奇跡の歌姫

四季

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180話「ウタの迷い」

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「取り敢えず食べてみるというのはどう?」

 パペリカという野菜は食べたことがない。が、弁当に入っているのだから、食べられないということはないのだろう。毒があるとか異様に美味しくないということはないはずだ。そんな物なら入れないだろうし。

「う……し、しかし、何か分からない物を食べるのは……」

 ウィクトルはいつになく怯んだような顔をしている。
 殺し合いはできても見たことのない野菜は食べられないようだ。

「何なら私が食べてみてもいいわよ?」

 少しばかり気を遣って言ってみた。
 すると、ウィクトルの瞳が輝き出す。

「構わないのか!?」

 予想以上に大きな声で驚いた。

 ウィクトルは日頃そんなに大きな声を出すことはない。基本的に冷静な人間だからだ。しかし今は、彼らしいとはとても思えないような声の出し方をしていた。ひとかけらの野菜でこんなウィクトルを見ることになるなんて、正直思わなかった。

「え、えぇ……構わないけれど……」
「本当か!」
「えぇ、本当よ。じゃ、食べてみるわね」

 私は自分のフォークを伸ばし、その先端で黄色い野菜を突き刺す。表面は硬さがあったけれど、一度突き刺さると一気に奥まで突き刺すことができた。汁はほぼ出ない。

 そのまま、パペリカを口もとへ運ぶ。

 見慣れない物体を口に含む行為には心理的に抵抗がある。唇の近くにまで運ぶことはできても、口腔内へ入れるとなると勇気が出ない。どうしても躊躇ってしまう部分がある。

 それでも、今さら食べないことを選ぶわけにはいかない。

 思いきって口に放り込む!

「……どうだ?」

 口に入れた瞬間、ウィクトルが尋ねてきた。
 だがすぐには答えられない。パペリカの欠片が口の中にあるからだ。口に物が入った状態で話すというのは簡単なことではない。

 パペリカは不思議な物体だった。

 まず不思議なのは、その噛み心地。ぐにぐにとした弾力があって、しかし、勢いよく噛むと割と簡単に噛みきることができる。
 そして、味もこれまた独特だ。舌を突くような微かな苦味があり、だが、たまには果実のような爽やかな香りも感じられる。苦い薬と果物の香料を混ぜ込んだような味だ。

「妙な味だったわ」

 ごくんと飲み込んで、感想を述べる。

 食べられないような不味さではない。ただ、美味しいかと問われれば、すんなり頷くことはできないかもしれない。この未体験の味わいを言葉で表現するのは容易いことではなかった。語彙力が高くない私だから、なおさら。

「妙な味? ……それはまた奇妙な言い方だな」

 ウィクトルは首を傾げる。
 だが、同感だ。私も今、彼と同じような心境になっている。
 これまで十数年生きてきて、色々な物を食べてきた。美味しいものも、不味いものも。それでも、このパペリカのような食べ物は食べたことがない。

「えぇ。味は……薬と香料を混ぜたような感じね」
「何だそれは!?」

 今日のウィクトルは不自然なほどに反応が大きい。ある意味別人のようだ。これは、良い方に変わりつつあると捉えて問題ないのだろうか。

「とにかく、不思議な味だってことよ」
「なるほど。そういうことか」
「先に食べたのがウィクトルでなくて良かったかもしれないわね」
「美味しくなかったのか?」
「うーん……表現が難しいわね。美味しいか美味しくないか、よく分からないもの」

 そんな風にパペリカに関する会話を続けていた時だ、リベルテが声をあげたのは。

「あ! ミソカニさんから連絡が!」

 それまでウィクトルの方にばかり意識を向けていた私は、その声に驚いて、久しぶりにリベルテの方へと視線を移した。
 すると、彼が板状の機械を持っていることが判明。
 ミソカニにはリベルテの連絡先を渡していた。だからそこへ連絡が来た、ということなのだろう。

「……ミソカニとは、確か」
「この前の公演の主催者よ。劇場で知り合った人」
「あぁ。そうだったな」

 ウィクトルもミソカニのことは知っているはずだ。
 ただし、濃厚な交流はなかっただろうが。

「で? リベルテ、ミソカニさんは何て?」

 ミソカニから連絡が来るということは、公演関係で何か進展があったということなのだろう。聞かなくても、何となく想像はつく。いや、もちろん、ただ労いの言葉を伝えてきただけという可能性もゼロではないのだが。だとしても、それだけということはないだろう。ミソカニはそこそこ忙しいようだったから、連絡してくるというのは、何か用があったということに違いない。

「次の公演が決まった、と」
「え」

 リベルテの発言に、私は暫し言葉を失う。

 忙しいツアー公演が終わったことで、私は完全に油断していた。また公演が行われる可能性なんて、少しも想像してみなかったのだ。それゆえ、受けた衝撃は大きかった。公演が行われること自体は別段不快なことではないのだが、心の準備が間に合わない。

「……帝国、にて」

 数秒の間の後に、リベルテはそう付け加えた。

 信じられない。胸の内側にそんな気持ちが広がる。どこからともなく滲んできた感情は、体の内部を埋め尽くす。湧き出し襲いかかる感情からは、どう頑張っても逃げられない。

「て、帝国でやるの……?」
「そのようでございます」
「じゃあ、帝国へ戻らなくちゃならないってことよね!?」
「そうなりそうなものでございますが……」

 衝撃を受けたことによって焦りが生まれ、つい、次から次へと質問を口にしてしまう。

 帝国で公演というのはミソカニが言っていることであって、リベルテは無関係だ。だから、リベルテに色々聞いても意味がない——私とてそのくらいのことは理解しているつもりだ。それでも、疑問点を尋ねてしまうことを止めるのは難しい。

「帝国に戻るって……できるのかしら。それも……こっそり行くのじゃなくて、人前に出るわけでしょう。厄介ごとに巻き込まれたりしないかしら……」

 こんな時に限って、後ろ向きな言葉がするすと出てきてしまう。
 どうも乗り気にはなれない。

「参加可能でございますか? ウタ様」
「どういうこと」
「ミソカニさんに可能かどうか聞かれていますので」
「そういうことね! ……えぇと、でも、すぐには答えられそうにないわね」

 あの作品には私の存在が必要だ。参加を断るべきではないだろう。断ったりしたら迷惑以外の何物でもなくなってしまう。が、だからといって即座に前向きに考えることは難しい。ファルシエラでの活動ならすんなり参加を選べたのだろうが。
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