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140話「帝国の侵攻と憂鬱」
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陰雨の中、私たち三人は日々を過ごした。
空がこの世のどうしようもなさを嘆いているかのように、しとしとと雨は降り続く。
滝のような雨ならばまだ潔い。けれども、地表を湿らせキノコを生やすようなこの雨は、屋内にいても肌がべたつく。お世辞にも快適とは言い難い。
雨は憂鬱だが、憂鬱になっている真の原因はそれではない。
キエル帝国軍が来る——暗い気分になる本当の理由は、そこなのだろう。
「ただいま戻りました」
「戻ったか、リベルテ。どうだ? 街の様子は」
「極力屋内に待機するよう指示が出ているようでございます」
リベルテは顔をなるべく隠すようにしながら、ファルシエラの都であるホーションの中央部へ行っていた。主な目的は食料や日用品の買い出しだが、実は様子を探る意味も兼ねている。狙われる対象になりやすいウィクトルが出るわけにはいかないし、私が行くのも心もとないから、いつもリベルテがその役目を担ってくれているのだ。
「他に変化は?」
「そうでございますね……少し寂れた雰囲気になっていた気は致します。ただ、それは、屋内待機命令が出ているからなのでございますが」
「なるほど、理解した」
キエル帝国軍はまだファルシエラへたどり着いていないのだろうか?
数日後、ついにその日はやって来た。
テレビを賑わしたのはキエル帝国軍の襲来。その指揮者は、まさに、ビタリーその人であった。
『皇帝自らが軍を率いている様子です。詳細は現在確認中。明らかになり次第、お伝えします』
今日は少し雨がましだ。ここ数日立ち込めていた濃い霧ようなものも、今日は薄い。しかしながら、降雨が収まったわけではない。霧吹きで放ったような線の細い雨は、今も地上に降り注いでいる。
「ウィクトル……これ、本当に大丈夫なのかしら」
「不安なのか? ウタくん」
「えぇ。だって……軍が攻めてくるのよ。これからこの国がどうなるか……」
ファルシエラももはや安全地帯とは言えない。
この国にも軍隊はあるのだろうが、どの程度の戦闘能力を有しているかは不明。だからこそ、不安がこの胸から完全に消滅することはない。
「もしもの時には私がいる。ウタくんが心配することはない。……とはいえ、胃は痛いがな」
「……ウィクトルも不安なんじゃない?」
「まさか。それはない。案ずるな、胃が痛いは冗談だ」
そんな小さな冗談を言い合って笑う。
今の私たちには、楽しみはそれしかない。
皇帝の支配下から抜け出しても、帝国を去っても、結局私たちは穏やかには過ごせない運命なのか。この世界は私たちの自由を許さないのか。
もしそうだとしたら、その訳は何なのだろう。
ウィクトルの罪? 私の頼りなさ?
何にせよ、この運命から逃れることはできそうにないことは一つの事実。
帝国の暗闇から解き放たれるために足りないものは何なのか?
それだけがいまだに疑問だ。
「とにかく、ウタくんは安心してくれていい。君のことは私が護る」
「……口説き文句みたい」
「まさか。嘘ではない、真実だ。君は私を救ってくれた。だからこそ、次は私が君を護る。それは今ここで誓おう」
昼過ぎ頃から外が騒がしくなってきた。
私たちが暮らす家はホーションの中央部から少し距離のあるところに位置しているから、幸い、騒ぎのただなかにいるということにはならずに済んでいる。
だが、この安全もいつまで続くかは分からない。
ホーションから家までの距離は何百キロもあるわけではないから、帝国軍がここへやって来るのも時間の問題。いずれはその時が来る。
もし帝国軍が攻めてきたらどうする? 家に立て籠もるか、出ていくか、どちらを選択するのが最良に近いのだろう。思いきって出ていき降伏する、という選択肢もあっただろう——ただし、それはあくまで、仲間内に元帝国軍人がいなければの話。……悩みは尽きない。
「リベルテ、外の様子は?」
「三十分ほど前に二階の窓から確認した際には、人の列のようなものができているのが見えました。肉眼で見える距離ではございませんでしたので、はっきりと報告を申し上げることはできませんが、キエル帝国軍はホーションにたどり着いているとの考え方が無難かと。しかし、主が恐れるほどのことではございません。どうかご安心下さい」
一言で尋ねられたリベルテは、非常に長い文章を一気に述べた。
聞き取りすら危うかったほどの長文であった。
「警戒しつつ隠れておこう」
「はい。承知しております、主」
リベルテは意外と平静を保っている。最初帝国軍の動きを知った時にはかなり狼狽していたが、今は別人のような落ち着きぶり。恐らくどこかで吹っ切れたのだろう。
「おい! ここは空き家か? 誰も住んでねぇのか?」
突如誰かが扉をノックしてきた。
いかにも怪しい、荒々しいノックだ。応対したい感じのノックではない。
「どう致しましょう? 主」
「確認するか」
「はい! では見て参りますね」
リベルテは、ててて、と玄関の方へと向かっていった。
私はウィクトルに「また山賊かしら」と尋ねてみる。するとウィクトルは小さな溜め息を漏らしつつ「軍の者か、賊か……」とぼやいた。室内に漂うのは重苦しい空気。この天気で、この状況では、どう頑張っても明るい雰囲気にはなれない。
数分後、何かが倒れるような音が響いた。
謎の声が飛ぶ。
即座に反応したのはウィクトル。彼は音の異常さに気がついたらしく、すぐに立ち上がった。部屋の入り口に向けて進んでいく。ぼんやりしていて良い状況ではないのだ、と、察した。ウィクトルが歩いていくその後を、私はこっそりついていく。
「お前、確か! 帝国軍に入ってたやつだろ!」
「さぁ……。な、何の話やら……」
「怪しいぞ! 帝国軍の黒い男を知っているんじゃないのか!」
「黒い? 何でしょう、それは……?」
ウィクトルはぎりぎり廊下に出ない辺りで立ち止まり、耳だけで廊下の様子を確認している。今出ていくべきではないと判断したのだろう。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかないはず。
万が一リベルテが乱暴なことをされるようなことになったら、出ていかざるを得ない。
どこまで出ていかずに耐えるか。どこで出ていくか。その辺りの加減が難しい。ウィクトルの判断任せなので私が考える必要はないのだろうが、気にせずにはいられない。
空がこの世のどうしようもなさを嘆いているかのように、しとしとと雨は降り続く。
滝のような雨ならばまだ潔い。けれども、地表を湿らせキノコを生やすようなこの雨は、屋内にいても肌がべたつく。お世辞にも快適とは言い難い。
雨は憂鬱だが、憂鬱になっている真の原因はそれではない。
キエル帝国軍が来る——暗い気分になる本当の理由は、そこなのだろう。
「ただいま戻りました」
「戻ったか、リベルテ。どうだ? 街の様子は」
「極力屋内に待機するよう指示が出ているようでございます」
リベルテは顔をなるべく隠すようにしながら、ファルシエラの都であるホーションの中央部へ行っていた。主な目的は食料や日用品の買い出しだが、実は様子を探る意味も兼ねている。狙われる対象になりやすいウィクトルが出るわけにはいかないし、私が行くのも心もとないから、いつもリベルテがその役目を担ってくれているのだ。
「他に変化は?」
「そうでございますね……少し寂れた雰囲気になっていた気は致します。ただ、それは、屋内待機命令が出ているからなのでございますが」
「なるほど、理解した」
キエル帝国軍はまだファルシエラへたどり着いていないのだろうか?
数日後、ついにその日はやって来た。
テレビを賑わしたのはキエル帝国軍の襲来。その指揮者は、まさに、ビタリーその人であった。
『皇帝自らが軍を率いている様子です。詳細は現在確認中。明らかになり次第、お伝えします』
今日は少し雨がましだ。ここ数日立ち込めていた濃い霧ようなものも、今日は薄い。しかしながら、降雨が収まったわけではない。霧吹きで放ったような線の細い雨は、今も地上に降り注いでいる。
「ウィクトル……これ、本当に大丈夫なのかしら」
「不安なのか? ウタくん」
「えぇ。だって……軍が攻めてくるのよ。これからこの国がどうなるか……」
ファルシエラももはや安全地帯とは言えない。
この国にも軍隊はあるのだろうが、どの程度の戦闘能力を有しているかは不明。だからこそ、不安がこの胸から完全に消滅することはない。
「もしもの時には私がいる。ウタくんが心配することはない。……とはいえ、胃は痛いがな」
「……ウィクトルも不安なんじゃない?」
「まさか。それはない。案ずるな、胃が痛いは冗談だ」
そんな小さな冗談を言い合って笑う。
今の私たちには、楽しみはそれしかない。
皇帝の支配下から抜け出しても、帝国を去っても、結局私たちは穏やかには過ごせない運命なのか。この世界は私たちの自由を許さないのか。
もしそうだとしたら、その訳は何なのだろう。
ウィクトルの罪? 私の頼りなさ?
何にせよ、この運命から逃れることはできそうにないことは一つの事実。
帝国の暗闇から解き放たれるために足りないものは何なのか?
それだけがいまだに疑問だ。
「とにかく、ウタくんは安心してくれていい。君のことは私が護る」
「……口説き文句みたい」
「まさか。嘘ではない、真実だ。君は私を救ってくれた。だからこそ、次は私が君を護る。それは今ここで誓おう」
昼過ぎ頃から外が騒がしくなってきた。
私たちが暮らす家はホーションの中央部から少し距離のあるところに位置しているから、幸い、騒ぎのただなかにいるということにはならずに済んでいる。
だが、この安全もいつまで続くかは分からない。
ホーションから家までの距離は何百キロもあるわけではないから、帝国軍がここへやって来るのも時間の問題。いずれはその時が来る。
もし帝国軍が攻めてきたらどうする? 家に立て籠もるか、出ていくか、どちらを選択するのが最良に近いのだろう。思いきって出ていき降伏する、という選択肢もあっただろう——ただし、それはあくまで、仲間内に元帝国軍人がいなければの話。……悩みは尽きない。
「リベルテ、外の様子は?」
「三十分ほど前に二階の窓から確認した際には、人の列のようなものができているのが見えました。肉眼で見える距離ではございませんでしたので、はっきりと報告を申し上げることはできませんが、キエル帝国軍はホーションにたどり着いているとの考え方が無難かと。しかし、主が恐れるほどのことではございません。どうかご安心下さい」
一言で尋ねられたリベルテは、非常に長い文章を一気に述べた。
聞き取りすら危うかったほどの長文であった。
「警戒しつつ隠れておこう」
「はい。承知しております、主」
リベルテは意外と平静を保っている。最初帝国軍の動きを知った時にはかなり狼狽していたが、今は別人のような落ち着きぶり。恐らくどこかで吹っ切れたのだろう。
「おい! ここは空き家か? 誰も住んでねぇのか?」
突如誰かが扉をノックしてきた。
いかにも怪しい、荒々しいノックだ。応対したい感じのノックではない。
「どう致しましょう? 主」
「確認するか」
「はい! では見て参りますね」
リベルテは、ててて、と玄関の方へと向かっていった。
私はウィクトルに「また山賊かしら」と尋ねてみる。するとウィクトルは小さな溜め息を漏らしつつ「軍の者か、賊か……」とぼやいた。室内に漂うのは重苦しい空気。この天気で、この状況では、どう頑張っても明るい雰囲気にはなれない。
数分後、何かが倒れるような音が響いた。
謎の声が飛ぶ。
即座に反応したのはウィクトル。彼は音の異常さに気がついたらしく、すぐに立ち上がった。部屋の入り口に向けて進んでいく。ぼんやりしていて良い状況ではないのだ、と、察した。ウィクトルが歩いていくその後を、私はこっそりついていく。
「お前、確か! 帝国軍に入ってたやつだろ!」
「さぁ……。な、何の話やら……」
「怪しいぞ! 帝国軍の黒い男を知っているんじゃないのか!」
「黒い? 何でしょう、それは……?」
ウィクトルはぎりぎり廊下に出ない辺りで立ち止まり、耳だけで廊下の様子を確認している。今出ていくべきではないと判断したのだろう。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかないはず。
万が一リベルテが乱暴なことをされるようなことになったら、出ていかざるを得ない。
どこまで出ていかずに耐えるか。どこで出ていくか。その辺りの加減が難しい。ウィクトルの判断任せなので私が考える必要はないのだろうが、気にせずにはいられない。
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