奇跡の歌姫

四季

文字の大きさ
197 / 209

196話「開花の暁」

しおりを挟む
 開演まで、あと五分。

 もうじき幕は上がる。

 前回までより少しだけ汚れの模様が増えた最初のワンピースを身にまとい、ほんの少しだけ明かりのある舞台袖で待機する。

 これまでの公演よりずっと広い劇場で始まる物語。果たして上手くいくのかどうか、今はまだ分からない。
 始まりの地で花を咲かせられるのか、という、奇妙な疑問が脳内を満たす。が、それでも、私はただ前へ進むのみ。結局人にはそれしかできないのだろう。

 開演まで、あと四分。

 周囲にはあまり面識のないスタッフ数名のみ。ミソカニもフリュイも、既にそれぞれの持ち場につき、近くにはいない。

 開演まで、あと三分。

 スタッフ同士が「客席が埋まっている」といった内容を小声で話しているのを耳にした。
 ここの劇場の席数はファルシエラにいくつもある劇場のそれよりずっと多いけれど、空いているということはないらしい。

 開演まで、あと二分。

 芸術とは、平和の上に成り立つもの。それゆえ、平和な国ではないキエル帝国で成功させるにはかなりの努力が必要になる。いつの日か、ミソカニがそんなことを言っていたことを、今でも覚えている。

 ところで、ウィクトルは来たのだろうか?

 結局彼が来たかどうかは分からないままだ。けれども、公演が始まれば、きっと分かる。彼らは、下手側の前の方の席を取っていたはずだから。

 開演まで、あと一分。

 もうすぐ幕が上がることを告げるブザー音が響き渡るのが、こちらにまで聞こえてくる。

「ウタさん。もうすぐです」
「あ、はい。ありがとうございます」

 舞台に出る直前、私は近くにいたスタッフと一言だけ話した。

 客席から聞こえてきていたざわめきが消える。舞台上は暗い。きっと客席も暗くなっているのだろう。開始の合図と共に、私は舞台へ歩き出す。闇の中へ、吸い込まれるかのように。


『村を悲劇が襲った。それがその娘の絶望の記憶だった』

 フリュイの朗読が静かに響く中、私はひたひたと歩く。
 舞台袖を旅立ってすぐ眼球だけで確認したが、ウィクトルたちは来ていないようだ。下手側の前の方に、仲良く二つ並んだ空席があった。

『その悲劇は多くの者の生命を奪った。娘の肉親も、くれないに焼かれる』

 暗闇の中、炎を思わせるような赤い光だけが揺らめく。

 こんな感じで問題ないのだろうか?
 ウィクトルはいつ来るのだろう?

 そんな疑問たちも、舞台上ではすべて消え去る。

『何もない。すべてが闇に消える。——だが娘は、世に未練はなかった』

 そう、私も未練なんてなかった。彼女と同じで。灰になることも、水になることも、あの頃の私にとってはたいしたことではなかった。けれど今は、この命を躊躇いなく投げ捨てることはできないだろう。抱いていたいもの、触れていたいもの、そういうものが増え過ぎたから。

『もはや彼女に考える力は残されていない……』

 冒頭部分がもうすぐ終わるという、その時。
 私は暗い客席に確かに見た——ウィクトルの姿を。

「え……」

 一階後方の扉が僅かに開いて、隙間から、案内係の女性と共に彼が顔を覗かせたのだ。

 しかも、偶然か必然か、視線が重なった。遠く離れているにもかかわらず。


 絶望の中での出会い。出会いから開く才能の花。才能に導かれ道を歩く。
 そして、物語が終わりに近づくにつれ、彼女の中の絶望は希望へと変貌する。

「響く歌、遠くから聴こえてくる、希望の声」

 彼女は立つ。舞台に、人々の前に。美しいドレスをまといながら。そして、母譲りの歌声で、見るものたちを魅了するのだ。

「移ろう季節には、今の私、とどまらず」

 思えば、最初は歌うことだけでも緊張していた。母が歌っていることにしよう、なんて考えて、自分を自分でないと考えることで緊張を緩和させようとしていた。

 でも、今はもう怖くない。
 私は私として歌える。

「流れる川のせせらぎが、穢れ落としてゆくでしょう」

 本当なら、この晴れ舞台を母にも見せたかった。
 ここまでたどり着いたことを、誇ってほしかった。

「ゆらり、ゆれる、水面映し出した、夢の歌」

 でもそれはできない。
 叶わない夢。

 けれど、今はそれでもいい。

「響く歌、遠くから聴こえてくる、希望の声」

 歌を聴いてほしい人がいる。
 歌を求めてくれる人がいる。

 その二つがあれば、私は歌い続けられる。

「終わりなき物語の果て、幸せな明日が待ってなくても……」

 公演の最後の歌は、歌うたび、訳もなく切なくなる。それは今までもそうだった。緊張して、早く終わってほしいと思っていた時ですら、もうすぐ幕が降りると思うと複雑な心境になってしまっていた。そして、緊張の度合いが多少控えめになった今でも、その切なさは変わらない。

「歩いてきた旅路、君はいつか振り返り——出会ったすべての人たちに、『ありがとう』言えるでしょう」

 母もいつか、この歌を、こんな風に歌ったのだろうか。
 そんなことをたまに考えたりする。

「いつか、またね、手を振ろう過ぎゆく昨日には」

 ドレスについた飾りが光を受けて煌めく。夜空の星のように。

「日向へと伸ばす手に、触れるものが涙でも」

 腕の動き。脚の動き。つま先の向き。すべてが流れのままに行く。

「永遠に寄り添い生きてゆくわ、闇へと続く道と知っていても——」

 踊りなんて得意ではなかったけれど、今は、軽くなら舞える。
 大空を見据え飛び立つ鳥のように。大海を泳ぎ回る魚のように。舞台上では私は自由。

「遥か未来、生まれ落ちた、誰かが未来作るの」

 この歌の間、朗読はない。台本に文章がないからである。ただ、フリュイの役目が終わったというわけではない。この歌の後、まだ少しだけ述べる文章がある。フリュイからすれば、この一曲の間というのは、何とも言えない時間だろう。

「今私が、見てる世界、明日へ続くわ」

 私がフリュイだったら、歌を聴いている間の時間が微妙に辛いかもしれない。

「夢のまた夢、どこか遠い場所で、鳴る鐘は……未来の始まりを告げるもの、水面に映った新たな世界」

 そしてラストの一行へと向かう。

「響く歌、遠くから聴こえてくる、幸せが」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ギルド回収人は勇者をも背負う ~ボロ雑巾のようになった冒険者をおんぶしたら惚れられた~

水無月礼人
恋愛
 私は冒険者ギルド職員ロックウィーナ。25歳の女で担当は回収役。冒険者の落し物、遺品、時には冒険者自体をも背負います!  素敵な恋愛に憧れているのに培われるのは筋肉だけ。  しかし無駄に顔が良い先輩と出動した先で、行き倒れた美形剣士を背負ってから私の人生は一変。初のモテ期が到来です!!  ……とか思ってウハウハしていたら何やら不穏な空気。ええ!?  私の選択次第で世界がループして崩壊の危機!? そんな結末は認めない!!!! ※【エブリスタ】でも公開しています。  【エブリスタ小説大賞2023 講談社 女性コミック9誌合同マンガ原作賞】で優秀作品に選ばれました。

異世界の花嫁?お断りします。

momo6
恋愛
三十路を過ぎたOL 椿(つばき)は帰宅後、地震に見舞われる。気付いたら異世界にいた。 そこで出逢った王子に求婚を申し込まれましたけど、 知らない人と結婚なんてお断りです。 貞操の危機を感じ、逃げ出した先に居たのは妖精王ですって? 甘ったるい愛を囁いてもダメです。 異世界に来たなら、この世界を楽しむのが先です!! 恋愛よりも衣食住。これが大事です! お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑) ・・・えっ?全部ある? 働かなくてもいい? ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です! ***** 目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃) 未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。

サトシ先生は美しき十代の乙女に手を出さない

白神ブナ
恋愛
高校一年一学期から三年三学期まで続く長編です。気になるサブタイトルを見つけて途中からでもお楽しみいただけます。 女子校あるあると、先生あるある、受験あるあるを描く学園恋愛ドラマ。 佐藤サトシは30歳の独身高校教師。 一度は公立高校の教師だったが心が折れて転職し、私立白金女子学園にやって来た。 一年A組の受け持つことになったサトシ先生。 その中の一人、桜井美柑はガチでサトシ先生に恋してしまった。 サトシ先生は、桜井美柑という生徒の存在を意識してしまいつつ、あくまで職務に忠実であろうと必死に適度な距離を保とうとするが……

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

貴方だけが私に優しくしてくれた

バンブー竹田
恋愛
人質として隣国の皇帝に嫁がされた王女フィリアは宮殿の端っこの部屋をあてがわれ、お飾りの側妃として空虚な日々をやり過ごすことになった。 そんなフィリアを気遣い、優しくしてくれたのは年下の少年騎士アベルだけだった。 いつの間にかアベルに想いを寄せるようになっていくフィリア。 しかし、ある時、皇帝とアベルの会話を漏れ聞いたフィリアはアベルの優しさの裏の真実を知ってしまってーーー

宿敵の家の当主を妻に貰いました~妻は可憐で儚くて優しくて賢くて可愛くて最高です~

紗沙
恋愛
剣の名家にして、国の南側を支配する大貴族フォルス家。 そこの三男として生まれたノヴァは一族のみが扱える秘技が全く使えない、出来損ないというレッテルを貼られ、辛い子供時代を過ごした。 大人になったノヴァは小さな領地を与えられるものの、仕事も家族からの期待も、周りからの期待も0に等しい。 しかし、そんなノヴァに舞い込んだ一件の縁談話。相手は国の北側を支配する大貴族。 フォルス家とは長年の確執があり、今は栄華を極めているアークゲート家だった。 しかも縁談の相手は、まさかのアークゲート家当主・シアで・・・。 「あのときからずっと……お慕いしています」 かくして、何も持たないフォルス家の三男坊は性格良し、容姿良し、というか全てが良しの妻を迎え入れることになる。 ノヴァの運命を変える、全てを与えてこようとする妻を。 「人はアークゲート家の当主を恐ろしいとか、血も涙もないとか、冷酷とか散々に言うけど、 シアは可愛いし、優しいし、賢いし、完璧だよ」 あまり深く考えないノヴァと、彼にしか自分の素を見せないシア、二人の結婚生活が始まる。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

処理中です...