奇跡の歌姫

四季

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161話「カマカニの止まらない涙」

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 ファルシエラへの侵攻を断念し一時撤退を決めたビタリーは、相棒とも言えるような存在であるカマカニと共に、帝都へと帰還。決して誇らしい形の帰還ではない。が、皆が命を無駄に捨てずに済んだという意味では、戦いが続くより良かったと言えるのかもしれない。

 そもそも、行動を開始した当初は「シャルティエラの復讐への協力」という意味もあっての進軍だった。それなのにシャルティエラが途中で勝手に離脱してしまって。それによって、ビタリーが率いている軍勢が劣勢に陥ってしまっていたのだ。

 それでもビタリーは進み続けようとしていた。

 だが、アナシエアの術による一件以降、彼は考えを変えた。

 彼の中でどのような変化があったのか。それを知る者はいない。ただ、その出来事の前と後で真逆の選択をするようになったのだから、心境に変化があったことは確かであろう。

 かくして、ビタリーは帝都の住居へ戻ってきた。
 反撃されて撤退してきた、というのは、あまり聞こえが良くない。それゆえ、彼は撤退理由をぼやかし、しかも、国民には広くは知れ渡らないように仕組んだ。

「……いきなり失敗するとは、我ながら恥ずかしいな」

 皇帝の間に戻り、ビタリーは呟く。
 今はビタリーの傍にも人がいる——そう、カマカニが。

「そんなことないすよぅ! 旦那は頑張った方っすぅ!」
「見え透いた世辞を言われても嬉しくないね。そういうことは控えてもらいたい」
「す、すんません……」
「まぁ君のことは嫌いではないけどね」

 ビタリーの人生はひたすら孤独だった。母親を護るため父や兄の命を奪い、母親を励ますため自身がこの国を統べる者になろうとして。しかし、その母親にさえ、最後は突き放された。

 使えるものはすべて使い、できることはすべて行って。彼は、善の心もさえ殴り捨てて、母親の希望になろうとした。なのに、母親は彼を『人殺し』と呼び、亡くなるまで一切受け入れようとはしなかった。

 そんな人生だったからこそ、今、カマカニの存在に支えられていたりする。

「カマカニ、君は一旦家へ戻るかい?」
「え……」
「確か、家族が待っているんだったよね。休暇を取ってもいいよ」
「だ……旦那が優しいと……戸惑うっすぅ……」

 カマカニの発言に、ビタリーは顔をしかめて「失礼だね」と小さな声で返した。

「そ、そうだったっす! 旦那は昔から優しかったすよねぇ!」
「後付け感しかないね」
「すんません! 本当にすんません!」

 鋭いところを突っ込まれたカマカニは、大慌てで頭を下げて謝罪する。
 ビタリーの機嫌を損ねるのは危険、と密かに思っていたのかもしれない。いや、もしかしたら、単に怒られるのが怖かっただけなのかもしれないけれど。

「とにかく。余裕があるうちに帰るといいよ。万が一忙しくなったら、自由には戻れないかもしれないからね」

 ビタリーとカマカニ以外に人はいない皇帝の間の空気を揺らすのは、ビタリーの淡々とした声。

「幸せな家庭を築くのは男の使命の一つだからね」

 直後、カマカニは腕で目もとを豪快に擦り始める。突然始まった派手な動きには、さすがのビタリーも目を見開いた。驚きと戸惑いが混ざったような表情を面に滲ませつつ、ビタリーはカマカニを見る。だが、当のカマカニはというと、ビタリーにそんな目で見られていることに気づいていない。周囲の反応などお構いなしに号泣していた。

「確か、妻と子どもが十二人、だったかな」

 ビタリーは口もとに手を添えながら呟く。
 既に号泣モードになってしまっているカマカニは、鼻をすすりつつ、「う、うぅっ……そうっすぅ……」と返した。

「これからも穏やかな家庭を築いていくんだよ。カマカニ」
「ううっ……感謝するっすぅ……」

 気難しく掴みどころのないビタリーだが、今日はなぜか妙に親切。これも単なる気まぐれの一種なのかもしれないが、それでもカマカニは喜んでいた。両目から滝のように涙を流しているが、顔面には微かな笑みを浮かべている。

「ではでは! さっそくぅ! 行ってくるっすぅ!」

 カマカニは生き生きとした調子で叫び、その場で一回転。その流れのまま、両手の先を右側に向けるような動作で、やや残念なかっこよくないポーズをきめる。

 ビタリーは真顔で見ているが、どのような言葉をかければ良いのか分からず無言のまま。
 そのうちに、カマカニは走って部屋から出ていってしまう。

 広く荘厳な雰囲気の皇帝の間から人の姿が消えた。室内に残されたのは、ビタリーただ一人。無音の世界の中、彼は視線をほんの少しだけ上へ向ける。とはいえ、何か述べるわけではない。ぼんやりと宙を眺めるだけだ。

 ちょうどその時、扉を誰かがノックした。
 ビタリーが入室を許可すると、一人の女性が皇帝の間へと入ってくる。

「君は……!」

 何の前触れもなく訪ねてきたその女性の顔を、ビタリーは見たことがあった。

「シャロお嬢様の部下です。名乗るほどの者ではありません。本日はお話があって参りました」
「そうだ、シャロの傍にいつも控えている方だったね」
「はい。その通りです。先日はあのようなことになってしまい失礼申し訳ありませんでした」

 女性の正体は、シャルティエラに長年付き従っている侍女。
 いつもはシャルティエラの背後に控えているのだが、珍しく今日は一人だ。

「シャロは元気にしているのかい?」

 ビタリーは一度、シャルティエラに予想外の動きをされている。それゆえ、シャルティエラに対しては良い感情を抱いていないはずだ。だが、だからといって、侍女に対して刺々しい態度を取ることはしなかった。

「はい。現在は休息しております」

 侍女は、色のない世界に生きる者のような味気ない顔をしたまま、丁寧に一礼する。

「そうか。……復讐はできなかったそうだね」
「はい。その通りです。けれど、彼女は後悔してはいないようです」
「協力していただいたにもかかわらず、突然選択を変え、失礼しました」
「本当に迷惑だよ、おかげで撤退などという情けない姿を晒すことになった! ……なーんてね。べつに怒っていないよ」

 ビタリーは嫌みを言いつつも怒ってはいないということも主張する。それが冗談なのか本気なのかは、誰にも分からないけれど。

「で、話は何だったかな?」
「戦いから降りさせてほしい、と」

 女性の発言に、ビタリーは言葉を失う。
 すぐには何も返せない。

「シャロお嬢様は今や、もう戦いたくない、と申しているのです。困ったものです。迷惑をおかけしてしまうことは分かっていますが、それでもどうか、許しをいただきたいのです」
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