眠ることができる。

 あと少し頑張ろう、好きに眠れる時を心待ちにしながら。


「無事帰ってこられたようで、何より」

 待つことしばらく、ようやく面会が始まった。
 私はウィクトルと二人でイヴァンの前に立つ。
 皇帝の部屋には、厳かな空気が漂っている。肌に刺激を感じそうなほどの静けさだ。ウィクトルが隣にいてくれているからまだ耐えられるが、もしこれが一人だったらと考えると、もはや恐怖しかない。

「ウタ、安定の美声です皆を魅了していたようじゃな」
「へ……?」
「話は聞いておる。ビタリーから、な」

 ここでビタリーが出てくるとは思わなかった。想定外だ。

「ビタリーさんから……ですか?」
「そうじゃ。なんせ、やつは我が子孫。連絡はわりと取り合っておる」

 ……子孫?

 さらりと放たれた言葉を、私は聞き逃さなかった。

 ビタリーがイヴァンの子孫? 息子ということ? それとも、親戚?
 いくつもの可能性が脳内に湧き上がってくる。

「彼は……何者なのですか? ただの軍人さんではないのですか?」

 少しでも情報を得ようと、尋ねてみた。
 するとイヴァンはあっさり答えてくれる。

「うむ。親戚のような存在じゃ」

 ビタリーのことはあまり知らなかった。だから、出自だって知らない。しかし、彼がイヴァンの親戚なのだとすれば、彼が妙な品をまとっていることも納得がいく。皇帝の血を引く者なら、不思議な品があってもおかしくはないだろう。

「そうだったんですか……!」
「うむ。そういうことじゃ。ウタの歌声が見事であったということは、既に報告を受けておる」

 イヴァンはゆったりと頷きつつ話す。

「ご苦労であった」
「ありがとうございます」

 結局、今回の面会は数分で終わった。
 ビタリーがイヴァンの親戚であることが判明したことは驚きだったが、特に怒られることはなかったので、そこは良かったと思う。


 歌の披露によるキエル一周を終え、イヴァンへの報告も終わり、ようやく自由の身となれる時を迎えた。

 ……と言っても、一人暮らしになるわけではない。

 これからも、ウィクトルたちと共に過ごすことに変わりはない。だから、生活自体が大きく変化するということはないだろう。

 ただ、決められた予定に従い移動や活動をする生活からは解放されるということは事実だ。
 それは一種の自由な生活と言えよう。

 そうしてイヴァンとの面会を終えた私は、宿舎に戻るや否やベッドへ直行。すぐに体を横にし、そのまま深い眠りについた。


 ◆


 暖かな光がさす澄んだ青い空に、黄緑の短い草が地面を埋め尽くす草原。心地よい風が頬を撫で、私はふと目を覚ます。いつか見たことがあるような気がする光景ではあるが、その光景を見たのがいつだったかはっきりとは思い出せない。それでもとても懐かしく感じる。

 風に乗りどこかから歌が聞こえてきた。癒されるような、幸せに包まれるような、けれど、どこか切ない歌だ。私は音に吸い寄せられるように歩き出す。体が軽く、上半身と下半身が繋がっていないような、そんな不思議な感覚がある。けれど、草を踏む足裏の感触だけはしっかりと伝わってきた。

 坂を越え、丘を登りきると、一人の女性が立っていた。白いワンピースから透き通るような肌色の皮膚が見えている。私の存在に気付いた時、彼女はくるりと振り返った。

「……母さん?」

 私は思わず呟いた。振り向いた白いワンピースの女性が母親であると気付いたからだ。顔は私が知っている彼女より心なしか若い気もするが、優しげな雰囲気ですぐに分かった。

「ウタ、久しぶりね」
「母さんっ……!」

 私は目の前にいる母親を信じられない思いで見つめる。

 どれほど会いたいと願ってきただろうか、それは母親が私を庇って死んだその日からずっとの願いだった。
 考えるより先に、足は動いていた。今は亡き懐かしい母親に向かって駆け出していたのだ。ただ彼女に会いたくて、触れたくて。

 駆け寄り、飛びつくように触れる。人の感触は確かにあった。幻かもしれないと、見ることはできても触れることはできないかもしれないと、そう考えていたからこそ、触れられたことが嬉しくて。私はただ、幸せだった。

「会いたかった!」

 もう二度と触れられないと思っていたから温もり。
 でも、今は確かに、腕の中にある。

「ウタ……」
「良かった、母さん、また会えて」

 夢でもいい。こうして話せるなら、多くは望まない。

「ずっと会いたかった……母さんに……」

 いくつもの感情が一気に込み上げてくる。
 それは多分、いつの日か押し殺した心。
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