奇跡の歌姫

四季

文字の大きさ
94 / 209

93話「シャルティエラの胸に秘めた炎」

しおりを挟む
 その頃、ビタリーは洋館の一室にいた。

「……ったく!」

 ビタリーの手がテーブルを叩くと、焼き物の赤いペン立てが小刻みに揺れる。

「なぜ逃がしたっ……!」

 彼は不機嫌だった。ミスなく監禁していたはずのウタに逃げられたからだ。己が脱出を妨げる壁になっていながらも脱出されてしまった、その事実が、余計に彼を苛立たせているのだろう。

 その時、誰かが戸をノック。
 ビタリーは「入れ!」と鋭く応じる。

 数秒後、ゆっくりと扉が開く。そこから現れたのは、白寄りのシーグリーンの髪を持つ可憐な女性、シャルティエラ。

「あの……ビタリー様? お邪魔しても構わないですの?」

 ノックに対するビタリーの反応が棘のあるものだったからか、シャルティエラは不安そうな表情だ。

「……シャルティエラ、か」
「できればシャロと呼んでいただきたいですわ」
「じゃあ、シャロ。こんな時に何の用だい」

 ビタリーの物言いは、直前の独り言に比べると優しい。だが、それでも、日頃の優雅な彼と比べればかなり冷ややかな声。シャルティエラが気を遣ったような顔をするのも無理はない。今の彼は、少しでも刺激すれば攻撃に出そうなほど、心が棘に塗れている。

「ねぇ、ビタリー様。もし良かったら、わたくしと少しお茶でもしませんこと?」
「今は無理」
「そ……そうですの。失礼しましたわ」

 誘いを即座に断られたシャルティエラは、肩をすくめ、残念そうに俯く。そんな彼女の姿を、ビタリーは一瞥さえしない。彼の視線が妻となったシャルティエラへ向くことはない。

「また……機会があったら、お茶、誘ってくださいますの……?」
「当分は無理そうだね」

 ビタリーはきっぱり返した。

「……そ、そうですの。残念ですけれど……でも、ビタリー様はお忙しいですものね。わたくし、ゆっくり待ちますわ……」

 もしかしたらいつかは、という、シャルティエラの中の僅かな希望さえ、ビタリーは躊躇なく叩き潰してしまう。妻の望みを叶えよう、なんて、彼は微塵も思っていないのだ。今の彼は、ウタに脱走されたということで頭がいっぱいなのである。

 シャルティエラは口を閉ざした。しかし、その場から去ることはしない。それを不思議に思ったらしく、ビタリーは「そんなところでぼんやりして、何がしたいんだい?」と問いかける。氷剣のように鋭く冷ややかな視線を向けられるシャルティエラ。彼女は右手を胸元に寄せ、緊張したような面持ちでビタリーを見つめ返す。

「言いたいことがあるのかい。それならはっきり言えばいい」
「……ラインのことですわ」

 するとビタリーは「あぁ、あの裏切り者か」と呟く。

「そろそろ解放してもらえませんこと?」

 ウタの歌声に惚れ、彼女を屋敷から脱出させるべく手を貸した、ライン。あの一件以降、裏切り者として監禁されてしまっている。彼は、シャルティエラの擁護により、命を落とすことはせずに済んだ。だが、自由な行動をすることは、まだ許されていない。

「それは無理だよ。裏切る可能性のある人間を自由にはできない」
「……ラインは裏切ったりしませんわ」
「でも、ウタを脱走させようとした。それでなぜ裏切らないと言えるんだい」
「それは……その、きっと魔が差したのですわ。ラインは今まで一度もわたくしを裏切りませんでしたもの」

 ビタリーの部屋に漂うのは重苦しく棘のある空気だ。

「それでも、僕を裏切る可能性のある人間を自由にさせておくわけにはいかないんだ」
「……ビタリー様」

 シャルティエラは胸元の右手を軽く握り、眉間を縮めて、やや上目遣いでビタリーを見る。
 彼女は目で訴えようとしているようだ。口は開かない。
 だが、そんな目つきだけで想いがビタリーに伝わるわけがない。なんせ、ビタリーは他者の心を読み取ろうとなんてしていないのだから。

「僕の願いは一つ。この国をこの手の内に入れること。シャロ、君だって、その願いに共感してくれていたじゃないか。共に歩きたい、そう言ってくれたじゃないか」

 ビタリーの発言に、シャルティエラは目を細める。

「……もちろんそのつもりですわ。では……失礼しますわね」


 ビタリーの部屋から退室したシャルティエラは、緊迫した空間から出られた安堵と話が進展しなかった残念さが混じったような大きな溜め息をつく。

「シャロお嬢様、終わられたので?」

 溜め息をつき浮かない顔をしていたシャルティエラは、いきなり話しかけられ、体をびくんと大きく逸らす。それから、目の前に侍女の女性がいることに気づき、不満げに言い放つ。

「ちょっと! 驚かさないで!」
「申し訳ありません。そのようなつもりではありませんでした」
「もう……」
「それで、ビタリー様とのお話は、進展なさったのですか? お嬢様」

 四十代くらいに見える藤色の髪の女性は、ほんの少しだけ口角を持ち上げて尋ねた。

「……まったくですわ。ラインのことも頼みましたけれど、解放してくれそうにはありませんでしたの」

 シャルティエラは愚痴を漏らす。その様は、母親に愚痴を言いふらす少女のよう。未来の皇帝の妻、いずれ妃となる者とは思えない素朴さだ。無論、品は感じさせる容姿が。

「彼もなかなか頑固な方ですね」
「本当ですわ! もう、イライラしてきますわよ!」

 シャルティエラは、両手を腰に当て、不満を全力で発する。
 が、すぐに冷静な話し方に変わった。

「……でも、仕方ないですわね。今は我慢の時、わたくしは負けませんわ。絶対」

 彼女の瞳は燃えている。それは、彼女の心を映し出す炎。じっと見つめれば気づけるようなものだが、恐らく、多くの者が気づかないだろう。彼女が胸の内側に隠した、その燃えるものには。

「やる気に満ちておいでですね、お嬢様は」
「もちろん。そのために結婚まで漕ぎ着けたのですから、当然ですわ」

 侍女の女性は、余裕のある表情でシャルティエラを眺めている。彼女は、シャルティエラが胸に抱いている燃ゆる炎の存在を、遥か昔から知っていたのかもしれない。

「わたくしから家族を奪った者を叩きのめす。そのためには、ビタリー様の傍にいるのが一番。……わたくしの心は、今も変わっていませんわ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...