188 / 209
187話「ウィクトルの意外なタイミングの再会」
しおりを挟む
公演まであと数日、という頃に、私はキエル帝国へと移動することとなった。
ファルシエラに来てからもあちらへ行ったことはある。ただし、それはあくまでキエル帝国の領内に入ったことがあるという話であって、帝都へ行ったことがあるわけではない。
今や帝都は荒れた地だと聞く。
かつてのような仮面を付けた平和は、もはや消え去ったのだろう。
それが帝国にとって良いことであったか否かははっきりしない。少なくとも私には分からない。だが、その答えはいつか、歴史の中で証明されることとなるのだろう。結果的に良かったのか悪かったのかは、後の時代にならねば明らかにはならぬというものである。
「ウタさん、今日は一人で良かったノ?」
私は今、ミソカニとフリュイという顔触れと共に、一台の自動運転車に乗っている。
ウィクトルは結局私の公演を観に来ることを決めた。晴れ舞台を観ないわけにはいかない、とのことで。ただ、彼はキエル帝国内を自由に歩き回れる身分ではない。帝国で顔を露わにすることは極力避けたい、という立場。そこを上手くやるため、リベルテが彼に同行することとなった。
「はい。問題ありません」
ウィクトルと私なら、狙われる可能性が高いのはウィクトルだろう。
もっとも、シャルティエラがウィクトルを殺すことを諦めたから、もう危険ではないのかもしれないけれど。
「でもゥ……寂しくなァイ? 大抵誰かと一緒だったでショ?」
「それはそうです。けれど、今はミソカニさんがいて下さるので、問題ありません」
「あラ! それは嬉しい言葉ネ!」
ウィクトルのことはリベルテに任せ、私は公演のために帝国へ向かう。
それが効率的だ。
「はぁー。帝国、か……」
私とミソカニの会話が一旦落ち着いたちょうどそのタイミングで、フリュイはそんな言葉を漏らした。
ストレスマックスとでも言いたげな溜め息だ。
「お疲れなんですか? フリュイさん」
ハードな夜遊びでもしてきたのだろうか。
「最初この仕事を受けた時は、帝国に戻ることになるなんて思ってなかったんで」
「それはそうですよね。私もです。こんなことになるなんて、正直驚きでした」
「ウタさんも? やっぱりそうですか? ……じゃ、皆同じなんですね」
ウィクトルの方は順調に進んでいるのだろうか? 何もやらかすことなく帝国へ向かえているだろうか? 邪魔が入ったりしていないだろうか?
……ウィクトルに関しては、とにかく気になることが多い。
自動運転車に乗ること数時間、大きな箱を地面に置いたような外観の劇場に到着する。
広場のようになっている劇場の前の敷地に人はいない。ただ、ところどころに石の破片のようなものが転がって、妙な荒廃感が漂っている。以前来た時にはあった歌姫祭の垂れ幕も、今はない。
「一旦ここで降りまショ。中へ入っテ、確認をしテ」
「は、はい!」
自動運転車から降りると、懐かしい空気が肺を満たした。
何が懐かしいのか分からないが、この街の空気には物凄く懐かしさがある。言葉では上手く言い表せないけれど。でも、この空気は嫌いではない。
「フリュイくん、そこの荷物持ってってもらって構わないかしラ?」
「無茶ですよ。鞄三つもあります」
「えェー? 三つだけヨ! 持てないノ?」
「……まぁ、持てるところまでは持ちますよ」
車から降りる際、フリュイは荷物を持たされていた。
荷物がすずなりになってさすがに気の毒なので、鞄を一つ持つことでフリュイに協力した。
あぁ、懐かしい。
それが劇場のホールを見た時一番に湧いてきた言葉だ。
キエル帝国という環境にも人にも慣れないまま、導かれるようにたどり着いたこの場所。あの頃の私にとって、ここは異世界みたいだった。慣れない地という怖さはありながらも、希望を見出せるところ——それがこの場所だったのだ。
「どうしたんですか、ウタさん。そんなに舞台の方ばかり見て」
舞台袖から舞台の方を眺めていたら、フリュイに声をかけられた。
「あっ……す、すみません。変でしたよね……」
「いや、べつにいいんですけど」
「そ、そうなんですか? えーっと……」
「何だか、幕の向こうに幻でも見ているかのようで。不思議に思ったんです」
フリュイは遠い目をしながらそんなことを言った。
物ではない何かが彼には見えていたのかもしれない。
「……私、初めて舞台に立ったのが、ここのステージだったんです」
今でも鮮明に思い出せる。
薄暗い舞台袖に立ち、前の順番の人の出番を待つ、その間の緊張。舞台へ向かう途中の、目の奥まで焼けてしまいそうな強いライトの光。整然と並んだ客席の人々の顔。
「その時まで知りませんでした。舞台に立つ、なんてこと」
私は、あの時から、何か一つでも変わったのだろうか。成長できたのだろうか。経験だけなら色々してきた。でも、私はずっとあの頃のままなのではないかと、ふと心配になることもある。
「なるほど。それで舞台を見つめていたんですね」
「はい。そういうことです」
「始まりの地に帰ってくるって、どんな気分です?」
いきなりの問いに、すぐには答えられない。
「……あ、いや。深い意味はないんです。ただ……ふと気になって」
◆
ウタたちが劇場に到着していた、ちょうどその頃。
ウィクトルもまた、帝国入りしていた。
今や一人となった部下のリベルテを連れ、街中を歩く。
街は全体的に以前より活気がなかった。建物や看板はところどころ欠けていて、あちこちに戦いの爪痕が確かに残っている。見ているだけで体が痛くなってくるようなところもあるくらいだ。
「主、まだ歩けますか?」
「あぁ。問題ない」
「申し訳ございません……妙なルートになってしまって……」
店は半分ほどが開いていない。店だったと分かる程度の構えはあっても、閉店中のところが少なくなかった。これではもはや繁栄のキエル帝国などとは思えまい。
「いや、構わない。それより。ホテルは取ってあるのだったな?」
「はい。劇場の近くに」
「そうか。なら安心した。このまま順調に進めば……ウタくんの華やかな姿をこの目に焼き付けることができそうだ」
ここまでは順調だった。国境で止められることも回避できたし、ウィクトルがウィクトルであると気づかれることもなかった。問題は一つもなかった。
——その少年に会うまでは。
「えっ……ウィクトル、さん……?」
帝都が近づいてきた頃、一人の少年が、すれ違いざまにウィクトルの正体に気づいた。
彼は、ウィクトルのかつての部下だった。
「しっ! 黙って下さい!」
「……あ、あぁ、はい。すみません。でも……どうしてこんなところに?」
ファルシエラに来てからもあちらへ行ったことはある。ただし、それはあくまでキエル帝国の領内に入ったことがあるという話であって、帝都へ行ったことがあるわけではない。
今や帝都は荒れた地だと聞く。
かつてのような仮面を付けた平和は、もはや消え去ったのだろう。
それが帝国にとって良いことであったか否かははっきりしない。少なくとも私には分からない。だが、その答えはいつか、歴史の中で証明されることとなるのだろう。結果的に良かったのか悪かったのかは、後の時代にならねば明らかにはならぬというものである。
「ウタさん、今日は一人で良かったノ?」
私は今、ミソカニとフリュイという顔触れと共に、一台の自動運転車に乗っている。
ウィクトルは結局私の公演を観に来ることを決めた。晴れ舞台を観ないわけにはいかない、とのことで。ただ、彼はキエル帝国内を自由に歩き回れる身分ではない。帝国で顔を露わにすることは極力避けたい、という立場。そこを上手くやるため、リベルテが彼に同行することとなった。
「はい。問題ありません」
ウィクトルと私なら、狙われる可能性が高いのはウィクトルだろう。
もっとも、シャルティエラがウィクトルを殺すことを諦めたから、もう危険ではないのかもしれないけれど。
「でもゥ……寂しくなァイ? 大抵誰かと一緒だったでショ?」
「それはそうです。けれど、今はミソカニさんがいて下さるので、問題ありません」
「あラ! それは嬉しい言葉ネ!」
ウィクトルのことはリベルテに任せ、私は公演のために帝国へ向かう。
それが効率的だ。
「はぁー。帝国、か……」
私とミソカニの会話が一旦落ち着いたちょうどそのタイミングで、フリュイはそんな言葉を漏らした。
ストレスマックスとでも言いたげな溜め息だ。
「お疲れなんですか? フリュイさん」
ハードな夜遊びでもしてきたのだろうか。
「最初この仕事を受けた時は、帝国に戻ることになるなんて思ってなかったんで」
「それはそうですよね。私もです。こんなことになるなんて、正直驚きでした」
「ウタさんも? やっぱりそうですか? ……じゃ、皆同じなんですね」
ウィクトルの方は順調に進んでいるのだろうか? 何もやらかすことなく帝国へ向かえているだろうか? 邪魔が入ったりしていないだろうか?
……ウィクトルに関しては、とにかく気になることが多い。
自動運転車に乗ること数時間、大きな箱を地面に置いたような外観の劇場に到着する。
広場のようになっている劇場の前の敷地に人はいない。ただ、ところどころに石の破片のようなものが転がって、妙な荒廃感が漂っている。以前来た時にはあった歌姫祭の垂れ幕も、今はない。
「一旦ここで降りまショ。中へ入っテ、確認をしテ」
「は、はい!」
自動運転車から降りると、懐かしい空気が肺を満たした。
何が懐かしいのか分からないが、この街の空気には物凄く懐かしさがある。言葉では上手く言い表せないけれど。でも、この空気は嫌いではない。
「フリュイくん、そこの荷物持ってってもらって構わないかしラ?」
「無茶ですよ。鞄三つもあります」
「えェー? 三つだけヨ! 持てないノ?」
「……まぁ、持てるところまでは持ちますよ」
車から降りる際、フリュイは荷物を持たされていた。
荷物がすずなりになってさすがに気の毒なので、鞄を一つ持つことでフリュイに協力した。
あぁ、懐かしい。
それが劇場のホールを見た時一番に湧いてきた言葉だ。
キエル帝国という環境にも人にも慣れないまま、導かれるようにたどり着いたこの場所。あの頃の私にとって、ここは異世界みたいだった。慣れない地という怖さはありながらも、希望を見出せるところ——それがこの場所だったのだ。
「どうしたんですか、ウタさん。そんなに舞台の方ばかり見て」
舞台袖から舞台の方を眺めていたら、フリュイに声をかけられた。
「あっ……す、すみません。変でしたよね……」
「いや、べつにいいんですけど」
「そ、そうなんですか? えーっと……」
「何だか、幕の向こうに幻でも見ているかのようで。不思議に思ったんです」
フリュイは遠い目をしながらそんなことを言った。
物ではない何かが彼には見えていたのかもしれない。
「……私、初めて舞台に立ったのが、ここのステージだったんです」
今でも鮮明に思い出せる。
薄暗い舞台袖に立ち、前の順番の人の出番を待つ、その間の緊張。舞台へ向かう途中の、目の奥まで焼けてしまいそうな強いライトの光。整然と並んだ客席の人々の顔。
「その時まで知りませんでした。舞台に立つ、なんてこと」
私は、あの時から、何か一つでも変わったのだろうか。成長できたのだろうか。経験だけなら色々してきた。でも、私はずっとあの頃のままなのではないかと、ふと心配になることもある。
「なるほど。それで舞台を見つめていたんですね」
「はい。そういうことです」
「始まりの地に帰ってくるって、どんな気分です?」
いきなりの問いに、すぐには答えられない。
「……あ、いや。深い意味はないんです。ただ……ふと気になって」
◆
ウタたちが劇場に到着していた、ちょうどその頃。
ウィクトルもまた、帝国入りしていた。
今や一人となった部下のリベルテを連れ、街中を歩く。
街は全体的に以前より活気がなかった。建物や看板はところどころ欠けていて、あちこちに戦いの爪痕が確かに残っている。見ているだけで体が痛くなってくるようなところもあるくらいだ。
「主、まだ歩けますか?」
「あぁ。問題ない」
「申し訳ございません……妙なルートになってしまって……」
店は半分ほどが開いていない。店だったと分かる程度の構えはあっても、閉店中のところが少なくなかった。これではもはや繁栄のキエル帝国などとは思えまい。
「いや、構わない。それより。ホテルは取ってあるのだったな?」
「はい。劇場の近くに」
「そうか。なら安心した。このまま順調に進めば……ウタくんの華やかな姿をこの目に焼き付けることができそうだ」
ここまでは順調だった。国境で止められることも回避できたし、ウィクトルがウィクトルであると気づかれることもなかった。問題は一つもなかった。
——その少年に会うまでは。
「えっ……ウィクトル、さん……?」
帝都が近づいてきた頃、一人の少年が、すれ違いざまにウィクトルの正体に気づいた。
彼は、ウィクトルのかつての部下だった。
「しっ! 黙って下さい!」
「……あ、あぁ、はい。すみません。でも……どうしてこんなところに?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる