MELODIST!!

すなねこ

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#011 Requiem Ⅳ

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上海・24歳女性「そろそろ還暦を迎える父親の事が心配です。でも格闘家である彼の事を家族全員…私も誇りに思っています。なので、彼が無事に帰って来れるようなおまじないがあれば是非教えてください」



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 玥は6歳まで山間の小さな集落に住んでいた。
 父、母、妹との4人暮らしで、両親は農業で生計を立てていた。
 その集落に土石流が流れ込んだのは、1週間にも及ぶ長雨で歴史的な降水量を記録した時だった。
 集落に住む人間の8割が土砂に巻き込まれて命を落とし、玥の家族も彼女を残してこの世を去っていた。

 救助され、施設に預けられた玥だったが一度に家族全員を失った心の傷は深く、何も手に付かない日々が続く。
 そんな彼女に手を差し伸べたのがラウであった。

 ラウ自身も事故で両親を失っており、そんな彼の元には多くの孤児が引き取られ衣食住を共にしていた。
 格闘家としてそこそこの戦績を残していたラウであったが、食べ盛り育ち盛りの子供達を多く育てる事は経済的に厳しい面もあったという。
 しかし、子供達の笑顔を守るのが自分の役目だと言いながらファイトマネーで何とか暮らしを繋いでいった。
 子供達は皆、もう一度家族の暖かさの中で暮らせるように自分達を引き合わせてくれたラウに感謝し、絶大な信頼を寄せて慕っていた。玥もその一人である。


 引き取られた当時、玥は年齢的に一番末の子であったが、月日が経つにつれて自分よりも小さな子供達の面倒を見る立場となっていた。
 妹がいたこともあり、面倒見の良い彼女にはラウも信頼を置いていた。

 格闘家としてのラウは強く、勇ましく、相手への敬意も忘れること無く、後輩たちから慕われる兄貴分であった。
 彼が年齢を重ねて身体に鞭を打ちつつ試合に立つ理由を周囲のレスラー達は知っていた。その為、試合を見に来る子供達と遊んであげたり、菓子を差し入れたりと、協力的な者が殆どであった。

 後輩にも観客にも愛され、競技人生を謳歌するラウ。家では日々優しく時には厳しく、本当の親のように接してくれたラウは、血の繋がりなど関係無しに玥にとっての大事な家族であった。


 だから、先日の試合で趙海明に怪我を負わせながら獣のように襲い掛かるラウが自分達の知る彼とは全く事なる異質の存在に見えて、玥達は恐怖した。
 狂気に満ちたその表情を恐れたのではない。折角取り戻す事ができた家族という形が壊れてしまう事が怖かったのだ。
 どんな姿になっても、ラウは玥や子供達にとってたった一人の大切な父親なのである。

 だから玥は、ラウを必ず家に連れ戻さねばならなかった。


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 まるで大きな岩がぶつかる様に、鉄格子に何度も身体を打ち付けながら唸るのは、福音ゴスペルによる災厄の影響で精神に異常を来したラウであった。
 先日の公式戦後、ラウは獣を捉えておく頑丈な鉄格子の檻に閉じ込められ、鎮静剤を打たれ無理矢理眠らされていた。
 彼が幽閉されている場所、それは武闘賭博の開催されているスタジアムの地下3階。主催者であるサム・ツェーファとその近しい関係者だけが鍵を所有している巨大な倉庫の中である。

 第1戦に赴く前の状態確認のため、サムが数人の側近と面の男を率いてその倉庫に姿を現した。
「おうおう、可哀想になぁ……」
その言葉とは反対に、サムはニチャリと笑いながら葉巻の煙を格子越しにラウに吹きかけた。
「地上に運んでおけ。噛み殺されるなよ」
サムの合図で側近達が鉄格子を囲い、ジャッキを使って檻を持ち上げ始めた。すると、檻の左右で高さのバランスがズレた瞬間にラウが暴れ出し、鈍い音と共に鉄格子が倒れる。
 すかさず麻酔銃を構えた側近を見て、半面の男が腕を前に出して静止させる。
「今寝かせたら試合に間に合わないでしょ。ほら、連れてきて」
半面の男が手を叩くと、後方に控えていたスーツの男が一人の女を檻の前に引き摺り出す。手にはクラリネットが握られていた。
「ほら、吹いて吹いて」
面の男に促された女は、恐る恐るリードを喰んだ。その様子を見た瞬間、サムを始めその場にいた全員が素早く完全遮音仕様のイヤーマフを装着した。
 福音ゴスペルの演奏が始まると、それまで暴れていたラウが嘘のように鎮まる。そして、血が滲み出る程歯を食いしばった彼は、サムを睨み付けた。
「お前だけは……絶対に許さない…ッ!」
ハァハァと息を切らしながらも何とか言葉を発したラウを見て、サムはゲラゲラと大声で笑った。
「ガハハハハッ!何か言ったか!?何も聞こえんなぁ!!」
 大人しくなったラウの檻に再び側近たちが近づくと、手際よく台車の上に移し替えていく。そして黒い布を被せて彼を倉庫から運び出した。

 女の演奏を止め、イヤーマフを外した半面の男に続いてサムも気怠そうにそれを外す。
「やはり元よりフィジカルに特化した人間は禁断症状で暴れ出すと手が付けられないですな。オーケストラをこちらのスタジアムに移しておいて正解でした」
「フンッ…いちいちコレをつけさせられるこっちの身にもなれ」
首にぶら下げていたイヤーマフを半面の男に寄越したサム。不機嫌な彼の様子を見て、半面の男は飄々とした態度でそれを突き返した。
福音ゴスペルは薬物同様、聴く度に禁断症状の程度が酷くなっていきますからね。またどの場面で演奏させるかわかりませんから」

ニタリと怪しい笑みを向けた面の男は、相変わらず食えない奴という印象をサムに抱かせ続けていた。


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 第一試合、両手にナックルを装着した選手と巨大な牛刀を持ち込んだ選手の闘いは、ものの5分程度で決着がついていた。
 開始数秒のこと、ナックルから繰り出される素早い右の拳が、上段から振り下ろされた牛刀の軌道を逸らし地面にめり込ませ、その隙に左の拳が顎の骨を砕く。
 そして白眼を剥いた牛刀の選手に馬乗りになると、何度も顔面に鉄拳が振り下ろされた。勝敗は生死のみで決まるこの戦い、頭蓋骨陥没と脳挫傷によって相手選手の命が尽きるまで5分間を要した。

 VIP席のモニターで試合を観戦していた京哉達は、胸糞悪い物を見たと顔を歪ませる。耐性の無い様子の李は吐きそうになり、慌ててトイレに駆け込んでいた。

「うわぁー…生々し…。綺麗な映像流せよ、精神衛生上良くないだろ、コレ」
「観客は全員大喜びだけどな。シェリーは大丈夫か?」
麗慈の呼び掛けに、京哉はシェリーが未成年の少女であることを思い出して彼女の方を振り返った。
 モニターを囲むようにコの字に配置されたソファの端で、試合の様子を観ながら部屋に備え付けのクッキーをボリボリと貪っている。
「え?何が?」
キョトンとした表情でアイスコーヒーを啜り始めたシェリーに、二人は「いや、何でもない」と声を揃えて返す。

「でも、選手側はよく引き受けたよな、こんなデスマッチ。負けたら死ぬとか、普通嫌なんですけど」
フルートのキーをポスポスと押さえながら呟く京哉に、奥の椅子に腰掛けていたレンが口を開いた。

「登録選手の殆どが超が付く重大犯罪を犯した死刑囚か終身刑が決まってる奴だと聞いたがの。優勝すれば免罪と生涯裕福な暮らしを保証するっちゅうのを条件に参加しとる奴が多いそうだ」
「どうせ死ぬならワンチャンって思ってるんだろうな…それなら死ぬ気で戦うしWin-Winって訳か」

 凶悪犯罪者同士に殺し合いをさせるという形式のせいで、その後ろ盾となっているスポンサーも観客も心を痛めないらしい。
 まさしく無法地帯と呼ぶに相応しいこの大会で9回も優勝し続けたラウだけが、正真正銘の格闘家だったのだ。
 のし上がってきた悪を、正義のヒーローが下すという構図もこの武闘賭博の民衆人気に拍車をかけているようだった。

「そういう事なら、僕もやりやすいね」
悪人なら遠慮しないで良い、と言った京哉はローテーブルに置かれていたタブレット端末を手に取る。
 言語設定を英語に変更した画面には、身体検査を行った場所のゲート前で目にした対戦表が表示されている。

「僕の対戦相手は楊彬瞬ヤンビンシュン…連続幼女暴行殺人事件の犯人。家の前で女児を誘い、自宅に連れ込んであらゆる暴行をはたらいた後、生きたまま浴槽に沈めて殺害……死体を床下に遺棄するという手口で、合計35人を殺害している…という具合の外道らしい」


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 屋根の下だというのに太陽の日差しのように照りつける光は、一辺50メートルはあろうかという巨大な一枚岩で出来たリングを囲む照明器具。
 この日最後の試合は、オッズの高低差が一番大きい試合として注目を浴びていた。

「誰だよ、リュー・イーソウって?何の事件で逮捕された奴だ?」
「調べたけど出てこねーな。緑一色しか」

観客達は、多くの罪のない子供を身勝手に殺した凶悪犯よりも得体の知れない新参者を気味悪がっている様子であった。

 用意された白い漢服を纏った京哉は手にフルートを持っていた。選手入場口からリングへと向かっていった彼を見たスタッフ等は、皆訝しげな表情をしている。
 一枚岩のリングは近付く程その巨大さを実感する。高層ビルの窓清掃に使用するゴンドラで岩の上まで登って行くと、それまでの試合で出来た血溜まりがそのままになっていた。

 リングの反対側から登ってきた男の手には軽機関銃が抱えられている。
 楊彬瞬は中肉中背の中年男で、刑務所生活が長かった所為なのか見た目年齢の割には白髪の割合が大きいように思えた。
 丸眼鏡をかけた一見大人しそうな男であるが、京哉は事前の情報で彼の犯した重罪について把握している。

『それでは参りましょう!赤コーナー、重慶の悪魔と呼ばれ欲望のままに幼い命を奪い続けた男!楊彬瞬ーーっ!!』

司会が何やら騒いでいるな、と思いつつ京哉はフルートを構えてリッププレートの上に下唇を乗せた。

『青コーナー、彼は一体何者なんだ!全てが謎の男、リュー・イーソウーーっ!!』

ドローンカメラが京哉の正面に飛来するとその羽がもたらす風で彼の前髪が浮き上がる。露わになった右眼を隠すようにレンズに向かってウインクした彼の姿を見て、VIPルームではシェリーと麗慈のブーイングが響いていた。


 審判がリングの上に登場し、マイクを構える。
「本日の最終戦を始めます。両者用意……」

ゴングが鳴り、観客が一気に湧き上がった。

 楊は開始早々、京哉に向かって機関銃のトリガーを引く。ダカダカとけたたましい銃声と、カラカラと甲高い薬莢の散らばる音が混ざり合う。
 京哉の足元から青白い光がリング全体を駆け抜けると、楊が放った銃弾はドロドロと溶けて岩肌に貼り付いていった。

『ある意味注目を集めているリュー選手ですが…リング上では何が起こっているのでしょうか?これだけの弾を放たれているにも関わらず、未だに被弾していない様子ですね』
放送席で実況している女が目を凝らす。
『私も初めて見ました…彼が持っているのは楽器…フルートでしょうか?演奏していますが、音も聞こえませんし、どういうことなのでしょうか?』
解説役の男も首を傾げている。


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 機関銃が弾切れを起こして静まると、楊はそれをリングの血溜まりに投げ捨てて腰ベルトにぶら下げていたケースからアーミーナイフを取り出す。
 楊の動きを見た京哉はフルートを太刀に変形させ、軽く跳躍して大きな血溜まりを飛び越えながらリングの対岸へと近付いた。

『おっと!接近戦に切り替える様子です!楊選手のナイフに対してリュー選手はフルートでどう…ん!?あれは日本刀でしょうか!?いつの間に武器を持ち替えたのか!』
放送席と観客席にどよめきが起こる。
 旋律師メロディストの能力を目の前で見ていた楊が一番混乱していた。音の鳴らないフルートと青白い光、そして突如現れた太刀の姿。それらは彼の頭の中で全く繋がらない為、情報を整理する事ができずに初動が遅れる。

 しかし、楊の動きが鈍くなったのはその所為だけではなかった。脚を前に動かそうとした楊に激痛が走る。
 前方から迫り来る京哉に注意しながら、一瞬足元を確認すると、細長く伸びた槍のような金属が足の甲を貫通し地面の岩から離れられないように縫い付けられている。
 楊の後方の地面からは、針山の様な鋭い槍状の金属が彼に照準を向けて無数に伸びている。京哉が散らばっている薬莢を変形させたものだった。

「っ…ひぃっ……!!何だコレ!!」
慌ててしゃがみ込んだ楊の首筋に、突如冷たい金属が触れた。
 恐る恐る首を上げると、京哉がもう目の前に立っており太刀を頸動脈に添わせている。スッと笑顔が消え真顔になると、太刀を空中に放り投げた。そして、楊の両肩を掴み、彼の顔面に膝を入れて後方に仰け反らせる。バランスを崩して無防備になった楊の脇腹に、思い切り振り切った右脚でサッカーのシュートの如く勢いのある蹴りを食らわせた。
 地面に縫い付けられた足の甲は、後方に仰向けでドカっと倒れ込んだ楊自身の体重で無理矢理引っ張られる形となり、京哉の作り出した鉄の糸によって筋や骨、皮膚を引き千切られる。楊のダイブした後方の血溜まりに、彼の両足から流れ出す血が混ざっていった。
 息も絶え絶えに悲鳴をあげる楊は、無表情のまま顔を覗き込む京哉を睨み付けた。
「何強がってんだよ?早く命乞いしろよ……テメェが殺しまくった幼女みたいに……さっ!」
手元に落下してきた太刀の柄を握って下段から振り上げ、先端で楊の手首を跳ね飛ばす。手首から噴き出る血の量に、楊はパニック状態になった様子だった。
 四つん這いになり、赤ん坊のハイハイのようにゴンドラの方に向かって地面に蹲る。


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 血の轍を作りながら逃げようとする楊の両サイドから、薬莢で作られた槍が勢いよく彼の元に吸い込まれていった。
 腕と脚にそれらが突き刺さり、再び楊の悲鳴がリング上に響くと、会場全体が息を呑むように静まり返った。
「たっ…助けてくれ!刑務所に戻るよ…こんな大会俺には向いてなかったんだ!頼む!殺さないでくれ!」
情けなく命乞いをする楊は針山の餌食になり身動きが取れない。そこに、ゆっくりと歩み寄ってきた京哉は四つん這いになる彼の目の前にしゃがみ込んでニコリと笑い掛けた。彼には楊が何を言っているのかサッパリわからないだろうが、状況的に理解はできているのだろう。
 手に握っていた太刀は青白い光を放ち、花弁状に空中を舞ってフルートの形に戻る。漢服の袖にそれを仕舞う様子を見た楊は、命乞いに成功したのだと口元に笑みを見せる。
「生きたまま浴槽に沈めたんだよな、アンタ」
京哉から発せられた日本語を聞いて、楊は意味がわからずポカンとしていた。
「殺さないでくれと泣いて懇願した子供の声なんて無視してさぁ」
楊の髪を鷲掴みにした京哉は、その場に立ち上がると彼の体を槍から引き抜き始めた。傷口から血が吹き出し、白い漢服は返り血で汚れていくが気にする様子はない。
 全ての槍が抜けた楊を引き摺りながらリングの中央に戻ると、髪から手を離して背中を蹴り、地面に転がす。そして、顔が下になるようにして後頭部をグリグリと足で押さえ付けた。
 楊が顔を埋めているのは、敗れ去った者達の血で出来た水溜り。苦しそうに踠く楊の様子に、京哉は押さえ付ける力を強めていく。
 徐々に抵抗しなくなっていった楊は窒息し、手足は力なく地面に放り出された。得体の知れない京哉の攻撃に警戒して少し離れた所に立っていたレフェリーが駆け寄り、楊の状態を確認する。そして、右手を挙げてマイクに向かって叫んだ。

「しょっ…勝者、リュー・イーソウ選手!」


 その瞬間、静まり返っていた会場が突然湧き出したように盛り上がり、割れんばかりの人々の歓声が耳を劈く。京哉はその歓声に答えるように、目の前に飛来したドローンカメラに手を振って笑顔を見せた。

『驚きの戦いでしたね…えー、スタッフの調べによりますとリュー選手ですが、音エネルギーを武力転用する技術を持つ人間なのでは…との事ですが』
『他の選手とは全く毛色の違う戦いを見せてくれそうですね。これからに注目の選手です』


 鳴り止まないリュー・イーソウコールを背に受けながら、満足げな表情の京哉はゴンドラに乗ってリングを後にした。


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 VIPルームのモニターに映る京哉の姿に、半面の男は目を細めていた。
「あれが旋律師メロディストという奴か…成程、厄介だな」
葉巻を蒸すサムは半面の男にそう話し掛ける。
「まぁ、あのナリですから、奇妙な技を使わせる前に腕を折ってしまえば問題ないでしょう。いざとなれば、ラウの耳に埋め込んだイヤーモニターからオーケストラの生音を流し込んで強化させましょう」
手をパンと叩いた面の男は、それよりもと付け加えて手元の端末の映像をサムに差し出す。
「…これがどうした?」
そこに映し出されていたのは、観客席に座る玥の姿だった。サムの反応を見てニヤリと笑った半面の男は、端末を小脇に戻す。
福音ゴスペルによる副作用で、限界を超えた使い方をしたラウ・チャン・ワンの身体はこの大会を終える頃には使い物にならなくなるでしょう…。絶対王者の伝説は、10年連続優勝という記録と共に幕を閉じ、あなた様は新たな王者を探す必要があります」
 リミッターを外した状態で骨や筋肉に掛かる負荷は相当なものであろう。それに加えて、還暦近いラウの身体ではこのままの状態が続けば命さえ危ない。
「あの男に拾われた子供達は、間違いなく楯突くでしょうねぇ。後輩の格闘家達に慕われていたラウの子供達ですから、あなた様に関するあらぬ噂などを流されれば有力選手の獲得に時間が掛かるやもしれませんな」
半面の男の言葉に暫く考え込んだサムだったが、鼻を鳴らしながら脚を組み替えて返す。
「それは面倒だな。殺すしかない」
「ええ、その通りです。そしてただ殺すのも味気ない。ラウがとりわけ気に入っていたあの娘、父親の伝説の最後を飾る最高の演出材料になってもらいましょう」
嬉しそうにパチパチと手を叩いて笑う半面の男は、自分の部下達に合図を送り部屋から退出させた。
 不気味さを通り越して狂気すら感じる半面の男の思考に、サムはつくづくこの男が味方に付いていることに安堵の表情を見せる。

 そこに、サムの側近が歩み寄り跪く。
首領ボス…こちらをご覧ください。本日動いた払い戻し金額についてですが…」


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 そっと時計型端末の画面を覗き込んだシェリーは小首を傾げた。
 オッズ120倍という脅威の配当率で京哉の勝利に789万ドルもの大金を誤って賭けていた彼女。彼女の端末に繋がる銀行口座を所有していたレンとしては、生きるか死ぬかの一大事であった。
 本大会での配当ルールは特殊であった。観客側はその日行われる試合の中で1試合を選択し、勝つと予想される選手に好きな金額を賭ける。負ければそのまま銀行口座から没収され、勝てば武闘賭博を管理しているサーバにデータが保存される。つまり、1日に賭けることができる試合は1試合だけで、かつ予想を当てただけでは配当金を得ることはできない。
 翌日使用する賭金は、前日に的中した者はサーバー内のデータを優先的に、的中しなかった者は再びポケットマネーから出す。
 そうやって観客側は決勝戦まで観戦しなければ莫大な配当金を得ることはできないルールとなっている。
 しかし、毎年決勝戦は賭けの対象外となる。それは、戦う前から絶対王者の勝利が確定しているからであった。相手に賭ける人間が一人もいないため、ギャンブルとして成立しないという。
 そして、全試合で全て的中させる人間はほとんどおらず、多くの負け金はサムの懐に落ちていくという訳だ。



「ジィさん、金持ちになった?」
「いや、まだわからんよ。ここのサーバ上ではとんでもない金持ちじゃが、決勝戦まで勝ち続ける必要があるからのぅ…それに……」
タイミング良く鳴ったのは、VIPルーム備え付けの固定電話だった。ゆっくりと受話器を持ち上げたレンは、予想通りの相手に苦笑を滲ませた。

『レン・クー様、こちら武闘賭博大会公正取引委員会でごさいます』
「ああ、どうかされましたかな?」
『あなた様の登録IDでお配りしていた端末において、第一試合にベットされた金額が規定を大幅に上回っていたため、無効とさせていただきたくお電話さしあげました』

超巨額を手に入れる可能性が出たレンに対して、サムが身勝手なルール変更を適用したのだろう。際限無く賭けることが出来るのが武闘賭博の醍醐味であったはずだ。

「構わんよ。こちらも操作ミスであの金額を入力していたからな…次からは端末側にチェック機能を付けると良い」

そう言って和かに受話器を下ろしたレンを見て、麗慈もやっぱりな、と苦笑いを浮かべた。

「残念」
「え?金持ちになれない?」
しょんぼりと肩を落としたシェリーに、レンはニッカリと笑って答える。

「大丈夫、大丈夫。ワシはもともと金持ちじゃから」



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 時計型端末をリーダーに翳し、着替えを終えた京哉がVIPルームに戻ってくる。てっきり労いの言葉の一つでも投げ掛けられるかと思いきや、シェリーや麗慈にはまるで何事も無かったかのような反応をされた。

「待て待て、何その態度?僕頑張ってきたんスけど?」
不満げに頬を膨らます京哉の方を振り返ったシェリーは、ジトっとした目付きで彼を睨んだ。
「なんか殺し方が陰湿」
「白い服は洗濯してもシミ残りやすいんだからな。もっと綺麗にやれよ」
麗慈にも一緒になってダメ出しをされ、京哉はレンの方に泣きついた。
「ジィさんっ!!僕のお陰で自己破産しないで済んだだろ!?」
「いや、こっちは大金叩いて雇っとるんだから勝つのが普通じゃて」
「んのおおおぉっ!」
誰にも優しく迎え入れられない状況に発狂した京哉は、頭を抱えながら床に倒れ込み、五体投地する。

 高い天井をジッと見つめながら、一人この場にいる筈の人間の姿が見当たらない事に気が付いた京哉。

「そういえば…李は?」
京哉のその問いを聞いた途端、三人の表情が暗くなる。何事かと上体を起こして彼らを見回していると、麗慈が重苦しい雰囲気の中口を開いた。
「玥とも、玥を見張っていた人間とも連絡がつかないらしい」
目を見開いた京哉は、眉を顰めた。
「それで様子見に行ったのか…しっかし、幼馴染なんだろうけど大変だな、李も」
京哉の言葉を聞いて、ソファの背もたれに顎を乗せたシェリーがニヤッと口角を上げる。
「コレだね、コレ」
そう言いながら、彼女は両手でハートマークを作った。
「………マジ?ホの字ってやつ?」
キャッキャと盛り上がる二人を放置し、麗慈はレンに話し掛ける。
「何かに巻き込まれた可能性が高い。俺達も李さんを追いますか?」
麗慈の問いかけに口髭を弄りながら考え込んだレンだったが、ふぅっと息を吹いて首を横に振った。
「いや…今日だけで参加人数は半分になった。明日からは日に2人以上と戦う事になるからな…いくらアレでも疲れる時は疲れるじゃろ。帰って休んでて良い」
後方からの「聞こえてるぞー」という声を聞き流し、麗慈は静かに首を縦に振った。


 ゲートを通り過ぎて地下駐車場に辿り着く頃には、既にレンが手配した運転手付きのセダンが自動ドアの前に待機していた。
 大会期間中は周辺の道路の両脇にビッシリと屋台が並び観戦後の人々で溢れ返るという。マンションまでの距離は大したものではないが、出場者だと知ると面倒くさい絡みをしてくる輩も多いらしく、車での移動が理想的かつ安全という事であった。


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「凄い人の量ですね…全員武闘賭博目当ての観光客ですか?」
麗慈が運転手に尋ねると、彼はガハハと豪快に笑う。
「そりゃあ、年に一度の祭ですからね。地元のも少しは混ざってはいるけど…。それに、ここに集まっているのは中国全土の富裕層。国民の1%っていっても、だいだい20万人ですよ。今のご時世、金が有り余ってるなんて羨ましい話ですねぇまったく…」
これでも石油がエネルギーの中心だった頃と比べればかなり減っているというのだから驚きを隠せない。

 フロントガラス越しに見える人集りの中、スタジアム方面に向かって歩いている見覚えのある人影を発見した。最初に気が付いたのは助手席を勝ち取ったシェリー。
「ねぇ、李さんじゃない?アレ」
ツンツンと窓を人差し指で小突く方向に、後部座席の二人が同時に視線を移す。
「声掛けていきますかい?」
運転手が咄嗟にハンドルを切り、スタジアム方向へと戻る。

「おーい、李さーん!」

後部座席の窓を開けた京哉が彼を呼ぶ。勢い良く顔を上げて周囲を見回した李は、近付いて来るセダンを見てニコリと笑っていた。

「その様子だと、玥は見つかったのか?」
麗慈が尋ねると、ハハッと笑いながら答えた。
「はい。ウガミさんの試合を見ないで家に帰っていたそうで、見張りの者が送り届けていました」
そうかそうか、と聞いている麗慈の横で京哉が彼に耳打ちする。
「…連絡つかなかったってのは?」
麗慈が再び尋ねると、李は困ったような表情を見せた。
「玥は今朝慌て過ぎて携帯を忘れていました。あのバラック街は電波が不安定で繋がりにくい事があるので、見張りの者と連絡が取れなかったのはその所為かと…」
なるほどねぇ、と相槌を打った麗慈は李に手を振って運転手に発車するように促す。
 しかし、一つ先の交差点を曲がった所で運転手の肩を叩いた。
「すみません、レン・クーの居場所はわかりますか?」
「ああ、確かもう家に戻られる途中ですよ。日替わりで運転手を勤めている者から、先程出発したと連絡がありました」
運転手はそう言うと、耳に掛けられていたイヤホンを指さす。
「そうですか……では、もう一つ良いですか?」

 中国語で会話をする二人の間から顔を覗かせたシェリーに睨み付けられる視線を感じた京哉は、右手の人差し指を立ててそっと唇の前に置いた。



…………………………………………………………………………………



 烏鎮ウーヂェンに向かう道すがら、レンは運転手から自身が管理している地下カジノのオーケストラがサムの部下の指示でスタジアムへと移されていたことを知った。
 いくらサムであっても、10万人を収容するあの会場内で福音ゴスペルの音色を垂れ流させるような真似はしないであろう。いや、そうであると信じたい。不安の種が増えたレンは左右の手をギュッと互いに握る。

 周囲はすっかり暗くなっており、田舎道を走るセダンのヘッドライトが異様に明るく感じる。
 ふと、背後から近付いてくる光を感じたレンは、振り返ってリアガラス越しにその正体を確認しようと目を凝らした。
 この田舎道を自分以外の車が走る事は早々ない。
「スピードを上げてくれるか?」
警戒したレンが運転手にそう告げた丁度その時、後方の車が一気に加速してレンの乗るセダンの真後ろにつけた。こちらもアクセルを踏み込んで加速するも、すぐに追い付いてくる。

 至近距離で相手の車の運転手を確認したレンは、ハッと息を飲んだ。



 あと数センチで追突するという刹那、青白い光が周囲を包み込む。縦の閃光が追手の車体を通過すると、轟音と共に激しい突風がレンのセダンを襲う。
 爆発を起こした後方の車体は操作能力を失い、グラグラと右往左往しながら道の脇に茂る林の中に激突した。
 轟々と炎を上げて燃え上がる車体。それを背に片手には太刀、もう一方の手で何かを引きずる人影が真っ暗な畦道に出てきた。

 火災現場に1分程遅れて到着したもう一台のセダンには、シェリーと麗慈が乗っている。そして、炎の中から姿を現した人影は京哉であった。
 引き摺ってきた物体を畦道の真ん中に捨てた京哉に、麗慈とシェリーが駆け寄る。
 京哉の足元に転がっているのは、スーツを着た一人の男。彼の襟首を掴んで上体を起こさせた麗慈は、無表情で問う。

「玥はどうした……李」

割れたメガネの奥で虚げな目をする李の頬を、麗慈は右手の拳で殴り飛ばす。再び力無く地面に転がると、うつ伏せのままクツクツと笑い始めた。

「いつ気付きましたか?」
「…スタジアムに戻ろうとするアンタに車内から話しかけた時だ」






「おーい、李さーん!」
そう京哉が声を掛け、後部座席の窓を開けた時だった。二人はすぐに違和感に気が付いた。
 微かに残る硝煙の臭い。嗅ぎ慣れてきた二人が間違える筈なかった。
 顔色ひとつ変えずにやり過ごした麗慈は、李がスタジアムの地下駐車場に駆け込んでいく姿をフロントミラーで確認すると、すぐに運転手に話しかけた。


…………………………………………………………………………………



「すみません、レン・クーの居場所はわかりますか?」
「ああ、確かもう家に戻られる途中ですよ。日替わりで運転手を勤めている者から、先程出発したと連絡がありました」
運転手はそう言うと、耳に掛けられていたイヤホンを指さす。
「そうですか……では、もう一つ良いですか?この車も今から彼の元に向かってください。なるべく早く」

突然の、しかも予想だにしなかった要求に、運転手は焦りながらも麗慈の真剣な表情を見て慌ててシフトレバーを動かした。

「わ、わかりました。少々荒くなりますが勘弁してくださいね」



 畦道を飛ばすセダンの後方につくと、京哉は後部座席の窓を開け、フルートを脇に挟む。そして、サッシュを逆手に掴んで勢い良く脚を車外に放り投げ、逆上がりの要領でルーフの上に飛び移った。
 猛烈な風の抵抗を受けながら膝立ちでバランスを取り、フルートを構える。青白い発光と共に太刀の形に変形したフルートの柄を握り、足の裏で思い切り屋根を蹴り上げる。
 前を走るセダンが更にスピードを上げたのを見て、京哉はすかさず太刀を垂直に突き立て、トランクを貫通させた。
 相手の車に飛び移る事に成功した京哉は、彼を振り払おうとする左右の揺れに耐えながら太刀を引き抜き、柄を何度も叩き付けてリアガラスを破壊した。

「おいっ!李っ!!」

必死の形相でレンの車に追いつこうとアクセルを踏む李は、京哉の呼び掛けに答える事なく更にスピードを上げた。
 田舎の一本道で車通りはほぼ無い。すぐ目の前にレンのセダンが迫っているのを確認すると、京哉は車内に乗り込んで李の腕を掴んだ。

「離せっ!!あと少しでこの地獄から解放される!」
「何言ってっかわかんねーよ!!!早く車止めろバカっ!!」

お互いの言語は伝わらない。状況は悪化する一方で追突寸前まで車間距離が詰められた。
 京哉が舌打ちをしながら太刀をダッシュボードからエンジンルームに突き刺すと、ボンネットを跳ね上げながら爆発を起こした。

 制御不能になったセダンはヨロヨロと左側に逸れて行き、林の中に突っ込んで炎上する。衝突の間際、京哉は李の襟を掴んで助手席側から引きずり下ろしており、二人とも目立つ怪我を負うことはなかった。




…………………………………………………………………………………



 暗闇に赤々と広がる林を背に、李はゆっくりと面を上げた。そして、諦めたような表情で口を開く。

「…申し訳ありませんが、あなた方を利用させていただきました。レン・クーの真の目的は、彼に可能な限り近付いた私でもわかりませんでしたからね」

李の言葉に、京哉は昨日地下カジノに潜った時の事を思い出した。
 福音ゴスペルの正体、彼が管理しているオーケストラの事、地下の排水施設に収容された災厄の被害者達、そしてレンが今回の武闘賭博にスポンサーとして参戦した理由。
 李は京哉達が依頼人の真の目的を探る為に動くとわかって、レンに取り次いだのだ。そして、レンの自宅に入る事を許されている李はこっそりと彼のジャケットに盗聴器の類を忍ばせていたのだろう。

 過去9回の武闘賭博には興味の無かった大財閥の頭首がいきなり参加を決めた理由を知りたい人物、それはサム・ツェーファに他ならない。つまり、李はサムの手の者だったのだ。

「玥を攫ったのは私です。連絡が取れないと嘘を付きVIPルームを出た後、見張りの者共々首領ボスのもとに連れて行きました。玥以外は私がその場で殺しました。後々面倒だったので」

凄惨な試合を見てトイレに駆け込んでいたのは、演技だったのかと麗慈は思い返す。

「…玥は?」
「あぁ…まだ生きていますよ。彼女にはまだ利用価値があります」
利用価値という言葉を使った李は無表情だった。

「…結局、アンタは何がしたかったんだ。どうして幼馴染をマフィアなんかに引き渡した?」

麗慈が静かな口調で尋ねると、李は両の拳を強く握り締めた。
 巨悪を上海から追放し、救いたい。それが李の望みだった筈だ。人々を狂わす福音ゴスペルの蔓延と、玥達とラウを引き離したサムを酷く憎んでいた筈の彼が、何故…。


「………私は…サム・ツェーファと前上海市長の娘との間に産まれた子供です…」



 サムが上海を統べるマフィアの首領になるかなり前の話だ。彼はまだ、街のチンピラ達を連れ回す小悪党のボスであった。
 何者にもなれず、ただ堕落と暴力の日々を送っていた彼にとってそれは運命を変える出会いだった。
 ならず者たちが屯するバーを訪れたサムはその日、一人の女と意気投合する。彼女の愚痴る不平不満は、サムが日々感じている苛立ちを見事に言語化したものであった。
 夜が耽るまで飲み明かした二人は、その後一夜限りの関係を持つ事になる。

 それから8ヶ月ほどが経過した頃、サムの元にスーツを着た男達が現れた。時事に疎い彼ですら顔を知っている男がその中心にいた。
「サム君…というのは君かい?」
唐突に声を掛けられ、男をギロリと睨む。


…………………………………………………………………………………



「私は上海市長をしている李浩然リーハオランと申します」
手を差し伸べてきた市長は笑顔を向けているが、その目は完全に笑っていない。
 当時、上海市は街の浄化を目的としてチンピラや半グレを一掃する事に力を入れていた。ならず者を従えているサムなど、格好の標的である。
「俺達を追い出そうってか?自らお出ましたぁ、市長なんてのは随分暇なんだなぁ?」
サムが悪態をつくと、市長は側近の男に耳打ちをした。そして、側に停めていた高級車から1人の女が姿を現す。それは、あの日確かにサムと関係を持った彼女。虚げな表情でサムを見上げると、大きく膨らんだ腹を摩った。

「……言いたい事はわかるだろう?」

重苦しい空気が漂う中、市長がそう告げる。
 サムが関係を持った女は、当時の上海市長の一人娘であった。過保護で厳格な父親の教育方針に嫌気がさした彼女は、あの日家出をしていたのだという。
 結局、サムが初めて心から共感した彼女の言葉は、何者にでもなれる立場の人間の怠慢であった。酷く裏切られたような気になったサムは、市長に言い返す。

「責任でも取れってか?」
「いや……この事を生涯口外せず、墓場まで持って行くと約束して欲しい。子供は里子に出す。二度と我々の目に入らぬ場所に移り住んでくれないか?」

そう言って、スーツケースいっぱいに詰められた札束を目の前に提示された。当時の彼にとっては、一生掛かっても手にする事ができないと思えるような金額であった。
 しかし、サムはそのスーツケースを蹴り上げて中身を地面にばら撒いた。

「そんな端金で俺を買収するつもりかよ。最高に笑えるネタじゃねぇか。市長の箱入り娘がチンピラとヤってガキこさえたとかよぉ!!」

市長ににじり寄ったサムは、彼の胸倉を掴んで顔を引き寄せた。

「言いたい事はわかんだろ?…なぁ?」

先程の自分の言葉を突き返され、市長は顔を歪ませた。



 何者でもなかったサムが今や上海を牛耳る程の巨悪に成長したキッカケになる出来事を聞いた麗慈は、地面を拳で殴り付けた李を黙って見つめる。
 彼の言葉の意味を解さない京哉とシェリーも、神妙な面持ちで彼を見続けた。

「サムは市長の持つ権限やコネクションを齧る事ばかりに注力し、産まれた子供である私にはまるで興味を示しませんでした。何の事情も話さず、バラック街の外れにある子無しの夫婦に里子として預けたそうです」

しかし、偶然ラウ・チャン・ワンが彼らの土地を借り、隣に移り住んだ事によって事態は一変する。

「……私も、サムの側近と名乗る男から声をかけられるまで、奴との血縁関係については全く知りませんでした。奴はただ、ラウの身の回りの事について情報を流せ、それだけを命令しました」

そして、ラウが孤児を引き取り自宅で生活を共にしている事、玥という娘を大層気に入っている事、多くの孤児との生活で経済的に困窮している事を伝えてしまったのだ。

「私にとって血の繋がる家族の事を知れたのは嬉しかったのかもしれません。浮かれていた筈です。だから、知らず知らずのうちにサムにラウの弱みを密告してしまっていたのです」



…………………………………………………………………………………



 そして、サムがラウの家を尋ねてきたとき、李は初めて自分の父親の素顔を見たのだと言う。
「この凶悪な雰囲気の男は誰なのだろう、とあの当時は思っていました。しかし、その翌日にラウがサム・ツェーファという凶悪なマフィアの主催する武闘賭博の大会で、彼の駒として参加する事を知った時…奴が父親なのだと確信しました」

そして李は、結果的に玥達の大切な父親と巨悪との繋がりを作り、彼女達も危険に晒され続ける事になったのは自分の所為だと気付いた。

「今後も協力的な態度を取らねば、ラウの子供達に手を下すと脅され続けました。ただそれだけの関係です。ラウに近付いた異端カルトという組織や福音ゴスペルについては何も知りませんでした…」



 第一試合の最中、李の懐に隠し持っていた端末が着信を受けた。気分が悪くなったフリをしてトイレに駆け込むと、相手はサムが最近懇意にしているという怪しい組織の男。

『貴方ですね、レン・クーの所で諜報活動しているのは。初めまして、異端カルトの者です。貴方にお願いがあって、ご連絡させていただきました』

半面の男は、玥を攫ってサムの元に届けるようにと命じた。

『玥さんは貴方の大事な幼馴染だと聞きましたー。大人しく送り届けてくれさえすれば、彼女の命は保証します!』
「…玥をどうするつもりですか?」
『それを知る必要、貴方には無いですから。サム・ツェーファから、貴方は便利な駒使いと聞いています。では、守備よくやってくださいねー』

一方的に電話が切られ、李の耳元ではツーと虚しい音が響く。結局、都合良く使われているだけだった。しかし、玥を送り届けるという命令に背けば、彼女や他の子供達がどうなるかわからない。


「玥を奴に引き渡した際、こう言われました。『お前はレン・クーを殺してこい。そうすれば、お前自身は直ぐにでも解放してやる』と……」
感情が溢れ出すのを必死に抑えながら、李は震える声でそう言った。
「…何もかも掻き乱して、守りたかったものさえ自ら手の届かない所に追いやって……最後には我が身を真っ先に救うべく……結局私は何をしたかったんでしょう」

自嘲的な笑みを浮かべて虚空を仰いだ李。麗慈はそれまでの会話の内容を京哉とシェリーに端的に伝える。
「何だそりゃ。そんでジィさん裏切って殺そうとしたのかよ」
「どうする、コイツの事は…」
レンの前に首根っこ掴んで差し出すか?と聞かれた京哉は、面倒臭そうに大きな溜め息を吐きながら李の目の前の地べたに座った。
「……アンタの事なんて知らねーんだよ。僕らの仕事には全くもって無関係な所でウジウジしやがって…」
目の前でベラベラと日本語で話しかけてくる京哉に、李は目をパチクリさせる。
「僕がラウ・チャン・ワンを倒して、サム・ツェーファを上海の頂点から引き摺り下ろす。それで何もかも万事解決だろ?」
「ええと…」
麗慈に翻訳を求めようと視線を移しかけた時、京哉は彼の両肩をガッシリと掴んでそれを遮った。


「…もう何も背負うな。アンタも、ラウも、玥達も、じぃさんも…何なら福音ゴスペルでラリっちまった奴等も全員……僕が救うから待ってろ」

 月明かりで逆光になっている京哉の表情を、李は窺い知る事は出来ない。嵐のように連続で投げ掛けられた言葉の意味もわからない。
 しかし、李は何故か首を縦に振っていた。掴まれた肩から伝わる力強さが、これでもう地獄を進む必要は無いのだと、そんな風に思わせたからだ。



[11] Requiem Ⅳ 完
 
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