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204話「リベルテの主人関連への鋭さ」
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一瞬滝にも見えるような大きさの噴水の前へたどり着く。
ウィクトルは驚いているようだった。目を豪快に開き、瞳を震わせている。言葉はないが、きっと何かしら感じてくれているのだろう。
飛沫をあげながら重力に従い上から下へ。噴き上げられてもなお、自然の摂理に抗わず上から下へ。形を様々に変えつつも、摂理に抗うことは決してせずに動く。
そんな水が好き。
美しく幻想的だから好きなの。
いつか彼と一緒に噴水を眺めたいと思っていた。生命の芽吹きのように宙へ突き上げられる水を、一番大切な人と見上げたいと考えていた。
その望みは叶った。
特別な日ではないし、特別な舞台もない。
ただ、それでも望みは叶ったのだ。
「……星の、ようだな」
しばらく無言で噴水を見つめていたウィクトルが発した第一声は、そんなものだった。
予想外にロマンチックな言葉が出てきて、私は正直驚かずにはいられなかった。彼がこんなことを言うなんて、と、意外だと思わずにはいられない。
「意外だわ。貴方からそんな言葉が出てくるなんて」
呟くように述べる。
今の私には、それ以外に言えることがなくて。
「どういう意味だ」
噴水と水の飛沫に見入っていたウィクトルが視線を動かす。琥珀のような瞳から放たれる視線は、見事に、私の顔面へと刺さった。風景を眺めていた時とは違う、強さのある視線だ。
「あ。べつに、変な意味じゃないのよ」
「意外だったということか」
「えぇ、そんな感じ。貴方がロマンチックなことを言うのが意外だったの」
その時になってようやく本当の気持ちを口にすることができた。
「なるほど。ま、そうかもしれんな。私には似合わない」
「一応言っておくけれど、駄目ってことではないのよ?」
「あぁ、分かっている。似合わない、というだけなのだろう」
「まぁ……簡単に言えばそんな感じかしら」
私の迂闊な発言で彼が傷ついたりしたら大問題。それゆえ、話している間ずっと彼の顔色を窺っていたのだが、今のところ傷ついている様子はない。ただ会話している、という感じであって。
傷つけたり不快にしたりすることだけは、何とか回避できているらしい。
「ねぇウィクトル。あっちの噴水を見に行かない?」
「これだけではないのか」
「そうなの! あっちには、もっとべつの噴水もあるのよ」
ホーションの街は何度も一人で歩いてきた。どこに何があるかはある程度理解できている。商店一つ一つまではさすがに知らないけれど、噴水のことならかなり詳しくなっているはずだ。
「それも美しいのか」
「迫力はこれが一番かもしれないわ。規模的に。でも、他のも素敵よ」
穏やかな日差しの下で噴水について語り合う。
あぁ、なんて平和なのだろう。
「おすすめの噴水を紹介してくれ」
「そうねー……じゃあこっち!」
「待て待て。速い。歩くのが速い」
いくつもの困難を乗り越え、ようやく手に入れた穏やかな日々。もうずっと手放したくない。
こんな暮らしがいつまでも続いてほしい。幸せがいつまで続いてほしい。
——それが、それだけが、今の私の願い。
「ウタ様と主は噴水を見に外出なさっていたのでございますね」
その日の夕方、帰宅するとリベルテが迎えてくれた。
彼の迎えにももう慣れた。かつては母親以外が迎えてくれると多少違和感も覚えたものだが、今はもう何も思わない。違和感も欠片ほども感じない。どころか、逆に、リベルテが迎えてくれることが普通になりつつある。
「あぁ。ウタくんに色々習った」
「何だかとても嬉しそうでございますね、主」
ウィクトルのリベルテへの接し方は何も特別なものではない。帝国にいた頃と大差ない、と言ってもおかしくはないだろう。それほどに過去と変わっていない。
だが、リベルテはウィクトルに少々変化を感じているようである。
私にはよく分からないのだが、リベルテには分かる違いがあるのだろうか? そして、リベルテがウィクトルの変化にそこまで鋭いのは、長い間主人を近くで見守ってきたからなのだろうか?
「そうだな。新鮮な経験だった」
「ふふ。やはり。主は今とてもお幸せなのでございますね」
リベルテは全身から包容力を噴き出させつつ会話している。
表情、動作、そのすべてが聖母のようだ。
……いや、彼は男性であって……聖母という表現は、根本的に不自然なのだろうが……ただ、聖母という言葉がなぜかしっくりきすぎてしまうのである。
「敢えて言うな、リベルテ」
ウィクトルは少しばかり恥ずかしそうな顔をする。
妻にしたいと述べる時でさえ恥じらっていなかったというのに、幸せと言われるのは恥ずかしいのか。どうやら、彼の中の恥じらいの物差しは常人のそれとは違っているようだ。
「なぜでございますか?」
「……まったく、妙なところに知能を使うな」
「知能を? まさか! リベルテは妙なことは致しませんよ?」
リベルテは小悪魔的な少女のように笑っている。
「あぁ、もういい。それより茶をくれないか」
「はい! 承知致しました!」
小悪魔的な少女のように笑うリベルテも、主人への忠実さでは日頃のリベルテと何一つとして変わらないようだ。頼まれた瞬間、お茶を淹れるべく流しの方へと歩き出した。
「ウタくん、部屋に入ろうか」
「そうね。でもその前に手を洗ってもいい?」
少しの外出なら洗わないこともあるが、私は基本帰宅時には手を洗うタイプだ。だがそれは、幼い頃見た母親がそうしていたからであって、手洗いの習慣を自ら発明したわけではない。
「構わないが、なぜ」
「土で汚れちゃったからよ」
「なるほど。では私も同じだな。ついでに私も洗うとしよう」
「そうね! それがいいわ」
その後、私はウィクトルと共に手洗い場へ移動。一番は譲ってもらえた。おかげで、ゆっくり水で流せたし、石鹸も乾いているものを使えた。それは小さな幸運だった……気がする。
ウィクトルは驚いているようだった。目を豪快に開き、瞳を震わせている。言葉はないが、きっと何かしら感じてくれているのだろう。
飛沫をあげながら重力に従い上から下へ。噴き上げられてもなお、自然の摂理に抗わず上から下へ。形を様々に変えつつも、摂理に抗うことは決してせずに動く。
そんな水が好き。
美しく幻想的だから好きなの。
いつか彼と一緒に噴水を眺めたいと思っていた。生命の芽吹きのように宙へ突き上げられる水を、一番大切な人と見上げたいと考えていた。
その望みは叶った。
特別な日ではないし、特別な舞台もない。
ただ、それでも望みは叶ったのだ。
「……星の、ようだな」
しばらく無言で噴水を見つめていたウィクトルが発した第一声は、そんなものだった。
予想外にロマンチックな言葉が出てきて、私は正直驚かずにはいられなかった。彼がこんなことを言うなんて、と、意外だと思わずにはいられない。
「意外だわ。貴方からそんな言葉が出てくるなんて」
呟くように述べる。
今の私には、それ以外に言えることがなくて。
「どういう意味だ」
噴水と水の飛沫に見入っていたウィクトルが視線を動かす。琥珀のような瞳から放たれる視線は、見事に、私の顔面へと刺さった。風景を眺めていた時とは違う、強さのある視線だ。
「あ。べつに、変な意味じゃないのよ」
「意外だったということか」
「えぇ、そんな感じ。貴方がロマンチックなことを言うのが意外だったの」
その時になってようやく本当の気持ちを口にすることができた。
「なるほど。ま、そうかもしれんな。私には似合わない」
「一応言っておくけれど、駄目ってことではないのよ?」
「あぁ、分かっている。似合わない、というだけなのだろう」
「まぁ……簡単に言えばそんな感じかしら」
私の迂闊な発言で彼が傷ついたりしたら大問題。それゆえ、話している間ずっと彼の顔色を窺っていたのだが、今のところ傷ついている様子はない。ただ会話している、という感じであって。
傷つけたり不快にしたりすることだけは、何とか回避できているらしい。
「ねぇウィクトル。あっちの噴水を見に行かない?」
「これだけではないのか」
「そうなの! あっちには、もっとべつの噴水もあるのよ」
ホーションの街は何度も一人で歩いてきた。どこに何があるかはある程度理解できている。商店一つ一つまではさすがに知らないけれど、噴水のことならかなり詳しくなっているはずだ。
「それも美しいのか」
「迫力はこれが一番かもしれないわ。規模的に。でも、他のも素敵よ」
穏やかな日差しの下で噴水について語り合う。
あぁ、なんて平和なのだろう。
「おすすめの噴水を紹介してくれ」
「そうねー……じゃあこっち!」
「待て待て。速い。歩くのが速い」
いくつもの困難を乗り越え、ようやく手に入れた穏やかな日々。もうずっと手放したくない。
こんな暮らしがいつまでも続いてほしい。幸せがいつまで続いてほしい。
——それが、それだけが、今の私の願い。
「ウタ様と主は噴水を見に外出なさっていたのでございますね」
その日の夕方、帰宅するとリベルテが迎えてくれた。
彼の迎えにももう慣れた。かつては母親以外が迎えてくれると多少違和感も覚えたものだが、今はもう何も思わない。違和感も欠片ほども感じない。どころか、逆に、リベルテが迎えてくれることが普通になりつつある。
「あぁ。ウタくんに色々習った」
「何だかとても嬉しそうでございますね、主」
ウィクトルのリベルテへの接し方は何も特別なものではない。帝国にいた頃と大差ない、と言ってもおかしくはないだろう。それほどに過去と変わっていない。
だが、リベルテはウィクトルに少々変化を感じているようである。
私にはよく分からないのだが、リベルテには分かる違いがあるのだろうか? そして、リベルテがウィクトルの変化にそこまで鋭いのは、長い間主人を近くで見守ってきたからなのだろうか?
「そうだな。新鮮な経験だった」
「ふふ。やはり。主は今とてもお幸せなのでございますね」
リベルテは全身から包容力を噴き出させつつ会話している。
表情、動作、そのすべてが聖母のようだ。
……いや、彼は男性であって……聖母という表現は、根本的に不自然なのだろうが……ただ、聖母という言葉がなぜかしっくりきすぎてしまうのである。
「敢えて言うな、リベルテ」
ウィクトルは少しばかり恥ずかしそうな顔をする。
妻にしたいと述べる時でさえ恥じらっていなかったというのに、幸せと言われるのは恥ずかしいのか。どうやら、彼の中の恥じらいの物差しは常人のそれとは違っているようだ。
「なぜでございますか?」
「……まったく、妙なところに知能を使うな」
「知能を? まさか! リベルテは妙なことは致しませんよ?」
リベルテは小悪魔的な少女のように笑っている。
「あぁ、もういい。それより茶をくれないか」
「はい! 承知致しました!」
小悪魔的な少女のように笑うリベルテも、主人への忠実さでは日頃のリベルテと何一つとして変わらないようだ。頼まれた瞬間、お茶を淹れるべく流しの方へと歩き出した。
「ウタくん、部屋に入ろうか」
「そうね。でもその前に手を洗ってもいい?」
少しの外出なら洗わないこともあるが、私は基本帰宅時には手を洗うタイプだ。だがそれは、幼い頃見た母親がそうしていたからであって、手洗いの習慣を自ら発明したわけではない。
「構わないが、なぜ」
「土で汚れちゃったからよ」
「なるほど。では私も同じだな。ついでに私も洗うとしよう」
「そうね! それがいいわ」
その後、私はウィクトルと共に手洗い場へ移動。一番は譲ってもらえた。おかげで、ゆっくり水で流せたし、石鹸も乾いているものを使えた。それは小さな幸運だった……気がする。
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