奇跡の歌姫

四季

文字の大きさ
204 / 209

203話「ウタの噴水愛」

しおりを挟む
 あぁ、何てことだろう。妻にしたいだなんて言われて。

 嬉しいことは嬉しいけれど、いざ面と向かって言われるとどう対応すれば良いのか分からない。まず何から考えれば良いのか、これからどんな風に接すれば良いのか、人生経験が豊富でない私には色々難しすぎる。

 こんな時、母が近くにいてくれたら。
 相談に乗ってくれたなら。

 過去に未練は抱かず生きていこうと思っているのに、どうしても、ついそんなことを考えてしまう。

 母がこんな話を聞いたら怒る?
 嫌な顔をする?

 知り合いでなかったとはいえかつて娘を狙い自身を殺めた男が娘を選んだなんて知ったら、理解できないと嘆くだろうか。

 この状況を母がどう思っているかは気になるところだ。だが、もはやその答えを知ることは不可能。死者の心を聞くことはできないのだから。だから、何もかもすべて、想像で補うしかない。

 私が喜んでいるところを見れば、母はきっと嬉しく思ってくれるだろう。
 温かな瞳で見守ってくれるはずだ。

 ……いや、それらは全部私の勝手な想像かもしれない。自分にとって都合が良いことだけを考えた結果かもしれない。こんな都合の良いこと、ただの妄想でしかないという可能性だって皆無ではないのだ。


「ウタくん」

 窓の外を眺めていたら、ウィクトルが声をかけてきた。
 彼の声を聞いたことで私は正気を取り戻す。というのも、窓の外の景色を眺めている時はぼんやりしてしまっていたのだ。訳もなく、妙な世界に入り込んでしまっていた。

「あ……ウィクトル。どうしたの? 何か用?」

 私は慌てて彼の方へと視線を向ける。

「この前のこと、あまり気にするな」

 ウィクトルは外出するつもりなのか上着を羽織っている最中。
 ちなみに、その黒いジャケットは数日前にリベルテが調達してきたものである。これからは外出する機会も増えるだろう、と言って、リベルテが勝手に用意してきたのだ。

「え。な、何のことかしら」
「君を妻にしたいと言ったことだ」

 そのまま言うのね!? と内心驚きつつも、平静を装う。

「あ、あぁ……そのこと……」

 どう反応すれば良いか分からず、曖昧でおかしなことしか述べることができない。

「あれ以来、君はぼんやりしていることが多い。やはり唐突過ぎたようだな。それについては謝罪する。そして、今ここで付け足そう。深く考え過ぎなくていい、と」

 少し光沢のある生地のジャケットの袖に両腕を通し終えたウィクトルは、落ち着いた調子で長文を放つ。

「心配させてしまっていたの? だったらごめんなさい」
「いや。ただ少し気になっただけだ」
「気にかけてくれてありがとう。でも大丈夫よ。ちょっと戸惑いがあっただけのことだわ」

 会話とは関係ないことだが、ウィクトルとジャケットは相性が良かった。
 実際着るのは二度目のはずなのに、もう完璧に着こなしている。こうも自然な感じなのは、いつも身にまとっていた黒だからだろうか。
 彼はとにかく黒が似合う。それも漆黒。闇のようなその色が、彼を一番魅力的に見せる。

「ところでウィクトル。今からどこかへ行くの?」

 ふと思い尋ねてみる。

「あぁ。少し街を歩いてこようかと」

 答えを聞くまで確信はなかったが、私の予想は間違っていなかったようだ。

「私も行くわ」
「……同行するのか?」
「駄目かしら」
「いや、駄目ではない」

 曖昧な言い方をするのね、なんて言いたい気分。
 でも、いかにも嫌みみたいになってしまうので、それは言わないでおいた。
 重要でなく険悪な空気にしてしまうかもしれないようなことを敢えて言う必要なんて、何一つとして存在しない。

「ありがとう! じゃあすぐに用意するわね」
「急がなくていい。待つ」

 直前までは外出しようなんて欠片ほども考えていなかった。でも、彼が出掛けるというのなら話は別。せっかくの機会だ、一緒に出掛けたい。


「ホーションは噴水が綺麗よね! 見るのが楽しみだわ」

 準備はすぐに終わり、ウィクトルと家を出る。
 空はまだ明るい。この辺りでありがちな曇り空も今日は存在しない。いや、曇り空どころか厚い雲の欠片さえ視界に入りはしないのだ。また、降り注ぐ日差しは穏やかで優しく、心を包み込んでくれるかのよう。

「噴水が好きだな、君は」
「えぇ! 好きよ! だって夢があるじゃない」

 ファルシエラへ来てからは静かに暮らせたかれど、自由に外出はできなかった。それはウィクトルが自由に動き回ることができなかったからだ。美しい風景、ロマンチックな噴水、どれも二人で見ることはできなかった。

 でも、今はもう自由自在。
 何も気にせず、風をきって歩ける。

 どんな長雨もいつかは止むと言うが——今まさに、その言葉の意味を実感している。

「夢? 噴水に、か?」
「えぇ。ウィクトルは好きじゃないの?」
「好きでも嫌いでもない」
「そう……でもきっと好きになるわ。もうすぐ、ね」

 ホーションは石畳の少々古そうな雰囲気が素敵な街。けれども、当然、それ以外にも魅力的な点はある。その代表が噴水だ。あちらこちらに配置されている様々な形の噴水。それは見る者を魅了する。

「そんなに美しいのか?」

 ウィクトルはこの街の噴水の魅力を知らないらしく、私の発言を信じきれていないような顔をしている。

 じっくり見たことがないのだ。仕方ない。
 ただ、私には確信がある。彼も一度見れば好きになる、という確信が。

「えぇ。感動的よ」
「なるほど。それは見てみたい」

 そんな風に言葉を交わしつつ、隣り合って歩く。
 女神が撫でてくれているかのような心地良い風がたまに吹き抜ける。

「戦いも終わったし、ゆーっくり堪能しましょ」
「あぁ、そうだな」

 このまま歩けばじきに噴水を目にすることとなるだろう。そうすれば、きっと彼にも私の言葉の意味が分かる。見る前には理解できなかったことも、目にしさえすれば理解できるはず。

 今は、彼が噴水を目にする瞬間が楽しみだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...