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203話「ウタの噴水愛」
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あぁ、何てことだろう。妻にしたいだなんて言われて。
嬉しいことは嬉しいけれど、いざ面と向かって言われるとどう対応すれば良いのか分からない。まず何から考えれば良いのか、これからどんな風に接すれば良いのか、人生経験が豊富でない私には色々難しすぎる。
こんな時、母が近くにいてくれたら。
相談に乗ってくれたなら。
過去に未練は抱かず生きていこうと思っているのに、どうしても、ついそんなことを考えてしまう。
母がこんな話を聞いたら怒る?
嫌な顔をする?
知り合いでなかったとはいえかつて娘を狙い自身を殺めた男が娘を選んだなんて知ったら、理解できないと嘆くだろうか。
この状況を母がどう思っているかは気になるところだ。だが、もはやその答えを知ることは不可能。死者の心を聞くことはできないのだから。だから、何もかもすべて、想像で補うしかない。
私が喜んでいるところを見れば、母はきっと嬉しく思ってくれるだろう。
温かな瞳で見守ってくれるはずだ。
……いや、それらは全部私の勝手な想像かもしれない。自分にとって都合が良いことだけを考えた結果かもしれない。こんな都合の良いこと、ただの妄想でしかないという可能性だって皆無ではないのだ。
「ウタくん」
窓の外を眺めていたら、ウィクトルが声をかけてきた。
彼の声を聞いたことで私は正気を取り戻す。というのも、窓の外の景色を眺めている時はぼんやりしてしまっていたのだ。訳もなく、妙な世界に入り込んでしまっていた。
「あ……ウィクトル。どうしたの? 何か用?」
私は慌てて彼の方へと視線を向ける。
「この前のこと、あまり気にするな」
ウィクトルは外出するつもりなのか上着を羽織っている最中。
ちなみに、その黒いジャケットは数日前にリベルテが調達してきたものである。これからは外出する機会も増えるだろう、と言って、リベルテが勝手に用意してきたのだ。
「え。な、何のことかしら」
「君を妻にしたいと言ったことだ」
そのまま言うのね!? と内心驚きつつも、平静を装う。
「あ、あぁ……そのこと……」
どう反応すれば良いか分からず、曖昧でおかしなことしか述べることができない。
「あれ以来、君はぼんやりしていることが多い。やはり唐突過ぎたようだな。それについては謝罪する。そして、今ここで付け足そう。深く考え過ぎなくていい、と」
少し光沢のある生地のジャケットの袖に両腕を通し終えたウィクトルは、落ち着いた調子で長文を放つ。
「心配させてしまっていたの? だったらごめんなさい」
「いや。ただ少し気になっただけだ」
「気にかけてくれてありがとう。でも大丈夫よ。ちょっと戸惑いがあっただけのことだわ」
会話とは関係ないことだが、ウィクトルとジャケットは相性が良かった。
実際着るのは二度目のはずなのに、もう完璧に着こなしている。こうも自然な感じなのは、いつも身にまとっていた黒だからだろうか。
彼はとにかく黒が似合う。それも漆黒。闇のようなその色が、彼を一番魅力的に見せる。
「ところでウィクトル。今からどこかへ行くの?」
ふと思い尋ねてみる。
「あぁ。少し街を歩いてこようかと」
答えを聞くまで確信はなかったが、私の予想は間違っていなかったようだ。
「私も行くわ」
「……同行するのか?」
「駄目かしら」
「いや、駄目ではない」
曖昧な言い方をするのね、なんて言いたい気分。
でも、いかにも嫌みみたいになってしまうので、それは言わないでおいた。
重要でなく険悪な空気にしてしまうかもしれないようなことを敢えて言う必要なんて、何一つとして存在しない。
「ありがとう! じゃあすぐに用意するわね」
「急がなくていい。待つ」
直前までは外出しようなんて欠片ほども考えていなかった。でも、彼が出掛けるというのなら話は別。せっかくの機会だ、一緒に出掛けたい。
「ホーションは噴水が綺麗よね! 見るのが楽しみだわ」
準備はすぐに終わり、ウィクトルと家を出る。
空はまだ明るい。この辺りでありがちな曇り空も今日は存在しない。いや、曇り空どころか厚い雲の欠片さえ視界に入りはしないのだ。また、降り注ぐ日差しは穏やかで優しく、心を包み込んでくれるかのよう。
「噴水が好きだな、君は」
「えぇ! 好きよ! だって夢があるじゃない」
ファルシエラへ来てからは静かに暮らせたかれど、自由に外出はできなかった。それはウィクトルが自由に動き回ることができなかったからだ。美しい風景、ロマンチックな噴水、どれも二人で見ることはできなかった。
でも、今はもう自由自在。
何も気にせず、風をきって歩ける。
どんな長雨もいつかは止むと言うが——今まさに、その言葉の意味を実感している。
「夢? 噴水に、か?」
「えぇ。ウィクトルは好きじゃないの?」
「好きでも嫌いでもない」
「そう……でもきっと好きになるわ。もうすぐ、ね」
ホーションは石畳の少々古そうな雰囲気が素敵な街。けれども、当然、それ以外にも魅力的な点はある。その代表が噴水だ。あちらこちらに配置されている様々な形の噴水。それは見る者を魅了する。
「そんなに美しいのか?」
ウィクトルはこの街の噴水の魅力を知らないらしく、私の発言を信じきれていないような顔をしている。
じっくり見たことがないのだ。仕方ない。
ただ、私には確信がある。彼も一度見れば好きになる、という確信が。
「えぇ。感動的よ」
「なるほど。それは見てみたい」
そんな風に言葉を交わしつつ、隣り合って歩く。
女神が撫でてくれているかのような心地良い風がたまに吹き抜ける。
「戦いも終わったし、ゆーっくり堪能しましょ」
「あぁ、そうだな」
このまま歩けばじきに噴水を目にすることとなるだろう。そうすれば、きっと彼にも私の言葉の意味が分かる。見る前には理解できなかったことも、目にしさえすれば理解できるはず。
今は、彼が噴水を目にする瞬間が楽しみだ。
嬉しいことは嬉しいけれど、いざ面と向かって言われるとどう対応すれば良いのか分からない。まず何から考えれば良いのか、これからどんな風に接すれば良いのか、人生経験が豊富でない私には色々難しすぎる。
こんな時、母が近くにいてくれたら。
相談に乗ってくれたなら。
過去に未練は抱かず生きていこうと思っているのに、どうしても、ついそんなことを考えてしまう。
母がこんな話を聞いたら怒る?
嫌な顔をする?
知り合いでなかったとはいえかつて娘を狙い自身を殺めた男が娘を選んだなんて知ったら、理解できないと嘆くだろうか。
この状況を母がどう思っているかは気になるところだ。だが、もはやその答えを知ることは不可能。死者の心を聞くことはできないのだから。だから、何もかもすべて、想像で補うしかない。
私が喜んでいるところを見れば、母はきっと嬉しく思ってくれるだろう。
温かな瞳で見守ってくれるはずだ。
……いや、それらは全部私の勝手な想像かもしれない。自分にとって都合が良いことだけを考えた結果かもしれない。こんな都合の良いこと、ただの妄想でしかないという可能性だって皆無ではないのだ。
「ウタくん」
窓の外を眺めていたら、ウィクトルが声をかけてきた。
彼の声を聞いたことで私は正気を取り戻す。というのも、窓の外の景色を眺めている時はぼんやりしてしまっていたのだ。訳もなく、妙な世界に入り込んでしまっていた。
「あ……ウィクトル。どうしたの? 何か用?」
私は慌てて彼の方へと視線を向ける。
「この前のこと、あまり気にするな」
ウィクトルは外出するつもりなのか上着を羽織っている最中。
ちなみに、その黒いジャケットは数日前にリベルテが調達してきたものである。これからは外出する機会も増えるだろう、と言って、リベルテが勝手に用意してきたのだ。
「え。な、何のことかしら」
「君を妻にしたいと言ったことだ」
そのまま言うのね!? と内心驚きつつも、平静を装う。
「あ、あぁ……そのこと……」
どう反応すれば良いか分からず、曖昧でおかしなことしか述べることができない。
「あれ以来、君はぼんやりしていることが多い。やはり唐突過ぎたようだな。それについては謝罪する。そして、今ここで付け足そう。深く考え過ぎなくていい、と」
少し光沢のある生地のジャケットの袖に両腕を通し終えたウィクトルは、落ち着いた調子で長文を放つ。
「心配させてしまっていたの? だったらごめんなさい」
「いや。ただ少し気になっただけだ」
「気にかけてくれてありがとう。でも大丈夫よ。ちょっと戸惑いがあっただけのことだわ」
会話とは関係ないことだが、ウィクトルとジャケットは相性が良かった。
実際着るのは二度目のはずなのに、もう完璧に着こなしている。こうも自然な感じなのは、いつも身にまとっていた黒だからだろうか。
彼はとにかく黒が似合う。それも漆黒。闇のようなその色が、彼を一番魅力的に見せる。
「ところでウィクトル。今からどこかへ行くの?」
ふと思い尋ねてみる。
「あぁ。少し街を歩いてこようかと」
答えを聞くまで確信はなかったが、私の予想は間違っていなかったようだ。
「私も行くわ」
「……同行するのか?」
「駄目かしら」
「いや、駄目ではない」
曖昧な言い方をするのね、なんて言いたい気分。
でも、いかにも嫌みみたいになってしまうので、それは言わないでおいた。
重要でなく険悪な空気にしてしまうかもしれないようなことを敢えて言う必要なんて、何一つとして存在しない。
「ありがとう! じゃあすぐに用意するわね」
「急がなくていい。待つ」
直前までは外出しようなんて欠片ほども考えていなかった。でも、彼が出掛けるというのなら話は別。せっかくの機会だ、一緒に出掛けたい。
「ホーションは噴水が綺麗よね! 見るのが楽しみだわ」
準備はすぐに終わり、ウィクトルと家を出る。
空はまだ明るい。この辺りでありがちな曇り空も今日は存在しない。いや、曇り空どころか厚い雲の欠片さえ視界に入りはしないのだ。また、降り注ぐ日差しは穏やかで優しく、心を包み込んでくれるかのよう。
「噴水が好きだな、君は」
「えぇ! 好きよ! だって夢があるじゃない」
ファルシエラへ来てからは静かに暮らせたかれど、自由に外出はできなかった。それはウィクトルが自由に動き回ることができなかったからだ。美しい風景、ロマンチックな噴水、どれも二人で見ることはできなかった。
でも、今はもう自由自在。
何も気にせず、風をきって歩ける。
どんな長雨もいつかは止むと言うが——今まさに、その言葉の意味を実感している。
「夢? 噴水に、か?」
「えぇ。ウィクトルは好きじゃないの?」
「好きでも嫌いでもない」
「そう……でもきっと好きになるわ。もうすぐ、ね」
ホーションは石畳の少々古そうな雰囲気が素敵な街。けれども、当然、それ以外にも魅力的な点はある。その代表が噴水だ。あちらこちらに配置されている様々な形の噴水。それは見る者を魅了する。
「そんなに美しいのか?」
ウィクトルはこの街の噴水の魅力を知らないらしく、私の発言を信じきれていないような顔をしている。
じっくり見たことがないのだ。仕方ない。
ただ、私には確信がある。彼も一度見れば好きになる、という確信が。
「えぇ。感動的よ」
「なるほど。それは見てみたい」
そんな風に言葉を交わしつつ、隣り合って歩く。
女神が撫でてくれているかのような心地良い風がたまに吹き抜ける。
「戦いも終わったし、ゆーっくり堪能しましょ」
「あぁ、そうだな」
このまま歩けばじきに噴水を目にすることとなるだろう。そうすれば、きっと彼にも私の言葉の意味が分かる。見る前には理解できなかったことも、目にしさえすれば理解できるはず。
今は、彼が噴水を目にする瞬間が楽しみだ。
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