エンジェリカの王女

四季

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92話 「彼女は敵だ」

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 悪魔が攻めてきたことを知らせに来てくれたツヴァイと、緊迫した空気が流れる中で話していた。

 直後、カシャァンと甲高い音をたてて部屋の窓ガラスが割れた。もはや原型を留めていないぐらい粉々に。
 突然のことで呆気にとられていると、そこからコウモリに似た小型の悪魔が大量になだれ込んできた。気持ち悪いぐらいの多さ。目視で数えてみたところ五十匹——いや、百匹はいる。

 エリアスは即座に私を庇うように前へ出た。
 聖気をまとった長槍で小型の悪魔たちを一気に追い払う。奇跡的に残った悪魔も、二振り程度で完全に消滅させた。雑魚悪魔相手なら余裕か。

「親衛隊が片づけるのではなかったのか」

 光の速さで悪魔をすべて消滅させたエリアスは、ツヴァイを冷ややかに睨む。
 まるで敵を見るような目。長い睫が威圧感を加える。私が向けられたら失神してしまいそうな、そんな目つきだ。

「まさか……嘘を言ったのではないだろうな。もしそうなら容赦はしない」

 エリアスはツヴァイのことを疑っているらしく、長槍の鋭い尖端をツヴァイへ向ける。数秒で首を落とせそうな位置に尖端が待機する。
 武器を向けられ慌てて「嘘じゃないっす」と否定するツヴァイに、エリアスはねっとりとした疑惑の視線を送る。
 まぁ、ツヴァイが親衛隊が片づけると言った後の襲撃だもの、疑ってしまうのも無理はないわ。エリアスはそもそも最初からツヴァイをあまり信用していないみたいだし。

 私はツヴァイを疑ってはいないけれど、エリアスを制止するほどではない。このまま放っておいても、エリアスは根拠もなくツヴァイを殺めたりはしないはずだ。少しでも戦力がほしいこの状況下なので尚更。

 そんなことを思って様子を見ていると、青ざめたレクシフが走ってきた。かなり全力疾走したのか、呼吸が荒れ肩が上下している。
 親衛隊員でも呼吸が乱れたりするのか、と少し意外だった。

「おー、レクシフ。どうした?」

 ツヴァイは軽く片手を上げ、いつものように挨拶の仕草をする。

「どうしたではありません! 親衛隊が……ほぼ壊滅しました」

 ——壊滅?

 エンジェリカ中から選りすぐりの強い天使を集めている親衛隊だ。普通の天使では入隊するのすら不可能に近しいと言われている。その親衛隊がやられたなど何かの間違いではないだろうか。例えば誰かが流した悪質な噂とか。
 とにかく、そんなこと、ありえるわけがない。いくらカルチェレイナでも親衛隊員全員に同時にかかられて勝てるほど強くはないだろう。この世にそんな者がいるとすれば化け物だ。

 だから、私たちはただ愕然とする外なかった。

「……まじかよ」

 やがて沈黙を破りツヴァイが漏らす。さすがの彼もいつものように軽いノリではいられなかったようだ。

「カルチェレイナたちがこちらへ向かってきます」

 ようやく呼吸が整ったレクシフが報告する。

 彼の報告によれば、主力はやはり三人らしい。カルチェレイナと、ヴィッタとルッツ。それは予測の通りである。
 しかしまだ信じられない。あれだけの戦闘力を誇る親衛隊が「ほぼ壊滅」だなんて。


「……え?」


 刹那、何かが一瞬煌めいた。そして大爆発が起こる。近くにいたヴァネッサが覆いかぶさるように私を抱き締める。

 鼓膜を突き破るような轟音、飛び散るあらゆる物の破片。煙の匂いが漂う。
 私が目を開けた時、部屋は半壊していた。

 そして、むこうから歩いてくる影が目に入る。

「キャハッ! こっぱみじーん!」

 一番に聞こえてきたのはヴィッタの甲高い声。一言聞いて彼女だとすぐに分かった。

 エリアスは鋭い表情になり長槍を構える。

「わざわざ来てあげたわよ」

 水色の長い髪、彫刻のように均整のとれた顔立ち、そこに浮かぶ不気味さすら感じさせる笑み。人間離れした容姿の彼女は間違いなくカルチェレイナだった。

「天界に来るのは初めてだったものだから、ルッツがいなければ今日中に着けないところだったわ」

 ……方向音痴なのかな?

 だが今はそんなことを考えているほどの余裕はない。一歩誤ればいつ殺されてもおかしくない状況なのだ。

「エンジェリカの王女……決着をつけましょう。今日あたしは貴女を殺す。その忌々しい力諸共王女を消し去って、四百年に渡る憎しみを晴らす」

 カルチェレイナの唇から溢れる言葉は、もう四百年前のエンジェリカの王女への憎しみではなくなっていた。彼女は今、私を憎む対象としているのだと分かった。
 彼女が持つ、ずっとやり場のなかった憎しみという感情の矛先は、私に向いている。彼女はもう普通の友達だった頃のようには笑ってくれないだろう。

「……さぁ。あたしの復讐の幕開けよ」

 向けられたのは、憎しみに満ちた黄色い瞳。彼女はもう二度と私をアンナとしては見てくれないのね。
 私は心のどこかで無意識にまだ信じようとしていたのかもしれない。「話せば分かってくれるかも」と。

 だが今はもう微塵もそうは思わない。

 彼女は——敵だ。
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