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89話「リベルテの脱出計画」
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人影は案外小柄だった。その人影は、昆布色と灰色を混ぜたような地味な色をした長袖の上衣をまとっている。しかし、どうやらサイズが大きいらしく、上半身はかなり布が余っている様子だった。また、袖も相応しい長さではないようで、指先しか見えないような状態になっている。ちなみに、上衣以外はすべて黒だ。ズボンは黒、ブーツも黒、闇に溶けるような色合いである。
そんな人影が、くるりと振り返った。
フードの下にあったのは、一瞬少女かと勘違いするような愛らしい少年の顔。
「リベルテ……!?」
私は思わず彼の名を発してしまった。
すぐに手で口を塞いだけれど。
「迎えに参りました」
そう述べたリベルテは穏やかな顔をしていた。田舎のようにのんびりした雰囲気の顔つきが、もはや懐かしい。彼の温厚な表情は、私の荒んだ心を癒やしてくれているかのようだ。
「……どうしてここが?」
「調査の結果、でございます。とはいえ、そこまで未開の地ではございませんでしたから、すぐに到着しましたが」
リベルテは歌うようにここへたどり着いた経緯を説明してくれた。
敵地のただなかだというのに、彼は緊張していない。恐怖を抱いてもいない。それどころか、楽しげですらある。
それから彼は上衣の中から本を取り出す。そして私の背後へ。何をするつもりなのだろう、と不思議に思っていたら、彼は「鎖をお断ち致しますね」と言った。
数秒後、手足が自由になるのを感じる。
「終わったの……?」
「はい。完了致しましたよ」
リベルテの言葉を聞いた私は、試しに手足を動かしてみる。そしてそれから、四肢を体の前側へ戻した。
特に異常はない。
問題なく動けそうだ。
「いかがです?」
「素晴らしいわ。これで自由ね」
リベルテは「良かった」と柔和な笑みを浮かべる。しかし、またすぐに真剣な面持ちになった。
「夜のうちに脱出致しましょう」
「脱出……!?」
刹那、蘇る記憶。
脱出と関連づいたそれは、決して心地よいものではない。
血に濡れ、雨に打たれ、そして生命を目の前で失う——。
「……無理よ、そんなの」
「ウタ様?」
「ここから脱出するなんて……私には無理」
また悲劇が起こったら。
そう考えると怖くて、逃げ出す気にはなれない。
私がここにいれば何も起こらないだろう。私が少し不便な思いをするだけで事は済む。フーシェがなったように、私以外の誰かが犠牲になることはない。
いいじゃないか、それで。
「ルートは既に確保しておりますよ?」
「……早く帰って、リベルテ。私、貴方まで巻き込みたくない……」
助けにきてもらってこんなことを言うなんて、贅沢な馬鹿と笑われるだろうか。もしそうなら、それでいい。べつに皆が私を笑ったって誰も傷つかないのだから。
「ウタ様はもう自由の身でございます。さぁ、行きましょう」
リベルテは私の片手をそっと握り、語りかけてくれる。
わがままばかりの私にまだ付き合う気でいるのか。もし本気なのだとしたら、リベルテは、よほど心が広いのだろう。
けれど、だからこそ、彼が危険な目に遭うのは辛い。
善良な人が傷つくことほど恐ろしいことはない。
「フーシェさんは、私を庇って命を落とした……もう繰り返したくないの」
「そうでございますね。では、素早くお立ちになって下さい」
リベルテは私の片手を静かに握ったまま、微笑んで言った。
「早く脱出することが大切でございます。時間をかけていてはバレてしまいますからね。では行きましょう」
う……妙にぐいぐい来る……。
可愛い顔をしているが、リベルテは勝手に話を進めていってしまう。こんな時に限って遠慮がない。私の心の準備は一向に進んでいないのに、彼は秒が経つごとに話を進展させていってしまっている。
「さ!」
「え、え、えええ……」
しまいに手を引っ張られた。
私はまだ立ち上がってもいなかったのに、だ。
どうやらリベルテは無理矢理私を連れてここを出る気でいるらしい。今の彼は、私が何を言っても聞かないだろう。私が心の準備を急ぐ、結局それしかないのかもしれない。
部屋を出て、恐ろしく照明器具が少ない通路を抜け、一階へ。
すると、何やらざわめいているのが分かった。
走っているというのもあるし、距離があるというのもあって、彼らがどのような内容を話しているのかは聞き取れない。だが、夜の見張りが私語をしているにしては騒がしい気がする。
「……脱出したのがバレた?」
「いえ。あれはボヤ騒ぎでございます」
「ぼ……ボヤ騒ぎ?」
私はリベルテが示してくれる道に従って走る。時折前後左右へ視線を向けつつ、人のいない廊下を進んでいく。夜の屋敷はどこも暗い。けれども、今は一人ではないから、恐怖心はそこまで大きくはなかった。
「軽く火をつけておきましたので」
「ちょっ……火事になったらどうするつもりだったのよ……?」
「問題ございません、雨でじきに消えるでしょう」
「そ、そういう問題かしら……」
最初は一瞬笑いのネタとして言ったのかと思ったが、そうではなかったらしい。なかなか恐ろしい人物だ、リベルテは。救出のためとはいえ、普通、屋敷に火など点けるだろうか。
「ただの時間稼ぎでございますよ」
リベルテの話によれば、裏口から脱出する予定だとか。
上手くいくと良いのだが。
◆
「リベルテ……」
消灯時間をとうに過ぎた病室。
小さなランプの僅かな光しかないその室内で、眠れないウィクトルは呟く。
「どうか、無事戻ってくれ……」
成婚パレードからは既に数日が過ぎた。その最中に負った背中の刺創の経過は、良好。完治にはまだ日がかかると言われてはいるものの、それはあくまで『完治には』だ。ある程度は確実に回復してきている。搬送された日は常に痛むような状態だったが、一日の中で傷が痛む回数も減ってきており、ウィクトルの状態はかなり良い。
ただ、不安定なのは精神の方。
ウタを奪い取られ、フーシェを亡くした、それだけでも彼にとっては大きなダメージだった。にもかかわらず、今度はリベルテまで危険な地へと赴いてしまい、今や一人。その不安と苦しさといったら、誰にも想像できないようなものだろう。
そのせいか、独り言も増加傾向にある。
そんな人影が、くるりと振り返った。
フードの下にあったのは、一瞬少女かと勘違いするような愛らしい少年の顔。
「リベルテ……!?」
私は思わず彼の名を発してしまった。
すぐに手で口を塞いだけれど。
「迎えに参りました」
そう述べたリベルテは穏やかな顔をしていた。田舎のようにのんびりした雰囲気の顔つきが、もはや懐かしい。彼の温厚な表情は、私の荒んだ心を癒やしてくれているかのようだ。
「……どうしてここが?」
「調査の結果、でございます。とはいえ、そこまで未開の地ではございませんでしたから、すぐに到着しましたが」
リベルテは歌うようにここへたどり着いた経緯を説明してくれた。
敵地のただなかだというのに、彼は緊張していない。恐怖を抱いてもいない。それどころか、楽しげですらある。
それから彼は上衣の中から本を取り出す。そして私の背後へ。何をするつもりなのだろう、と不思議に思っていたら、彼は「鎖をお断ち致しますね」と言った。
数秒後、手足が自由になるのを感じる。
「終わったの……?」
「はい。完了致しましたよ」
リベルテの言葉を聞いた私は、試しに手足を動かしてみる。そしてそれから、四肢を体の前側へ戻した。
特に異常はない。
問題なく動けそうだ。
「いかがです?」
「素晴らしいわ。これで自由ね」
リベルテは「良かった」と柔和な笑みを浮かべる。しかし、またすぐに真剣な面持ちになった。
「夜のうちに脱出致しましょう」
「脱出……!?」
刹那、蘇る記憶。
脱出と関連づいたそれは、決して心地よいものではない。
血に濡れ、雨に打たれ、そして生命を目の前で失う——。
「……無理よ、そんなの」
「ウタ様?」
「ここから脱出するなんて……私には無理」
また悲劇が起こったら。
そう考えると怖くて、逃げ出す気にはなれない。
私がここにいれば何も起こらないだろう。私が少し不便な思いをするだけで事は済む。フーシェがなったように、私以外の誰かが犠牲になることはない。
いいじゃないか、それで。
「ルートは既に確保しておりますよ?」
「……早く帰って、リベルテ。私、貴方まで巻き込みたくない……」
助けにきてもらってこんなことを言うなんて、贅沢な馬鹿と笑われるだろうか。もしそうなら、それでいい。べつに皆が私を笑ったって誰も傷つかないのだから。
「ウタ様はもう自由の身でございます。さぁ、行きましょう」
リベルテは私の片手をそっと握り、語りかけてくれる。
わがままばかりの私にまだ付き合う気でいるのか。もし本気なのだとしたら、リベルテは、よほど心が広いのだろう。
けれど、だからこそ、彼が危険な目に遭うのは辛い。
善良な人が傷つくことほど恐ろしいことはない。
「フーシェさんは、私を庇って命を落とした……もう繰り返したくないの」
「そうでございますね。では、素早くお立ちになって下さい」
リベルテは私の片手を静かに握ったまま、微笑んで言った。
「早く脱出することが大切でございます。時間をかけていてはバレてしまいますからね。では行きましょう」
う……妙にぐいぐい来る……。
可愛い顔をしているが、リベルテは勝手に話を進めていってしまう。こんな時に限って遠慮がない。私の心の準備は一向に進んでいないのに、彼は秒が経つごとに話を進展させていってしまっている。
「さ!」
「え、え、えええ……」
しまいに手を引っ張られた。
私はまだ立ち上がってもいなかったのに、だ。
どうやらリベルテは無理矢理私を連れてここを出る気でいるらしい。今の彼は、私が何を言っても聞かないだろう。私が心の準備を急ぐ、結局それしかないのかもしれない。
部屋を出て、恐ろしく照明器具が少ない通路を抜け、一階へ。
すると、何やらざわめいているのが分かった。
走っているというのもあるし、距離があるというのもあって、彼らがどのような内容を話しているのかは聞き取れない。だが、夜の見張りが私語をしているにしては騒がしい気がする。
「……脱出したのがバレた?」
「いえ。あれはボヤ騒ぎでございます」
「ぼ……ボヤ騒ぎ?」
私はリベルテが示してくれる道に従って走る。時折前後左右へ視線を向けつつ、人のいない廊下を進んでいく。夜の屋敷はどこも暗い。けれども、今は一人ではないから、恐怖心はそこまで大きくはなかった。
「軽く火をつけておきましたので」
「ちょっ……火事になったらどうするつもりだったのよ……?」
「問題ございません、雨でじきに消えるでしょう」
「そ、そういう問題かしら……」
最初は一瞬笑いのネタとして言ったのかと思ったが、そうではなかったらしい。なかなか恐ろしい人物だ、リベルテは。救出のためとはいえ、普通、屋敷に火など点けるだろうか。
「ただの時間稼ぎでございますよ」
リベルテの話によれば、裏口から脱出する予定だとか。
上手くいくと良いのだが。
◆
「リベルテ……」
消灯時間をとうに過ぎた病室。
小さなランプの僅かな光しかないその室内で、眠れないウィクトルは呟く。
「どうか、無事戻ってくれ……」
成婚パレードからは既に数日が過ぎた。その最中に負った背中の刺創の経過は、良好。完治にはまだ日がかかると言われてはいるものの、それはあくまで『完治には』だ。ある程度は確実に回復してきている。搬送された日は常に痛むような状態だったが、一日の中で傷が痛む回数も減ってきており、ウィクトルの状態はかなり良い。
ただ、不安定なのは精神の方。
ウタを奪い取られ、フーシェを亡くした、それだけでも彼にとっては大きなダメージだった。にもかかわらず、今度はリベルテまで危険な地へと赴いてしまい、今や一人。その不安と苦しさといったら、誰にも想像できないようなものだろう。
そのせいか、独り言も増加傾向にある。
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