84 / 209
83話「ラインのドキドキタイム」
しおりを挟む
ビタリーは出ていった。
まったく、何しに来たのか! とでも言ってやりたい気持ちだ。
なんだかんだ言って、結局、私に何かを強要することはなく去っていった。もしかしたら、私の様子を確認したかっただけなのかもしれない。あるいは、フーシェについて話すことで心を乱すことが狙いか。
「こんにちは! ウタさん!」
ビタリーが出ていってから一時間ほどが経っただろうか、ラインがやって来た。
何でもいいが、いきなり扉を開けるのは止めてほしい。開いたのがもし偶々扉付近にいる時だったら、勢いよく当たって危険だから。
「遊びに来ました!」
少し時間は経ったが、ラインはいまだに元気いっぱい。はつらつとしている。遊園地へ出掛ける前の晩の少年みたいな表情だ。
「ラインさん」
「え!? そ、そんな。呼び捨てして下さい!」
言われてから「そうだった」と思い出す。
そういえば、この国では呼び捨てがよく使われているのだった。
一人納得していると、ラインは笑顔のまま「あと、普通に話していただいて構いません! 丁寧語でなくても!」と付け加えてきた。今日出会ったばかりの相手だが、彼がそう言うなら良いのかもしれない。数秒は躊躇ったが、私は「分かったわ」と返す。
「じゃあ……ライン、貴方はここへ何をしに来たの?」
「えっ」
「あ、ごめんなさい。尋ね方が悪かったわね。遊びにって何しになのかなって、ふと気になったの。それで質問してみたのよ」
言い方が分かりづらかったかな、と思い、もう一度言い直す。するとラインは頬を緩め、「そういうことですか!」と元気な声で返してくれた。彼からは嫌な感じがしないが、それが逆にしっくりこない。ケーキ屋で肉料理を提供されたかのような心境だ。
「すみません! 遊びに、なんて言い方をしてしまって! ……僕はここの見張りなんです」
「へぇ、そうだったのね」
「食事も運んできますよ! ……あ。えっと、その……」
太陽の下に咲く向日葵のような顔つきで元気いっぱいに声を発していたラインだが、またもや、急にオロオロした様子になる。視線を上下左右に自由自在に動かしながら、頬をほんのり赤く染めて、まるで恋する乙女のよう。
「もし良かったら、なんですけど……」
「何?」
恥じらうような顔つき、緊張したような声の発し方。何か頼みづらい頼み事でもしようとしているのだろうか。だとしたら、こんな様子になっているのも説明がつく。もっとも、本当のところは実際聞いてみないと分からないのだけれど。
「そ、その……歌、聴かせてくれませんか……?」
なるほど、そういうことか。
それなら今の私にでもできないことはない。
「えぇ。いいわよ」
「なーんて、やっぱり無理ですよねー……って、えええ!?」
素手で分厚い扉を突き破る光景を見たときのような、高度八百メートルほどから生身で飛び降りて無傷だった人を目にした時のような、凄まじい驚きぶり。目は二倍の大きさになるくらいまで開き、口は顎が外れそうなほど開けて。
……正直ここまで驚かれるとは思わなかった。
私はべつにそんな衝撃的なことはしていないはず。それなのに、ラインは、逆にこちらが驚くほどの驚き方。奇妙な状況だ。
「い、いいんですかーっ!?」
「えぇ」
「嘘ォ!!」
「そんなに驚かれるとは思わなかったわ……」
それから私は、彼に、聴きたい曲について尋ねた。すると彼は顔をリンゴのように真っ赤にしながら、「歌姫祭の時の……」と言ってくる。なぜそんなに恥じらっているのか理解できないが、地球の言語の歌で良いならこちらとしてはありがたい。その方が歌い慣れているから。
「じゃあ、いくわね」
「は、はい! 黙って聴きます!」
歌を支えると同時に盛り上げてくれる音源はない。それに、歌声を壮大に響かせる広さも、ここにはなかった。狭い部屋、それも音を吸い込むような古ぼけた部屋で、私は声を発する。
惜しいのは、ここがホールでないこと。
歌唱向けの場所とそうでない場所では、声量や余韻が明らかに違ってくる。
やがて最後の音にたどり着く。その声が伸び、消える。そして訪れる静寂。歌い終えると、意識が自然と現実へと引き戻される。埃の匂い、生温い空気、華やかさのない室内。旋律に詞を乗せる特別な時間に幕が降りた後、手に残るのは色気ない現実だけ。
「こんな感じかしら」
少しして、私は終わりを告げた。しかしラインは言葉の一つすら返してこない。彼は、幻でも見えているかのように、恍惚とした表情で宙を眺めている。何を見ているのだろう、と疑問を抱かずにはいられないような顔だ。
「ライン?」
「……はっ。あ! は、はい!」
再び声をかけた時、彼はようやく現実へと戻ってきた。
「終わったわよ。……大丈夫?」
「え! どうしました!?」
「何だかぼんやりしているみたいだったから。体調でも悪いのかなって」
するとラインは頭を何度も下げる。
「す、すみません! つい! 歌が素晴らしすぎて!」
「お世辞はいいのよ」
「へぇっ!? お世辞だなんて! まさか、そんなわけないじゃないですか!」
ウィクトル、フーシェ、皆のことは心配だ。私は今のところ、辛うじて、穏やかに過ごせている。けれど、それでも心配する心が消えるわけではない。陽気なラインと話をするのは案外楽しいが、それも、私の胸に蔓延るすべての重いものを消し去ってくれるわけではなかった。一時的に痛みを和らげる鎮痛剤程度の効果はあるかもしれないが。
「あの、もし良かったら……また、聴かせてくれませんか」
「歌? 貴方のためならいつでも」
「ありがとうございます! 感謝します!」
ちょうどそのタイミングで、部屋を出てすぐの廊下を一人の男性が駆けてきた。胸から股にかけてだけ軽そうな防具をつけた、金髪の地味な人。
「ライン! こんなところにいたのか!」
顔の形は縦長の長方形。鼻は茄子、色が薄めの唇はたらこ。口角には二本ずつ深いしわが刻まれていて、口が大きく動く時、急激に老けた印象になる。
「あ。はいっ。今、ウタさんの歌を聴いていたんです。素晴らしかったですよっ」
無邪気な笑顔で何をしていたかを述べるライン。
「集合だぞ!」
「えっ、今からですか」
「何呑気なこと言ってる! もう皆集まってるぞ!」
「ええっ」
まったく、何しに来たのか! とでも言ってやりたい気持ちだ。
なんだかんだ言って、結局、私に何かを強要することはなく去っていった。もしかしたら、私の様子を確認したかっただけなのかもしれない。あるいは、フーシェについて話すことで心を乱すことが狙いか。
「こんにちは! ウタさん!」
ビタリーが出ていってから一時間ほどが経っただろうか、ラインがやって来た。
何でもいいが、いきなり扉を開けるのは止めてほしい。開いたのがもし偶々扉付近にいる時だったら、勢いよく当たって危険だから。
「遊びに来ました!」
少し時間は経ったが、ラインはいまだに元気いっぱい。はつらつとしている。遊園地へ出掛ける前の晩の少年みたいな表情だ。
「ラインさん」
「え!? そ、そんな。呼び捨てして下さい!」
言われてから「そうだった」と思い出す。
そういえば、この国では呼び捨てがよく使われているのだった。
一人納得していると、ラインは笑顔のまま「あと、普通に話していただいて構いません! 丁寧語でなくても!」と付け加えてきた。今日出会ったばかりの相手だが、彼がそう言うなら良いのかもしれない。数秒は躊躇ったが、私は「分かったわ」と返す。
「じゃあ……ライン、貴方はここへ何をしに来たの?」
「えっ」
「あ、ごめんなさい。尋ね方が悪かったわね。遊びにって何しになのかなって、ふと気になったの。それで質問してみたのよ」
言い方が分かりづらかったかな、と思い、もう一度言い直す。するとラインは頬を緩め、「そういうことですか!」と元気な声で返してくれた。彼からは嫌な感じがしないが、それが逆にしっくりこない。ケーキ屋で肉料理を提供されたかのような心境だ。
「すみません! 遊びに、なんて言い方をしてしまって! ……僕はここの見張りなんです」
「へぇ、そうだったのね」
「食事も運んできますよ! ……あ。えっと、その……」
太陽の下に咲く向日葵のような顔つきで元気いっぱいに声を発していたラインだが、またもや、急にオロオロした様子になる。視線を上下左右に自由自在に動かしながら、頬をほんのり赤く染めて、まるで恋する乙女のよう。
「もし良かったら、なんですけど……」
「何?」
恥じらうような顔つき、緊張したような声の発し方。何か頼みづらい頼み事でもしようとしているのだろうか。だとしたら、こんな様子になっているのも説明がつく。もっとも、本当のところは実際聞いてみないと分からないのだけれど。
「そ、その……歌、聴かせてくれませんか……?」
なるほど、そういうことか。
それなら今の私にでもできないことはない。
「えぇ。いいわよ」
「なーんて、やっぱり無理ですよねー……って、えええ!?」
素手で分厚い扉を突き破る光景を見たときのような、高度八百メートルほどから生身で飛び降りて無傷だった人を目にした時のような、凄まじい驚きぶり。目は二倍の大きさになるくらいまで開き、口は顎が外れそうなほど開けて。
……正直ここまで驚かれるとは思わなかった。
私はべつにそんな衝撃的なことはしていないはず。それなのに、ラインは、逆にこちらが驚くほどの驚き方。奇妙な状況だ。
「い、いいんですかーっ!?」
「えぇ」
「嘘ォ!!」
「そんなに驚かれるとは思わなかったわ……」
それから私は、彼に、聴きたい曲について尋ねた。すると彼は顔をリンゴのように真っ赤にしながら、「歌姫祭の時の……」と言ってくる。なぜそんなに恥じらっているのか理解できないが、地球の言語の歌で良いならこちらとしてはありがたい。その方が歌い慣れているから。
「じゃあ、いくわね」
「は、はい! 黙って聴きます!」
歌を支えると同時に盛り上げてくれる音源はない。それに、歌声を壮大に響かせる広さも、ここにはなかった。狭い部屋、それも音を吸い込むような古ぼけた部屋で、私は声を発する。
惜しいのは、ここがホールでないこと。
歌唱向けの場所とそうでない場所では、声量や余韻が明らかに違ってくる。
やがて最後の音にたどり着く。その声が伸び、消える。そして訪れる静寂。歌い終えると、意識が自然と現実へと引き戻される。埃の匂い、生温い空気、華やかさのない室内。旋律に詞を乗せる特別な時間に幕が降りた後、手に残るのは色気ない現実だけ。
「こんな感じかしら」
少しして、私は終わりを告げた。しかしラインは言葉の一つすら返してこない。彼は、幻でも見えているかのように、恍惚とした表情で宙を眺めている。何を見ているのだろう、と疑問を抱かずにはいられないような顔だ。
「ライン?」
「……はっ。あ! は、はい!」
再び声をかけた時、彼はようやく現実へと戻ってきた。
「終わったわよ。……大丈夫?」
「え! どうしました!?」
「何だかぼんやりしているみたいだったから。体調でも悪いのかなって」
するとラインは頭を何度も下げる。
「す、すみません! つい! 歌が素晴らしすぎて!」
「お世辞はいいのよ」
「へぇっ!? お世辞だなんて! まさか、そんなわけないじゃないですか!」
ウィクトル、フーシェ、皆のことは心配だ。私は今のところ、辛うじて、穏やかに過ごせている。けれど、それでも心配する心が消えるわけではない。陽気なラインと話をするのは案外楽しいが、それも、私の胸に蔓延るすべての重いものを消し去ってくれるわけではなかった。一時的に痛みを和らげる鎮痛剤程度の効果はあるかもしれないが。
「あの、もし良かったら……また、聴かせてくれませんか」
「歌? 貴方のためならいつでも」
「ありがとうございます! 感謝します!」
ちょうどそのタイミングで、部屋を出てすぐの廊下を一人の男性が駆けてきた。胸から股にかけてだけ軽そうな防具をつけた、金髪の地味な人。
「ライン! こんなところにいたのか!」
顔の形は縦長の長方形。鼻は茄子、色が薄めの唇はたらこ。口角には二本ずつ深いしわが刻まれていて、口が大きく動く時、急激に老けた印象になる。
「あ。はいっ。今、ウタさんの歌を聴いていたんです。素晴らしかったですよっ」
無邪気な笑顔で何をしていたかを述べるライン。
「集合だぞ!」
「えっ、今からですか」
「何呑気なこと言ってる! もう皆集まってるぞ!」
「ええっ」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる