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186話「ウタのマネキン心理体験」
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「ちょっとちょっトォ! ウタさん、聞いタ!?」
練習開始から数日が経ったある日。
会うや否やミソカニがそんなことを言ってきた。
心当たりは特に何もなかった。だから余計に驚いた。いきなり凄まじい勢いで話しかけられるという状況なんて、ちっとも想像してみなかったから。
「え……。な、何ですか……?」
「なーに呑気なこと言ってるのヨゥ! 呑気過ぎヨ!」
ミソカニは一メートルも離れていないような位置までやって来て、首を伸ばして、ずいと頭を近づけてくる。私は思わず身を引いてしまう。ミソカニのことが嫌いだったわけではないが、いきなり接近されると下がらずにはいられなくて。
「帝都が荒れてるってニュース! まさか、見てないノ!?」
「そ、そうなんですか?」
「そうヨ! テレビで騒ぎになってたわヨゥ!」
肩を掴まれ、さらに、体を前後に揺さぶられる。
激しい。とにかく激しい。
「お、落ち着いて下さいっ。話は聞きますからっ。落ち着いて下さいっ」
必死に訴えると、ミソカニはようやく手を止めてくれた。
これがいつまでも続いたらそのうち首を痛めてしまいそうで、正直少し怖かった。
「へ、へぇー……。でも、世が穏やかでないと大変ですよね。公演に影響が出なければ良いですけど……」
ファルシエラにいる間は、帝国で何が起こっていようが困らない。害もない。だが、帝国での公演を控えていると、そう言ってもいられないのだ。何せ、最悪「公演ができない」なんてことにもなりかねないのだから。世は穏やかである方が良い。特に、今は。
「そうよネ! 心配しかないワ!」
ミソカニは二本の脚を交互に上下させて、不満を訴える子どものように足踏みする。
「公演はまだ先ですから、そんなに気にすることもないかもしれないですが……」
この世には、時が解決してくれる問題というのも多い。今はややこしいことになっていても私たちの公演が始まる頃には穏やかになっている、ということだって、あり得ないことではないのだ。
「えぇ、もちろんそれは分かってるノ。ただ、それでも、どうしても気にしてしまうノ」
「はい。それは理解できます」
「ヨネ!? 分かってくれル!?」
ミソカニはまたもや顔を近づけてくる。
彼の顔面は近くで見ると怖い。
「も、もちろん……です……」
「声が小さくなイ!?」
「もちろんですっ! 理解できますっ!!」
今できることは、練習することしかない。だから私はそれを続ける。公演がどうなるかなんて大して重要なことではないのだから。公演が行われた時にきちんと演じられるようにしておく、それが、現時点で私がすべきことだ。
時の流れというのは早いものだ。
そして、忙しければ忙しいほど、時の流れは加速してゆく。
退屈であれば、何もすることがなければ、時が経つのは遅い。だからなおさら退屈さを感じてしまう。それがこの世というもの。この世はそんな構造になっているのだ。
……誰がそれを定めたのかは知らないが。
ちなみに、今の私は後者ではなかった。日々用事があるからだ。練習やら何やらで慌ただしくしているから、みるみるうちに日が過ぎてゆく。ついこの前までは一ヶ月後であったはずの帝都公演が、気づけば来週に近づいてきている。
そして、今日は衣装の確認の日だ。
同行者はリベルテ。なぜ彼がついてきてくれているのかというと、彼が衣装担当だからだ。
「久々ネ! リベルテさン!」
「お久しぶりでございます、ミソカニさん」
リベルテとミソカニが直接会うのは久々のことだ。だが、社交的な二人が顔を合わせている様子を見ると、久々に会う二人だとは思えない。日々交流を続けている二人であるかのようだ。
「今日は衣装を持ってきてくれたのよネ?」
「はい! もちろんでございます!」
大きく頷き、リベルテは持ってきていた紙袋を差し出す。
「あラ! ありがトゥ!」
ミソカニは乙女のようにお茶目なウインクをする。
「……受け取られないのでございますか?」
「ウタさんに着てもらうのヨ!」
「そうでしたか! では、ウタ様に着せてみますね」
「よろしクゥ!」
まずは衣装を着てみる。
最初に身にまとうのは、冒頭部分で着用するあまり綺麗ではない方の衣装。
「どうでございましょうか? このままで問題なさそうでございましょうか?」
「そうネ……。うーん、もうちょっと模様があった方が良いかしラ」
「次の劇場は広いですからね。このままでは地味やもしれません。遠くから見ても目立つようなものに改善すべきかもしれないですね」
今や私はマネキンも同然だ。服を着た私を見ながら衣装について話し合うミソカニとリベルテはすっかり意気投合していて、残念ながら私が入っていく隙はない。マネキンはいつもこんな気分なのだろうか。
「大きい汚れを作ル? あるいは、煤が付いたような柄をつけるとカ?」
「そうでございますね……」
リベルテはそう言いながら服の裾を片手で掴む。
「この辺りに、焦げたような色を付け加えましょうか? そうすれば、雰囲気を崩さず少しは華やかになるかと思われるのでございますが……」
ミソカニとリベルテの衣装に関する話し合いは、それからも続いた。
冒頭部分で着る地味な方の衣装についての打ち合わせが終わると、次は別の衣装に着替える。華やかな方の衣装に着替えると、再び話し合いが始まる。
その間、私は何をするでもない。
時折体を回転させるくらいしか、私にできることはなかった。
「それにしてモゥ、この衣装は見事な作りネ! リベルテさんさすがだワ!」
ミソカニは片手を銃のような形にする。そして、バーンと、撃つようなアクションをした。
「リベルテと呼んで下さい」
「あラ! いいノ?」
「はい。その方がしっくりくるのでございます」
「オケイ! じゃ、そうするワ!」
なぜか急に呼び方の話題に。
ほんの十秒ほど、話題が衣装から離れた。
「デ、この辺なんだけドゥ……」
「はい。どう変えましょう?」
練習開始から数日が経ったある日。
会うや否やミソカニがそんなことを言ってきた。
心当たりは特に何もなかった。だから余計に驚いた。いきなり凄まじい勢いで話しかけられるという状況なんて、ちっとも想像してみなかったから。
「え……。な、何ですか……?」
「なーに呑気なこと言ってるのヨゥ! 呑気過ぎヨ!」
ミソカニは一メートルも離れていないような位置までやって来て、首を伸ばして、ずいと頭を近づけてくる。私は思わず身を引いてしまう。ミソカニのことが嫌いだったわけではないが、いきなり接近されると下がらずにはいられなくて。
「帝都が荒れてるってニュース! まさか、見てないノ!?」
「そ、そうなんですか?」
「そうヨ! テレビで騒ぎになってたわヨゥ!」
肩を掴まれ、さらに、体を前後に揺さぶられる。
激しい。とにかく激しい。
「お、落ち着いて下さいっ。話は聞きますからっ。落ち着いて下さいっ」
必死に訴えると、ミソカニはようやく手を止めてくれた。
これがいつまでも続いたらそのうち首を痛めてしまいそうで、正直少し怖かった。
「へ、へぇー……。でも、世が穏やかでないと大変ですよね。公演に影響が出なければ良いですけど……」
ファルシエラにいる間は、帝国で何が起こっていようが困らない。害もない。だが、帝国での公演を控えていると、そう言ってもいられないのだ。何せ、最悪「公演ができない」なんてことにもなりかねないのだから。世は穏やかである方が良い。特に、今は。
「そうよネ! 心配しかないワ!」
ミソカニは二本の脚を交互に上下させて、不満を訴える子どものように足踏みする。
「公演はまだ先ですから、そんなに気にすることもないかもしれないですが……」
この世には、時が解決してくれる問題というのも多い。今はややこしいことになっていても私たちの公演が始まる頃には穏やかになっている、ということだって、あり得ないことではないのだ。
「えぇ、もちろんそれは分かってるノ。ただ、それでも、どうしても気にしてしまうノ」
「はい。それは理解できます」
「ヨネ!? 分かってくれル!?」
ミソカニはまたもや顔を近づけてくる。
彼の顔面は近くで見ると怖い。
「も、もちろん……です……」
「声が小さくなイ!?」
「もちろんですっ! 理解できますっ!!」
今できることは、練習することしかない。だから私はそれを続ける。公演がどうなるかなんて大して重要なことではないのだから。公演が行われた時にきちんと演じられるようにしておく、それが、現時点で私がすべきことだ。
時の流れというのは早いものだ。
そして、忙しければ忙しいほど、時の流れは加速してゆく。
退屈であれば、何もすることがなければ、時が経つのは遅い。だからなおさら退屈さを感じてしまう。それがこの世というもの。この世はそんな構造になっているのだ。
……誰がそれを定めたのかは知らないが。
ちなみに、今の私は後者ではなかった。日々用事があるからだ。練習やら何やらで慌ただしくしているから、みるみるうちに日が過ぎてゆく。ついこの前までは一ヶ月後であったはずの帝都公演が、気づけば来週に近づいてきている。
そして、今日は衣装の確認の日だ。
同行者はリベルテ。なぜ彼がついてきてくれているのかというと、彼が衣装担当だからだ。
「久々ネ! リベルテさン!」
「お久しぶりでございます、ミソカニさん」
リベルテとミソカニが直接会うのは久々のことだ。だが、社交的な二人が顔を合わせている様子を見ると、久々に会う二人だとは思えない。日々交流を続けている二人であるかのようだ。
「今日は衣装を持ってきてくれたのよネ?」
「はい! もちろんでございます!」
大きく頷き、リベルテは持ってきていた紙袋を差し出す。
「あラ! ありがトゥ!」
ミソカニは乙女のようにお茶目なウインクをする。
「……受け取られないのでございますか?」
「ウタさんに着てもらうのヨ!」
「そうでしたか! では、ウタ様に着せてみますね」
「よろしクゥ!」
まずは衣装を着てみる。
最初に身にまとうのは、冒頭部分で着用するあまり綺麗ではない方の衣装。
「どうでございましょうか? このままで問題なさそうでございましょうか?」
「そうネ……。うーん、もうちょっと模様があった方が良いかしラ」
「次の劇場は広いですからね。このままでは地味やもしれません。遠くから見ても目立つようなものに改善すべきかもしれないですね」
今や私はマネキンも同然だ。服を着た私を見ながら衣装について話し合うミソカニとリベルテはすっかり意気投合していて、残念ながら私が入っていく隙はない。マネキンはいつもこんな気分なのだろうか。
「大きい汚れを作ル? あるいは、煤が付いたような柄をつけるとカ?」
「そうでございますね……」
リベルテはそう言いながら服の裾を片手で掴む。
「この辺りに、焦げたような色を付け加えましょうか? そうすれば、雰囲気を崩さず少しは華やかになるかと思われるのでございますが……」
ミソカニとリベルテの衣装に関する話し合いは、それからも続いた。
冒頭部分で着る地味な方の衣装についての打ち合わせが終わると、次は別の衣装に着替える。華やかな方の衣装に着替えると、再び話し合いが始まる。
その間、私は何をするでもない。
時折体を回転させるくらいしか、私にできることはなかった。
「それにしてモゥ、この衣装は見事な作りネ! リベルテさんさすがだワ!」
ミソカニは片手を銃のような形にする。そして、バーンと、撃つようなアクションをした。
「リベルテと呼んで下さい」
「あラ! いいノ?」
「はい。その方がしっくりくるのでございます」
「オケイ! じゃ、そうするワ!」
なぜか急に呼び方の話題に。
ほんの十秒ほど、話題が衣装から離れた。
「デ、この辺なんだけドゥ……」
「はい。どう変えましょう?」
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