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58話「ウタの街へのお出掛け」
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地球——この目で見ることなどできない、遠く遠く離れたところにある星。
ウィクトルは今そこにいる。
その彼と、こうして顔を見合わせながら話ができる技術というのは、驚きに満ちたものだ。
キエルに生きる人間からしてみれば、何ら特別なことではないのかもしれない。多くある通信技術の中のたった一つに過ぎないのかもしれない。
けれど、他星にいる者と連絡を取る手段など持たぬ地球人からすれば、それは夢のような技術だ。それはもう、現実のものと信じられないほどのものである。
幼い頃、多くの者が一度は夢みる。遥か彼方、想像すらできないようなところに在る何かと、交流することを。
しかし、それは大抵、夢のまま終わる。無垢な瞳で語られるだけで、具体的な形になどならないのが常なのだ。
でも、ここには、そんな夢を叶える技術が存在している。
だから、こうして画面越しに会える……。
『そうだった。ウタくん、実はな、君の絵を描いてみたんだ』
「絵を?」
唐突な話題の切り替えに戸惑いつつも、「どのような感じに仕上がったの?」と尋ねてみた。
するとウィクトルは、爬虫類のような目に明るい輝きをまとわせ、子どものように一枚の紙を見せてくる。
白い紙に黒いペンで描かれた私は、破滅的なクオリティの低さで。
思わず吹き出しそうになってしまった。
『なぜ笑いを堪えている?』
「ご、ごめんなさい……ちょっと……何だか意外で……」
口を手のひらで隠すも、肩を上下させてしまう。一応笑ってはいけないと思いはするのだが、どうしても笑わずにはいられなかった。ただ、私のすぐ隣で画面を見ていたリベルテもクスクスと息を漏らしていたことで、笑ってしまっているのが私だけではないということが判明。私の感覚が異常なのではないのだと分かり、安堵できた。
「だって……ウィクトルは絵なんて描かないタイプだと思っていたもの」
『それはそうだな。確かに私はあまり絵を描かない』
細い剣を操る様は芸術的だが、それ以外で芸術的な要素を目にしたことがない。武芸には長けていても、そういった方向のことには関心がないのだろうと、私はずっと思っていた。
『だが、君に会いたいと思っていたら、いつの間にか描いていた』
で、そんなものが出来上がったの!?
そんな風に突っ込みを入れたい気持ちが大きいが、さすがにそれは失礼だろう。事実こそ言ってはならないというもの。止めておくべきだ。
「帰ってくるのを楽しみにしているわ」
『あぁ。私も帰るのが楽しみだ』
ウィクトルは三歳児のようなタッチで描いた私の絵を一旦傍に置く。それから、視線を僅かに下向け、目を細める。しかも、眉間にしわを寄せて、難しいことを考え込んでいるかのような顔つきになっていた。何がどうなっているのだろう、と思いつつ、私は画面に映るウィクトルを見つめる。
『……初めてなんだ、こんな気持ちになるのは。だから、私は正直……戸惑っている』
なぜかこのタイミングで深刻な言い方。
不穏な空気が漂う。
『すまない、妙な空気になってしまったな。では、また連絡する。今日はこれにて』
ウィクトルは、周囲を包む空気の変化に自ら気がついたようで、声色を明るいものに変えた。本人に直接聞いたわけではないから真実は闇の中だが、あまり暗い雰囲気になってはいけないと考えてのことだったのかもしれない。
そして、通話は終わった。
板状の機械の画面から、ウィクトルの顔は消えた。
「ありがとう、リベルテ」
私はその厚みのない機械をリベルテに返す。
「い、いえ。お礼だなんて」
「お礼を言うのは当然のことよ」
視線を重ね、見つめ合い、笑い合う。
楽しい気分が込み上げる。
生きていれば、苦しみも悲しみもある。でも、こうして笑い合える時だけは、すべてを忘れて歩めるのだ。細やかな楽しさは、春風のように、胸の内に立ち込めた灰色の雲を晴らしてくれる。
「ウタ様、何だか元気そうでございますね」
「そ、そう……?」
「元気そうで何よりでございます。ふふ」
ウィクトルと通話した夜が明け、迎えた朝。
穏やかな光が降り注ぐ爽やかな天気だったので、私は、リベルテと二人で部屋から出て散歩することにした。
散歩と言っても、何ら特別なことをするわけではない。ただ、流れる風景や空模様を楽しみながら歩くだけである。大自然の中にいるわけではないので、人里から離れて自由に大地を駆ける、なんてことはできないけれど。でも、街中を歩くだけで、気分は変わる。
「正直申し上げますと、意外でございました。ウタ様が外出を選ばれるとは思いもしなかったので」
「そうよね。私も、外へ行こうかななんて、考えてみなかったもの」
舗装された道をリベルテと二人隣り合って歩く。背の高い建物の狭間、谷底のような道路を、人々は足早に通り過ぎて行っていた。誰も周囲を見ない。誰も周りの風景を堪能しようとはしていない。人々は機織り機のように規則的な足取りで道を行く。真っ直ぐ前だけを見据えて。
「ねぇ、こんなことを言ったら失礼かもしれないけれど……皆、あまり楽しくなさそうね」
目指す場所は決めず歩きながら、私は本心を口から出した。
相手がリベルテだったから、受け入れてもらえるような気がして、自然と本当の心を明かしてしまったのだ。
「そうでございますね。確かに、皆急ぎ足でございます」
「用事があるから?」
「えぇ。皆、忙しくしているのでしょうね」
都だからというのもあってか、この辺りは巨大な建物が多い。そのため、見回した時に受けるのは人工物的な印象。だが、だからといって風景が美しくないわけではない。空は確かに在るし、歩道の端に置かれたプランターに咲く花は可憐だし、自然の面影も多少は残っている。
そんな時だった、男性の叫び声が聞こえてきたのは。
「おい! 危ねぇだろ!」
あまりに刺々しい声。私は思わず、叫びが聞こえてきた方向へと視線を向ける。このまま十数メートル直進すると右手側に現れるであろう万屋の前に、声の主はいた。
「一体何の騒ぎかしら。怒鳴っていたのは……男の人?」
四十代くらいのスーツ姿の男性と、十歳にも満たないであろう女の子が、向かい合っているのが見える。年代も性別も異なった、珍しい組み合わせだ。父と娘にしては歳が離れているような気がするし、関係性がいまいち掴めない。
「ぶつかって許されると思っているのか!」
「う、う……」
「まず謝れ! 話はそれからだ!」
「う……ごめ、ごめんなさ……」
男性が大声で喚いてくれたおかげで、離れたところにいる私も事情を察することができた。男性は女の子にぶつかられたことに腹を立てて激怒している、という場面なのだろう。
とはいえ、幼い子ども相手に本気で怒るというのは、さすがに大人げがないのではないだろうか。
ぶつかられて苛立つというのは理解できないことはない。謝罪がなければなおさら。しかし、それはあくまで、相手がある程度歳を取っていたらの話である。
幼い女の子相手に怒鳴っても、何も変わらない。
男性の立場が悪くなることはあったとしても、何も解決するはずがないではないか。
現に、通行人が男性へ向けている視線は冷ややかだ。皆、子ども相手に何してるんだか、というような目で男性を見ながら通り過ぎていく。中には「あんなに怒らなくてもねぇ」などと同行者と話している通行人もいた。
「くそが! 今日は今から大事な商談なのによぉ! せっかくの心地いい朝が台無しだ!」
「は、はう……ご、ごめ……」
スーツの男性に怒鳴り散らされ、女の子は完全に萎縮しきってしまっている。
ウィクトルは今そこにいる。
その彼と、こうして顔を見合わせながら話ができる技術というのは、驚きに満ちたものだ。
キエルに生きる人間からしてみれば、何ら特別なことではないのかもしれない。多くある通信技術の中のたった一つに過ぎないのかもしれない。
けれど、他星にいる者と連絡を取る手段など持たぬ地球人からすれば、それは夢のような技術だ。それはもう、現実のものと信じられないほどのものである。
幼い頃、多くの者が一度は夢みる。遥か彼方、想像すらできないようなところに在る何かと、交流することを。
しかし、それは大抵、夢のまま終わる。無垢な瞳で語られるだけで、具体的な形になどならないのが常なのだ。
でも、ここには、そんな夢を叶える技術が存在している。
だから、こうして画面越しに会える……。
『そうだった。ウタくん、実はな、君の絵を描いてみたんだ』
「絵を?」
唐突な話題の切り替えに戸惑いつつも、「どのような感じに仕上がったの?」と尋ねてみた。
するとウィクトルは、爬虫類のような目に明るい輝きをまとわせ、子どものように一枚の紙を見せてくる。
白い紙に黒いペンで描かれた私は、破滅的なクオリティの低さで。
思わず吹き出しそうになってしまった。
『なぜ笑いを堪えている?』
「ご、ごめんなさい……ちょっと……何だか意外で……」
口を手のひらで隠すも、肩を上下させてしまう。一応笑ってはいけないと思いはするのだが、どうしても笑わずにはいられなかった。ただ、私のすぐ隣で画面を見ていたリベルテもクスクスと息を漏らしていたことで、笑ってしまっているのが私だけではないということが判明。私の感覚が異常なのではないのだと分かり、安堵できた。
「だって……ウィクトルは絵なんて描かないタイプだと思っていたもの」
『それはそうだな。確かに私はあまり絵を描かない』
細い剣を操る様は芸術的だが、それ以外で芸術的な要素を目にしたことがない。武芸には長けていても、そういった方向のことには関心がないのだろうと、私はずっと思っていた。
『だが、君に会いたいと思っていたら、いつの間にか描いていた』
で、そんなものが出来上がったの!?
そんな風に突っ込みを入れたい気持ちが大きいが、さすがにそれは失礼だろう。事実こそ言ってはならないというもの。止めておくべきだ。
「帰ってくるのを楽しみにしているわ」
『あぁ。私も帰るのが楽しみだ』
ウィクトルは三歳児のようなタッチで描いた私の絵を一旦傍に置く。それから、視線を僅かに下向け、目を細める。しかも、眉間にしわを寄せて、難しいことを考え込んでいるかのような顔つきになっていた。何がどうなっているのだろう、と思いつつ、私は画面に映るウィクトルを見つめる。
『……初めてなんだ、こんな気持ちになるのは。だから、私は正直……戸惑っている』
なぜかこのタイミングで深刻な言い方。
不穏な空気が漂う。
『すまない、妙な空気になってしまったな。では、また連絡する。今日はこれにて』
ウィクトルは、周囲を包む空気の変化に自ら気がついたようで、声色を明るいものに変えた。本人に直接聞いたわけではないから真実は闇の中だが、あまり暗い雰囲気になってはいけないと考えてのことだったのかもしれない。
そして、通話は終わった。
板状の機械の画面から、ウィクトルの顔は消えた。
「ありがとう、リベルテ」
私はその厚みのない機械をリベルテに返す。
「い、いえ。お礼だなんて」
「お礼を言うのは当然のことよ」
視線を重ね、見つめ合い、笑い合う。
楽しい気分が込み上げる。
生きていれば、苦しみも悲しみもある。でも、こうして笑い合える時だけは、すべてを忘れて歩めるのだ。細やかな楽しさは、春風のように、胸の内に立ち込めた灰色の雲を晴らしてくれる。
「ウタ様、何だか元気そうでございますね」
「そ、そう……?」
「元気そうで何よりでございます。ふふ」
ウィクトルと通話した夜が明け、迎えた朝。
穏やかな光が降り注ぐ爽やかな天気だったので、私は、リベルテと二人で部屋から出て散歩することにした。
散歩と言っても、何ら特別なことをするわけではない。ただ、流れる風景や空模様を楽しみながら歩くだけである。大自然の中にいるわけではないので、人里から離れて自由に大地を駆ける、なんてことはできないけれど。でも、街中を歩くだけで、気分は変わる。
「正直申し上げますと、意外でございました。ウタ様が外出を選ばれるとは思いもしなかったので」
「そうよね。私も、外へ行こうかななんて、考えてみなかったもの」
舗装された道をリベルテと二人隣り合って歩く。背の高い建物の狭間、谷底のような道路を、人々は足早に通り過ぎて行っていた。誰も周囲を見ない。誰も周りの風景を堪能しようとはしていない。人々は機織り機のように規則的な足取りで道を行く。真っ直ぐ前だけを見据えて。
「ねぇ、こんなことを言ったら失礼かもしれないけれど……皆、あまり楽しくなさそうね」
目指す場所は決めず歩きながら、私は本心を口から出した。
相手がリベルテだったから、受け入れてもらえるような気がして、自然と本当の心を明かしてしまったのだ。
「そうでございますね。確かに、皆急ぎ足でございます」
「用事があるから?」
「えぇ。皆、忙しくしているのでしょうね」
都だからというのもあってか、この辺りは巨大な建物が多い。そのため、見回した時に受けるのは人工物的な印象。だが、だからといって風景が美しくないわけではない。空は確かに在るし、歩道の端に置かれたプランターに咲く花は可憐だし、自然の面影も多少は残っている。
そんな時だった、男性の叫び声が聞こえてきたのは。
「おい! 危ねぇだろ!」
あまりに刺々しい声。私は思わず、叫びが聞こえてきた方向へと視線を向ける。このまま十数メートル直進すると右手側に現れるであろう万屋の前に、声の主はいた。
「一体何の騒ぎかしら。怒鳴っていたのは……男の人?」
四十代くらいのスーツ姿の男性と、十歳にも満たないであろう女の子が、向かい合っているのが見える。年代も性別も異なった、珍しい組み合わせだ。父と娘にしては歳が離れているような気がするし、関係性がいまいち掴めない。
「ぶつかって許されると思っているのか!」
「う、う……」
「まず謝れ! 話はそれからだ!」
「う……ごめ、ごめんなさ……」
男性が大声で喚いてくれたおかげで、離れたところにいる私も事情を察することができた。男性は女の子にぶつかられたことに腹を立てて激怒している、という場面なのだろう。
とはいえ、幼い子ども相手に本気で怒るというのは、さすがに大人げがないのではないだろうか。
ぶつかられて苛立つというのは理解できないことはない。謝罪がなければなおさら。しかし、それはあくまで、相手がある程度歳を取っていたらの話である。
幼い女の子相手に怒鳴っても、何も変わらない。
男性の立場が悪くなることはあったとしても、何も解決するはずがないではないか。
現に、通行人が男性へ向けている視線は冷ややかだ。皆、子ども相手に何してるんだか、というような目で男性を見ながら通り過ぎていく。中には「あんなに怒らなくてもねぇ」などと同行者と話している通行人もいた。
「くそが! 今日は今から大事な商談なのによぉ! せっかくの心地いい朝が台無しだ!」
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